ソフトボール日本代表・後藤希友さんの金メダルを噛んで大炎上の名古屋市長・河村たかしさんが話題です。
この記事では河村たかしさんの本名と身長や出身高校や大学などの学歴、卒業後の経歴、結婚した嫁と子供、息子、金メダル噛み事件の詳細や辞任を求める声などについてまとめました。
この記事の目次
- 河村たかしのプロフィール
- 河村たかしは本名だが出生名は河村隆之だった
- 河村たかしの身長は175cm
- 河村たかしの学歴① 名古屋市立旭丘小学校
- 河村たかしの学歴② 名古屋市立桜丘中学校
- 河村たかしの学歴③ 愛知県立旭丘高校
- 河村たかしの学歴④ 一橋大学商学部
- 河村たかしの経歴① 家業の古紙回収会社を継ぐ
- 河村たかしの経歴② 検察官を目指して司法試験に挑戦
- 河村たかしの経歴③ 政治活動をスタートさせる
- 河村たかしの経歴④ 衆議院議員として活動
- 河村たかしの経歴⑤ 名古屋市長に就任し現職
- 河村たかしの給料・年収
- 河村たかしの結婚した嫁は河村名帆子さん
- 河村たかしの子供は嫁との間の息子・河村篤前さん
- 河村たかしはソフトボール日本代表・後藤希友の金メダルを噛んで批判殺到
- 河村たかしに辞任を求める声も多数
- まとめ
河村たかしのプロフィール
河村たかしのプロフィール
本名 :河村たかし
生年月日:1948年11月3日
出身地 :名古屋市東区古出来
河村たかしさんは、2009年から名古屋市長に当選し、現在も務めています。(5選目)
現在はそんな言葉遣いは誰もしていないとも言われているコテコテの名古屋弁を話し、自転車で選挙活動を行い、徹底して庶民の味方、地元密着型をアピールする方針でも知られていて、自身の市長給与の値下げなども実践されています。
また、名古屋市長になるまでは愛知選挙区から衆議院議員に選ばれ国会議員も5期務めています。所属政党は民社党、自民党、日本新党、新進党、自由党、民主党などを経て無所属となり、現在は地域政党「減税日本」の代表を務めています。
河村たかしは本名だが出生名は河村隆之だった
出典:https://livedoor.sp.blogimg.jp/
「河村たかし」というのは本名なのですが、出生名は「河村隆之(読みは同じ)」でした。
河村たかしさんは、1990年2月18日の第39回衆議院議員選挙に当時の本名の「河村隆之」で出馬しましたが落選しており、その後に戸籍名を変えて本名を現在の「河村たかし」に改めたようです。
本名を改めた理由などは伝わっていませんが、もとの本名の「河村隆之」が「たかし」とは読みづらい漢字である事から、読みやすいようにひらがなに改めたのではないかとみられています。
河村たかしの身長は175cm
河村たかしさんの身長は175cm、体重は82kg、血液型はO型と以下のページの履歴書に記載されています。
https://static.chunichi.co.jp/chunichi/archives/senkyo/nagoyashicho2017/shimbun/page1.pdf
河村たかしさんの身長は175cmと日本人男性の平均よりやや高く、中肉中背体型であることがわかります。
河村たかしの学歴① 名古屋市立旭丘小学校
続けて、河村たかしさんの学歴についてもみていきます。
河村たかしさんの公式Webページによると、出身小学校は地元名古屋の公立校「名古屋市立旭丘小学校(あさひがおかしょうがっこう)」という事です。1961年3月に卒業されています。
名古屋市立旭丘小学校は愛知県名古屋市東区徳川町に所在する小学校で、河村たかしさんの出身高校である名門校、県立旭丘高校とは名前が同じなだけで直接的な関係はありません。
河村たかしさんは、兄弟は弟と妹が1人ずつの3人兄妹で長男だという事で、小学校時代から古紙回収業を営んでいたという家業を手伝い、オート三輪に乗って廃品回収業者などから古紙を回収していたそうです。
河村たかしの学歴② 名古屋市立桜丘中学校
河村たかしさんの出身中学は地元の公立校の「名古屋市立桜ヶ丘中学校」です。1964年3月に卒業されています。
名古屋市立桜ヶ丘中学校は愛知県名古屋市東区東大曽根町に所在しています。
河村たかしさんの中学時代のエピソードなどは伝わっていませんが、同中学校は、児童文学作家の今江祥智さんが大学卒業後に英語教師として赴任した中学校としても知られています。(今江祥智さんが同校の卒業生というのはデマ)
河村たかしの学歴③ 愛知県立旭丘高校
河村たかしさんは中学卒業後に、愛知県トップの進学校で、明治時代をルーツとする伝統校でもある、県立高校「愛知県立旭丘高校」へと進学されています。
愛知県立旭丘高校の最新の偏差値は「72」となっています。
高校時代の河村たかしさんはバドミントン部に所属されていたそうです。当時の関係者によれば愛知県の団体戦1位も獲得されているようです。
河村市長は愛知県立旭丘高等学校で私の1年後輩で、同じバドミントン部に属し連日ハードな練習に明け暮れていました。私たちは愛知県団体戦2位、河村市長たちは名古屋市で1位になり、当時県下では公立高校の中で最も強豪校でした。
ちなみに、河村たかしさんは、表敬訪問の後藤希友さんの金メダルを噛んで批判されている件での謝罪会見では、「高校時代にバドミントン部だったので、金メダルに強い憧れがあり、とっさいに噛み付いた」といった趣旨の説明をされていました。
河村氏は会見で、高校時代にバドミントン部だったとした上で「金メダルに強いあこがれがあり、『これが金メダルか』と、とっさにやった」と釈明。
高校の部活とオリンピックの日本代表を同じように扱っている事や、憧れがあるからと言って人の努力の結晶である金メダルを噛んで良い理由にならないなどとして、この謝罪会見での発言はさらなる批判を呼んでいます。
AbemaTVで河村たかし氏の謝罪会見やってて観てたけど、あれ全然反省してないやん、何あの話し方。謝ってないよ。噛んだ理由も「自分はバドミントン部の主将やってたけど予選で負けてインターハイ出られなかったから金メダルへの憧れがあって」って……しらんがな!!!!!
— 朧月よしこ (@oboro_zuki_yo) August 5, 2021
河村たかしさんはこの旭丘高校を1967年3月に卒業されています。
河村たかしの学歴④ 一橋大学商学部
河村たかしさんは、旭丘高校を卒業後、1年の浪人を経て、1968年4月に一橋大学の商学部へと進学されています。一橋大学商学部の最新の偏差値は「67.5」となっています。
河村たかしさんの実家は古紙回収業・卸売業の会社を経営していたということで、一橋大学商学部へ進学したようです。
大学では硬式野球部に所属していたようですが、どういった理由かは不明ながら大学1年の途中で退部しています。
河村たかしさんのインタビューが、岐阜大学田中伸研究室のWebページで紹介されていますが、それによると、大学2年生時はちょうど学年紛争(原文ママ、学園紛争の事と思われる)があった時代で、河村たかしさんもストライキ実行委員会の副会長を務めていたと思うと話されていました。
大学1年生のときは硬式野球部におったんですけど、これも1年でやめてしまいました、残念だけどね。あと2年の頃というと、ちょうど学年紛争があったんじゃなかったですかね。一ツ橋にもありましたでね。それで、授業はなしというか、ボイコットみたいな恰好でありまして。僕もまぁ、特定の民生だとかははいっておりませんけど、ストライキ実行委員会かなんかの副会長、だったと思いますがね。
なお、河村たかしさんは大学生時代に硬式野球部に所属していた事も、後藤希友さんとの面会時にアピールされていました。
ゴールドメダリストに。中々、打てんの。わしも大学1年生の時は硬式野球部におったでね。神宮球場の入場行進はやってますけど、ソフトボールの連中と試合したことがあるんですわ。やっぱり本当に打てんわな。すごいスピードで。
また、河村たかしさんは、大学で第二外国語として選択したロシア語のクラスでは、法学者で一橋大学名誉教授の山内進さんと高名な経済アナリストの増田悦佐さんと同級生だったようです。
そのほか、元静岡県磐田市長、元衆議院議員で、市民団体「ネットワーク河村市長」の代表も務めた鈴木望さんは一橋大学時代の1年後輩だという事です。
河村たかしさんは一橋大学商学部を1972年3月に卒業されています。
河村たかしの経歴① 家業の古紙回収会社を継ぐ
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河村たかしさんの大学卒業後からの経歴についてもわかっている内容をまとめていきます。
河村たかしさんは大学を卒業後、実家が営んでいた古紙回収業・卸売業の河村商事株式会社に入社しています。当時は社員数4人くらいの零細企業だったそうで、専務だった河村たかしさんも営業やトラックの運転などをされたそうです。
また、廃品回収業者から古紙を回収する際には立場が弱かった事から、雑用などもやらされたそうで、当時について「辛酸を嘗めた」と表現されていました。当時、河村たかしさんは会社を大きくしようと考え、業界でさきがけてプレス機を導入し、新工場も建設しようとしたそうなのですが、「同業者の仕事を奪うことになる」と当時の社長の父親に反対されてしまい実現できなかったのだそうです。
なお、現在は河村たかしさんはこの河村商事株式会社を息子さんに任せ経営からは手を引かれています。河村商事株式会社は現在は、社員数95人、売上高21億円(令和2年度)の中小企業にまで成長しています。
河村たかしの経歴② 検察官を目指して司法試験に挑戦
河村たかしさんは、父親に「同業者の仕事を奪う」というのを理由に新工場建設を反対された経験などから、同業他社と過度な競争はしないという父の方針と対立するようになり、また、業界全体のギルド的な体質にも反発心を抱くようになったという事から、検察官への転身を目指しています。
河村たかしさんは、1977年頃から、河村商事株式会社での仕事後に法律学校「中京法律専門学校」の夜間コースに通って法解釈学、行政学を学び、10年にわたって旧司法試験を9度受験し、第二次試験短答式試験には合計で4回も合格しています。(当時は合格率10%から15%程度)
しかし、第二次試験論文式試験で不合格となり、結局合格できずに断念しています。
河村たかしさんはこの司法試験に挑戦し挫折した経験から、人生再チャレンジできる社会を実現したいとの思いを強くして政治家を志すようになったそうです。
河村たかしの経歴③ 政治活動をスタートさせる
政治家を志した河村たかしさんは、当時の民社党委員長・春日一幸(故人)の秘書になり、1983年、34歳の時に愛知県議会議員選挙に出馬するも落選。
さらにその後、河村たかしさんは春日一幸の逆鱗触れて秘書をクビになり、民社党から除名処分になっています。
この除名の顛末については、河村たかしさんが引退を控えた春日一幸の後継者になりたいと申し出たところ、春日一幸は河村たかしに娘婿になるよう求めてきたそうなのですが、、当時河村たかしさんは既に結婚していて嫁がおり、息子も生まれていたので断ったのだそうです。
春日一幸はこれに激怒し、ある日突然「次の選挙は娘婿が出るので、お前は迷惑だから辞めてくれ、民社党からも離党届を出せ」と言われ、秘書をクビになり民社党からも追い出されてしまったという事です。
民社党を除名になった1985年2月22日、河村たかしさんは高校時代からの友人らと「500円庶民の会」という政治団体を作り、名古屋市長選挙に出馬表明しますが、民社党から除名処分になりイメージが悪化した事や、資金集めもうまくいかなかった事などから、3月18日になって急遽、市長選出馬を断念しています。
河村たかしの経歴④ 衆議院議員として活動
河村たかしさんはその後、一時、自民党に所属していますが、1990年の第39回衆議院議員選挙では自民党の公認を得られずに落選しています。
1992年に自民党を離党し、1993年の第40回衆議院議員総選挙に日本新党所属として旧愛知1区から出馬し、初当選を果たしています。(その後、日本新党の新進党合流により、新進党所属に)
1996年にも再選を果たし、1998年に無所属を経て民主党に属し、2000年の第42回衆議院議員総選挙にて3選目を果たしています。
続く、2003年と2005年の選挙でも当選し、衆議院議員を連続5期務めています。
河村たかしの経歴⑤ 名古屋市長に就任し現職
河村たかしさんは、2009年4月に名古屋市長に初当選しています。
名古屋市長選時には、選挙カーを使わずに自転車に自ら乗って行った選挙活動や、コテコテの名古屋弁、徹底した庶民の味方アピールなどで支持を集め、他の候補に大差をつけての当選となりました。
その後は、2011年、2013年、2017年、2021年と5期連続での当選を果たしています。
河村たかしの給料・年収
古いデータですが、2010年の河村たかしさんの給料は月50万円と報道されています。
市長の給料の平均は月額108万2500円であり、河村たかしさんは全国の市長の中でも最低であったようです。
河村たかしさん自ら給料を削減しており、年間の報酬額も800万円とされています。
また、2021年の名古屋市長選時にも河村たかしさんの市長給与は800万円と報道されており、対抗した市議の横井利明さんは「市長給与544万8千円」を公約すると宣言していました。しかし、結果は河村たかしさんが再選となっています。
河村たかしさんの年収は800万円と考えて良さそうです。
河村たかしの結婚した嫁は河村名帆子さん
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河村たかしさんは1975年に大学時代に知り合ったという名帆子さんと結婚されています。嫁の名帆子さんは、河村たかしさんの3歳年下で、河村たかしさんが22歳、名帆子さんが19歳の時に知り合われたそうです。
結婚したのは河村たかしさんが27歳、嫁の名帆子さんが24歳の頃だったようです。
嫁の名帆子さんは「国立音楽大学」の出身で、大学時代にサークル活動で河村たかしさんと知り合われたようです。名帆子さんは、当時の河村たかしさんについて地元中日新聞のインタビュー記事で以下のように話されていました。
バンカラですよね。音大の男子学生はひょろっとしてるでしょう。同じサークルにいた早稲田や慶応の大学生とも違う。とにかく今まで出会ったことのないタイプ。新鮮でした。普通は女の子にお上手を言ったり、プレゼントを贈ったりするじゃないですか。あの人はしないんですよ、そういうことを。今まで誕生日の贈り物もないです。一度だけ、たい焼きを一つ買ってきてくれたことはありましたけどね。
また、家庭での河村たかしさんについて、嫁の名帆子さんは、「家事についてうるさく言わない」、「ご飯も美味しいと言ってくれる」と話されていました。
河村たかしさんの嫁の名帆子さんは、現在は息子さんが継いだ河村商事株式会社の取締役を務められています。
河村たかしの子供は嫁との間の息子・河村篤前さん
河村たかしさんと嫁の名帆子さんとの間には子供が1人生まれています。
河村たかしさんの子供は息子の河村篤前さんという方で、現在は河村商事株式会社の代表取締役社長を務められています。
日本紳士録によれば、この河村たかしさんの息子の河村篤前さんは、父の河村たかしさんと同じ一橋大学卒で経済学部で学ばれていたという事です。
河村たかしはソフトボール日本代表・後藤希友の金メダルを噛んで批判殺到
河村たかしさんは現在、東京オリンピックソフトボール日本代表選手・後藤希友さんが表敬訪問した際、後藤希友さんが獲得した金メダルに突然噛み付くという常軌を逸した行動を取ったことが猛烈な批判を浴び、大炎上騒動を起こしています。
後藤希友さんは愛知県名古屋市出身でトヨタ自動車ソフトボールチームに所属する地元選手で、東京オリンピックではリリーフエースとして全6試合中5試合に登板し10回2/3を投げて無失点、22奪三振の圧巻の投球で日本代表チームの金メダル獲得に大きく貢献しました。
後藤希友さんは、2021年8月4日に金メダル獲得の報告をしに名古屋市役所を表敬訪問したのですが、その際に河村たかしさんは、「(金メダルを)持たしてちょ。せっかくだから、かけてちょうだい」と後藤希友さんに求め、首に金メダルをかけてもらいました。
河村たかしさんは金メダルを手に取ると「あぁ〜重てやぁな本当に」などと感想を言った後、自らマスクを外し「こうやって…」と呟くと、突然、後藤希友さんにとってかけがえのない宝物であろうと容易に想像がつく金メダルに噛みついたのでした。
会場には「カチリ」と金メダルに歯が当たった音が響き、メダルにつけられたリボンの一部も河村たかしさんの口の中に入っていました。河村たかしさんは金メダルを噛んだ後、拭く事はせずにそのまま後藤希友さんに返しています。
この時の映像が当日のテレビニュースなどで報じられるや、名古屋市役所宛に批判が殺到(6日正午までに5600件超え)し、ネット上でも批判が殺到し炎上騒動に発展。オリンピックのメダリストを含む、多くの著名人からもこの件への抗議のコメントが相次いで発表されました。
さらに、翌8月5日には、後藤希友さんが所属するトヨタ自動車も河村たかしさんの行為に対し強く抗議するコメントを発表しています。
突然金メダルに噛み付いた事自体も常軌を逸していますが、大都市の市長という責任のある立場にある人間が、新型コロナウイルス感染対策が徹底されている状況の中で、このように不衛生な行為に及んだことに対しても多くの批判が集まっています。
さらに、河村たかしさんはこの時、金メダルに噛みついただけなく、後藤希友さんに対してセクハラ発言を繰り返した事も発覚しています。
河村市長は後藤投手を見るなり「女のソフトボールやっとるやつは、中学生かなんかでも、なんとなく色が黒うて、けっこうポニーテールが多いでしょ?」と持論を展開。続けて「ぜひ立派になっていただいて、ええ旦那もらって。旦那はええか?」「恋愛禁止か?」とセクハラ質問を浴びせた。
河村たかしに辞任を求める声も多数
今回の金メダルに噛み付いた一件により、河村たかしさんに名古屋市長辞任を求める声が高まっています。
河村たかし名古屋市長。
— マサくん (@1980macha) August 4, 2021
後藤選手の金メダルを噛み、
「最大の愛情表現だった。迷惑を掛けているのであればごめんなさい」
「ごめんなさい」とか反省してないし、小学生みたいなコメントで許せない。謝って済む問題じゃない。市長だから許せる問題でもない。辞任すべき。#後藤選手 #河村 #愛情表現
後藤選手はまだ20歳。男性ばかりのカメラマンに囲まれて、あの場でこれはおかしい、ひどいって訴ることができず1人悔しさと悲しさを抱えたと思うとやるせない。
— kan (@ilikemikans) August 4, 2021
後藤選手への新しいメダル、河村たかしの即刻辞任を求めます。
若い女性が男性に声をあげるのは本当に難しいから。。
しかし、河村たかしさんは今回の件で名古屋市長を辞任するつもりないとの報道も出ていて、本人に辞任するつもりがないのであればリコール運動を起こすべきだという声も上がっています。
河村たかしさんが金メダルを噛んだ翌日の2021年8月5日に、名古屋市会の与野党合同の議員団が「河村市長に対する抗議並びに要請書」を提出していますが、その内容は「常軌を逸したあるまじき行為」、「市長として、著しく不適切」、「明確なけじめをつける事を求める」といった言葉が並ぶ辛辣なもので、事実上の辞任要求との声も上がっているようです。
*【#辞任要求】「名古屋議会の与野党の市議団、河村たかし市長に事実上の辞任要求」
— Hiroshi Matsuura (@HiroshiMatsuur2) August 7, 2021
… 8月5日付の「河村市長に対する抗議並びに要請書」より。 pic.twitter.com/2SFObhEiuS
まとめ
今回は、後藤希友さんの金メダルに突然噛み付いた事で批判が殺到している名古屋市長の河村たかしさんについてまとめてみました。
「河村たかし」というのは本名ですが、出生名は「河村隆之」で、選挙にあたって戸籍上の名前を改名しています。
学歴については出身高校は「旭丘高校」、出身大学は「一橋大学商学部」です。
大学卒業後の経歴については、家業である古紙回収会社「河村商事株式会社」での勤務を経て、検察官を志しますが挫折、その後政治家を志し、衆議院議員を5期務めた後、名古屋市長となり、5期連続当選して現職の現在に至ります。
嫁は1975年に結婚した名帆子さんで、子供は息子の河村篤前さんです。
現在、河村たかしさんは金メダルを突然噛んだ件で猛批判を浴びており、名古屋市長を即刻辞任すべきという声が高まっています。
今後の展開にも注目していきたいと思います。