CanCamの元編集者で「めちゃモテブーム」、「えびちゃんもえちゃんブーム」の生みの親で知られる渡辺佳恵さんが亡くなりました。
この記事では渡辺佳恵さんの若い頃の画像や経歴、旦那さんとの結婚と子供、離婚と娘の大下奈央さん、すい臓がんの公表と死因についてまとめました。
この記事の目次
渡辺佳恵のプロフィール
渡辺佳恵のプロフィール
生年月日:1969年1月19日
没年月日:2024年3月12日(55歳没)
出身地 :東京都江東区南砂町(埼玉県志木市育ち)
身長 :162cm
血液型 :A型
渡辺佳恵さんは、女性ファッション誌「CanCam」の元編集者で、同誌がきっかけに2000年代初めに社会現象になった「めちゃモテブーム」、「えびちゃんもえちゃんブーム」の立役者です。それまで20万部台だった「CanCam」の発行部数を80万部台にまで急増させた手腕は高く評価されています。
その後、渡辺佳恵さんは独立し、「美的」のアドバイザーなどを経て、2018年にトータルビューティーとヘルスブランドを運営する「株式会社REBEAUTY」を立ち上げて代表取締役に就任されました。
美容やファッションの業界で長年活躍し、多くの女性からの支持を得ていましたが、2024年に入ってすい臓がんで闘病している事を公表し、2024年3月12日に55歳の若さで亡くなりました。
渡辺佳恵の若い頃① 生い立ち
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渡辺佳恵さんの若い頃の経歴を紹介していきます。
渡辺佳恵さんは、1969年1月19日に東京都江東区南砂町で公務員の父親と専業主婦の母親のごく普通の家庭に長女として生まれました。きょうだいは3歳下の妹が1人います。
当時の実家は下町の団地で、10歳の時に父親が埼玉県志木市に一軒家を購入し家族で引越し、その後はそこで育ったそうです。ただ当時は「こんな田舎嫌だ、絶対東京に出てやる」と思っていたのだとか。
地元の中学校に進学後、おしゃれに目覚め、部活にも入らずに「Olive」や「MCシスター」を読み漁り、歌手のユーミン(松任谷由美)さんにハマり、週末には原宿や代官山を散策する日々を送ったそうです。この頃、「MCシスター」にスナップが掲載された経験もあるそうです。
高校は地元の県立校へ進学し、校内でファンクラブができるなどかなりモテていたようです。
高校時代には、六本木のディスコで開かれた都内の私立高校のダンスパーティに連れて行ってもらうも、ここで「え、県立高校なの?知らない、私立じゃないんだ」などと馬鹿にされ、「東京の大学へ進学していけてる女子大生にならなくては」と考えるようになったそうです。
渡辺佳恵の若い頃② 大学卒業後にCanCamのライターに
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渡辺佳恵さんは、東京に出ていけてる女子大生になる事をモチベーションに受験勉強に励むも、松任谷由美さんの母校という事で第1志望としていた立教女学院をはじめ全ての大学に落ちてしまいます。
浪人する気もなかったため、仕方なく文京区の私立「跡見学園女子大学」の2次募集を受験し合格し進学しています。
当時はほとんど大学には通わずに、渋谷や六本木で合コンとデート、イベントコンパニオンなどのアルバイト(月収30万円もあったとの事)に打ち込む日々を送ったそうです。
21歳の時には初めての彼氏ができるも、「お前、中身がなくてつまらない」とフラれてしまい、この時に初めて「女性にも(かわいさだけでなく)『中身』が必要なのだ」と気がついて衝撃を受けたそうです。
大学卒業後は、「お前、フッ軽(フットワークが軽い)でミーハーで雑誌好きだからライター向いてるよ」と言われた事からフリーライターになり、当初は月収5万円だったともの「なんて楽しいんだ!」と仕事の楽しさに目覚めたそうです。
どうせなら興味のあるファッション業界でライターをしたいと考えた渡辺佳恵さんは小学館に営業をかけ、まずはファッション雑誌「oggi」でライター活動を開始。その後、「CanCam」の編集者にスカウトされてCanCamのライターになりました。
渡辺佳恵の若い頃③ CanCamのディレクターとして社会現象を巻き起こす
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渡辺佳恵さんは2001年、32歳の時にCanCam初のファッションディレクターに抜擢されました。
異例の抜擢だった事もあって編集部の嫉妬が集まり、渡辺佳恵さんは靴に画鋲を入れられたり、無視されたりなどの幼稚ないじめも受けたそうですが、こうした嫌がらせに逆にモチベーションになって奮起したそうです。
渡辺佳恵さんは自分がCanCamのガチの読者だった頃、頭の中が「可愛くなる事、おしゃれになる事、モテる事」で埋め尽くされていた気持ちを思い返し、「モテ」を全面に押し出した企画を打ち出し、「めちゃモテ」をコンセプトとして押し出し、それを軸として蛯原友里さん、押切もえさんという2人のカリスマモデルをブランディング。
「めちゃモテブーム」、「えびちゃんもえちゃんブーム」などの社会現象を巻き起こして、CanCamの売上部数を20万部から80万部にまで急増させました。
渡辺佳恵の若い頃④ 独立するも波瀾万丈でニートやホームレスも経験
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CanCamブームの立役者となった渡辺佳恵さんでしたが、CanCamを売るために考えたコンセプト「めちゃモテ」と、自分の考え方との矛盾を感じ、2004年に編集部を辞めてしまいます。
というのも「めちゃモテ」はモテるための外見を作って、男性に選ばれる女性になろうというものでしたが、渡辺佳恵さんは実際には「女は選ばれ待ちじゃなく、自分で男性を選べる女になった方が何万倍も幸せ」という考えを持っていたそうです。
そのため、渡辺佳恵さんは「私は何、こんな昭和な女(男性からのナンパを待つ女性を指していると思われる)を増やしてるんだ」と愕然とし、また、それを肯定するような環境にも耐えきれずに、CanCam編集部と喧嘩をして飛び出し出禁になったのだそうです。
最悪な形でCanCam編集部を飛び出したためほとんどの人が離れて行ったそうで、渡辺佳恵さんはそれから7ヶ月間ニートのような生活を送ったそうです。
その後、2004年9月に「株式会社suivre(スイーブル)」を設立し、ファッション&ビューティープロデューサーの肩書きを名乗るも全く仕事が来なかったため、当時流行し始めたばかりだったブログを開設して情報発信を開始。
地道にブログを更新していたところ、段々と依頼が来るようになり、イベントゲストや講演会などの仕事を受けるようになったそうです。
2007年、38歳の時には渡辺佳恵さんは美容雑誌「美的」のアドバイザーに就任しています。「美的」のアドバイザーはその後10年以上続けられています。
また、この年には女優の藤原紀香さんの美容本「紀香バディ!」をプロデュースして、美容本としては異例の14万部を売り上げる大ヒットを記録しています。
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2008年にはTBSの深夜番組「アナCAN」にて、田中みな実さんら新人女子アナ(当時)達のビジュアルプロデュースを2年にわたって手掛け話題になりました。また、この年にはフジテレビの情報番組「とくダネ!」のコメンテーターも務めました。
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その後、渡辺佳恵さんは、2010年41歳の時に代官山に託児所付き美容総合ビル「rinato」をプロデュースし、2012年43歳の時にその社長を任されるも経営は火の車でほぼ無償で働き、オーナーと揉めて退任し会社名義で借りていた自宅も追い出され、全財産2000円のホームレス状態になっています。
渡辺佳恵さんは友人の家で居候をしながら必死に働いて4ヶ月でホームレス状態を脱出し、その後は自宅で料理教室を開催するなどして生計を立てられています。
2013年44歳の時、渡辺佳恵さんはもう1度「ブランドプロデュース」の仕事をしたいと会社「One to Ten」を立ち上げて再起し、2018年49歳で「美髪育毛専門サロンRESALON」をオープンさせ成功させています。
その後も、美容や食のブランド展開や飲食店経営など幅広く事業を展開されていました。
渡辺佳恵の結婚と旦那
渡辺佳恵さんは1998年、29歳の時に結婚されています。
当時、渡辺佳恵さんはCanCamのライターだったため、結婚式には当時のトップモデルも出席し、その様子がCanCamで4ページにわたって特集されています。
渡辺佳恵さんの結婚した旦那さんについては詳しい情報は公開されていませんが、ウェブメディアのインタビュー記事で、渡辺佳恵さんは「学生時代からお付き合いしていた彼と結婚」と語っているため、かなり長い交際期間(大学4年からでも7年〜8年)を経て結婚されたようです。
学生時代からお付き合いしていた彼と結婚をして、すぐに妊娠が分かりました。
渡辺佳恵さんによれば、旦那さんは「理解があり、優しく、協力的な人」だったそうです。
渡辺佳恵の子供は娘の大下奈央さん
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渡辺佳恵さんは30歳で旦那さんとの間に子供を出産しています。
当時、渡辺佳恵さんはCanCamの売れっ子ライターだったため、育休を3ヶ月で切り上げてすぐに仕事復帰されたそうです。
渡辺佳恵さんの子供は娘さんで、大下奈央さんという方だとわかっています。
渡辺佳恵さんの娘の大下奈央さんはアイドル活動を経て、2021年6月に新宿歌舞伎町に恋愛シミュレーションゲームをコンセプトにしてコンセプトカフェ「駆け抜けて青春」をオーナーとしてオープンさせています。大下奈央さん自身もオーナーをしながらキャストとして働かれているようです。
渡辺佳恵は娘が16歳の時に旦那と離婚
1998年に結婚した渡辺佳恵さんですが、娘さんの大下奈央さんが16歳の時に離婚されています。
娘が16歳の冬、正式に離婚届を出した。
渡辺佳恵さんの娘さんの大下奈央さんは1999年08月19日生まれなので、2015年頃に離婚されたようです。
渡辺佳恵さんと旦那さんとの詳しい離婚理由は明かされていませんが、渡辺佳恵さんは離婚の経緯についてブログに以下のように綴られていました。
娘が生まれてしばらくして夫婦の関係は冷え切った。今思えば、もっと向き合って話し合うべきだった。けれど少し話して「分かり合えない」と諦めてしまった。それでも一緒に暮らしているのだから普通にしていればいいのだけれど変なところで正直と言うか、幼稚な私は、冷え切っているのに、普通に会話なんて嘘をついてるようで嫌だ、とか思ってしまい、ほぼ会話がなくなった。同じ屋根の下に暮らしながら用があればメールをする関係。いわゆる家庭内別居。
渡辺佳恵さんと旦那さんは子供が生まれてから関係性が変わり、離婚する事になったようです。
また、旦那さん側からの離婚の条件は、「親権養育権はこちらに。月に一度10時間あわせます」という内容だったそうです。この離婚条件から、子供の養育をめぐって旦那さんとの関係がこじれたのが離婚の理由だったのではないかとも推測できそうです。
渡辺佳恵はすい臓がんを公表していた
渡辺佳恵さんは2024年1月25日に自身のインスタグラムで、ステージ4のすい臓がんである事を公表されていました。
それによると、すい臓がんがわかったのは2023年6月で、体調がすぐれない日が続いたために病院で検査を受けたところ発覚したようです。
今、私は、すい臓がんステージ4という病状にあります。
わかったのは、去年の6月。
すぐれない体調が続いた時、病院嫌いの私もさすがに現状把握した方がいいと思い、
近所の病院に行き、血液検査をしたところ異常値が出て、大きな病院に入院して精密検査をし、発覚しました。
渡辺佳恵の死因は「すい臓がん」と発表
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渡辺佳恵さんは2024年3月12日に55歳の若さで死去されました。
死因は「すい臓がん」と発表されています。
突然のご報告になりますが
渡辺佳恵は2024年3月12日
膵がんにより永眠いたしました
2024年4月13日と17日にbe my flora kitchenにて、お別れ会が開催されるという事です。
まとめ
今回は、CanCamの元ファッションディレクターで、社会現象にまでなった「めちゃモテブーム」、「えびちゃんもえちゃんブーム」の立役者として知られる渡辺佳恵さんについてまとめてみました。
渡辺佳恵さんは若い頃は、大学卒業後にCanCamのライターとなり、ファッションディレクター就任後にCanCamの売り上げを20万部から80万部にまで急増させました。その後、独立して会社を立ち上げるも何度か失敗しており、ニートやホームレスまで経験されています。
その後、再起して再び会社を立ち上げ、ブランド展開や店舗経営など幅広く事業を展開し成功されていました。
渡辺佳恵さんは29歳だった1998年に結婚し、旦那さんとの間に子供が1人誕生していますが、2015年頃離婚されています。
渡辺佳恵さんの子供は娘さんで、元アイドルで現在はコンセプトカフェを経営する大下奈央さんという方です。
渡辺佳恵さんは、2024年1月にすい臓がんのステージ4を公表しており、2024年3月12日に55歳で亡くなりました。死因は「すい臓がん」と発表されています。