幼い頃から女剣劇スターとして活躍し、元祖チラリズムとしても知られる浅香光代さんですが、息子2人が大物政治家との間にできた隠し子であることを公表しています。
浅香光代さんの子供の父親は誰なのか、次男の北岡昭次さんの証言や週刊誌の情報を元にその正体を徹底追究したのでご紹介します。
この記事の目次
浅香光代のプロフィール
浅香光代の経歴
浅香 光代(あさか・みつよ)
本名: 北岡 昭子
生年月日: 1928年2月20日
出身地: 東京都千代田区神田
血液型: B型
ジャンル: 女優
活動期間: 1937年 –
配偶者: 世志凡太(事実婚)
浅香さんは昭和12年、9歳のときに浅香新八郎氏が率いる舞台劇団「新生国民座」の門を叩き、芸者として弟子入り。
後に女剣劇スターとして大人気となり、その太ももなどの素肌をチラリと見せる「チラリズム」の概念も生み出したとされており、自身の剣劇には絶対の自信を現在も持っていると言われています。
元祖チラリズムの浅香光代
若い頃の浅香さん、とても綺麗です。
「浅香光代」の芸名は、座長である浅香新八郎氏から贈られたものです。
1944年には浅香氏が急逝したことからわずか14歳で「浅香光代一座」を発足し、後に浅草や新宿などの芝居小屋で専属など長期興行を張る中堅人気劇団へ成長、1955年頃には、大江美智子さんや不二洋子さんらと共に女剣劇全盛時代を創り上げました。
1979年には「演劇舞踊浅香流」を創始し、多数の門弟を指導しています。
ミッチー サッチー 事件
浅香さんと言えば、1999年にラジオで浅香さんが都知事選挙に絡んで立候補した野村沙知代さんを批判したことから始まった「ミッチーvsサッチー」騒動へとのイメージも強く残っています。
騒動の発端は1999年3月31日、浅香がレギュラー出演していたラジオでした。そこで野村に対して「引っ叩いてやりたい」「挨拶もろくにできない。笑わせるんじゃないってんだよ」などと批判しました。
その背景には、2人が共演していた舞台で生じた確執がありました。浅香側は野村が舞台の練習をさぼっていたことに不満を持ち、一方の野村は「横柄だ」と浅香のことを思っていたそう。
ミッチー・サッチー騒動
野村克也さん夫人の野村沙知代さんとの舌戦が、当時大きな話題となりました。
浅香さんは野村さんに剣劇を教え舞台での共演もした関係でしたが、この批判により数年先まで続く周囲の人も巻き込んだ批判合戦騒動へと発展しています。
同年には浅香さんに脅迫電話がかかってくるという事件も起こり、これにより浅香さん一座の公演が中止になるという事態にもなりました。
2001年12月に野村さんが脱税容疑で逮捕(後に有罪判決)されたことからそれまで野村さんを擁護していた人たちもいなくなり、世間的に浅香さん側の勝利という形で騒動は収束しました。
その後浅香さんは2006年には武蔵学院大学日本総合研究所客員教授に就任し、2009年には春の叙勲において旭日双光章を受けています。
浅香光代の子供は隠し子だった!息子2人の父親は大物政治家
浅香光代の息子2人は大物政治家との隠し子であることを公表
浅香光代さんは2014年、息子2人が首相も務めたことのある大物政治家との隠し子であることを週刊誌で公表し、世間を驚かせました。
女優の浅香光代(85)が22日発売の「婦人公論」(中央公論新社)で、20代の初めに出会った政治家S氏との間に、2人の隠し子をもうけたと明かしている。記事によるとS氏はのちに自民党の重鎮になる人物。浅香は年子の長男、次男を産んですぐにS氏と別れ、別の男性と結婚したという。
出会った当初は浅香さんは20代初め、お相手のS氏は50歳近かったと言います。
およそ30歳ほども年の離れた男女関係だったようです。
今回のインタビューによると浅香は、1948年に「国会キス事件」を起こした泉山三六元蔵相に料亭でS氏を紹介された。後に自民党の重鎮となるS氏には、子供はいなかったが既婚者だった。福田赳夫元首相(享年90)や、当時若手の小渕恵三元首相(享年62)ら一部の政治家の間では、浅香とS氏の関係は知られていたという。
(略)
「“S”は名字ではなく、下の名前の“S”で、長く自民党のナンバー2に君臨していたかたです」
浅香さんは本当は子供は1人でよかったが、具合が悪く1年持たない(当時の第1子が?)と言われたことから母親に勧められ2人目を産んだと語っています。
浅香光代はなぜ隠し子を産んだ?息子・北岡昭次とテレビで親子対談
浅香さんは、先日放送された『今夜解禁!ザ・因縁』で、現在は映像会社の役員である次男の北岡昭次さん(63)とこの隠し子問題について親子対談を果たしています。
隠し子騒動で対談する浅香光代と次男・北岡昭次
これまでは1度に30分も話したことがなかったという2人。
「人前でお母さんと呼ぶな」などの関係から、絶縁状態だったと言います。
昭次さんは、浅香さんがもう90歳近いことから認知症などで記憶が薄れる前に父親のことを知りたい、との思いからこの対談に挑んだようです。
隠し子を産む経緯については、以下のように浅香さんは語っています。
子どもには「(父親は)飛行機から落ちて死んだ」と伝え60年間、隠し続けてきたという。「60年隠しているのは大変だけど言いたくなかったんです。私みたいな、今は役者やタレントは偉い人にもなれるけど、昔はそうではなかった。私みたいなのが立派な人の子どもを産んだといったらその人の名前が傷つく。だからその先生を好きだったからどんなことがあっても言いたくなかった」と複雑な胸中を吐露した。
また、本来はS氏から「子どもを産まないでくれ」と言われたそうですが、父親の名前を公表しないことを条件に浅香さんは出産したと言います。
浅香さんは昭次さんら息子には自らのことを「先生」と呼ばせ、さらに息子2人はお手伝いさんと住む形で浅香さんとは別宅に暮らしていたのだそうです。
浅香さんにとってS氏は初めて愛した相手だったと言い、当時すでに既婚者だったS氏とは愛人関係だったことから、それに耐えきれず最終的には自ら終わりにしたと言われています。
次男からの問いにも父親の名前は明かさず
昭次さんは、親子対談で浅香さんに「私の父親は誰?」と迫っています。
さらに昭次さんは「私の父は誰? 知る権利は僕にある」と真相に迫ると、これまでとは違う困った顔を見せた浅香は、考えた末「それはね…総理や副総理をやった人だって知ってくれればいい。向こうにせがれがいるわけ。それも政治家になってるから」と経歴などを初告白するが、肝心の名前に関しては「言えない。墓場に入るまでは言わない」と拒んだ。
浅香さんとの仲はお相手の夫人も知っていたようで、夫人から「私は別れるから一緒になって」と言われたこともあったそうで、これについて浅香さんは「申し訳ない」と語っています。
父親について尋ねる次男・北岡昭次
「自分は父親に一度も会ったことはないか?」と昭次さんが尋ねると、「顔だけ見せてくれというので…」と会ったことがあることを示唆する発言を浅香さんはしています。
浅香光代の隠し子の父親・S氏の情報まとめ!最有力は鈴木善幸氏か
隠し子の父親・S氏の特徴まとめ
元大物政治家であるという子供の父親の名前については頑なに口を閉ざしている浅香光代さんですが、これまでに結構ヒントが出ています。
S氏は総理、副総理を経験
・イニシャルはS(下の名前との情報あり)
・すでに本人・夫人ともに他界
・自民党で元総理・副総理も務めた大物政治家・長く自民党のナンバー2
・剃刀という異名を持つ人物
・吉田内閣で閣僚になった
・浅香光代との年齢差は30歳前後
・読書家、三味線も弾けるなど多趣味
数々の政治家が浮上!最有力は鈴木善幸氏?
これらの特徴から、父親は一体誰なのかネット上では様々な憶測が飛び交っています。
浅香光代さんが不倫していたのは福田赳夫元総理?
— はせべえ (@Yhasegawa0112) 2017年9月29日
総理も副総理も経験って。
息子も政治家になったし。
でも、福田赳夫元総理は息子2人だったような。
はっきりさせろ。ふざけんな。TBS。#tbs #TBS
福田 赳夫(ふくだ・たけお)
息子は自民党総裁・第91代内閣総理大臣も務めた福田康夫氏。
このような声もありましたが、福田赳夫さんについては、以前にインタビューで浅香さんは否定しています。
イニシャルSにも当てはまらないですね。
その他にも、佐藤栄作氏、川島正二郎氏、椎名悦三郞氏などの声や、浅香さんが自身の自伝で愛人関係だったと実名で記していたとされる中野四郎氏がいるようです。
佐藤 栄作(さとう・えいさく)
自民党で内閣総理大臣を3期務めています。
浅香さんとの年齢差はおよそ30歳、 1975年に74歳で逝去。
息子の佐藤信二氏も政治家です。
川島 正次郎(かわしま・しょうじろう)
自民党副総裁を務めており、「ナンバー2」として活躍。
1970年に80歳で逝去。
ですが浅香さんとの年齢差は約40歳、総理の経験はなし、息子は幼い頃に亡くなっているので可能性は低そうです。
椎名 悦三郞(しいな・えつさぶろう)
自民党副総裁の経験あり(ナンバー2)、剃刀の異名を持っています。
1979年に81歳で逝去。
浅香さんとの年齢差は約30歳、息子も政治家となっていますが、総理の経験はありません。
週刊誌の情報では、最も有力だと言われています。
中野 四郎(なかの・しろう)
1960年より自民党に所属。
中野氏については、浅香さんが自身の自伝で実名で愛人関係だったことを明かしているとされていますので、名前を公表している時点で違うと言えそうです。
そんな数々挙がっている政治家の中でも、最近一番有力ではと言われているのが鈴木義幸氏のようです。
鈴木 善幸(すずき・ぜんこう)
自民党総裁経験あり、第70代内閣総理大臣。
2004年に93歳で逝去。
息子の鈴木俊一氏も政治家です。
浅香さんとの年齢差は17歳なのでここがやや違います。
何より今回最有力となったのは、初めて顔出しした浅香さんの次男・昭次さんと顔が似ているということからのようです。
次男・北岡昭次
確かに顔の感じが似ているかもしれません。
鈴木善幸氏の長男・鈴木俊一氏
現自民党衆議院議員・国務大臣(東京オリンピック、パラリンピック競技大会担当)。
息子さんも鈴木善幸氏と似ていますが、昭次さんとも鼻と口の感じが似ているように見えます。
「番組の放送中からネット上は大物政治家の特定で大騒ぎでした。浅香の言う『せがれも政治家』を信じるのなら、鈴木善幸元総理が当てはまるという声が一番大きい状況です。善幸氏の息子である俊一氏は政治家で、8月に東京オリンピック・東京パラリンピック担当大臣に就任したばかりですからね。さらにメディアに初めてその姿を現した浅香の息子の顔や雰囲気が善幸にそっくりだと指摘されています。しかし、善幸氏は浅香が語った父親の条件である『副総理』には就いていないんです。
情報の真偽に疑問の声も
このように、いくつかの特徴が当てはまるという大物政治家は何人もいますが、すべてがピッタリ該当するという政治家はいない状況です。
これには、そのまま情報を出すとすぐに誰かわかってしまうためフェイクが入っているのではとも言われているようです。
本当は政治家でもないのでは?などの疑念の声もありました。
39: 2017/09/30(土) 12:09:43.15 ID:NS2MXW3LO
浅香光代と不倫するような年齢で総理副総理経験者息子も政治家とか結構絞れちゃわね?
109: 2017/09/30(土) 14:06:42.88 ID:6T9aVLkn0
>>39
ホントならまず特定できるのに、具体的に誰という話しが出てないのはそれ自体が嘘だから。
浅香光代の最後の旦那は事実婚の世志凡太
浅香光代さんには内縁の旦那さん・世志凡太さんがいます。
浅香さんはこれまでに5回の結婚・離婚をしており、世志さんは実質6番目の旦那さんとなっています!
浅香光代と世志凡太
世志凡太さんは作曲家、作詞家、俳優、コメディアンなどとして活躍。
2人は1992年に事実婚しています。
2人の事実婚のきっかけとなったのは、梨元勝さんを始めとする芸能レポーターが2人の仲について騒いだことだったそうです。
「梨元勝さんや当時の芸能レポーターが、私たちが男女の関係にあると大騒ぎして、そんなに言われるなら一緒になっちゃえばってことになったのよ。とりあえず1クール結婚してみて、3か月で嫌になったら別れればいいってね。みんないいかげんだよね。本当はこの人のことは嫌いだったの。私は面食いだからね(笑)」(浅香)
2014年には、5階建ての自宅内で浅香さんと世志さんは家庭内別居状態であることも番組で明らかとなっていました。
世志は3階、浅香は4階(15畳)に住み、世志が自由に使えるスペースは30畳のうち、わずか2畳。さらに結婚以来20年、1人、折り畳みベッドに寝ている。
妻と話す時には電話を使用。浅香がお手伝いさんの作る食事を口にしているのに対し、世志は自炊。「人間扱いされていない。ボツボツ、潮時かな…っていう感じがしてますね。ホント言って」と漏らした。
そんな状態だった2人ですが、2016年1月放送の『私の何がイケないの?』に出演した際には世志さんが浅香さんに指輪を渡し公開プロポーズ。婚姻届にもその場でサインしていますが、「私たち夫婦は戦友みたいなものでこれからも楽しく過ごせればいい、入籍するしないは関係ない」などの理由からその後も書類は提出していないそうです。
浅香さんはすでに”終活”も済ませており、遺言書には財産の4分の1ずつを息子2人に、残りを夫に渡すと記されていると明かしていました。
その数年後の2020年12月13日にすい臓がんで亡くなっています。
まとめ
総理の経験もある大物政治家との隠し子であることを公表した浅香さんですが、今回の親子対談でも父親の名前は結局明らかにはならずに終わっています。
本来であれば本気で息子が裁判などを起こせば父親はわかると言われており、わざわざテレビでその様子を流すことには「話題づくり」という声もあるようですが、浅香さんは「墓に入るまでは言わない」と断言していますので浅香さんが亡くなった際に明らかになるのではとも言われているようです。
浅香さんは2020年12月13日に亡くなりましたが、子供の父親の正体が明かされる日は来るのか、注目です。