大物ベテラン俳優として人気の高かった綿引勝彦さんが、2020年12月30日に75歳で死去された事が発表されました。
この記事では綿引勝彦さんの死因や、若い頃の経歴、現在までの活躍、嫁の樫山文枝さんとの結婚エピソードや子供などについてまとめました。
この記事の目次
綿引勝彦の死因「すい臓がん」での死去が発表
国内を代表する大御所俳優の1人だった綿引勝彦さんが、2020年12月30日に死去していた事が、2021年1月13日に所属事務所を通じて発表されました。享年は75歳でした。事務所によると、綿引勝彦さんの死因は「すい臓がん」でした。
俳優の綿引勝彦(わたびき・かつひこ、本名同じ)さんが昨年12月30日午後0時54分に膵臓(すいぞう)がんのため、都内の病院で死去していたと13日、所属事務所が発表した。75歳だった。葬儀は近親者のみで行った。
嫁で女優の樫山文枝さんによると、綿引勝彦さんは2018年8月に膵臓内の嚢胞を除去する手術を行った際に、進行性のがんが発見され、それ以来闘病生活を送られていたという事です。
2019年12月にはがん細胞が肺へと転移し、2020年2月からは激しい副作用に耐えながら化学療法に取り組まれたそうなのですが、寛解には至らず、2020年11月には積極的な化学療法は打ち切られ、緩和療法に切り替えていたそうです。
その後、2020年12月25日の未明に綿引勝彦さんは容態が急変して緊急入院となり、26日には一時的に意識が回復し、嫁の樫山文枝さんと担当マネージャーと6時間ほど過去の思い出話を語り合ったそうです。
その後、綿引勝彦さんは12月28日に再び意識を失い、30日に眠るように穏やかに息を引き取ったという事でした。
綿引勝彦さんは闘病中の約3年間は、都内の自宅と長野県の山小屋を行き来して、将棋や花を植えたりして過ごされていたそうです。嫁の樫山文枝さんには「病気のことは誰にも言わないでくれ」と言われていたという事で、死去された後での発表になったという事でした。
嫁の樫山文枝さんによれば、綿引勝彦さんは最期に夢うつつの中で「投了すると伝えてくれ」と呟かれたそうです。
約3年間の療養期間は、都内の自宅と長野県の山小屋で花を植えたり、将棋をしながら過ごしていたという。樫山は「夢うつつの中で、将棋を指していたのでしょうか、『投了すると伝えてくれ』とつぶやいたのですが、これで人生を投了するということでもあったのでしょうか。
綿引勝彦のプロフィール
綿引勝彦のプロフィール
生年月日:1945年11月23日
没年月日:2020年12月30日(享年75歳)
出身地 :東京都武蔵野市
身長 :173cm
血液型 :AB型
綿引勝彦さんは、時代劇「鬼平犯科帳」での大滝の五郎蔵役、ドラマ「ナニワ金融道」シリーズの高山和夫役、映画「極道の妻たち」シリーズ、ホームドラマシリーズ「天までとどけ」の丸山雄平役などの代表作で知られる俳優です。
綿引勝彦さんは、その迫力のあるコワモテな風貌から、極道の役や悪人役、刑事役などで活躍する硬派な俳優でしたが、1991年から1999年までお昼の時間に放送された大ヒットホームドラマ「天までとどけ」で大家族の大黒柱の優しい父親・丸山雄平役を演じたのが当たり役となって全国的人気を獲得しました。
また、ゲーム「ポケットモンスター」や、ダイハツミライースのテレビCMではコミカルな役柄を軽快に演じ、そのコワモテキャラとのギャップでも絶大な人気を集める存在でした。
綿引勝彦の若い頃の経歴① 学生時代から劇団民藝への入団まで
綿引勝彦さんの若い頃の経歴を見ていきます。
綿引勝彦さんは終戦間もない1945年11月23日に、東京都武蔵野市の当時は緑が豊かな場所で生まれました。父親は日活の宣伝部長だったそうです。
綿引勝彦さんは、地元の武蔵野市立第二中学校を経て日本大学鶴ヶ丘高校へと進学されています。
綿引勝彦さんは、中学高校時代は野球部に所属して、ポジションは、ピッチャーとファーストだったそうです。しかし、高校2年の頃に腰の怪我が元で野球の道を断念します。そんな頃に友人に誘われて俳優座の舞台「令嬢ジュリー」を観劇し衝撃を受けたのをきっかけに俳優の道を志すようになったそうです。
綿引勝彦さんは、高校を卒業後は日本大学芸術学部演劇学科へと進学されていますが、1965年の20歳の頃に中退し、昭和の時代の大物俳優を大勢輩出した「劇団民藝」に研究生として入団し役者としての人生をスタートさせています。
綿引勝彦の若い頃の経歴② コワモテの悪役としてテレビドラマでも活躍
綿引勝彦さんは、劇団民藝の舞台で活躍する一方で、1970年代から1980年代にかけては、「太陽にほえろ」などの刑事ドラマや「必殺仕事人」シリーズをはじめとする時代劇など、インパクトの強い悪役として数多くの作品に出演されています。
また、若い頃からNHK大河ドラマの常連俳優としても活躍されており、1970年代から1980年代だけで「勝海舟」、「元禄太平記」、「風と雲と虹と」、「黄金の日日」、「徳川家康」、「山河燃ゆ」の6本の作品に出演されています。
若い頃の綿引勝彦さんは、そのコワモテを活かして任侠映画にも数多く出演され、名脇役として人気を集めていました。
綿引勝彦の若い頃の経歴③ 鬼平犯科帳の大滝の五郎蔵役で人気に
コワモテ俳優として悪役のイメージが定着していた若い頃の綿引勝彦さんでしたが、1989年からは時代劇「鬼平犯科帳」で、主人公長谷川平蔵配下の密偵・大滝の五郎蔵の役を演じ、善玉の役でも支持を得る様になります。
綿引勝彦さんはこの大滝の五郎蔵の役を1989年の第1シリーズから2001年の第9シリーズまで、メインシリーズ全てで演じています。また、2005年から2016年にかけて2時間スペシャルドラマとして放送された同シリーズにも大滝の五郎蔵役として出演されていました。
綿引勝彦の若い頃の経歴④ 昼ドラ「天までとどけ」で全国区の人気を獲得
現在でも綿引勝彦さんの代表作として真っ先に名前が上がるのが、1991年から1999年までTBSの昼ドラ枠で9シリーズにわたって300話以上が放送された大ヒットドラマ「天までとどけ」です。
綿引勝彦さんはこの「天までとどけ」で、13人の子供を抱える大家族を支える新聞記者の父親・丸山雄平役を演じました。
この役はそれまでに綿引勝彦さんが演じてきたどのキャラクターとも違う、誠実で真面目で、子供想いの優しい父親といったキャラクターでした。
この綿引勝彦さんの演じた丸山雄平は視聴者からの絶大な支持を集め、「理想の父親」、「こんな素敵な父親がいればいいのに」という声も多く上がっていました。
この「天までとどけ」の丸山雄平役は綿引勝彦さんの当たり役となり、これをきっかけにして全国区の人気を獲得します。
この「天までとどけ」で、綿引勝彦さんが演じた丸山雄平の嫁の定子の役は、2020年4月23日に新型コロナウイルスで亡くなった岡江久美子さんが演じていました。
「天までとどけ」の出演者やスタッフは、定期的に集まって食事会を行なっていたそうなのですが、2020年は新型コロナウイルスの影響で集まることができず、綿引勝彦さんは4月に岡江久美子さんが急逝された事を聞いて大変なショックを受けていたのだそうです。
そのわずか数ヶ月後に、後を追うかのように綿引勝彦さんも死去されたという事で、「天までとどけ」の関係者やファンからは悲しみの声が多く上がっています。
綿引勝彦の晩年から現在までの活動
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綿引勝彦さんは「天までとどけ」の放送終了後は、善人の役やコミカルな役など演技の幅を広げ、若者世代からの人気も大きく上昇させていました。
1990年代後半からは、ゲーム「ポケットモンスター」シリーズのテレビCMにポケモンが大好きなおじさんの役で立て続けに出演し、「ポケモンおじさん」の愛称で呼ばれ、子供達からの人気も集めました。
また、2002年公開のアニメ映画「WXIII 機動警察パトレイバー」では、主人公の久住武史の声を担当するなど、綿引勝彦さんは活躍の幅をさらに広げます。
綿引勝彦さんは、2011年に放送されたダイハツ「ミライース」のテレビCMには宣伝部長の役で出演し、ハリウッドスターのブルース・ウィリスとのコミカルな共演も話題になりました。
このようにコミカルなキャラクターでのCM出演が人気を集める一方で、綿引勝彦さんは映画を中心に俳優としての活動も現在まで精力的に展開されていました。
ここ数年も、2017年公開の映画「しゃぼん玉」でのシゲ爺役、2020年3月公開の映画「時の行路」の大畑達吉役、同年4月公開の「ケアニン こころに咲く花」の木下達郎役など、重要な役柄で多くの映画に出演されています。
また、2021年の公開が予定されている映画「種まく旅人 華蓮(ハス)のかがやき」にも山田竹一役で出演されています。この作品が綿引勝彦さんの遺作となります。
綿引勝彦の結婚した嫁は女優の樫山文枝
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綿引勝彦さんは、1974年に劇団民藝の3年先輩の女優だった樫山文枝さんと結婚されています。年齢は嫁の樫山文枝さんが4歳年上で結婚当時は綿引勝彦さんが29歳、樫山文枝さんが33歳でした。2人はオシドリ夫婦としても有名でした。
綿引勝彦さんと嫁の樫山文枝さんの出会いは1970年の舞台「アンネの日記」で、樫山文枝さんが主役のアンネを演じ、綿引勝彦さんはまだ研究生として裏方としての公演参加でした。綿引勝彦さんはこの時はまだ、既に大人気女優だった樫山文枝さんの事を一般の人がスターを見るような目で見ていたそうです。
その後、2人は1972年頃に交際をスタートさせています。当時、劇団の仲間内で飲みに行った帰りに、家の近かった綿引勝彦さんが樫山文枝さんを家まで送っていくのがお決まりになっていた事から2人の距離が縮まったのだそうです。
そして2人は、1974年12月29日に、マスコミにバレないように極秘で結婚式を挙げています。結婚式は仲人を務めた俳優の宇野重吉さんとその嫁、両家の親族が約15人ほどが出席した静かなものだったようです。
嫁の樫山文枝さんは1966年にNHKの連続テレビ小説「おはなはん」のヒロインに抜擢され、この頃には既に国民的人気女優でした。一方で、結婚当時は綿引勝彦さんはまだ無名の舞台俳優で、夫婦の収入格差がかなりあったのだそうです。
嫁の樫山文枝さんは結婚した当時のことを後年出演したバラエティ番組で振り返り、「軽い気持ちで結婚して、しまったと思った」と冗談まじりに話されていました。
ただ、綿引勝彦さんは嫁の樫山文枝さんより俳優で稼ごうとの想いをモチベーションにして頑張られたそうで、「天までとどけ」出演をきっかけにしてブレークを果たした事で、ついに嫁の樫山文枝さんの収入を抜く事ができたのだとか。
樫山文枝さんは綿引勝彦さんの死去発表時に文章でコメントを発表されています。綿引勝彦さんの闘病生活中は、樫山文枝さんが献身的に支えられていたのだそうです。樫山文枝さんは「この一年はふたりで寄り添えたのが幸せでした」とコメントされています。
綿引勝彦の子供は息子が1人の噂はデマの可能性が高い
綿引勝彦さんと嫁の樫山文枝さんの間には子供が1人いて一般人として生活されているという噂がネット上で散見されるのですが、2人の間には子供はいない可能性が高く、デマ情報だと思われます。
綿引勝彦さんは2017年に受けたウェブメディアのインタビューで、ドラマ「天までとどけ」で13人の子供達と関わっていろいろな事を学んだという内容を話されていました。そのインタビューの中で「うちには子供はいないんですが」とはっきり話されているので、綿引勝彦さんには子供はいないと思われます。
ドラマ「天までとどけ」で13人もの子供を育てる良き父親役を演じた事から、子供がいるという噂が出てきたのかもしれません。
まとめ
今回は、2020年12月30日に死去された事が発表された俳優の綿引勝彦さんについてまとめてみました。
発表によると、綿引勝彦さんの死因は「すい臓がん」で、享年は75歳でした。約3年前から闘病生活を続けていたという事ですが、本人の希望で公表されていなったという事です。
綿引勝彦さんは、若い頃は劇団民藝の舞台俳優として活躍し、そのコワモテから刑事ドラマや時代劇の悪役として、テレビドラマや、任侠映画にも多数出演されています。
その後、「鬼平犯科帳」の大滝の五郎蔵役や、昼ドラ「天までとどけ」の丸山雄平役が当たり役となって全国区の知名度と人気を獲得し、大物ベテラン俳優の1人として現在まで活躍を続けられていました。
そんな綿引勝彦さんは1974年に劇団民藝の先輩女優で、当時既に国民的人気女優だった樫山文枝さんと結婚されています。
綿引勝彦さんと嫁の樫山文枝さんはオシドリ夫婦として有名でしたが、2人の間には子供はいないようです。
最後に、綿引克彦さんのご冥福をお祈りします。