脚本家・劇作家・演出家として活動している倉本聰さんの嫁や子供、そして姪などの家族情報をまとめました。
倉本聰さんの姪は鈴木沙彩さんで、犯人の池永チャールストーマスに殺害された事件もご紹介します。
倉本聰のプロフィール
倉本 聰(くらもと そう)
本名:山谷 馨
生年月日:1934年12月31日
倉本聰、東京大学文学部を経てニッポン放送に入社
倉本聰さんは、脚本家・劇作家・演出家として活動しています。
戦時中は山形市上山市や岡山県金光町に疎開した経験がありますが、上山への疎開は政府が実施した学童集団疎開によるもので、都会育ちの倉本聰さんは大きなカルチャーショックを受けたそうです。
そこで、東京に帰りたいと考えた倉本聰さんは仮病を使って数か月後には東京に戻ることに成功しますが、この体験は「北の国から」の最初の連続シリーズにおいて、純が東京に帰りたがって起こす行動のヒントにしたと記されています。
その後、豊島師範附属小学校から麻布中学校・高等学校を経て東京大学文学部美学科卒業、1959年にニッポン放送に入社し、局では本名でディレクター・プロデューサーとして勤務する傍ら「倉本聰」のペンネームで脚本家としての活動を行ない始めます。
脚本家としてデビュー作になったのが「パパ起きてちょうだい」でした。会社に内緒で脚本活動を行なっており、当時は夜10時に会社を出て帰宅してから脚本を書き午前4時頃に就寝、2時間ほどの睡眠で出社する毎日だったそうです。
そして1963年にニッポン放送を退社し、東京でフリーの脚本家となりました。
NHK大河ドラマ「勝海舟」制作に際し、脚本家の演出関与の是非をめぐる問題がこじれたことで嫌気がさし、脚本を途中降板してしまいます。
1974年6月に取材を受けた週刊誌「ヤングレディ」の記事がNHKを攻撃する内容に変わっていたので、最終稿まで確認して記事は修正されるも、広告の見出しが「倉本聰氏、『勝海舟』を内部から爆弾発言」と修正されぬまま出てしまったことがきっかけだったそうです。
当時の制作局長には軽率を謝罪しましたが、数十人からつるし上げられてしまい、その日に千歳空港へ飛び、そのまま北海道札幌市に転居することとなります。
倉本聰、富良野への移住と「北の国から」の大ヒット
札幌市に転居した倉本聰さんはその後、富良野に移住し1981年富良野を舞台にした家族ドラマ「北の国から」で一気に話題を集めます。
他にも歌志内市、上砂川町を舞台とした「昨日、悲別で」の脚本、富良野を舞台に父子の絆の断絶と再生を描く「優しい時間」の原作など、北海道を舞台とした数々のドラマで有名になります。
北の国から
「北の国から」は今でも語り継がれる超人気ドラマで、今でも「北の国から」のファンは多くいます。
一人でも飲むしね、ほんとに。ああ、映画観ながら飲むの好きだね。あ、映画館じゃなくて、ビデオ、か。今また「北の国から」1から観てるんだけどさ。
— 船戸義徳 (@coolinsheet) 2018年6月28日
吉岡秀隆さんも好きなんよなー。
— Marco (@marconcon___) 2018年6月28日
もちろん北の国からも好きです。
ああいう静かなたたずまいの人はとても憧れる。。
あやのさんもその中の1人に入るんだけど。
1986年になると脚本だけではなく監督も担当した映画「時計 Adieu l’Hiver」が公開されることになります。
その後富良野市布礼別にて「富良野塾」をて開設するものの2010年に閉塾、2010年4月からは北海道教育大学旭川校で演劇講座を監修しはじめます。
そして2017年の富良野GROUP特別公演「走る」を最後に演劇活動から引退を表明し、脚本制作に専念することとなりました。
倉本聰の家族…実父や結婚した嫁と子供について
ではここからは倉本聰さんの家族構成を見ていきましょう。倉本聰さんの嫁や子供に関してももちろんですが、倉本聰さんの父親に関しても解説します。
倉本聰の父・山谷太郎は「日本野鳥の会」創設メンバー
倉本聰さんの父親の太郎さんは東京帝国大学で応用科学を学び、祖父の日進医学社を引継ぎ「日進書院」を営んでいました。
その一方で水原秋桜子さんの門下生でもあり、山谷春潮という俳号で活動していました。更に「日本野鳥の会」の創設メンバーの一人でもあります。
太郎さんは倉本聰さんに勉強に関してはうるさく言わなかったようですが、幼い頃から宮沢賢治さんの童話の音読をさせられていたそうで、その経験が後に脚本家としての倉本聰さんに大きな影響を与えています。
倉本聰の結婚した嫁は女優の平木久子
平木久子(ひらき ひさこ)
生年月日:1934年
出身:東京都
身長:155cm
倉本聰さんの嫁・平木久子さんは女優として活動しています。
代表作は毎日放送の「三四郎」と「新帰朝者」という作品なのですが、「三四郎」は1968年放送で、原作が夏目漱石のドラマなのです。
この経歴から平木久子さんが凄い経歴の持ち主だということがわかります。
しかし、2000年以降になると平木久子さんが出演している番組は少なくなったので、メディアよりも舞台などをメインに活動していたのだと思います。
倉本聰の子供・倉本由美はイラストレーター
倉本由美が手掛けたふらのワインのイラスト
倉本聰さんには2人の子供がおり、娘の倉本由美さんはイラストレーターの仕事をされているそうす。
主な仕事として富良野のワイナリー「ふらのワイン」のラベルなどを手がけているそうです。
三鷹ストーカー殺人事件の被害者・鈴木沙彩は倉本聰の姪の娘だった
倉本聰さんは子供にも恵まれとても幸せそうに見えますが、三鷹ストーカー事件の被害者・鈴木沙彩さんが姪っ子だったことが明らかとなりました。
三鷹ストーカー殺人事件の概要とは?
三鷹ストーカー殺人事件は、2013年10月8日に東京都三鷹市で発生した事件です。
トラック運転手の男性・池永チャールストーマスが、元交際相手の女子高生、鈴木沙彩さんにストーカー行為を繰り返したのち刺殺したという事件で、この事件が誘引となり、リベンジポルノの関連法案が成立しました。
2011年10月頃、関西在住の池永チャールストーマスが東京在住の鈴木沙彩さんと実名制SNSを通じて知り合い、同年12月から遠距離恋愛というかたちで交際が始まりました。
池永チャールストーマスはフリーターとして当時はトラック運転手をしていましたが、南米ハーフの関西有名私大学生と偽って交際していたそうです。
二人は約1年間交際しましたが、鈴木沙彩さんが2012年秋に外国留学するようになった頃から池永チャールストーマスへの別れ話が出始めます。
そして2013年春に鈴木沙彩さんが留学を終えて帰国すると池永チャールストーマスは執拗に復縁を求め、鈴木沙彩さんは連絡をしぶしぶ取っていましたが、2013年6月からは携帯電話を着信拒否し、連絡を完全に絶つようになったそうです。
そして復縁できないと思った池永チャールストーマスは、2013年夏から鈴木沙彩さんの殺害計画を練りはじめ、当時アルバイト勤務していた運送会社を無断欠勤後に行方をくらまし、同年9月27日に居住していた関西から女子高生が住む東京へ高速バスで上京します。
池永チャールストーマスが三鷹市の自宅のそばまで来ていることを知った鈴木沙彩さんは10月4日にストーカー被害を在籍高校の担任教諭らに相談し、学校側は近くの杉並警察署に電話で問い合わせ、署の担当者は鈴木沙彩さんの自宅を管轄する三鷹警察署に相談するよう指導しました。
10月8日午前に鈴木沙彩さんは両親と三鷹署を訪れて「待ち伏せされている」などと相談します。三鷹署の警察官はストーカー規制法に基づき、鈴木沙彩さんが把握していた池永チャールストーマスの携帯電話の電話番号に3回電話をかけたが電話に出ず、連絡するよう留守番電話に入れます。
その後鈴木沙彩さんは1人で高校に登校し、授業が終わった後で帰宅した際には両親は仕事等の用事で外出しており、自宅には鈴木沙彩さん一人だけとなってしまいました。
池永チャールストーマスは昼過ぎに鈴木沙彩さん宅2階の無施錠の窓から侵入し、1階の部屋のクローゼットに隠れて、殺害の機会をうかがっていました。
そして16時53分、池永チャールストーマスは鈴木沙彩さんの部屋で潜んでいたクローゼットから出て、ペティナイフを持って鈴木沙彩さんを襲撃します。
鈴木沙彩さんは外の道路にまで逃げますが、首や腹に11カ所の刺し傷や切り傷をおわせ、16時55分に路上で倒れている鈴木沙彩さんが発見され、110番通報がされました。
18時30分に池永チャールストーマスはズボンに血痕があったことから警察官から職務質問され、事件への関与をみとめ、殺人未遂罪で緊急逮捕となりました。
鈴木沙彩さんは帰宅した際に三鷹署の署員と電話で話しており無事帰宅したことを16時51分に伝えていたが、電話を切った直後に事件は起きました。
三鷹ストーカー殺人事件が誘引となりリベンジポルノ被害防止法が成立
池永チャールストーマスは7月22日に米国のアダルト動画・静止画共有サービスサイトであるXVideosで鈴木沙彩さんのニックネームにちなんだハンドルネームで自分の投稿スペースを作成し、10月2日から10月6日にかけて交際中に鈴木沙彩さんが撮影して池永チャールストーマスに送信していた性的な画像や動画をアップロードしていました。
さらに池永チャールストーマスは、10月5日から10月8日の殺害直後に逮捕されるまで、短文投稿サイトや電子掲示板の復讐を扱うスレッド、地域掲示板の三鷹市に絡むスレッドで、三鷹で怨恨殺人を示唆するコメントなど被害者である鈴木沙彩さんとの関連を示唆しながら、自分がアップロードした米国のアダルト動画・静止画共有サービスサイトのURLを投稿していました。
殺人事件がメディアで大きく報道されるにつれて、池永チャールストーマスのネット投稿に気づいたネット住民によって鈴木沙彩さんの性的な画像や動画がダウンロードされ拡散されてしまいます。
鈴木沙彩さんの性的な画像や動画が拡散していることは大手メディアでは当初は報道しませんでしたが、一般紙でも事件を報道する際にリベンジポルノであるとして紹介するようになり、リベンジポルノが社会問題として認識されるようになります。
このリベンジポルノは国会でも問題視され議論されるようになり、2014年11月19日にリベンジポルノへの罰則を盛り込んだリベンジポルノ被害防止法が成立しました。
被害者・鈴木沙彩は芸能活動をしていた
鈴木沙彩さんは学校内の学業成績も優秀で、英語コースで成績はトップクラスで海外留学もしており、死亡時は高校3年生で都内の大学の推薦入試を受ける予定だったそうです。
さらに小学5年時に芸能事務所にスカウトされて芸能活動をしており、映画や民放ドラマにも出演していた経験があったそうです。
被害者・鈴木沙彩は倉本聰の姪の娘だったことが判明
この事件と倉本聰さんがどう関係しているか?というと、なんと鈴木沙彩さんは倉本聰さんの姪の娘にあたるのです。
倉本聰さんのお姉さんのお孫さんですから、それ程遠くもない関係です。
数回は倉本聰さんともお会いしているのではないでしょうか。倉本聰さんは家族を大変大事に思っている方なので、この事件には心が痛んだことでしょう。
三鷹ストーカー殺人事件、胸糞やな
— しゃをゔぃ (@__syawovi___) 2018年3月6日
ストーカー犯罪は警察がなかなか摘発せず、被害者が犯人に殺される事件も続発中。社会をあげてこの犯罪を排斥する啓蒙が必要です。三鷹ストーカー殺人事件を知ってください。https://t.co/xHTZVVv4fO
— ストーカー犯罪追放bot (@stalkernewclear) 2018年6月29日
倉本聰についてまとめると…
・倉本聰の結婚した嫁は女優の平木久子、子供は2人おり娘の倉本由美はイラストレーターをしている。
・倉本聰の姪の娘は、「三鷹ストーカー殺人事件」の被害者・鈴木沙彩である。
倉本聰さんの家族から事件との関係性をまとめました。とても家族愛を持っている方だそうなので、姪の娘の事件は相当ショックが大きかったでしょう。