1970年7月に起こった「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」は、戦後日本有数の熊害事件として語り継がれています。
この記事では、「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」の詳細、犠牲者が残した興梠メモ、被害者の遺体、そして生き残りのその後・現在までまとめました。
この記事の目次
「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」とは死者3名を出した熊害事件
「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」とは、1970年7月に起こった熊害事件となります。
同事件では、北海道静内郡静内町に登山に出掛けた福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の部員5人が、日高山脈のカムイエクウチカウシ山にてヒグマに遭遇し対応を誤った結果、3人が命を落とすという痛ましい結末に終わっています。
この記事では、「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」の詳細について紹介させて頂きます。
「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」の詳細
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件、日高山脈を縦走する予定だった
「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」については、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の部員たちが夏休みを利用して北海道での登山を計画したことが発端となりました。
ちなみに、本来の計画では、日高山脈の芽室岳からペテガリ岳までを縦走する予定だったそうですね。
・竹末一敏(20歳:経済学部3年)※リーダー
・滝俊二(22歳:法学部3年)※サブリーダー
・興梠盛男(19歳:工学部2年)
・西井義春(19歳:法学部1年)
・河原吉孝(18歳:経済学部1年)
そのため、1970年7月12日に地元・博多駅を出発した福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の面々は、14日に北海道上川郡新得町にある新得駅に到着。そのまま芽室岳へ入山することになりました。
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件、登山12日目にヒグマに遭遇
芽室岳へ入山した後の福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の面々ですが、当初は順調な縦走が続いており、1970年7月25日にカムイエクウチカウシ山に到着していたそうですね。
その後、カムイエクウチカウシ山の九ノ沢カールでテントを張ることとなった福岡大学ワンダーフォーゲル同好会でしたが、その日の午後16時30分にヒグマと遭遇することになりました。
とはいえ、この時はリーダーの竹末一敏さんがまったく動じずに、ヒグマを追い返すことに成功しています。
16時30分、竹末さんがテントから5、6メートルのところにクマを発見。最初は興味本位で観察していたが、クマがテントの外にあったキスリングを漁り始めたため、スキをみてこれを取り返し、火を焚き、ラジオを大音量で流し、追い払った。
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件、ヒグマの逆襲が始まった
竹末一敏さんに追い返されたヒグマですが、そのまま山中に逃げ帰ったわけではなく、その日の午後9時に逆襲に来ています。
この時の騒動では、テントに拳大の穴を開けただけで暗闇に消えて行ったヒグマでしたが、翌朝も再び現れてテントに手をかけて引き倒そうと暴れていたそうですね。
ヒグマの想定外の行動に驚いた福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の面々は、着の身着の儘のままで逃げ出すことになりました。
とはいえ、この時のヒグマは、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の面々の後を追いかける素振りはなく、テントを引き倒して中に置いてあったキスリングをあさっていたと言われております。
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件、救助要請を出していた
ヒグマの逆襲に恐れおののいた福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の面々は、救助要請をしてハンターにヒグマ退治をして貰うことを思いついたそうですね。
とはいえ、この段階ではまだヒグマに本格的に襲われたわけではなかったため、リーダーの竹末一敏さんの判断により、サブリーダーの滝俊二さんと河原吉孝さんのみが沢を下ることになりました。
下山を開始した滝俊二さんたちですが、すぐに地元・北海学園岳友会の面々と遭遇しています。
カムイエクウチカウシ山には夏合宿に来ていた北海学園岳友会の面々ですが、彼らもまたヒグマと遭遇してキスリングを奪われるなどの被害にあっていたため、下山を急いでいる最中でした。
そのため、救助連絡の頼みを快く承諾した北海学園岳友会の面々は、「仲間を放っておけない!」と竹末さんたちのところに戻る滝さんらに、食料やガソリンなどをプレゼントしたそうですね。
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件、予期せぬアクシデントで大ピンチに
滝俊二さんたちが再合流した後の福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の面々ですが、周囲にヒグマの影がなかったこともあり、テントを設営し夕食を取ることになりました。
しかしながら、夕食の匂いを嗅ぎつけたのか、午後17時頃になるとヒグマが再び姿を現したそうですね。
そのため、あわててその場から逃げ出した竹末一敏さんたちは、八の沢カールに設置してあったはずの鳥取大学ワンダーフォーゲル部のテントまで避難することにしています。
とはいえ、救助連絡のために下山中だった北海学園岳友会より、ヒグマ出没の情報を聞いていた鳥取大学ワンダーフォーゲル部の面々は、一足先に撤収していました。
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件、1970年7月26~27日に3人が殺害された
予期せぬアクシデントから避難先を失った福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の面々でしたが、その場に留まることは危険だと判断したのか、夜道をそのまま下山する道を選んでいます。
とはいえ、すぐにヒグマに追いつかれた結果、メンバーがばらばらに逃げ回る羽目になってしまったそうですね。
その結果、運悪くヒグマの標的に選ばれてしまった河原吉孝さんが最初の犠牲者となってしまいました。
その後も執拗に福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の面々を追いかけて来たヒグマは、1970年7月27日早朝頃に、下山を続けていた竹末一敏さんの前に現れて命を奪っています。
2人の若者の命を奪ってもまだ飽き足らなかったヒグマは、以降も逃げた3人を標的に山中を散策していたらしく、同日の午前8時頃に、鳥取大学ワンダーフォーゲル部が残していたテントの中に避難していた興梠盛男さんも襲撃・殺害することになりました。
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件、殺人ヒグマはハンターに射殺された
運良くヒグマの追撃を逃げのびることが出来た滝俊二さんと西井義春さんは、下山すると五の沢砂防ダムの工事現場に駆け込み車を借り、中札内駐在所へ事態を知らせに走ったそうですね。
その後結成された救助隊によりカムイエクウチカウシ山の大々的な捜索が行われた結果、竹末一敏さんらの変わり果てた遺体が見つかった他、1970年7月29日に殺人ヒグマは退治されることになりました。
29日16時半ごろ、ヒグマは八の沢カール周辺でハンター10人の一斉射撃により射殺された。
ちなみに、3人の大学生の命を奪った殺人ヒグマについては、3歳のメスで成獣の一歩手前の亜成獣だったと言われております。
「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」犠牲者が残した興梠メモとは?…内容が凄惨すぎる手記だった
「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」では、最後の犠牲者となった興梠盛男さんが手帳に書き残していた手記の存在も話題になっています。
興梠メモはやっぱ生々しいよなぁ
— 椿姫 (@Yuki_Cam156) April 17, 2019
文字から恐怖心なんかが伝わってきたのはこれが初めてだった
通称「興梠メモ」と呼ばれている興梠さんの手記の内容については、以下をご覧ください。
「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」ヒグマ襲撃の原因とは…被害者の遺体は食い荒らされていなかった
「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」に関しては、被害者たちの遺体の損壊状況の酷さも話題となりました。
3人の被害者たちの遺体は、いずれも衣服を全部脱がされた形で発見されており、頸動脈を切られていました。
また、全身に無数の爪痕があったり顔面が半壊状態の遺体ばかりだったそうですね。
その他、腹部もえぐられて内臓が飛び出ている遺体も多かったそうですが、射殺後に解剖されたヒグマの胃の中から被害者の肉片などは発見されていませんでした。
そのため、ヒグマは被害者たちを獲物として追撃していたわけではなく、自分のテリトリーを荒した外敵と捉え排除しようと目論んでいたことになります。
被害者たちがヒグマから外敵扱いされてしまった理由については、1970年7月25日の夕方に、ヒグマが(食べ物を目当てに)あさっていたキスリングを奪い返したことが原因だったのではないかとの説が有力視されています。
この事件の原因として常に指摘されるのは、ヒグマからキスリングを取り返したことで、ヒグマを怒らせてしまった、という点だ。
「確かにヒグマはいったん自分の収穫物と認識したものには強い執着心を示します。とくにメスはオスに比べて非常にしつこい」
「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」の遠因とは
「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」では、逃げるチャンスがありながらも現場に踏みとどまった福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の面々の現状認識の甘さも指摘されています。
実際の話、ヒグマに襲撃されてテントを倒された1970年7月26日朝にメンバー全員での下山を決意していれば、北海学園岳友会の面々同様に命は助かっていた可能性は高そうです。
とはいえ、この当時の日高山系では人間が熊害にあったケースはまったくなく、地元民の間ですらヒグマが獰猛な獣だという認識は薄かったと言われております。
〈(当時はクマについて)問い合わせがあれば、日高のクマは声を出したり、ラジオを鳴らしたりすれば、逃げると案内を出していましたからね〉(「ヒグマ」№18「座談会 福岡大学遭難事件を語る」より)
また、殺人ヒグマ自体も亜成獣だったため、大型犬程度の大きさでもありました。
そのため、まさか自分たちに惨殺される未来が待っているとは夢にも思わなかったのかもしれませんね。
「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」の生き残りのその後・現在
「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」では、前述の通り、幸運にも滝俊二さんと西井義春さんの2人が生き残ることが出来ました。
衝撃的な事件の当事者となった滝さんたちでしたが、PTSDなどを発症して大学を中退する羽目になったとの話はないようですね。
その後の2人の消息については、特にマスコミ報道があるわけではない状況ですが、当時の大学進学率は短大を込みでも20%台前半だったため、卒業後は地元の優良企業に就職したのではないかと思われます。
2021年現在の2人については、滝さんが73~74歳で西井さんが70歳になるため、会社を退職をして年金暮らしをしている可能性が高そうです。
「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」の現在…アンビリバボーなどで特集されていた
「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」の現在については、日本を代表する熊害事件の1つだったこともあり、「奇跡体験!アンビリバボー」などのドキュメンタリー系番組などで定期的に特集されている状況です。
そのため半世紀以上たっても風化することはなく、日本人の間で話題になり続けています。
熊に関する事件が起きるたびに、福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件のwiki記事を思い出す。三毛別羆が有名だけれど、そちらと違って福岡大の方はヒグマのお腹に人肉も何もなかったってのが怖い。
— 椿 冬華 📚 絵本出版中 (@TSUBAKI_TOKA) July 17, 2020
お腹空いてなくても人を殺す。
熊殺すのかわいそうって声は本当に他人事だなぁと思う。
「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」についてまとめてみると…
「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」に関しては、不運に不運が重なった挙句に、3人の大学生が犠牲になった熊害事件ということになります。
被害者たちのご冥福を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。