「ライトニング・ボルト」の異名を持ち、15年の現役生活の大半が圧倒的な走りで他の選手を凌駕してきたウサイン・ボルト選手は2017年の世界陸上ロンドン大会で引退しました。
ウサインボルト選手の身長や走り方・世界記録・引退理由、歴代彼女、結婚と嫁や子供、そして現在の様子や年収も詳しくまとめてみました。
この記事の目次
ウサイン・ボルトのプロフィール
人類史上最速の男・ウサイン・ボルト
マイケル・ジョンソン、カール・ルイスなど日本人に馴染み深い世界の名だたる短距離走選手はいますが、ウサイン・ボルト選手ほど鮮烈で圧倒的な存在はいなかったでしょう。100mから400mまで世界新記録を塗り替えたその走りには誰もが魅了されました。
人格者でも知られているウサイン・ボルト選手ですが、そのプライベートはあまり知られていません。今回は生い立ち、経歴をまとめつつ彼女や結婚について詳しくご紹介していきます。
ウサイン・ボルト選手についてのプロフィールはこちら。
フルネーム: Usai St. Leo Bolt(ウサイン・セント・レオ・ボルト)
愛称: ライトニング・ボルト
国籍: ジャマイカ
種目: 短距離走
所属: RacersTrackClub
生年月日: 1986年8月21日
生誕地: ジャマイカ、トレローニー
身長: 196cm(6フィート5インチ)
体重: 93.89kg(207ポンド)
引用:Wikipedia – ウサイン・ボルト
ウサイン・ボルト選手といえばレース勝利後に決める「ライトニング・ボルト」のポーズですが、世界最速の男の名前が”ボルト”とはまさに「名は体を表す」でしょう。
ウサイン・ボルト選手の特徴として陸上選手としては飛び抜けている高身長がありますが、圧倒的なアドバンテージがある反面、故障もしやすい諸刃の剣だったようです。
まずはウサイン・ボルト選手の身長や走り方についてご紹介していきます。
ウサイン・ボルトの身長や走り方
ウサイン・ボルトの身長について
ウサイン・ボルトの最強の武器はその歩幅
身長が196cmとほとんど2メートルに迫る身長を持つウサイン・ボルト選手ですが、強さの秘密はその体躯をフルに活用する走り方と、緻密に鍛えられた筋肉にありました。
短距離走選手の平均身長は180cm程度で、オリンピックや世界陸上などで見ても分かる通り、ウサイン・ボルト選手だけ頭一つ飛び抜けたように高身長です。
身長190cmを超えてくるとその分スタートダッシュ時の瞬発力に難が出てくるため、静止状態からの加速においては不利だと言われています。
しかし、ウサイン・ボルト選手の走り方を観ていると、スタートダッシュ時はやや出遅れるものの中盤に差し掛かる前からすでに飛び出しています。
2009年の世界選手権で見せた、ウサイン・ボルト選手の人類最速記録「9秒58」の動画を観るとよくわかります。
2009年「世界選手権」でのウサイン・ボルト選手の自己最速記録「9秒58」のYouTube動画。
ウサイン・ボルト選手は中盤に差し掛かる頃には一列に並び、後半から一気に加速して他の選手を圧倒的な速さで引き離していきます。
この圧倒的なスピードはウサイン・ボルト選手の走り方である”ストライド走法”によるもので、平均歩幅は275cm、ゴール時の最大歩幅は299.5cmに及ぶそうです。
このウサイン・ボルト選手にしかできない走り方があるため、前半50メートルまでにおいても世界最速記録を持っています。
しかし、一見アドバンテージしかないように見えるウサイン・ボルト選手の高身長も、陸上競技においては諸刃の剣となる部分もあったようです。
ウサイン・ボルトは身体的ハンデも抱えていた
ウサイン・ボルトは胸椎部(背中)が曲がっている
ウサイン・ボルト選手は196cmという高身長によるアドバンテージを持ちながら、同時に「脊椎側彎症」という陸上選手にとって致命的不利も持っていました。
ウサイン・ボルト選手の走り方を見ていると、他の選手に比べて肩の上下が激しいことがわかります。
このウサイン・ボルト選手の独特のフォームは持病の「脊椎側彎症」によるもので、この病気は背骨が左右に湾曲してしまうため体幹のバランスが崩れ、陸上選手にとっては圧倒的に不利となる状態を作ってしまいます。
しかし、ウサイン・ボルト選手がそうした身体的ハンデを背負いながらも、なぜ他の選手を圧倒し続け、9秒58という世界記録を叩き出したのかというと、フロリダのカイロプラクター、Dr.マイケル・ダグラスさんによるカイロプラクティック・ケアのためだったそうです。
ウサイン・ボルト選手は金メダルが獲れた試合の前には必ずカイロプラクティック・ケアを受けていたと語っています。
「いつも金メダルを取れるわけではないが、金メダルを取れたときはまずカイロプラクティックのアジャストメントを受けていた。」
しかし、カイロプラクティック・ケアを持ってしても完全に「脊椎側彎症」の影響を緩和できるわけではなく、ウサイン・ボルト選手の左右のバランスのズレから、左右の歩幅に20cmものズレを生んでしまうそうです。
そのため、ウサイン・ボルト選手は骨盤の激しい揺れからハムストリングス(太もも)の肉離れに度々苦しめられており、2017年の引退試合となった世界陸上ロンドン大会でも最後の男子4×100mリレー決勝でアンカーを務めましたが30メートル地点で故障のため棄権をする羽目になりました。
ウサイン・ボルト選手がこの「脊椎側彎症」でなければ、まだ現役で走っていたのかもしれませんが、これらのハンデを克服して打ち立てた前人未到の世界新記録だからこそ人々により深い感動をもたらしたと言えるでしょう。
ウサイン・ボルトの生い立ち&経歴
ウサイン・ボルト、出産時はゆっくりだった
ウサイン・ボルト選手の母親であるジェニファーさんは、「人類最速の息子も生まれてくる時はゆっくりだった」と冗談交じりに語っています。
ウサイン・ボルト選手は1986年8月21日に、ジャマイカ西部にあるトレローニーで生まれました。
西アフリカ系の家系で、兄弟にはSadeeki(シッディーク)、Sherine(シーリーン)の二人がおり、3人兄弟ともアフリカ共用語であるアラビア語・ペルシア語系で付けられているという。
ウサイン・ボルト選手は10歳までクリケットの選手をしていました。
ウサイン・ボルト、15歳で世界に名を轟かす
陸上短距離走に転向後間もなく世界に名を轟かす
ウサイン・ボルト選手はクリケットから陸上短距離走に転向し、圧倒的な成績を残し始めます。
ウサイン・ボルト選手は15歳の頃にジャマイカで開催された「世界ジュニア選手権」で大会史上最年少で優勝を飾り、世界中に”新星現る”とその名を轟かせました。
そして、翌2003年に開催された「世界ユース選手権」でも優勝、2004年にはウサイン・ボルト選手は17歳にして200mでジュニア世代としては世界初となる20秒台を切る19秒93をマークして完全に才能を開花させました。
ウサイン・ボルト選手も、この頃から自身に圧倒的な才能を備えていることを自覚し始めたようです。
ウサイン・ボルト、悔しい時代が続く
ウサイン・ボルト、故障に泣く時期が続く
ウサイン・ボルト選手は類まれな才能に恵まれながらもその高身長と「脊椎側彎症」から故障の原因を作り不遇な時代が続きます。
ウサイン・ボルト選手は2004年の残りの大会では故障してしまい、「世界ジュニア選手権」には出場できず連覇を逃しました。
さらに、アテネオリンピックに故障を抱えながら臨みましたが、結果を出せずに一次予選敗退という屈辱を味わっています。
翌2005年に開催された「世界選手権」に出場したウサイン・ボルト選手は、何とか決勝まで勝ち上がったものの、故障が原因で加速できず最下位に終わっています。
怪我に苦しむ時代が続いたウサイン・ボルト選手ですが、2007年からは徐々に戦える状態に体が戻り、「世界選手権」の200m決勝で19秒91の好記録を出して銀メダルを獲得。
この時優勝したのは後にウサイン・ボルト選手が圧倒的大差を付けてリベンジを果たす、100m王者のタイソン・ゲイ選手でした。
ウサイン・ボルト、栄光の時代を迎える
ウサイン・ボルト、圧倒的な存在を見せつける
「世界ジュニア選手権」から「世界選手権」に移ってからも怪我に泣いたウサイン・ボルト選手でしたが、2008年からは現在まで見せ続けた「ライトニング・ボルト」が誕生します。
ウサイン・ボルト選手は2008年の「ジャマイカ国際」の100mで9秒76となる当時で世界歴代2位の記録を打ち立てて優勝を飾ります。
これまで200mが主戦場だと思われたウサイン・ボルト選手は花形である100mでも世界トップクラスで戦えることを世界に証明しました。
そして、ウサイン・ボルト選手は同年5月31日にニューヨークで開催された「リーボック・グランプリ」の100mにおいて9秒72の当時で世界新記録を樹立して優勝。
この時、2005年の「世界選手権」で優勝を譲った大会3冠王者だったタイソン・ゲイ選手に0.11秒の大差をつけてリベンジを果たしています。
2008年にウサイン・ボルトの「ライトニング・ボルト」のポーズが誕生
完全に圧倒的世界王者となったウサイン・ボルト選手は2008年の大会から「ライトニング・ボルト」のポーズを見せるようになりました。
ウサイン・ボルト選手は2008年8月に開催された「北京オリンピック」の100m決勝のレース直前に、初めて「ライトニング・ボルト」のポーズを見せました。
ウサイン・ボルト選手はよほど体調に恵まれていたようで、これは圧倒的勝利宣言だったのでしょう。
レースでは中盤から他の選手をどんどん引き離し、フィニッシュでは両手を広げながら余裕でラインを踏み、胸を手で叩いてウサイン・ボルト選手が圧倒的な存在であることを世界に見せつけました。
YouTubeにはオリンピック公式チャンネルの動画しかなく、埋め込み禁止になっているためリンク先でご鑑賞ください。
ウサイン・ボルト選手は最後のフィニッシュ手前から両手を広げずに走り抜けていれば人類として異次元の世界となる9秒5台をマークできたとも言われましたが、科学的な検知からも最高でも9秒6だと発表されました。
しかし、ウサイン・ボルト選手はこの「科学的」な裏付けすらも破る、9秒5台の記録を打ち立ててしまいます。
ウサイン・ボルト、人類史上異次元の9秒5台を記録
科学を超えたウサイン・ボルト
ウサイン・ボルト選手は2009年に陸上人生でピークを迎え、異次元となる記録9秒58を記録します。
ウサイン・ボルト選手は「北京オリンピック」の200m決勝で、「不滅の記録」と呼ばれたマイケル・ジョンソンの19秒32より0.02秒速い19秒3の世界新記録を打ち立てて優勝を果たします。
さらに、400mリレー決勝では3走を務めたウサイン・ボルト選手は、3走としては人類唯一である8秒台の8秒98を記録、チームとしては37秒1の世界新記録を打ち立てて優勝しています。
2009年5月にマンチェスターで開催された「グレート・シティ・ゲームズ」では、150m決勝で14秒35の世界新記録を打ち立てて優勝。
そして、同年8月に開催された「世界選手権」の100m決勝で、ウサイン・ボルト選手は人類初であり自身最高記録となる9秒58の世界新記録を打ち立てて優勝しました。
ウサイン・ボルト選手は2008、2009、2011年に3度に渡る「IAAF世界最優秀選手賞」を授賞しています。
ウサイン・ボルト、ピークを超えて衰え始める
ウサイン・ボルトは2012年以降から衰え始めた
ウサイン・ボルト選手は劇的な衰えは見せなかったものの、ピークだった2009年から比べると明らかにタイムが落ちていっています。
2012年の「ロンドンオリンピック」前に行われた「ジャマイカ選手権」で、ウサイン・ボルト選手は100m、200mともに2位となっています。
さらに同年8月の「ロンドンオリンピック」の100m決勝では、ウサイン・ボルト選手が持つオリンピック記録である9秒69を塗り替えて9秒63を叩き出し金メダルを獲得しています。
この時のウサイン・ボルト選手は自己最高速度を記録し、45.39kmという世界最高時速も記録しています。
また、ウサイン・ボルト選手は100m・200m・400mリレーを制して3冠を達成し、その内100m、200mの2連覇はオリンピック史上初の快挙となりました。
その後、ウサイン・ボルト選手は「世界陸上モスクワ大会」の100m、200m、男子4×100mリレーで金メダルを獲得し3連覇を達成し、キャリアの中で通算で8個の金メダルを獲得していますが、自己ベストを記録することは無くタイムは徐々に落ちていっています。
同大会後にウサイン・ボルト選手は2016年の「リオデジャネイロオリンピック」を最後に引退すると発表しました。
ウサイン・ボルト、2017年に衝撃的な引退
ウサイン・ボルト、「世界陸上ロンドン大会」で引退
ウサイン・ボルト選手は「リオデジャネイロオリンピック」後にまだ続けられると感じ引退時期を引き伸ばしましたが、「世界陸上ロンドン大会」で正式に引退を発表しました。
2016年の「リオデジャネイロオリンピック」では、ウサイン・ボルト選手は選考会を兼ねた「ジャマイカ選手権」に出場するも100m決勝で故障により200mと合わせて棄権しました。
五輪出場は絶望視されましたが、ウサイン・ボルト選手は過去の実績を認められてオリンピック代表選手入りを果たし、本番の大会では100m決勝で9秒81の好タイムを出して金メダルを獲得。
200m決勝でも19秒78を記録して金メダル、400mリレー決勝でも37秒27で金メダルを獲得し、ウサイン・ボルト選手の選手人生で最後となるオリンピックを3冠で飾りました。
好記録を出したことで引退撤回したウサイン・ボルト選手は2017年の「世界陸上ロンドン大会」を最後に引退することを発表して臨みましたが、アンカーを務めた男子4×100mリレーの30m地点でまさかの故障が発生し棄権、選手人生最後の試合はしょっぱいものとなってしまいました。
しかし、最後の限界まで走り続けてきて世界中に感動を与え続けてきたウサイン・ボルト選手に会場から惜しみない拍手が起こり、ウサイン・ボルト選手は陸上選手人生に終止符を打ちました。
「世界陸上ロンドン大会」の男子4×100mリレー決勝のYouTube動画。
ウサイン・ボルト選手が途中棄権しなければ日本チームは4位に終わっていたため、複雑な気持ちになった人も多いと思いますが、”ウサイン・ボルトの後継者”の器とまで言われている日本のサニブラウン選手には今後期待したいところですね。
8月4日から10日間にわたり、ロンドンで開催された世界陸上。
— runline (@runline0101) 2017年8月18日
今大会で現役引退を発表したウサイン・ボルト氏。
最後のレースは悲劇の結末でしたが、それもそれで彼らしいなと感じました。
第二の人生も彼らしく歩んでいってもらいたですね。https://t.co/cAyZQ9UsQo pic.twitter.com/g4RNYoBPuU
ウサインボルト陸上引退してこれからサッカー選手になるんだってよ🇯🇲⚽
— るっち (@rucchi4649) 2017年8月17日
ウサイン・ボルトがサッカーに転向?
陸上を引退後はサッカーに転向すると語ったウサイン・ボルト
ウサイン・ボルト選手は陸上を引退した後に何をしたいかと記者に質問されて「サッカー」だと答えました。
いくらウサイン・ボルト選手が世界最速の男で陸上界のレジェンドだとしても、いきなりプロサッカー選手に転向と聞いて眉をひそめた人も少なくなかったようです。
しかし、ウサイン・ボルト選手は本気だったようで、ドイツの名門クラブ「ボルシア・ドルトムント」の練習に参加することを表明。
「もう約束はしてある。僕は彼らと一緒に練習をするよ。練習をしてどうなるか見てみてみよう。もし良かったら彼らと一緒にプレーする意思があると伝えるし、だめだったら黙っているよ」
また、一説ではウサイン・ボルト選手はイギリス・プレミアリーグの名門クラブ「マンチェスター・ユナイテッドFC」に入団するという噂もあったようです。
ウサイン・ボルト選手がボールと戯れてリフティングなどを見せている動画もありました。
ウサイン・ボルト選手のリフティング等のYouTube動画。
サッカーは個人競技ではなくチームでの連携が重要になってくるスポーツなので、これだけではウサイン・ボルト選手が本当にプロサッカー選手として通用するのかは当然わかりませんが、ネット上では「意外とうまい」という反応が多かったようです。
ウサイン・ボルト選手自身はサッカー転向への自信があったようで、本気か冗談か分かりませんが「ルーニーのレベル」とエヴァートンFC所属のウェイン・ルーニー選手を比較対象として挙げていました。
「僕がどれだけ良いプレーをできるのか、ただ見てみたいんだ。友人と常にフットボールをしているから、それなりのレベルにはあると思っている。熱心に練習に励めば、かなりの上達も見込めると思う。世界最高のフットボーラーとまでは言わないが、そこそこ良いレベルにあるんじゃないかな。そうだな、おそらくウェイン・ルーニーのレベルではあるね」
ウェイン・ルーニー選手はマンチェスター・ユナイテッドFCの元キャプテンであり、同チームの最多得点記録を塗り替えて歴代1位という世界最高クラスの選手の一人です。
ウサイン・ボルトのサッカーの話題は興味深いです。快速を活かしたプレーが最も合うかもしれませんが、身長も同じくらいの90年代のスター ヌワンコ・カヌ(ナイジェリア)のような柔らかいタッチ+独特のリズムのプレーが得意なら更に興味深い😊https://t.co/vpglmVuo4U
— johnmp (@johnmp) 2017年8月17日
サッカーコートって縦80mなんですよね…半分だって40mボルトは加速タイプでましてスタート鈍い…よっぽど足技ないと厳しですね!#ウサイン・ボルト #サッカー #マンU
— Moive Soraka そらパパ (@sorapapa5190) 2017年8月16日
ウサイン・ボルトは2018年8月からは、オーストラリアのセントラル・コースト・マリナーズの練習に参加していました。ウサイン・ボルトの活躍を受け、クラブは契約オファーを送りましたが、サラリー等の関係で契約には至りませんでした。
その後も所属先を探すも見つけられず、2019年1月にサッカー界から引退することを表明しています。
ウサイン・ボルトはスポーツ人生終了後はビジネスの道に進むと発表していました。
元陸上五輪金メダリストのウサイン・ボルト氏が、サッカー界からの引退を宣言した。イギリスメディア『BBC』が22日に報じている。
“世界最速の男”と呼ばれている32歳のボルト氏は陸上から引退後、サッカー選手になることを目指し、ドルトムントやノルウェーのクラブで練習に参加。さらには、オーストラリアのセントラル・コースト・マリナーズで契約交渉を行ってきた。
しかし、最有力と噂されていたセントラル・コースト・マリナーズと合意に達せず、破談に終わっていたが、その後も諦めずに所属するクラブを探していた。そして同氏は結局所属先を見つけられず。22日に新たな道に進み始めたことを明かした。
引用:ここにテキストを入力(URL変更も忘れずに)
ウサイン・ボルトの歴代彼女遍歴
世界のスーパースターはやはり超モテ男だった
圧倒的な強さで世界を魅了し続けてきたウサイン・ボルト選手はやはりモテ方も圧倒的だったようです。
ウサイン・ボルト選手は非常に礼儀正しいことで知られ、日本の番組に出演するなど馴染みの深い選手ですが、プライベートでのモテ方も超一流だったようです。
ウサイン・ボルトの元彼女 ファッションデザイナー
公に知られる初めての彼女は白人ファッションデザイナー
日本ではウサイン・ボルト選手の熱愛スキャンダルとして詳しく報じられているわけではないようですが、全盛期を過ぎた頃に白人のファッションデザイナーと交際が発覚しているようです。
ウサイン・ボルト選手と白人のファッションデザイナーの女性がどのように交際していたかは不明ですが、2012年3月に交際6ヶ月目で破局しているそうです。
ウサイン・ボルトの元彼女 モデルのミーガン・エドワーズ
イギリス人の美人モデルと交際していたウサイン・ボルト
ウサイン・ボルト選手は白人ファッションデザイナーの女性と別れた後に、イギリスのモデルであるミーガン・エドワーズさんと交際していました。
ウサイン・ボルト選手とミーガン・エドワーズさんが知り合ったのは、2012年6月に開催されたジャマイカチームの五輪グッズ発表会で二人は知り合い、ミーガンさんに一目ぼれしたウサイン・ボルト選手がアプローチして携帯の番号を交換し、その後何度か熱烈な交際を申し込んだ末に交際に発展したようです。
ウサイン・ボルト選手は「ロンドンオリンピック」開催時にミーガンさんを飛行機のファーストクラスを用意してジャマイカに招待しているといいます。
そして、ウサイン・ボルト選手はオリンピックで3冠を達成しましたが、その原動力となったのはミーガンさんとの秘密のデートだったと明かしています。
大会本番前にミーガンさんはウサイン・ボルト選手に自身のお尻の画像を添付して「フィニッシュでは私のお尻を思い出して」とメールを送っていたそうで、ウサイン・ボルト選手の励みになったようです。
ミーガンさんは大会後に「禁欲していたのに申し訳ないことをしたかな?」とメールしたそうですが、ウサイン・ボルト選手は「君のお尻のことを考えていたよ」と返したそうです。
かなりラブラブな二人だったようですが、交際していたのは短期間だったようで、ミーガンさんはその同年末に結婚して子供も出産しています。
ウサイン・ボルト、選手村では超モテていた?
オリンピックの選手村は国際デートの場でもある
オリンピックに出場する選手の多くは体に披露を蓄積させないために大会前は禁欲をしていますが、大会後には解放されたようにハメを外すようで、ウサイン・ボルト選手も例外ではなかったようです。
五輪のトリビア的なエピソードとして、選手村で開催される「夜のオリンピック」のために男女の避妊具が無料で大量に配布されるというものがあります。
これは過去に大会後に選手たちの間で病気が蔓延したことから、国際オリンピック委員会(IOC)から用意されるようになったそうです。
選手たちは大会前まで長い間禁欲生活を送ってきているため、自身の試合が終わり禁欲から解放されると世界各国から集まっている美女・イケメンアスリートたちとその場限りの関係を楽しむといいます。
その中でやはり人気を集めるのは大会で優秀な成績を残して一際注目を集めたスター選手であり、ウサイン・ボルト選手などはその筆頭に挙げられていたようです。
そのため真偽のほどは不明ですが、ウサイン・ボルト選手の部屋の前には美女アスリートが列を成すほど”順番待ち”状態になっていたとも言われています。
世界最速の男と一夜限りの「夜のオリンピック」を楽しみたい美女アスリート達は大勢いたことでしょう。
そうなると、選手たちの中には街に繰り出して現地の女性をナンパする人もいると思われますので、東京五輪の際には選手村周辺に居れば美人な女性であれば有名選手に声をかけられるかもしれませんね。
ウサイン・ボルトの元彼女 ジャマイカのドクタ
3人目の彼女・ジャマイカのドクター
ウサイン・ボルト選手はミーガンさんと破局した後に、2013年からジャマイカのドクターと交際をしていることを明かしています。
ウサイン・ボルト選手は持病の「脊椎側彎症」をジャマイカのドクターに診てもらっているのかもしれませんが、交際して1年もせずにインタビューで結婚を考えていると答えています。
子供もすぐに欲しいと答えていたことから結婚願望はかなり高かったようです。
>吉田沙保里さんは14年に他界した父・栄勝さんから、結婚相手に「ボルトがいいんじゃないか」と、世界最速男ウサイン・ボルト(30)=ジャマイカ=を勧められていたという仰天秘話を披露した。
— 珍獣 (@testjun) 2017年2月9日
吉田沙保里とウサイン・ボルトが結婚すればすごい子どもができるとかなんかあったよな
— めるしー@おこめたべろ! (@takaramono__) 2017年6月23日
ウサイン・ボルトの現在① 結婚した嫁はカシー・ベネット?子供が誕生【双子の名前も話題に】
出典:https://spur.hpplus.jp/
カシー・ベネットとの間に子供を授かる
2020年1月、ウサイン・ボルトはインスタグラムで恋人のカシー・ベネットが妊娠していることを公表しました。
カシー・ベネットは、マーケティングや事業開発に携わる会社勤務とのことで、ウサイン・ボルトとは2014年頃から交際していたようです。
ウサイン・ボルトとカシー・ベネットの関係について、妻と紹介しているサイトもありますが、結婚しているかどうかは明らかになっていません。恋人やパートナーと紹介されていることの方が多いので、籍は入れていない可能性が高いです。
恋人のカシは、マーケティングや事業開発に携わる会社でディレクターを務め、ジャマイカの子どもを支援する非営利組織の創設者としても活躍。
そして、2020年5月に第一子となる女の子が誕生しています。長女の名前はオリンピア・ライトニングちゃん。オリンピアは五輪の発祥地、ライトニングは、ウサイン・ボルトの現役時代のニックネームで稲妻を意味しています。
報道によると、女の子が誕生したのは17日で、それ以上の詳細は明かされなかった。ジャマイカでは、アンドリュー・ホルネス首相もその事実を確認した様子で、「われわれのスプリント界のレジェンドであるウサイン・ボルト氏とカシー・ベネットさんに、女の子の赤ちゃんが生まれたことを祝福する」とツイッターに投稿した。
出典:https://hochi.news/
双子が誕生
2021年6月には、ベネットとの間に双子の男児が誕生しています。
双子の長男・次男はそれぞれ、セントレオ・ボルト、サンダー・ボルトと名付けれています。
ジャマイカ出身の元陸上選手ウサイン・ボルトさん(34)は「父の日」の20日、パートナーのカシー・ベネットさんとの間に双子の男児が誕生したことをインスタグラム上で発表した。
投稿によると、双子はそれぞれ「サンダー」「セント・レオ」と名付けられた。誕生日については言及されていない。
ウサイン・ボルトの現在② 年収はいくら?
ウサイン・ボルトの年収は賞金とスポンサー契約料がある
ウサイン・ボルト選手を含め、スポーツ選手の収入で最も大きくなるのはスポンサーとの契約料ですが、世界最速の男ともなると破格の金額をもらっていたようです。
ウサイン・ボルト選手の2016年度の陸上における獲得賞金や年棒は合計で2.7億円と言われています。
これだけでも日本のサッカー選手や野球選手の多くを上回っていますが、ウサイン・ボルト選手はこれに加えてスポーツ用品メーカーのPUMAをはじめとしたカード会社・VISA社、飲料メーカー・ゲータレード社とのスポンサー契約料があります。
これらの会社からのスポンサー契約料は31.8億円だと言われています。
つまり、ウサイン・ボルト選手の2016年度の年収総額は34.7億円ということになります。
出典:https://japanese.engadget.com/
現在は実業家として活動
陸上界やサッカー界から引退したウサイン・ボルトは、現在実業家として活動しています。2019年には「電動キックボードのシェアリングサービス」を行う企業に出資し、日本にも参入しています。
そんな中、日本の電動キックボード業界に、また”黒船”がやってきました。元陸上男子短距離のウサイン・ボルト氏が、共同出資者として名を連ねる「Bolt Mobility(ボルト・モビリティー)」です。同社は11月15日、日本で記者会見を開き、電動キックボードのシェアリングサービスを展開すると発表しました。
実業家としてのウサイン・ボルトの年収などは判明していませんが、数十億円にものぼる資産を保有していると見られているため、現在は実業家としての手腕を発揮しながら家族と悠々自適な生活を送っていると思われます。
ウサイン・ボルトはかなりの偏食家だった?
一流アスリートには偏食家が多い?
世界で活躍する誰もが知る一流のアスリートには偏食家が多いものですが、ウサイン・ボルト選手も例外ではなかったようです。
ウサイン・ボルト選手の大好物はマクドナルドのチキンナゲットで、有名なエピソードとして2008年の北京オリンピックの時に選手村で出された中華料理が口に合わず、近くのマクドナルドに出向いて毎日チキンナゲットばかり食べていたそうです。
その量が膨大で、朝に40個、昼と夜に20個ずつと、朝に多めに食べる分少しはエネルギー効率を考えているようですが、大会中に合計で1000個近く食べているという話もあります。
日本の一流選手の中で偏食家で有名なのは内村航平選手ですが、野菜が大嫌いで緑を思わせる食品自体がNGなため、オリンピックなど大会があると大量のブラックサンダーを持っていくそうです。
また、野球界ではイチロー選手は大の野菜嫌いで大のカレー好き知られ、毎日具なしのカレーにこだわって食べ続けています。
サッカー界では元日本代表の中田英寿さんの偏食が有名で、野菜が大嫌いでスナック菓子が大好きなため、主食がわりにスナック菓子を食べているといいます。
一般的に健康に悪いものばかり食べて病気にならないのかと思う人は多いようですが、ある医師によれば、「自分の好きなものを食べることが健康の秘訣」と語っています。
しかし、『自分の好きな物だけ食べれば病気は治る・防げる』(講談社刊)の著者で医学博士の石原結實さんは、「偏食、イコール悪ではない。むしろ、自分の体に本当に必要なものを摂取するための正しい方法なんです」と説く。
ただし、これは一流アスリートたちがほぼ毎日厳しいトレーニングを積んでいるからプラスマイナスゼロになっているというだけで、一般人が鵜呑みにして運動もせずに高カロリーの食品やスナック菓子ばかり食べていたら健康を害することは言うまでもないでしょう。
ウサイン・ボルトについてまとめると・・・
「ライトニング・ボルト」の愛称と人類最速の走り、勝利後の決めポーズで世界中を沸かせ続けてきたウサイン・ボルト選手についてまとめてきました。
ウサイン・ボルト選手は最初から完璧超人などではなく、陸上選手としては致命的な「脊椎側彎症」を抱えながらも克服して世界最速の座を掴みました。
2017年の引退試合となった「世界陸上ロンドン大会」ではラストランで故障して棄権するなど、完全無欠ではないヒーローだからこそ人間味があって愛されるのでしょう。