20世紀を代表する名司会者である徳光和夫さんですが、実は華麗なる一族の一員でもあります。
この記事では、徳光和夫さんの父・母・弟・嫁・息子など家族情報に加えて、年収や心筋梗塞の病気の情報などについてまとめてみました。
この記事の目次
徳光和夫のプロフィール
名前:徳光和夫(とくみつ かずお)
生年月日:1941年3月3日
出身地:東京都目黒区
最終学歴:立教大学社会学部
所属事務所:オフィス ラ・メール
徳光和夫、テレビ黄金時代の名司会者だった
徳光和夫さんは、言わずと知れた20世紀を代表する名司会者です。
立教大学社会学部を卒業後の1963年に日本テレビに入社した徳光さんは、局アナ時代から「NTV紅白歌のベストテン」や「ズームイン!!朝!」のMCで人気を博しています。
1989年にフリーに転身した徳光さんですが、独立以降もその勢いが衰えることはなく、「速報!歌の大辞テン」や「世界ウルルン滞在記」といったヒット番組のMCとして活躍し、視聴率男として一時代を築くことになりました。
結婚式司会者としても有名な徳光さんは、これまでに500回以上の結婚式を担当しており、日本テレビ社員時代は、結婚式司会の副業効果で同期の2~3倍もの年収があったとか。
司会者としては超一流ながら、独特の放言癖のあった徳光さんは、大ファンである読売ジャイアンツ絡みの問題発言を数々残しており、ネット上では「毒光」との愛称もあります。
1984年に広島東洋カープが優勝した後に「巨人軍は日本シリーズの第1戦が始まるまでまだ諦めない! だって広島の選手が乗った飛行機が墜落するかもしれないでしょ?」と信じられない暴言。
徳光和夫の家族情報…甥っ子は女装家のミッツ・マングローブ
徳光和夫、父・徳光寿雄は洋画吹替の生みの親だった
徳光和夫さんの父親である徳光寿雄さんについては、戦前は「河合映画製作社」や「新興キネマ」といった映画会社に勤務しており、映画監督をしていた時期もあったようです。
その後は転職先の「毎日新聞」のニュース映画部が「日本映画社」に統合されるなど、戦争の荒波にもまれたこともあった寿雄さんですが、最終的には同社の取締役まで上り詰めることになりました。
1941年、開戦前の国策により大手新聞3社(朝日・毎日・読売)のニュース映画部門が統合されて発足した日本映画社のニュース映画部に勤務。戦後は同渉外課長を務め、1949年には取締役営業部長、総務部長を兼務。
引用:徳光寿雄
1951年になると日本映画社が分社化の末に解散したため、1953年に開局した「日本テレビ」にスカウトされることとなった寿雄さんは、初代映画部長として洋画吹替文化の生みの親にもなっています。
日本テレビでは芸能局顧問まで上り詰めた寿雄さんは、1967年になると、当時経営難となっていた「東京12ちゃんねる(現テレビ東京)」を立て直すために設立された「科学テレビ協力委員会」の委員に抜擢されるなど、テレビ業界黎明期の偉人と呼べる存在でした。
徳光和夫、弟は元伊勢丹英国支社社長の徳光次郎
徳光和夫さんの弟・徳光次郎さんは慶應義塾大学文学部を卒業後、百貨店「伊勢丹」に就職をしており、英国支社社長にまで上り詰めた経歴の持ち主です。
2004年に伊勢丹を退職した次郎さんは、有名ブランドの輸入卸をしている「株式会社チェルシー」にスカウトされて社長を務めた他、2010年からは専門商社である「大沢商会」の取締役として活躍中となります。
ただですら目を見張る経歴の持ち主である次郎さんですが、2011年になると、さらに「モノコトコネクション株式会社」を起業しており、現在は同社の社長業と大沢商会の取締役業務を兼務しています。
徳光和夫、甥は女装家でタレントのミッツ・マングローブ
徳光和夫さんの弟・徳光次郎さん息子は女装家でタレントのミッツ・マングローブさんです。
本名は徳光修平といい、父親の仕事の関係でイギリスで育ったため英語が堪能なことで有名です。
日本に帰国後は、慶應義塾高等学校から慶應義塾大学法学部へ進学。5歳の頃から同性愛者であることに気づいていたそうで、伯父の徳光和夫さんもなんとなくわかっていたと語っています。
徳光和夫の結婚した嫁と子供について…次男はタレントの徳光正行
徳光和夫、嫁・早苗さんは日本テレビ近くの喫茶店の娘
徳光和夫さんの妻は、同い年の早苗さんという一般女性の方です。実家は日本テレビ近くの喫茶店を経営しており、日本テレビでアルバイトする傍ら喫茶店も手伝っていたそうです。
当時、喫茶店の常連だった徳光さんの父親と早苗さんの母親が相談の末、2人はお見合い結婚しています。
徳光和夫、長男はサントリー勤務のサラリーマン?
徳光和夫・早苗さん夫婦は、2男1女の子宝に恵まれています。
徳光家の長男に関しては、父親が大物業界人でありながらもメディアや広告関連の企業ではなく、「サントリー」に就職したと言われております。
一時、徳光さんは「サントリー」のCMに出演していたこともありましたね。コネ入社ともいわれていますが、真相は不明です。
徳光和夫、次男・徳光正行はアラサーまでニート状態だった
徳光和夫さんの次男に関しては、フリーアナの徳光正行さんとなります。
日本大学芸術学部への進学を希望していた正行さんは、3浪の末ようやく大学に合格するなど、苦労を重ねていた時期もありました。
日本大学芸術学部では、音楽学科情報音楽コースに在籍していた正行さんの将来の夢はロックミュージシャンだったそうで、大学を卒業後は、親のすねをかじりながらバンド活動に明け暮れていたそうですね。
「年収10万円のニート状態だった」と自虐するバンドマン時代が続いた正行さんですが、2001年に徳光さんが心筋梗塞に倒れたことをきっかけに親のすねかじりを卒業することを決意し、タレントに転身しております。
30歳にして芸能界に飛び込む形となった正行さんは、「5時に夢中!」や「レディス4」のMCを務めるなどブレイクし、一人前のタレントとして自立することに成功しています。
次男・徳光正行、親のすねをかじりすぎて妻と離婚
徳光和夫さんの次男である徳光正行さんは、2010年になると、11歳年下の当時TOKYO MXアナウンサーであった田野辺実鈴さんと結婚しております。
しかしながら、2人の夫婦生活は上手くは行かなかったようで、結婚6年目となる2015年にあえなく離婚の憂き目となっています。
正行さん夫婦の離婚については、嫁姑問題があったとの噂の他、父親である徳光さんが息子を甘やかしすぎたせいで夫婦関係が壊れたとの報道もありました。
「徳光さんがとにかく息子さんに対して甘いんです。正行さん夫婦が暮らしていた都内の豪邸は、土地と建物合わせて2億円で、徳光さんが買い与えたものだそうです。いまだに毎年、お年玉を渡しているとか」(テレビ局関係者)
とはいえ、実際のところは、徳光さん夫婦と正行さん夫妻が顔を合わせる機会は少なかったらしく、嫁姑問題が生じるほどの交流はなかったようですね。
さらには、正行さんにプレゼントしたと言われている豪邸も徳光さんの個人事務所が所有している不動産物件の1つであり、家賃もきっちり徴収していました。
――実鈴さんと不仲だったという報道がありますが?
「それはないですよ。茅ヶ崎に来ることもあまりなくて、彼女と接する機会が少なかったですから。BS番組の現場でたまたまお会いして、“元気?”という感じで挨拶をするくらいはありましたけどね」
――正行さんを甘やかしていたというのは本当ですか?
「それもないですよ。東京の家は事務所の持ち物で、ちゃんと彼らが家賃を払っています。お年玉に関しては、僕が競馬で勝ったときにだけ、小遣いを渡したくらいで。会う機会がないときは、自分で使っていますしね」
正行さん本人も、子作り問題がきっかけとなり、夫婦仲がこじれてしまったことをカミングアウトしています。
徳光:そうです、大体は。まあ、子供が欲しいという話を彼女はしていたのですが、ぼくとしては、「今じゃないな」という思いが漠然とあって、先延ばしにしていたんですよ。ふたりで遊んでいたりしてとても楽しいし、ぼく自身が子供なので(笑い)。
徳光:幼稚なんですよね、ぼくは。で、覚悟を決められない。だから、彼女は「ずっと一緒にいても、この人は覚悟ができる日がこないだろう」と思ったんじゃないかなと思います。それで、離婚を考え始めたんでしょう。だから、逆に、子供がいたら離婚しなかったかもしれないですね。
徳光和夫、孫娘は博報堂勤務との噂
徳光和夫さんには、長男夫婦の間に孫娘も生まれています。
徳光さんの孫娘については、2007年頃になると、「Hey! Say! JUMP」の山田涼介さんと中学の同級生であり、交際相手だというゴシップ記事が週刊誌を騒がすことになりました。
しかしながら、このゴシップ記事は完全にデマだったらしく、山田さんの出身中学が神奈川県にある秦野市立南が丘中学校であった一方で、徳光さんの孫娘に関しては、親の仕事の都合で北海道の中学校に通っていたそうですね。
少女時代に身に覚えのないゴシップネタに巻き込まれることとなった徳光さんの孫娘ですが、現在は成人しており、大手広告代理店の「博報堂」に勤務していると言われております。
徳光和夫の年収がスゴイ…生涯年収は130億円と次男が明かす
徳光和夫、最盛期の年収は数十億円だった
テレビ黄金時代の売れっ子司会者だった徳光和夫さんの気になる年収については、世間の想像をはるかに超える額であったことが、徳光さん本人の口からカミングアウトとされております。
2017年4月に出演した「ジョブチューン」にて徳光さんが語ったフリー転身後の年収に関しては、副業により同期の2~3倍稼いでいた日本テレビ時代よりもさらに2桁も多い額だったそうですね。
日テレ時代にも残業や、「結婚式の司会などの職内(内職)」で、同期より「2倍か3倍(収入が)あった」という徳光。それでも、フリーに転身すると、「2桁違いました」と告白。「フリーってこんなに収入が増えるものなのか」と驚いたことを明かした。
日本テレビの社員の年収は、40代後半の年代で1500~1600万円ほどあると言われているため、絶頂期の徳光さんの年収は30億円程度はあったことになります。
ちなみに次男・徳光正行さんが2019年2月にバラエティ番組で、父親の生涯年収は130億円くらいと暴露しています。
徳光和夫、自宅は神奈川県茅ケ崎市にあった
徳光和夫さんの自宅に関しては、意外なことに東京の高級住宅街ではなく、神奈川県茅ケ崎市にあります。
大学3年時から茅ケ崎市住まいだった徳光さんでしたが、局アナ時代の1979年に「ズームイン!!朝!」のMCに抜擢された際には、仕事のスケジュールの都合から都内に移住することも考えていました。
しかしながら、茅ケ崎市暮らしを気に入っていた家族から大反対を受けて、結局は徳光さん1人で単身赴任での東京暮らしを選択する羽目になりました。
「ズームイン当時は、妻と息子2人が『どうしても茅ヶ崎を離れたくない』と言い張りまして」。家族の溢れる茅ヶ崎愛は、12年間の単身赴任経験で十分すぎるほど伝わってくる。
近年では、箱根駅伝のテレビ中継に観客として映ることでも有名になった徳光さんですが、子供が独立した現在も茅ケ崎に残り続ける理由については、大ファンである箱根駅伝を現地観戦するためではなく、長年暮らした街への愛着が大きいようですね。
茅ヶ崎小に通った息子の友達の親が経営していた蕎麦屋のむさしのやスポーティフ、プレンティーズなどお気に入り店も多い。「潮騒を耳にしながら富士山を望めるこの自然は比類ない景色」と愛郷心が豊潤だ。「趣き深い通りもあり、茅ヶ崎は偉大なステータスです。いつかどこかが『徳光横丁』とか呼んでもらえる日が来れば、なんて身内では冗談交じりに話していますよ」と茶目っ気たっぷりだ。
徳光和夫、ギャンブルで13億円散財していた
億万長者の徳光和夫さんですが、趣味のギャンブルで散財した額もスケールが違います。
徳光さんがハマっていたギャンブルについては、主に競馬や競艇であり、「競馬は遊び、競艇は勝負」というモットーまでありました。
ロマンを求める競馬では大穴買いばかりだったという徳光さんでしたが、勝負にこだわる競艇では、老後は予想屋をやりたいと豪語するほど蘊蓄があるようですね。
一時期は毎日のように競艇場通いをしていたという逸話を持つ徳光さんだけに、これまでにギャンブルで負けた総額は、6億円にも及ぶこと語っていますが、実際は12億~13億円負けていると次男の徳光正行さんに暴露されています。
この日、「二世芸能人、親の秘密を告白スペシャル」のコーナーに登場した徳光は、50年以上にわたりテレビで活躍を続ける父・和夫の収入に言及。父がよくテレビ番組で「競艇で5億円負けた」との話をしていることに触れ、「競馬を入れると12〜13億円は負けてる」と、ギャンブルで損したお金はさらに多いことを明かした。
あまりにギャンブル好きすぎた徳光さんは、日本テレビ社員時代はお小遣いがすぐに尽きてしまい、生活費どころか息子である徳光正行さんの落とし玉に手を付けたことすらあったようです。
徳光和夫は2001年に急性心筋梗塞を発症…病気の原因は喫煙だった
徳光和夫、2001年6月に急性心筋梗塞に倒れる
徳光和夫さんは、2001年6月になると、宿泊先のホテルにて体調不良に陥り、かかりつけの病院へ足を運んでおります。
翌日、茨城県でのゴルフに参加するために、夫婦で東京のホテルに泊まっていたとき。夕方、胃袋のあたりをぎゅっとつかまれる感覚を受けました。「あれ? 貝にでもあたったかな?」と思いましたが、痛みは強くなる一方。
かみさんに言うと「水を飲みなさい」と。かみさんは祖母から「おなかをこわしたら水を飲ませなさい」と言われて育ったんだそうです。
翌日、ゴルフを断ってかみさんと人間ドックを受けている病院へ。
病院での診断の結果、心筋梗塞であることが判明した徳光さんは、渋谷にある大学病院へ救急車で搬送されることになりました。
救急車内でも意識ははっきりしていたという徳光さんですが、実は心筋梗塞を発症してから16時間も経っており、心臓の冠状動脈が完全に詰まっていたため、生存率は40%程度という危険な状況でした。
結果的には手術が無事成功して命を取り留めた徳光さんでしたが、胃のあたりが痛み始めた時に妻・早苗さんが水を飲ませてくれたことで、血管の詰まりが緩和されたことが生死を分けたポイントだったようですね。
医師から言われたのは「本当に危なかった。助かった理由は、奥さんが水を飲ませたから」。大量に飲むことで詰まった血管が少し開き、血液が流れたという。
徳光和夫、病気の原因は1日100本のタバコ
徳光和夫さんが心筋梗塞に倒れてしまった理由に関しては、当時60歳の高齢でありながらも週6本もレギュラー番組があった激務ぶりに加えて、ヘビースモーカーだったことも原因でした。
心筋梗塞前は、1日100本以上のタバコを吸っていた徳光さんに対しては、術後に担当医師からタバコ禁止令が出ることになりました。
術後に一番困ったのが「たばこはやめてください」という医師の言葉。くゆる煙を見ていると無になれる。そんなときにいいアイデアが浮かんできたりもしていた。「先生。吸っておいしいと、『今日もいけるな』というほど、たばこは健康のバロメーターなんです」と言うと、先生は「わかりました。では、次の検査のときには他の病院の紹介状を書きます」と。そこで初めて、衝撃を受けました。
禁煙を始めた当初の徳光さんは、禁断症状に悩まされることとなり、不眠症状態にまで陥ったようですね。
でもね、やめた日から毎夜、たばこが夢に出てくるようになりました。火のついたたばこが空中に浮いて、目の前をゆっくりと通りすぎる。それを取ろうとするけれども、人さし指と中指からスルリと抜ける。取ろうと追いかける、取れない。で、目が覚める。睡眠不足の日々でした。
とはいえ、苦しい禁断症状も2週間ほどで収まったという徳光さんは、無事禁煙に成功しており、以前より悩まされていた声のかすれまで改善するといった嬉しい誤算までありました。
徳光和夫について総まとめすると…
・徳光和夫には子供が3人おり、次男・徳光正行はタレントとして活動している
・徳光和夫の生涯年収は130億円とみられ、その内13億円ほどをギャンブルで散財している
・徳光和夫は2001年に急性心筋梗塞を発症、ヘビースモーカーだったがこれを機に禁煙した
一歩間違えれば死んでいたかもしれない危機を乗り越えた後の徳光さんは、大病を患うこともなく、元気に芸能生活を送っています。
徳光さんが今後も末永い活躍を続けることを祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。