ススキノ頭部切断遺体事件で逮捕された医師の田村修が話題です。
この記事では田村修の出身や実家の家族、出身高校や大学、医師としての経歴、白塗りメイクのコスプレバンド、共に逮捕された嫁の田村浩子や一人娘である子供の田村瑠奈との関係性 、自宅の場所や事件を起こした動機についてまとめました。
この記事の目次
- 田村修はススキノ頭部切断遺体事件で逮捕された男性医師
- 田村修の出身は北海道オホーツク総合振興局管内紋別郡遠軽町
- 田村修の実家の家族① 祖父は元学校の教師でメディア取材に応じている
- 田村修の実家の家族② 母親は10年以上前に他界
- 田村修の出身高校
- 田村修の出身大学は旭川医科大学
- 田村修の経歴① 旭川医科大学卒業後研修医を経て精神科医師に
- 田村修の経歴② 勤医協札幌丘珠病院精神科科長を経て同中央病院リエゾン科科長
- 田村修にはバンドやコスプレの趣味があった
- 田村修の結婚した嫁は田村浩子で夫と娘と共に逮捕
- 田村修の子供は娘の田村瑠奈ですすきの頭部切断殺人事件で逮捕
- 田村修の自宅は札幌市厚別区厚別南2丁目の3階建の住宅
- 田村修の現在~嫁・田村浩子の裁判で動機や親子関係について語る
- まとめ
田村修はススキノ頭部切断遺体事件で逮捕された男性医師
田村修(事件当時59歳)は、2023年7月2日に北海道札幌市の繁華街ススキノのラブホテルで浦仁志さん(事件当時62歳)の頭部が切断された状態の遺体が見つかった事件で、死体遺棄、死体損壊、死体領得などの容疑で逮捕された男性医師です。
この事件では、田村修の娘である田村瑠奈(事件当時29歳)と、嫁の田村浩子(事件当時60歳)も同様の容疑で逮捕され、親子3人家族全員の共謀による猟奇的死体遺棄事件として世間の注目を集めました。
田村修の娘の田村瑠奈は、浦仁志さんの遺体が発見される前日の夜に浦仁志さんと2人で事件現場となったラブホテルに入り1人だけ先に出たと見られており、警察は田村瑠奈が浦仁志さんを殺害し頭部を切断して持ち去ったと見て捜査を進めることになりました。
田村修に対しては、田村瑠奈を自宅からホテルの間を送迎した疑いと犯行に使用されたナイフやノコギリ、スーツケース、田村瑠奈が変装に使用したウィッグなどの購入を一緒に行うなどして共謀した疑いが持たれています。
嫁(田村瑠奈の母親)の田村浩子については、2人の犯行計画を事前に知っており、自宅浴室に被害者の浦仁志さんの頭部を置いていた事も知っていたと見られる事から同様の容疑で逮捕されたようです。
また、被害者の浦仁志さんの頭部は、田村修、田村瑠奈、田村浩子ら3人家族が住む自宅の浴室で腐敗した状態で発見されており、7月24日に家宅捜索を行なった警察によって発見されるまで、3週間以上もずっと浴室(自宅に1つしかなかった)に置かれていたようです。
こうした猟奇的で異常な犯行を娘や嫁と共に行った精神科医師である田村修への世間の関心も高まりました。
ここではこの田村修について現在までにわかっている内容をまとめていきます。
田村修の出身は北海道オホーツク総合振興局管内紋別郡遠軽町
若い頃(事件から見て30年前)の田村修
田村修の出身地は北海道北東部に位置するオホーツク総合振興局管内の紋別郡遠軽町です。
修はオホーツク総合振興局管内の紋別郡遠軽町出身。
引用:《ススキノ“首狩り親子”逮捕》「何かを隠したかった」ロングヘアの引きこもり娘(29)と有名精神科医の父(59)に事件後起きた“異変”「容疑者はバンドにも力を入れ…」
ただその後、家族で旭川市(オホーツク総合振興局の西隣に位置する上川総合振興局)に引っ越しをしているようで、別のメディアでは田村修の地元は旭川市と報じているものもあります。
修容疑者の地元も旭川市で、やはり父親が教師を長年務めた公務員だった。
引用:〈すすきの首切断から1カ月〉「欲しがるものはなんでも買ってあげた」溺愛する娘への暴行に“報復”か⁉ エリート一家が選択した最凶のシナリオ…精神科医の父は血が苦手で外科医を断念した過去
田村修の実家の家族① 祖父は元学校の教師でメディア取材に応じている
田村修の実家の家族で明らかにされているのは、長年教員として働いていたという元公務員の父親(田中瑠奈容疑者の祖父)と、10年以上前に前に亡くなったという母親(田村瑠奈容疑者にとっての祖母)です。
田村修の父親は近隣で人格者として信頼されており、町内会長を20年続けていて“先生”と呼ばれ尊敬を集めているとの事です。
修容疑者の父は、人格者としても近所で評判だった。
「元々、学校の先生だったこともあり、近隣からの信頼も厚いですね。みんなに頼み込まれて町内会長を20年以上も続けているし、空き缶や空き瓶といった資源ゴミを率先して拾い集めて、少しでも町内会の予算の足しになればと動いてくれています。近所の人はみんな親父さんに感謝していて、敬意も込めて“先生”と呼んでいます。
引用:〈すすきの首切断から1カ月〉「欲しがるものはなんでも買ってあげた」溺愛する娘への暴行に“報復”か⁉ エリート一家が選択した最凶のシナリオ…精神科医の父は血が苦手で外科医を断念した過去
集英社オンラインの記事では、田村修の実家の近隣住民の、この父親にとって田村修が自慢の息子のように見えたとする証言が紹介されています。
「修さんは昔からとても頭が良くて、旭川医大に進学したのも近所では有名な話でした。事件後に報道されているように、手術中に血が吹き出すのを見て倒れてしまって、進路を外科医から精神科医に変えたというのも親父さんから聞いてました。親父さんは『もったいない』と言ってたけど、私らから見たらお医者さんには変わりないからね。親父さんは自慢とかはまったくしない人なんだけど、修さんの話題になるとうれしそうでした」
引用:〈すすきの首切断から1カ月〉「欲しがるものはなんでも買ってあげた」溺愛する娘への暴行に“報復”か⁉ エリート一家が選択した最凶のシナリオ…精神科医の父は血が苦手で外科医を断念した過去
こうした報道内容から、田村修の実家は現在も旭川市内にある可能性が高いように思われます。
田村修の実家の家族のうち父親(田村瑠奈の祖父)だけがメディアのインタビューに応じています。
田村修の父親の証言によると、田村修と嫁の田村浩子は娘の田村瑠奈を溺愛しており、(田村瑠奈の)祖父という立場から見てもかなり甘やかしているように見えていたようです。
瑠奈の祖父は、両親が一人娘を溺愛していたと明かした上で、小誌にこう語った。
「俺から言わせれば、ちょっと過保護なんだよな。
引用:「突然、馬乗りになってカッターを首に」“ススキノ首狩り殺人” 逮捕のひきこもり娘(29)が豹変した“狂気の瞬間”「家では娘の天下」「許せないことがあった」
田村修の父親は、田村修と嫁の田村浩子が娘の村瑠奈に決して怒らず、言いなりのようになっている事に疑問を抱いていた時期もあったようですが、それを嗜めようとすると田村修に「親父は古くさい」と反論されるため、口出しをしないようにしていたそうです。
田村瑠奈容疑者の祖父:
それで俺が「過保護じゃないか」って言うと怒られるんだ。「おやじは古くせえからすぐ過保護って。そうして、親父はこうしろって言うことをやらんかったら、最後まで怒るくせに」って。そういう性格だから。しっぺ返し食らうから。もうしゃーないわ、あそこのうちは任せとったらいい。普通にいけば大切に育てたらそうならんけど。
引用:「母親も逮捕されると思っていた」祖父が語る容疑者一家のバランス 生き物に優しい母・浩子容疑者に起こった“異変”とは?【ススキノ殺人】
俺に言わせたら歯がゆいときが初めはあったけども、それがだんだん落ち着いてきたら、こういう育て方もあるのかなというふうに思うようになったんだけど。
とにかく瑠奈の面倒は、お前達が見なきゃダメなんだから、ちゃんと見なさいよってね。娘に対して怒らない息子夫婦に憤りを感じながらも、見守っていた祖父。
また、田村修の父親は、田村瑠奈が被害者の浦仁志さんとトラブルがあって恨みを抱いていた事などもメディアに明かしており、田村修は娘の意を汲んで犯行に加担したのではと考えている様子でした。
(瑠奈にとって)許せないことがあってね。そうなると歯止めが利かないんだよな。修はその許せないことを知ったんだよ。浩子は修任せ。瑠奈がやったことも、修がやったことも知っていた」
引用:「突然、馬乗りになってカッターを首に」“ススキノ首狩り殺人” 逮捕のひきこもり娘(29)が豹変した“狂気の瞬間”「家では娘の天下」「許せないことがあった」
田村修の実家の家族② 母親は10年以上前に他界
田村修の実家の家族については、母親が10年以上前に亡くなっているとの情報が明かされています。
田村修の母親も厳格でしっかりとした方で、周囲からも信頼されていたようです。
奥さんもそんな親父さんにぴったりな厳格な方で、冠婚葬祭のときには丁寧に挨拶をしてくれたり、引っ越してきた人たちにも優しく町のことをいろいろと教えてくれるいい人でした。
10年以上前に奥さんが亡くなられて、一人暮らしになった親父さんは、何年か前からガンを患ってしまったので、修さんのいる札幌の病院によく通ってましたね。
引用:〈すすきの首切断から1カ月〉「欲しがるものはなんでも買ってあげた」溺愛する娘への暴行に“報復”か⁉ エリート一家が選択した最凶のシナリオ…精神科医の父は血が苦手で外科医を断念した過去
田村修の出身高校
田村修の出身高校は特定されていません。
ネット上では田村修の出身高校を北海道北見市北斗町にある「北見北斗高校」(偏差値62)だとする記事がありますが根拠が示されておらず真偽不明です。
田村修の学生時代について、「中学の頃から勉強ができた」、「昔からとても頭が良く地元では有名だった」などの証言が出ているので、かなり偏差値の高い高校の出身だと推測できます。
一方、大黒柱の修は、もともと紋別郡遠軽町の出身。地元の友人が振り返る。
「中学の頃から勉強ができてギターが趣味。教員だったお父さんの自慢の息子でした。
引用:「突然、馬乗りになってカッターを首に」“ススキノ首狩り殺人” 逮捕のひきこもり娘(29)が豹変した“狂気の瞬間”「家では娘の天下」「許せないことがあった」
修さんは昔からとても頭が良くて、旭川医大に進学したのも近所では有名な話でした。
引用:〈すすきの首切断から1カ月〉「欲しがるものはなんでも買ってあげた」溺愛する娘への暴行に“報復”か⁉ エリート一家が選択した最凶のシナリオ…精神科医の父は血が苦手で外科医を断念した過去
北海道で偏差値が高い高校としては札幌光星高校、札幌北高校、札幌南高校、札幌西高校、立命館慶祥高校、札幌第一高校、函館ラ・サール高校、釧路湖陵高校、札幌東高校、札幌旭丘高校などがあります。(いずれも偏差値60台後半から70)
田村修の出身大学は旭川医科大学
出典:https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/
田村修の出身大学は「旭川医科大学」(偏差値62.5)です。
1988年に旭川医科大学を卒業し、2008年からは札幌市にある勤医協中央病院精神科のリエゾン科科長として勤務。
引用:《ススキノ“首狩り親子”逮捕》「何かを隠したかった」ロングヘアの引きこもり娘(29)と有名精神科医の父(59)に事件後起きた“異変”「容疑者はバンドにも力を入れ…」
田村修の父親(田村瑠奈の祖父)の証言によると、田村修は手先が器用だったため、旭川医科大学時代の教授は外科医として育てようとしていたそうです。
ところが、研修で生きている人の手術でメスを使った際に、血が吹き出した事にショックを受けてその場で倒れてしまい、外科医の道は諦めて精神科医の道へと進む事を決めたという事です。
「修はもともとは手先が器用だったんさ。だから、旭川医大の教授は修を外科医に育てようとしたんだ。たださ、死体を解剖してホルマリン漬けにすることはできたんだけど、手術で生きてる人間にメスを入れて血が吹き出したら、あいつ倒れちゃったんだよ。それで医大から精神科医になれって勧められたんだよな」
田村修の経歴① 旭川医科大学卒業後研修医を経て精神科医師に
田村修は、1988年3月に旭川医科大学を卒業後、北海道札幌市の勤医協中央病院で内科研修を3年半積んだ後、同病院精神科の臨床医を務めています。
1998年からは千葉県千葉市の県立千葉県精神科医療センターで専門研修を3年間受け2001年に修了しています。その後は今回の事件で逮捕されるまで精神科の医師として第一線で活躍を続けていました。
田村修の経歴② 勤医協札幌丘珠病院精神科科長を経て同中央病院リエゾン科科長
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田村修は、千葉県精神科医療センターでの専門研修を修了後は出身地北海道へ戻り、勤医協札幌丘珠病院精神科の科長に就任。2008年からは 勤医協中央病院精神科(リエゾン科)の科長を務めています。
田村修の精神科医師としての評判はとてもよく、日本精神神経学会専門医・指導医、日本総合病院精神医学会認定一般病院連携精神医学専門医・指導医、日本医師会認定産業医などを務めています。
社会活動にも熱心に取り組んでおり、各地で心のケアをテーマにした講演を行い、2021年にも厚生労働省の過労死等防止推進対策シンポジウムで「若者の過労自殺を防ぐため 企業と自治体にできること」というテーマで講演を行なっています。
また、海外派遣された自衛隊員や家族の心のケアを目的とする支援団体「海外派遣自衛官と家族の健康を考える会」の北海道・東北支部の代表幹事を務め2021年に同団体編集として「自衛官と家族の心をまもる 海外派遣によるトラウマ」という書籍も発表しています。
田村修にはバンドやコスプレの趣味があった
田村修は医師として真面目に活動をしていた一方、音楽活動にも力を入れ、仲間と組んでいたバンドではギターやボーカルを担当していたというエピソードがあります。
他方で、修は音楽活動にも力を入れ、仲間と組んでいたバンドではギターやボーカルを担当。SNS上には、奇抜なメイクをしてマイクを握る本人らしき姿も確認できる。
引用:《ススキノ“首狩り親子”逮捕》「何かを隠したかった」ロングヘアの引きこもり娘(29)と有名精神科医の父(59)に事件後起きた“異変”「容疑者はバンドにも力を入れ…」
出典:https://www.dailyshincho.com/
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そして、田村修のバンドについて、女装やコスプレをして演奏するバンドだったという情報が浮上しています。実際に田村修が白塗りの奇抜メイクをしている姿がSNSに公開されています。
ススキノ殺人事件で逮捕された田村瑠奈容疑者の父親、田村修容疑者謎のバンド活動をしていた。。。。https://t.co/OzdoZP5map
— 進撃のJapan (@roketdan2) July 29, 2023
また、田村修は娘と一緒にコスプレをして出かけることもあったようです。
修容疑者もバンドをやっていて、女装やコスプレのような格好をしてステージに立ったり、瑠奈容疑者が『ゴスロリファッションが好き』と言うと自分も同じようなコスチュームで出かけたりしていましたよ。瑠奈容疑者も引きこもりで心を病んでいたのは間違いないです。
女装やコスプレの趣味は被害者と一致しており、これが被害者との接点になったのではないかという疑惑も生まれています。
田村修の結婚した嫁は田村浩子で夫と娘と共に逮捕
田村修の嫁の田村浩子も、ススキノ頭部切断遺体事件で、死体遺棄、死体損壊、死体領得の容疑で2023年7月25日(田村修と田村瑠奈の翌日)に逮捕されています。
田村修と嫁の田村浩子がいつ結婚したのかは不明ですが、2人の子供は娘の田村瑠奈のみで、田村瑠奈が2023年7月の逮捕当時29歳だった事から、結婚したのは1994年以前だと思われます。
田村修の嫁の田村浩子は北海道旭川市の出身で、父親が北海道庁勤務の公務員、母親が専業主婦、兄が1人の4人家族で育っています。
浩子容疑者は、北海道庁上川支庁勤務の公務員だった父と専業主婦の母のもとで、兄と2人きょうだいとして育った。
引用:〈すすきの首切断から1カ月〉「欲しがるものはなんでも買ってあげた」溺愛する娘への暴行に“報復”か⁉ エリート一家が選択した最凶のシナリオ…精神科医の父は血が苦手で外科医を断念した過去
田村修の嫁の田村浩子も学業優秀だったようで、北海道でも有数の進学校の高校を卒業後、北海道教育大学教育学部旭川校(偏差値42.5〜47.5)へと進学し卒業しています。
大学卒業後は旭川美術館で学芸員として働き、田村修との結婚後はパートをしながら主婦をしていたようです。
浩子さんは道内でも進学校で知られる高校から、北海道教育大旭川校に進学された優秀な方でした。ご結婚前は近所にある美術館で学芸員として働いていたほど芸術に造詣の深い方で、ご両親にとっても自慢の娘だったと思います
引用:〈すすきの首切断から1カ月〉「欲しがるものはなんでも買ってあげた」溺愛する娘への暴行に“報復”か⁉ エリート一家が選択した最凶のシナリオ…精神科医の父は血が苦手で外科医を断念した過去
また田村修の嫁の田村浩子については、結婚前に自主制作映画に女子大学生役で出演した経歴もあるという事で、美しい見た目をしていると推測されます。
最後の1人として逮捕された母の浩子は、修が医大生時代を過ごした旭川市で育った。趣味は絵画。旭川美術館に勤務していた独身時代、地元の映画愛好家が作成した自主制作映画に、女子大生役で出演したこともある。
引用:「突然、馬乗りになってカッターを首に」“ススキノ首狩り殺人” 逮捕のひきこもり娘(29)が豹変した“狂気の瞬間”「家では娘の天下」「許せないことがあった」
また、田村修の嫁の田村浩子については、情緒不安定なところがあったとの近隣住民の証言があるようです。この証言者は、娘の田村瑠奈が小学校高学年から引きこもりになり、事件前もニートのような状態であった事から、それが原因で家族がバラバラだったのではと推測している様子でした。
出入り業者によると、家の中は荷物が散乱し、奥さんは情緒不安定なところがあったみたい。娘さんもひきこもっていたから、家族はバラバラだったんじゃないのかな。
一方で、田村修と嫁の田村浩子が2人で仲良く自宅の玄関外に並んで月食を見ていたという証言や2人で居酒屋を訪れていたという証言もある事から、夫婦仲は良好だったと推測されます。
田村一家の自宅近くに住む住民は、逮捕後に思い出した印象的な光景があるとして、こう述べるのだ。
「昨年11月ごろのことでした。田村さんご夫妻が玄関先に並んで、夜空に浮かぶ月食を眺めていて、珍しいなと思ったんです。とても夫婦仲が悪そうには見えませんでしたけど……」
6月末には、その居酒屋に修容疑者と浩子容疑者も夫婦二人で来店し、カウンター席で2時間ほど滞在したといいます。店主によると、「特に二人で会話することもなく、表情は穏やかで優しそうなご夫婦でした。別々で飲食しているような、落ち着いている感じもありました」ということです。
引用:【独自取材】瑠奈容疑者「次言ったら刺すからな」カッターナイフ持って馬乗りの過去…同級生や容疑者一家が通った居酒屋店主ら証言…見えてきた“娘による家族支配”の実態
田村修の子供は娘の田村瑠奈ですすきの頭部切断殺人事件で逮捕
田村修の子供は、すすきの頭部切断殺人事件で逮捕された娘の田村瑠奈の1人だけです。
田村修の娘である田村瑠奈は、2023年7月1日の22時35分頃、ススキノで浦仁志さんと合流し、22時50分頃に近くのラブホテルに2人で入り、浦仁志さんを殺害。頭部を切断し、それを持ち去ってラブホテルから1人で出たと見られています。
田村瑠奈については、幼い頃から精神疾患を患っていて感情を抑えられない面があり、小学校高学年の頃から不登校になり、私立高校に進学するも馴染めずに退学し、通信制高校に入学し直したなどの生い立ちや経歴が明らかにされています。
しかしその後は、祖父の証言によると、社会に出て働いた経験はなく、父親の田村修と母親の田村浩子に溺愛され甘やかされてニートのように生活していたとの事です。
なお、田村瑠奈がキャバクラや風俗店で勤務していたという情報が一時流れましたが、これは某写真週刊誌が誤情報を掴まされて事実確認をせずにウェブ記事を掲載してしまったために広まったもので事実ではありません。
田村瑠奈は、2023年5月下旬頃に、ススキノのダンスクラブで事件の被害者の浦仁志さんと知り合い、その日のうちにトラブルになった事も報じられています。
札幌市中央区の繁華街ススキノのホテルで7月、男性(62)の遺体を損壊するなどしたとして逮捕された無職田村瑠奈容疑者(29)と男性が5月下旬、ススキノのダンスクラブで会い、当日中にトラブルになっていたとみられることが4日、捜査関係者への取材で分かった。
田村修の自宅は札幌市厚別区厚別南2丁目の3階建の住宅
田村修の自宅は札幌市厚別区厚別南2丁目と報道されています。この自宅には嫁の田村浩子と娘の田村瑠奈も同居しています。
札幌市の繁華街・すすきののホテルの一室で2日、頭部を切断された北海道内の男性(62)の遺体が見つかった事件で、道警は24日、いずれも札幌市厚別区厚別南2丁目、職業不詳の田村瑠奈容疑者(29)、父親で医師の修容疑者(59)を死体損壊、死体領得、死体遺棄の疑いで逮捕し、発表した。
田村修の自宅の映像はニュース報道などでモザイクなしで放送されており、その外観をヒントにしてストリートビューなどで既に正確な住所も特定されています。市街地にあり、近隣の迷惑もあるのでここでは田村修の自宅住所の掲載は差し控えます。
なお、浦仁志さんの切断された頭部はこの自宅の2階の浴室で発見されています。自宅には浴室は1つかなく、田村修と嫁の田村浩子、娘の田村瑠奈の3人が、頭部が発見されるまでの3週間の間、浦仁志さんの頭部遺体を自宅に置きながら生活していた事についても「怖すぎる」、「不気味」、「家族全員サイコパスなのでは」などと話題になりました。
田村修の現在~嫁・田村浩子の裁判で動機や親子関係について語る
出典:https://news.yahoo.co.jp/
田村修の娘・田村瑠奈はクラブで知り合った浦仁志さんとトラブルになった末に、後日ラブホテルで浦仁志さんを殺害しました。
その首を切断し、頭部を自宅に持ち帰り、皮膚を剥ぐなどして損壊。損壊した人体の一部を「作品」などとしてその様子を田村修に撮影させていたことも判明しています。
被害者である浦仁志さんは、女装をしてディスコやクラブなどに来店しては女性を物色して、ホテルなどに連れ込んで肉体関係を持つ事を繰り返していたとされ、その悪質な手口により複数の店舗を出入り禁止にされていた事なども報じられています。
田村修と田村瑠奈、嫁の田村浩子は約半年間の鑑定留置の後、2024年3月6日に田村瑠奈が「殺人・死体損壊などの罪」、田村修が「殺人ほう助・死体損壊ほう助などの罪」、田村浩子が「死体遺棄ほう助などの罪」で起訴されました。
起訴状などによると、瑠奈被告は『実行役』とされていて、ホテルの浴室で背後から刃物で男性を刺し、殺害。「のこぎり」などの複数の刃物で首を切断して頭部を持ち去り、持ち去った頭部を損壊したとされています。また、父・修被告は犯行に使用した「のこぎり」などを購入し、瑠奈被告に提供。事件当日、瑠奈被告をホテル付近まで送迎。瑠奈被告が自宅に持ち帰った頭部を損壊する様子を、ビデオで撮影したなどとされています。
3名のうち田村修の嫁・田村浩子から裁判が始まり、2024年6月4日に初公判が行われました。
田村浩子は、田村瑠奈が持ち帰った被害者の頭部を自宅に隠すのを容認し、田村瑠奈に求められるまま夫である田村修に頭部を損壊する様子をビデオカメラで撮影することを依頼したとして死体遺棄ほう助・死体損壊ほう助の罪で起訴されていましたが、田村浩子は起訴内容を否認し、無罪を主張しました。
2024年6月の母・浩子被告の初公判で、『死体遺棄ほう助』の罪について、検察側は「娘・瑠奈被告が死体の頭部を隠していることを知った上で、これを容認し、生活を続けた」と主張。一方の弁護側は、「頭部を認識したのは、娘・瑠奈被告が自宅に持ち込んだ後。移動も、容認する発言もなし」と主張。 また、『死体損壊ほう助』の罪について、検察側は「娘・瑠奈被告の計画を容認した上で、父・修被告に娘・瑠奈被告の求めを伝え、ビデオ撮影を依頼」と主張。一方の弁護側は、「娘・瑠奈被告の計画の認識はなし。父・修被告に対しても、損壊が行われることを伝えて撮影を依頼したことはない」と主張。
また、公判では田村瑠奈が2023年5月にすすきののクラブの閉店イベントで知り合った浦仁志さんと意気投合しホテルで性行為に及んだものの、この際避妊せずに行為をされたことに怒りを覚え、7月に再会し殺害したことが明らかにされています。
さらに、田村瑠奈が家族の中で“圧倒的上位者”で両親の事を奴隷のように扱い、父親である田村修を「ドライバーさん」と呼んでいた事なども明らかになりました。
田村修と田村浩子は田村瑠奈の事を「お嬢さん」と呼び、常に娘の機嫌を取り敬語を使って話すなど異様な親子関係であったようです。
2024年7月1日に行われた田村浩子の裁判には、弁護側の証人として田村修が出廷し、遺族に対し「取り返しのつかない大変なことになり、本当に申し訳ない思いです」と謝罪の言葉を述べました。
田村修によると田村瑠奈は18歳の頃から、複数の人格が入り込んでいるという「ゾンビ妄想」が出始め、この頃から普通の親子関係が築けなくなっていたようです。
「修被告によると瑠奈被告が18歳のころから『ゾンビ妄想』が出始め、『田村瑠奈は死んだ』などと言うようになったそうです。そして瑠奈被告は『自分は瑠奈ではない、シンシア』などと言っていた。両親は娘を『瑠奈』と呼べなくなり、普通の親と子として振る舞うことが難しくなったことを明かしていました」(傍聴した記者)
引用:《ススキノ首切り事件》【独占告白】田村修被告の父親が漏らした“懺悔”の中身「生きている限り、関わり続けることになる」(週刊現代)
また、田村浩子の初公判で、田村瑠奈は両親を奴隷のように扱っていたとされていましたが、田村修は「娘の心がこれ以上壊れないようにどうすべきかを考えて行動していた。娘に支配されていたわけではない」と説明しました。
事件については、現場から田村瑠奈を車に乗せて家に帰った後に田村瑠奈の「首拾った」との発言で初めて知ったといい、警察に通報しなかったことについては、「私の手で警察に突き出すのは、娘を裏切ることになる気がしてできなかった」「娘がもっと壊れてしまう、追い詰めたくなかった」などと述べました。
田村瑠奈がなぜ浦仁志さんを殺害したのか、遺体を切断したと思うかと問われた際には、「わからない」と繰り返していたとのことです。
(弁護人)「頭部を切断したと具体的に聞いたことはあるか?」
(田村修被告)「ありません。7月2日の夕方、報道に出た。この事件を娘が起こしたと、その時点でつながった」
なぜ警察に通報しなかったのかと問われるとー
(田村修被告)「警察に突き出したら、娘がいまでも苦しんでいるのにもっと壊れてしまう。追い詰めたくない」
まとめ
今回は2023年7月に起きたススキノ頭部切断遺体事件で逮捕された精神科医師の田村修についてまとめてみました。
田村修はオホーツク総合振興局管内の紋別郡遠軽町の出身で、実家は現在は旭川市内とみられています。
田村修の実家の家族については、元教師で町内会長を長年務め地元で信頼されている父親と、事件から見て10年以上前に亡くなった母親の存在が明らかにされています。
田村修の出身高校については不明ですが、中学時代から優秀だったという証言があるため偏差値の高い高校に通っていた可能性が高いとみられています。
出身大学については「旭川医科大学」で、大学卒業後は勤医協中央病院での研修を経て、県立千葉県精神科医療センターで専門研修を修了。その後の医師としての経歴は勤医協札幌丘珠病院精神科の科長、2008年から勤医協中央病院精神科(リエゾン科)の科長というものです。事件当時も勤医協中央病院精神科長の役職を務めていました。
田村修の結婚した嫁の田村浩子と娘の田村瑠奈もススキノ頭部切断遺体事件で逮捕されており、家族ぐるみでの犯行だとみられ世間の注目を集めました。
田村修の自宅は札幌市厚別区厚別南2丁目の住宅で、嫁の田村浩子と子供の田村瑠奈と3人で住んでいました。
田村修は田村瑠奈が被害者を殺害し遺体の一部を持ち帰った後に事件を知ったと証言しており、「ゾンビ妄想」を抱える田村瑠奈がこれ以上壊れてしまうことを恐れ警察に通報できなかったと語っています。今後、田村瑠奈が裁判で語る内容にも注目が集まっています。