武本康弘さんは「らき☆すた」などの監督として知られるアニメーターです。京都アニメーションに所属し活動していましたが、2019年7月の京アニ放火事件に巻き込まれ亡くなりました。
ここでは武本康弘さんの経歴や作品、結婚した嫁と子供など家族情報についてまとめています。
この記事の目次
【京アニ】武本康弘監督のプロフィール
名前:武本康弘(たけもとやすひろ)
出身地:兵庫県
生年月日:1972年4月5日
没年月日:2019年7月
出身高校:兵庫県立赤穂高等学校卒業
最終学歴:代々木アニメーション学院大阪校アニメーター科
所属会社:京都アニメーション
肩書き:京都アニメーション取締役
武本康弘監督の経歴〜代表作品は大ヒット漫画「らき☆すた」
武本康弘監督の代表作品① らき☆すた
美水かがみさん原作の4コマ漫画「らき☆すた」、人気に火がつき聖地巡礼などのブームを起こしました。2007年のテレビアニメ化では、京アニの武本康弘さんが第5話から第24話やOVAの監督を担当しています。エピソードによっては、絵コンテや演出なども兼任。
武本康弘監督の代表作品② フルメンタル・パニック
賀東招二原作の小説「フルメンタル・パニック」。武本さんは同シリーズにおける「フルメタル・パニック? ふもっふ」(2003年)と「フルメタル・パニック! The Second Raid」(2005年)で監督等を担当しました。
武本康弘監督の代表作品③ 氷菓
米澤穂信原作の推理小説「氷菓」が2012年にアニメ化。その監督等を勤めたのが、京アニの武本康弘さんでした。彼は同作中のキャラクター折木奉太郎が、自身の手がけた作品のなかでもお気に入りのキャラクターだそうです。
武本康弘監督の代表作品④ 涼宮ハルヒの消失
谷川流原作の「涼宮ハルヒ」シリーズの映画作品(2010年公開)。本作で武本康弘さんは監督をつとめました。なおテレビシリーズの「涼宮ハルヒの憂鬱」(2006年版)は絵コンテ・演出として、2009年版では団長補佐(石原立也総監督、武本監督)として参画。
武本康弘監督の代表作品⑤ 甘城ブリリアントパーク
賀東招二原作の「甘城ブリリアントパーク」。2014年にアニメ化され武本さんは監督を担当。エピソードによっては脚本・絵コンテ・演出も兼任。
原作者との信頼関係があることから、(武本さんが)シナリオを大幅に変えている部分もあり、それにはファンから賛否があったそう。
武本康弘監督の代表作品⑥ 小林さんちのメイドラゴン
クール教信者原作の漫画「小林さんちのメイドラゴン」。2017年にアニメ化され、武本康弘さんは監督をつとめました。
武本康弘監督の代表作品⑦ ハイ☆スピード!-Free! Starting Days-
おおじこうじ原作の「free!」シリーズ映画化作品。武本さんは同作の劇場版第1弾の「ハイ☆スピード!-Free! Starting Days-」の監督を担当しました。
以上、武本康弘さんの代表的な作品をご紹介しました。主に監督をつとめた作品のご紹介となりましたが、そのほかにも多くのアニメ作品に原画・演出・絵コンテなどとして参加しています。
武本康弘監督の結婚した嫁と子供について
家族がいた武本康弘さん
武本康弘さんには家族がいました。一部報道によると、奥さんと子供(娘)がいたようですが、これ以上の詳細は確認できていません。
奥さんは武本さんと同い年ぐらいで、子供は7,8歳ぐらいだったと見られています。
武本康弘監督が京都アニメーション放火事件で死亡
京都アニメーション放火事件の概要
京都アニメーション放火事件
事件発生日:2019年7月18日 午前10時半頃
事件発生場所:京都アニメーション第1スタジオ(京都府京都市伏見区桃山町因幡15-1)
死傷者:35名死亡(2019年7月現在)、重軽傷者30名以上
放火犯人:青葉信司
事件概要:犯人である青葉が京都アニメーション第1スタジオの玄関に侵入直後、「死ね」と叫びながらバケツで持参したガソリンをまきライターで着火。直後に火災や爆発が生じ建物内にあっというまに充満しました。
京アニ関係者(社長や逃げ延びた社員等)からは「鉄板が焼けるほどで、放火から数秒で高い熱量に達した」、「建物内は真っ黒な煙が充満、熱風もあり窓から逃げるのが難しかった」、「衝撃音が響きわたり、防犯ベルが作動。数十秒後には螺旋階段から煙があっという間に充満」などという証言がでています。
放火事件では35名が死亡し、多くの重軽傷者を出しました。死亡した人たちの死因の多くは焼死で、一酸化中毒死や窒息死などで亡くなった人たちもいます。生き残った人たちのなかにも重症9名を含む、30名以上の負傷者を出しました。
この京アニ放火事件は、「平成期以降最多の死者数となった放火事件」となりました。
武本康弘監督、事件直後から消息が不明となる
安否が心配された武本さん…。
事件発生後から消息不明となっていた武本康弘さん。武本さんの父親の話がニュースで報じられました。
武本さんの父親は「ニュースで京都アニメーションが火事だと知って、心配していましたが、最近は出張も多かったので、現場にいなかったらいいなと思っていました。しかし、息子の妻から『いくら携帯電話に連絡してもつながらない』と聞き、絶望的な気持ちになりました」と話していました。武本さんは新しい映画作品ができるたびに、必ず両親へ2枚分の招待券を送っていたということです。
父親は「招待券を送ってくれた映画はすべて見に行きました。優しい性格の息子です。私にとってはできすぎた息子です」と話していました。
警察から連絡待ちなんだけど、ほぼ駄目だろうと思っている。孫がね…「お父さんまだ帰らんの」って…これがつらいですよ。青葉容疑者を憎むとかなんとかいうよりね、元に戻ってほしい。もうそればっかりでね。
京アニ放火事件の被害者は、痛ましいことですが、遺体の損傷が激しく身元特定まで時間がかかったようです。
また京アニからも”弔いが終わるまでは氏名公表しない”とし、実名報道もメディアに自粛するよう要請。しかし、その後武本さんに関する続報が報じられました。
2019年7月26日に武本康弘監督の死亡が報じられる
安否不明となっていた武本康弘さんの死亡が判明しました。
京都アニメーションのスタジオ(京都市)で起きた放火殺人事件で、同社取締役で「京アニ」作品の人気をけん引してきた監督の一人、武本康弘さん(47)の死亡が確認されたことが26日、親族への取材で分かった。既に警察から遺体を引き取ったという。
武本康弘さんは経歴を見ても京アニのみならず、日本アニメ界を代表する人材であったことがわかります。
まだ47歳だったことを考えれば、これからも多くの素晴らしい作品を生み出していたことも、想像に難くありません。
自身が手掛けるアニメについて「僕がキャラクターを作るのではなく、実際に生きている人の生活にカメラを入れさせてもらい、撮影するイメージで作品作りに取り組んでいる」と話し、今後の目標について「キャラクターが輝く瞬間を逃さず、撮り続けたい」と語っていた。京アニが29年にイベントに合わせ発刊した書籍の対談記事では、監督として社内外の人と関わることについて「意気投合する人に出会えると、その出会いはすごくうれしくて貴重だなと思います」と仕事のやりがいを語っていた。自身は人付き合いが苦手だとしつつ、監督とは「旗を振る人」だと表現していた。
【京アニ】武本康弘監督についてまとめると…
・武本康弘監督には嫁と小学校低学年の娘がいた
・武本康弘監督は京都アニメーション放火事件で安否不明となり、事件の8日後に死亡が発表された
日本アニメ界で大きな役割を果たしてきた京都アニメーション。武本さんはそのなかでも「らき☆すた」などの数々の有名作品を世に送りだしてきた有能なアニメーターでした。
あまりに理不尽な京アニ放火事件、こんなことが起きない世界であってほしいです。被害者の方のご冥福をお祈りします。