テレビショッピングで有名なジャパネットたかたの元社長・高田明さんですが、総資産や自宅がすごいと話題です。
今回は高田明さんの学歴や経歴、若い頃の画像、結婚した嫁や子供(息子・娘)、自宅や資産、現在の活動をまとめました。
この記事の目次
高田明はジャパネットたかたの創業者
高田明
生年月日:1948年11月3日
出身地:長崎県平戸市
身長:178cm
所属:株式会社A and Live(エーアンドライブ)
職業:元ジャパネットたかたの社長、元V・ファーレン長崎代表取締役社長
高田明さんはジャパネットたかたの創業者であり、元社長です。
ジャパネットたかたはカメラやテレビなどの家電製品をテレビショッピングで販売し、業績を伸ばしてきた会社です。
そして、社長の高田明さん自らテレビショッピング番組にMCとして出演し、人気を集めました。
あの甲高い声と独特のイントネーションは視聴者の耳に残るものでしたし、「金利はジャパネットたかたが負担」など、視聴者のニーズをつかんだ戦略で、業績は右肩上がり。
高田明さんは「ジャパネットたかたの名物社長」として有名になりました。
高田明の生い立ち
出典:twitter.com
高田明さんは長崎県平戸市で生まれます。両親は「カメラのたかた」というカメラ販売店を経営していました。
・母親:高田和
・兄:高田謀
・高田明
・弟:高田武
・妹:高田美智代
両親に兄弟4人の6人家族で育ちました。
「カメラのたかた」は、高田明さんが子どもの頃は年商3000万円で、その後に高田明さんが手伝うようになってからは1億5000万円まで売上を伸ばしたそう。
それなりに裕福な家庭だったのかもしれませんね。
高田明の学歴
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高田明さんの学歴を確認していきましょう。
革新的な家電の販売方法を確立した高田明さんは、どのような学歴を持っているのでしょうか?
・中学校:平戸市立平戸中学校
・高校:長崎県立猶興館高校
・大学:大阪経済大学経済学部
高田明さんは長崎県平戸市で生まれ育ち、高校の猶興館高校も平戸市にある高校ですから、高校までは地元にある公立の学校で学んでいたということになります。
高田明さんの時代の偏差値は正確にはわかりませんが、現在の猶興館高校の偏差値は49~54ですので、高校までは学力的にはごく平均的だったということですね。
高校卒業後は大阪に行き、大阪経済大学経済学部に進学しました。大阪経済大学の偏差値は50前後ですので、やっぱり学力的には平均的と言えるでしょう。
しかし、高田明さんが普通の人と違ったところは、大学時代は英語の勉強に力を入れていたことです。
ESS(英語研究会)に所属し、英語の勉強に明け暮れていたそうです。
高田明の経歴
高田明さんの経歴を見ていきましょう。大学卒業後に、ジャパネットたかたの有名社長になるまでは、決して順風満帆だったというわけではありません。
どのような経歴を歩んで、名物社長になったのかを説明していきます。
阪村機械製作所のサラリーマン
大阪経済大学を卒業後は、京都にある産業用機械メーカーの阪村機械製作所に1971年に入社しました。
その会社は大学在学中からアルバイトをしていて、叔父が貿易部の部長だったこともあり、就職活動もせずにそのまま入社しています。
大学時代に英語の勉強をしていたために、貿易部に配属になり、英文契約書の翻訳や海外からの訪問客の応対などの仕事をしていました。
そして入社2年目の1972年、西ドイツ・デュッセルドルフに8ヶ月赴任することになりました。
その経験を活かし、翻訳会社を設立しようとしますが失敗。実家の長崎県平戸市に戻ることになりました。
株式会社たかた設立
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実家の平戸市に戻った高田明さんは、実家の「カメラのたかた」を手伝うことになります。
ちょうど本土と平戸をつなぐ平戸大橋が完成し、平戸は観光客がたくさん押し寄せていました。
当時の旅行は団体旅行が主流だったため、夜の宴会場に行って、お客さんたちの写真を撮り、翌朝に現像して販売するという仕事をして、業績を一気に伸ばしていきます。
好調な業績から、高田明さんが30歳の時の1978年、佐世保に「カメラのたかた」の支店を出店し、そこの経営を任されることになりました。
店舗兼自宅の2階に住んでいて、寝る間もないほど働いていたとのことです。
そして、1986年には「株式会社たかた」を設立して、独立します。
独立後は写真の即日現像を売りに業績を伸ばし、さらにカメラ・ビデオカメラの販売やカラオケセットの販売などを行うようになりました。
テレビショッピング開始
そして、高田明さんの転機となったのは1990年のことです。
知人の紹介で、長崎放送のラジオショッピング番組に高田明さんが出演し、コンパクトカメラを販売したら、なんと5分の放送で50台のカメラが売れたとのことです。
これがきっかけで、高田明さんは通信販売や店舗を持たずに販売する方法に目をつけます。
1994年に長崎放送で初めてテレビショッピング番組を放送し、2001年には生放送で放送するようになりました。
1999年には「たかた」から「ジャパネットたかた」に社名を変更しています。
ジャパネットたかたと高田明さんのテレビショッピングの特徴には、次のようなものがありました。
・アグレッシブな売り込みで一気にまくしたてる
・自社ビル内にスタジオがあり、制作や編集はすべてジャパネットたかたの社員が行う
・コールセンターや物流センターも自前である
・2001年以降は生放送で行っている
・商品には付加価値(おまけ)をつける
・セッティングなど中高年に優しいサービスあり
・金利手数料はジャパネットたかたが負担する
主に中高年をターゲットにしていて、「パソコンのセッティング」や「訪問サービス」などを中高年のニーズに合わせたサービスを行っています。
金利手数料はジャパネットたかたが毎回負担しますが、この金利手数料は実は数十億円にものぼるそうです。
それでもジャパネットたかたは業績を伸ばし、2018年には売り上げが1930億円に達しました。
ちなみに、生放送をするようになって以降、放送途中に携帯電話が鳴って高田明さんが電話に出たり、台本と違う展開になって尻切れトンボで終わったりと多々ハプニングもあったそうです。
V・ファーレン長崎の社長
高田明さんは2015年にジャパネットたかたの社長を退任しています。ただし、2016年まではテレビショッピングに出演することはありました。
その後、ジャパネットたかたがスポンサーを務めていたJリーグのクラブのV・ファーレン長崎の代表取締役社長に就任しました。そして同年、V・ファーレン長崎はJ1昇格を決めています。
高田明さんは社長としてクラブの赤字解消に取り組むだけでなく、クラブのPRイベントや街頭PRにも積極的に参加しています。
高田明の若い頃の画像を紹介
高田明さんの若い頃の画像を見ていきましょう。
1枚目はおそらく、西ドイツのデュッセルドルフに海外赴任していた頃の写真です。
こちらは、平戸に戻って「カメラのたかた」を手伝ったり、佐世保で支店を開いたりしていたころの写真です。
この若い頃の写真を見るとよくわかりますが、高田明さんはかなりスタイルが良いですよね。
178cmの長身で、スラッとしたスタイルで、足も長いですし、顔も小さいです。この長身・スタイルなら、西ドイツに行ってもドイツ人に引けを取らなかったはずです。
しかも、目鼻立ちがハッキリしているので、なかなかのイケメンですよね。
高田明さんというと、あの声とイントネーションばかりが注目される「おもしろ社長」ですが、実はイケメンのスタイルが良い社長なんです。
高田明が結婚した嫁は副社長
出典:twitter.com
高田明さんが結婚した嫁は恵子さんです。
高田明さんと恵子さんは、高田明さんが父親の「カメラのたかた」を手伝っているころに出会いました。高田明さんの一目ぼれだったそうです。
高田明さんと嫁の恵子さんは結婚後、二人三脚で「カメラのたかた」や「株式会社たかた」を切り盛りしていきます。
カメラのたかたでは朝早く写真を取りに来るお客さんもいたため、朝6時ごろから、お店に立っていたとのことです。
その後、恵子さんは株式会社たかたとジャパネットたかたで副社長を務めています。
高田明の子供は息子が1人・娘が2人
高田明さんには3人の子供がいます。
・長男:高田旭人
・次女:高田麻衣子
この3人の子供について詳しく見ていきます。
長女は高田春奈
高田明の長女は高田春奈さんです。
1977年生まれの高田春奈さんは、国際基督教大学(ICU)を卒業後、ソニーに入社します。
これだけでもすでにすごいですが、それからの経歴もさらにすごいんです。
・2010年:エスプリングホールディングスを設立し、代表取締役に就任
・2015年:ジャパネットメディアクリエーション代表取締役社長に就任
・2018年:V・ファーレン長崎上席執行役員
・2020年:V・ファーレン長崎代表取締役社長に就任
高田明さんの長女だから、実力ではなくコネではないか?と思うかもしれませんが、そんなことはありません。
そもそも、コネだけでICUに入れませんし、ソニーにも入社は難しいでしょう。
また、高田春奈さんがソニーに入社したのは1996年で、そのころはジャパネットたかたはまだそこまで有名ではありませんから。
さらに、高田春奈さんは2015年に東京大学教育学部を卒業し、東京大学大学院教育学研究科博士課程にも進学しています。
大人になってからもう一度学び直す、しかも東大に入学し、大学院にも進学しているというのは、相当優秀な方ですし、努力家であることがわかります。
長男は高田旭人
出典:diamond.jp
高田明さんの長男は高田旭人さんです。
高田旭人さんは長崎県佐世保市で育ちましたが、中学からは福岡県久留米市の久留米大学附設中学校・高校に進学しました。親元を離れて、中学からは寮生活を送っています。
そして1浪した後に、東京大学理科二類に合格し、教養学部に進んで卒業。卒業後は野村証券に入社しています。
完全なエリートですね。東大への進学はコネではできませんから、完全な実力と言えるでしょう。
その後、アメリカ留学をして、2003年にジャパネットたかたに入社しました。
・商品開発推進本部長
・総合顧客本部長兼商品管理部長
これらの役職を歴任し、2010年にはジャパネットコミュニケーションズの代表取締役社長に就任しました。
2012年は、ジャパネット高田代表取締役副社長とジャパネットコミュニケーションズ取締役を兼任します。
そして、父親の高田明さんの社長退任に伴い、2015年1月にジャパネットたかたの社長に就任しました。
しかし、父親のようにテレビショッピングには出演しない方針を貫いています。
次女は高田麻衣子
高田明さんの次女は、高田麻衣子さんです。
長女の高田春奈さん、長男の高田旭人さんが父親の事業を継いで、表舞台に出てきているのに対し、高田麻衣子さんは表舞台に出てきていません。
それどころか、どんな学校に行って、どんな経歴なのか?まったく情報が出ていないのです。
おそらく、ジャパネットたかたとはまったく関係のない仕事をしていたり、すでに結婚して家庭に入っているのでしょう。
出典:twitter.com
かろうじて、子供の頃の写真は公開されていますが、それ以外の情報はありません。
高田明の自宅がすごいと話題に
ジャパネットたかたの元社長である高田明さんは、ジャパネットたかたが全国区になっても、長崎県佐世保市に住み続けています。
そのため、自宅は長崎県佐世保市にあります。
どんなに会社が大きくなっても、どんなに有名になっても、佐世保を離れようと思ったことは一度もないそうです。
そして、その佐世保市にある高田明さんの自宅がすごいんです。こちら、衛星写真で上空から撮った高田明さんの自宅です。
自宅というよりも、施設といった大きさですね。
自社ビルは佐世保市内の別の場所にありますので、自宅兼会社というわけではないようです。もちろん、多少はオフィスを兼ねている部分はあるかもしれませんが。
そして、以前にテレビに出演した時に、自宅内が公開されました。
玄関だけで「豪邸」とわかる自宅です。
むしろ、「玄関に住める」広さと言えますよね。さすが、ジャパネットたかた創業者です。
平戸市の小さなカメラ店で生まれた高田明さんがこれだけの自宅を持つようになるなんて、夢がありますよね。
高田明の総資産は?
ジャパネットたかたは2010年、過去最高売上の1789億円を叩き出しましたが、地デジ移行が終了し、主力商品であるテレビの売上が落ちて、2011年・2012年は2年連続で売上が減少。
しかし、それから高田明さんの手腕で業績は改善され、2018年には1930億円を売り上げています。
そんなジャパネットたかたの社長だった高田明さんの資産が気になりますよね。
2012年の時点で600億円と発表されました。2012年で600億円ですから、現在はもっと増えているはずです。
ただ、2015年には社長を退任し、2017年からはJリーグのV・ファーレン長崎の社長に就任していますが、V・ファーレン長崎の給料は微々たるものだったようです。
スタジオパートにも出演した高田社長は今の給料を尋ねられると「20代後半の方のサラリーマンのお給料ぐらいかな」と静かに回答。
20代後半のサラリーマンというと、年収400~500万円程度でしょうか。
高田明さんくらいになると、いろいろ付き合いや寄付などもあるでしょうから、完全に赤字だと思います。
ということは、そこまで資産がたっぷり増えているわけではないでしょうから、現在の資産も600億円前後ではないでしょうか。
高田明の現在
高田明さんはV・ファーレン長崎の社長を2020年に退任し、長女の高田春奈さんに引き継いでいます。
その後は、「サッカー夢大使」としてクラブの支援に関わったり、テレビのビジネス番組に出演したりしています。
また、講演活動も精力的に行っています。2017年には年間120回もの講演を行ったとのこと。
潔く、息子・娘世代に事業を引き継いで、自分は悠々自適にやりたい事業・やりたいことをやっていくのでしょう。
将来的な夢は「国際的なショッピングモールを作ること」と語ったこともありますので、もしかしたら、今後そのためのプロジェクトを立ち上げるかもしれません!
高田明のまとめ
高田明さんのプロフィールや学歴・経歴と嫁・子供(息子・娘)の情報、自宅や資産、現在の活動をまとめました。
高田明さんはビジネスの才能を持っていたのはもちろんですが、あの声とあのMCとしてのスキルがあったからこそ、これだけの成功をおさめたのでしょう。
そして、子供たちも優秀というのが本当にすごいですよね。
おそらく、今後もジャパネットたかたは躍進を続けていくはずです。