フジファブリックのボーカル志村正彦さんは29歳の若さでこの世を去りましたが、死因が注目を集めています。
今回は志村正彦さんの生い立ちや実家と家族、彼女が椎名林檎さんの噂、死因「病名不詳」はなぜなのかその真相などについてまとめました。
この記事の目次
フジファブリック・志村正彦のプロフィールと生い立ち
志村正彦(しむら まさひこ)
生年月日:1980年7月10日
没年月日:2009年12月24日
出身:山梨県富士吉田市
志村正彦、奥田民生に憧れ音楽の道へ
小学生の頃から野球に励みましたが、中学生の頃に奥田民生さんのライブを観たことで音楽の道を志すようになります。
高校は進学校に通っていたにもかかわらず、勉強そっちのけで、奥田民生さんはじめリスペクトするアーティストの音楽を聴き続けていたと言います。
そして高校の頃にコピーバンドを結成し本格的な本格的な音楽活動を開始。
2000年に「フジファブリック」を結成し、インディーズとしてライブハウスなどで歌っていました。
ちなみに、ライブハウスの先輩には氣志團がいたそうで、氣志團の代表曲「One night carnival」のインディーズ版CDで志村さんはコーラスに参加したそうです。
フジファブリックの代表曲は「若者のすべて」
フジファブリックの楽曲のほとんどにおいて作詞・作曲を担当し、2004年に「桜の季節」でメジャーデビューを果たすと、その後数々の作品を世に送り出しました。
また、PUFFYや藤井フミヤさんに楽曲提供も行っており、独特の感性で描かれた歌詞や少し切なさを感じさせるメロディは若者を中心に支持されていきました。
フジファブリック10枚目のシングル「若者のすべて」は代表曲として知られ、多くのアーティストがカバーしています。
そのため、志村正彦さんが死去した後で違うアーティストがカバーするのを聞いてこの楽曲を知ったという人も多いですが、若者の心情を表し、切なさのあるメロディーにあった抑揚のない歌声は志村さんならではと言えます。
フジファブリック・志村正彦は天才…奥田民生も「才能の塊」と評価
志村正彦さんは奥田民生さんのライブを観て音楽の道を志したそうで、彼がこれまで手がけてきた楽曲の多くは奥田民生さんの影響を色濃く受けていると言われています。
奥田民生さんはそんな志村さんのことをとても可愛がっていたと言い、彼の才能について「すごい才能の塊でした」と語っています。
また同じライブハウス出身でフジファブリックの先輩にあたるのが氣志團のボーカル綾小路翔さんです。
綾小路さんもまた志村さんの才能を買っていた1人で、インディーズの頃に志村さんが音楽の道を諦めて実家へ帰ろうかと綾小路さんに相談したところ、綾小路さんは「だったらこの曲(茜色の夕日)をくれないか」と本気で懇願したと言います。
綾小路さんにとって志村さんは後輩ではありましたが、その才能にいち早く惚れ込み、綾小路さんの言葉を聞いて志村さんは実家へ帰るのを考え直したそうです。
この「茜色の夕日」という曲は、志村さん自身が実際に経験した失恋を元に作られた曲です。かなり初期の頃の作品ですが、世に出たのは2005年。
この曲に対する志村さんの思い入れはとても強く、「自分の衝動をそのまま歌詞に刻めたということにおいては、この曲に勝るものはないです」と語っています。
大好きだった彼女への想いを綴った歌詞であるにもかかわらず、「好き」「愛してる」という言葉は一切使われていません。
彼のリアルな心をそのまま歌詞にしたのが「茜色の夕日」であり、飾らない等身大の志村さんがこの曲から伝わってくるからこそ人々の胸を打つのでしょう。
奥田民生さんや様々な尊敬するアーティストの影響をうけつつも、志村さんはオリジナリティを追求するために、「日常の自分を、自分の歌詞にシンクロさせる」ことを心がけていたそうです。
自身の中に湧いてくる音楽をそのまま正直に形にする、それができる志村さんは多くのアーティストやファンから愛される、まさに「天才」だったと言えます。
フジファブリック・志村正彦の実家と家族情報
志村正彦、実家は山梨県富士吉田市でかつて個人商店を経営【閉店】
志村正彦さんは山梨県富士吉田市に生まれました。志村さんはライブの初めにはいつも、「山梨県富士吉田市から来ました!」と挨拶していたそうで、ファンの間では聖地として知られています。
そんな山梨県富士吉田市で、志村さんのご実家は「志村商店」という食料品や雑貨を売る個人商店を営んでいましたが、現在は閉店しています。
実家の志村商店跡
志村正彦の姉と妹は美人と有名だった
家族構成は父、母、姉、妹の5人家族で、姉と妹はとても綺麗な方だとファンの間では有名です。
なぜ家族のことをファンが知っているのかというと、志村さんが亡くなってから開催された「志村曾」にご家族も参加していたからだそうです。
また、富士吉田市の大正寺に志村さんのお墓があることで知られていて、命日になると今でもファンが手を合わせに向かいます。
花畑のように飾られた花、コーヒーやタバコ、CDなどが置かれ、家族は「正彦は今でもこんなに大勢の人に愛されているんだなぁ」と喜んでいたと言います。
しかし、そんなファンの行動がエスカレートして、志村家のお墓の管理までファンが行ったりしていたため、フジファブリック公式サイトで注意喚起がなされました。
現在はファンが志村さんに想いを綴ることができるようにと、大正寺にはメッセージノートが設置されています。
フジファブリック・志村正彦の彼女情報…椎名林檎との熱愛の噂はデマ?
志村正彦さんについて調べていくと、椎名林檎さんと深いつながりがあったことが分かります。
ネット上では志村さんの椎名さんが結婚していたなどという噂もありますが、ありえない嘘情報ですね。
ただ、2人はとても深い交流があり強い絆で結ばれていました。
フジファブリックのアルバム「FAB FOX」にはスペシャルサンクスとして椎名林檎さんの名前がありますし、志村さんが亡くなった年のCOUNTDOWN JAPANに出演した東京事変は椎名林檎さんはじめ全員が白黒の衣装に身を包み、志村さんへの追悼の意を示したと言われています。
また、志村さんが亡くなってすぐに出演したフェスでは「ありあまる富」という楽曲を披露した椎名林檎さんでしたが、この曲は「死んだらおしまいよ」という内容の曲だったことから歌うことがとても辛かったと言います。
深い絆があったからこそ、志村さんの突然の死を椎名林檎さんも受け入れるのには時間がかかったことでしょう。
ただ、椎名林檎さんとは男女の関係ではなかったようで、実際には志村さんは当時違う女性と交際していたそうです。
志村さんが亡くなる前日、志村さんは飲み会に行っていて彼女が志村さんを家まで送り届けたと言われています。
実際に彼女がどんな方だったのかということはわかりませんが、彼女がいたというのは事実のようです。突然の別れに彼女と大変な心痛だったでしょうね。
フジファブリック・志村正彦が29歳の若さで死去…死因や死の真相とは
志村正彦、2009年12月24日に急逝
人気ロックバンド・フジファブリックのボーカリストであった志村正彦さんは2009年12月24日、クリスマスイブに29歳という若さで急逝しました。
前日から連絡が取れなかったため、マネージャーが志村さんの自宅を訪れたところ、パソコンの前で亡くなっているのを発見したそうです。
翌25日には、公式ホームページにて志村さんの死がファンに向けて伝えられましたが、検査の結果、「病名不詳」とされました。
あまりに突然の死にファンは衝撃を受け、謎が多く残る死であったため余計にその死を受け入れられない状況でした。
死因が不明だったことからネットではその死の理由について様々な憶測が飛んだのです。
志村正彦の死因と死の真相① 致死性不整脈説
死因は不明とされた志村正彦さんの突然死ですが、実は生前から何か病気を患っていたのではないかと言われています。
元々、かなりストイックに楽曲制作に取り組んでいた志村さんは痩せた体系ではありましたが、亡くなる少し前にはもはやげっそりしていて、ファンの間では「なにか異常」な状態だったと噂になっていました。
なんの自覚症状もなく、ある日突然亡くなったことを考えると、癌などを患っていたとは考えづらいので、心疾患や脳血管疾患が考えられます。
生活リズムもバラバラで、多忙を極める中で睡眠も十分に取れてはいなかったことを考えると、可能性として高いのは、心室細動や寝室頻拍といった致死性不整脈などではないでしょうか。
応急処置をしなければいずれも死に至る可能性の高い不整脈で、過度のストレスなどが原因で起こると言われています。
またこれらの致死性不整脈は起こっている時に心電図をつけていれば発生したことが分かりますが、志村さんのように発見時にすでに心停止している場合には、発生したことを決定づけることは難しいそうです。
そのため致死性不整脈により亡くなった場合、多くは死因を特定することができない、もしくはある程度特定できたとしてもあくまで「疑い」となります。
そう考えると、志村さんの亡くなった原因が致死性不整脈だった可能性は十分に考えられます。
志村正彦の死因と死の真相② 自殺説
アーティストの突然死というのは、志村正彦さんだけにとどまりません。
ZARDの坂井泉水さん、尾崎豊さん、X JAPANのHIDEさんなど、アーティストが突然死し、その死因が明かされなかった場合、まず疑われるのは「自殺」です。
だからこそ、アーティストが突然亡くなりその理由が不明だと言われると、私たちの知らない何かを抱え、自殺してしまったと考えるのです。
志村正彦さんについても、自殺説は流れました。しかし、志村さんにおいては自殺という線はかなり薄いと考えられます。
仕事はとても順調でしたし、前日には飲み会にも参加していました。
また志村さんと特に親交の深かったロックバンド「TRICERATOPS」のボーカル&ギターの和田唱さんも、「今は彼に近かった人にいろいろな情報も聞けたので、これだけはハッキリ言えます。それはまったく自殺ではないってこと。」と、自殺説については完全に否定しています。
志村さんの近しい人たちは口を揃えて「自殺ではない」と証言していて、原因はわからないものの、自殺というのは当時の状況や志村さんの行動などから見ても考えにくいと言えます。
志村正彦の死因と死の真相③ 過労と栄養失調説
出典:https://iro-iro.shiro-eiyoushi.com/
志村さんの突然死の原因としてもう一つ考えられるのが、過労と栄養失調です。
志村さんは部屋に篭りきりで楽曲制作に励んでいて、毎日の睡眠時間は2時間ほどだったと言います。それに加えて、食事はコンビニ弁当とコーラ、そしてなんと主食は「ミンティア」だったそうです。
体調が悪くて体重は40kg台にまで落ち、お医者さんからは仕事を休まないと数年後に死んでしまうと言われたとも明かしていたので、過労と食事をしなかったことも死因のひとつでしょう。
フジファブリック・志村正彦についてまとめると…
・志村正彦は天才だったと評価されており、奥田民生も「才能の塊」とコメントしている
・志村正彦は椎名林檎と熱愛の噂があったが、当時は別の彼女がいたことも判明している
・志村正彦は2009年12月24日に29歳の若さで死因不明のまま亡くなった
・志村正彦は生前の主食はミンティアで、睡眠をとらず過労気味だったことが急死の原因になったと推測される
「若者のすべて」や「茜色の夕日」など今でも歌い継がれる名曲を世に送り出したフジファブリックの元ボーカリスト・志村正彦さんについてまとめました。
志村さんを亡くした今もフジファブリックは活躍を続け、ファンの心の中に、フジファブリックの歌の中に、志村正彦さんは生き続けています。