タレントや女優として活躍をした清水由貴子さんですが、母親の介護問題で芸能界を引退した後、2009年に49歳の若さで硫化水素自殺しています。
この記事では、清水由貴子さんの生い立ちや経歴、母親と妹など家族、結婚情報の他、自殺の背景と他殺説、そして母の現在についてまとめてみました。
この記事の目次
清水由貴子のプロフィール
清水由貴子(しみず ゆきこ)
生年月日:1959年9月7日
出身地:東京都
清水由貴子、女優やタレントとして活躍した人気芸能人だった
清水由貴子さんに関しては、オーディション番組「スター誕生!」経由で鳴り物入りのアイドル歌手デビューを果たしており、1stシングル「お元気ですか」もスマッシュヒットしています。
1976年2月18日(放映は同年3月14日)、NTVのオーディション番組『スター誕生!』の第16回決戦大会で、イルカのヒット曲『なごり雪』を歌唱。芸能プロダクション、レコード会社合わせて14社からスカウトのプラカードが上がる。同じこの決戦大会で合格し、後にピンク・レディーとなる根本美鶴代と増田恵子の二人組をおさえての最優秀賞(グランドチャンピオン)だった。
引用:清水由貴子
しかしながら、以降はヒット曲に恵まれずにアイドル活動が低迷していた清水さんは、同じレコード会社の先輩だった杉良太郎さんからのアドバイスに加えて、「スター誕生!」のMCだった萩本金一さんの誘いもありタレントに転身することになりました。
タレント転身後の清水由貴子さんは、1980年代から1990年代にかけて数々のテレビ番組に出演しており、代表作には「それは秘密です‼」や「欽ちゃんの週刊欽曜日」などが挙げられます。
その他、女優としても活躍していた清水由貴子さんは、「噺家カミサン繁盛記」や「幸福の明日」といったドラマに主演するなど、息の長い活躍が続いていたそうですね。
清水由貴子の生い立ちと経歴…母子家庭育ちの苦労人だった
清水由貴子、父親が早くに病死してしまい母子家庭で育った
清水由貴子さんは、8歳の時にマッチ工場の職人だった父親が病死してしまった上、母親が肝臓病や糖尿病を患っていたせいで働き出られなかった事情もあり、生活保護を受給して暮らす日々が続きました。
給食費の支払いすらも滞る極貧家庭に育つこととなった清水さんでしたが、小学時代に合奏部に入部したことをきっかけに音楽好きになるなど、貧しさに負けることもない前向きな少女だったと言われております。
中学時代は卓球部に所属して副部長を務めるほどの人望を集めていた清水さんですが、スポーツの才能はなかったそうで、区大会の3回戦で負けてしまう程度の腕前だったそうですね。
中学を卒業後の清水由貴子さんは、東京都立京橋商業高校に進学することになりますが、アルバイトをして念願だった中古のアコースティックギターを手に入れるなど、相変わらずの努力家でありました。
清水由貴子、1995年に念願の自宅を購入していた
高校在学中にアイドル歌手としてデビューを果たしている清水由貴子さんですが、「スター誕生!」に応募したきっかけについては、学内に一足先にオーディション番組に応募した生徒がいたことに触発されたそうですね。
その後は、とんとん拍子にアイドル歌手デビューが決まったという清水由貴子さんでしたが、1980年に母親が突然精神病を患ってしまうなど、私生活では不幸が続くことになりました。
そんな逆境にも負けることはなかった清水由貴子さんは、母親の入院費を負担した他、叔母に預けられていた7歳年下の妹・良子さんに生活費の仕送りを続けるなど、20歳の若さで一家の大黒柱として奮闘していました。
そんな清水由貴子さんは、1994年になると、東京・武蔵野市に総額1億円とも言われている戸建てを購入しており、母親や良子さんと一緒に家族水入らずの生活をスタートさせています。
清水由貴子の結婚情報…母親の介護問題もあり生涯独身だった
清水由貴子さんは、結婚歴などはなく、生涯独身を貫いた芸能人の1人となります。
清水由貴子さんが結婚をしなかった理由については、母親の介護問題があったようですね。
母親に関しては、前述の病歴の他にも清水由貴子さんがアイドル歌手デビューを果たした1977年頃には既に目が不自由な状態であったと言われております。
そのため、人一倍家族愛が強かった清水由貴子さんは、芸能活動の傍らに母親の介護を続ける毎日だったそうで、婚活に励む余裕もなかったとか。
清水由貴子は芸能界を引退していた…引退理由は介護疲れだった
清水由貴子さんは、2006年春に所属事務所の「芸映」との契約を打ち切り、独立をしていたそうですね。
とはいえ、当時の清水由貴子さんは既に母親の介護問題で疲れ切っていたそうで、「とてもお客さまの前にいい顔をお見せできない」と弱音を吐くほど追い込まれた精神状態でした。
そのため、清水由貴子さんにとっての独立は引退までの下準備だったそうで、以降は新規の仕事を引き受けることもなく、レギュラー出演していたローカル番組「ともちゃん家の5時」から降板をした2007年9月に芸能界を正式に引退しています。
清水由貴子は2009年に死去していた…死因は硫化水素自殺だった
清水由貴子、妹と一緒に母親の介護に当たるも介護うつになっていた
芸能界引退以降の清水由貴子さんに関しては、自宅の方で妹の良子さんと2人で母親の介護に当たっていたそうですね。
しかしながら、度重なる室内転倒事故のせいで母親が車イス生活になった上に、認知症まで発症して要介護5状態になってしまうなど、状況は悪化の一途を辿っていたとか。
そのため、デイサービスセンターなども利用していた清水由貴子さんでしたが、休日は良子さんと2人きりで24時間母親の世話をしなければならないなど負担は募る一方でした。
そんな中で精神的に追い詰められて介護うつ状態になってしまったという清水由貴子さんですが、親代わりであった良子さんの前では常に気丈に振舞っていたそうで、愚痴の1つもこぼさない状況だったとか。
清水由貴子、父親の墓の前で硫化水素自殺をしていた
清水由貴子さんは、2009年4月20日になると「父親の墓参りに行く」と妹・良子さんに言い残して、母親と一緒に外出しています。
この時の清水由貴子さんは、既に母親との無理心中を決意していたようで、良子さん宛に「これからの第2の人生、幸せに頑張って欲しい」といった内容の遺書まで残していました。
その後、静岡県内にある父親の墓前で硫化水素自殺を遂げている清水由貴子さんでしたが、母親を手にかけることは出来ずに無理心中は断念していたようです。
新聞各紙によると、由貴子さんは2009年4月21日午後1時20分ごろ、静岡県内の霊園にある父親の墓前で倒れているのが見つかり、死亡が確認された。顔を入れていたポリ袋から硫化水素が検出されたため、御殿場署が自殺とみて調べている。近くでは車いすの母親が一時意識を失っていたが、病院に運ばれて命に別状はないという。死亡推定時刻は、前日の午後5時ごろだった。
ちなみに、自殺騒動時80歳だった母親は2010年に亡くなったとの後日談もあるため、後1年踏みとどまることが出来ていたら清水由貴子さんにはまた別の人生もあったことになります。
清水由貴子…本当にかわいそうだった。晩年の彼女の苦しみ、自分も母親の認知で苦しんだから他人事ではない。彼女のレコード買うまでには至らなかったが、好きなシンガーだ。ただ、彼女のベストはスタ誕に初登場した時。ボーイッシュな飾らない風貌で歌った時、すごかった pic.twitter.com/Ibk6rjyeYS
— 村岡勇治 YujiMuraoka (@yujifav3) October 7, 2017
清水由貴子の死去その後① 葬儀と周囲の反応
清水由貴子さんの遺書に書かれていた「東京では葬儀をあげないで下さい」という本人の遺志通り、2009年4月24日に同県御殿場市で密葬が営まれ、相本久美子さん・角川博さん・櫻井淳子さん・黒部幸英さん・八波一起さんらが参列しました。
戒名は介護を続けた母への愛情に満ちた人生を意味する「慈孝由和清大姉(じこうゆうわせいだいし)」でした。
2009年4月25日に同所で葬儀・告別式が営まれ、親族や「欽ちゃんの週刊欽曜日」で共演した佐藤B作さんらも参列、当時弔問に訪れることができなかった萩本欽一さんからも供花が捧げられました。
清水由貴子さんの死は大きな衝撃を与え、テレビやスポーツ紙上で大きく取り上げられました。
3回共演するなど関係が深かった萩本欽一さんは当初ノーコメントでしたが、1週間後、亡くなる前年10月に20数年ぶりの手紙をもらっていたことを明かしました。萩本欽一さんは「最後に『これからも頑張るからね』と書いてあったけど、何かの叫びだったのかなぁ」と何もしてあげられなかったことを悔やみました。
清水由貴子さんと同期デビューで「フレッシュ三人娘」と呼ばれた親友の榊原郁恵さんは動揺が大きいためマスコミに対応が出来ず、高田みづえさんも連絡が取れませんでした。
清水由貴子の死去その後② 他殺説が流れるも完全なデマだった
家族愛や責任感の強さゆえに非業の自殺を遂げてしまった清水由貴子さんですが、死後にネット上で他殺説も流れているようですね。
※実際にあった集団ストーカー事件「タレント清水由貴子さんの自殺」…彼女はカルト宗教信者だった芸能事務所社長の入信勧誘をずっと断り続けていた。その後、組織的な監視・嫌がらせ被害が始まり、最後は謎の死を遂げた…。 https://t.co/smzygK72C0
— 緊急警告!!集団ストーカー犯罪撲滅BOT (@GSC_BOKUMETSU) September 26, 2020
清水由貴子さんの他殺説については、ネット上で流れている噂を要約すると、「創価学会の勧誘を断り続けた清水由貴子さんがやがて集団ストーカー被害にあうようになり、自殺に見せかけて殺された」というものです。
とはいえ、実際の清水さんがストーカー被害を警察や周囲に訴えていた事実もないうえ、妹・良子さんも後日に「介護うつ: お姉ちゃん、なんで死んじゃったの」との本を出版しているため、清水さんの他殺説に関しては、ネット上の都市伝説に過ぎない状況となります。
清水由貴子の死去その後③ 母親は現在死去している
清水由貴子さんの母親の現在が気になる人が多いそうですが、2010年9月17日に都内の病院で79歳で他界しています。
清水由貴子さんの母親の死因については、衰弱にて死去と報道されています。
悲しさがいっぱい 天国で会えますように「昨年4月、母親の介護疲れから硫化水素自殺したタレント、清水由貴子さんの母、咲子さんが死去したことが22日、分かった。関係者の話によると、咲子さんは今月に入り体の衰弱がひどくなり、17日に都内の病院で息を引き取った。」
— (@koichiro19) September 23, 2010
清水由貴子についてまとめてみると…
清水由貴子さんに関しては、母子家庭育ちで苦労に苦労を重ねた生い立ちであった分、人一倍家族愛が強かったため、最後は母親の介護問題に押しつぶされて自殺をしてしまった人物ということになります。
清水由貴子さんのご冥福を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。