名バイプレイヤーの志賀廣太郎さんですが、2019年大河ドラマ「いだてん」を緊急降板したことから、病気の噂が流れ始めていました。そして、2020年4月20日に死因「誤嚥性肺炎」で亡くなりました。
この記事では、志賀廣太郎さんの若い頃や嫁と子供など家族情報、そして激痩せした姿やガンなど重病説など現在までについて総まとめしました。
この記事の目次
志賀廣太郎のプロフィール
名前:志賀廣太郎(しが こうたろう)
生年月日:1948年8月31日
出身地:兵庫県(東京育ち)
身長:165cm
デビュー年:1990年頃
所属事務所:レトル
志賀廣太郎は日本の役者界に欠かせない名バイプレーヤー
志賀廣太郎さんといえば、日本の役者界きっての名バイプレイヤーとしてお馴染みです。
志賀さんの売れっ子ぶりは凄く、2016年には「とと姉ちゃん」など、9本のドラマに出演にしております。
志賀さんの代表作に関しては、2014年から2018年までに、3本の連ドラと1本のSPドラマが作られている「三匹のおっさん」シリーズの有村則夫役があります。
その他にも、2017年の大ヒットドラマである「陸王」では、「こはぜ屋」の専務・富島玄三を演じてみたり、何かと印象に残る脇役を演じさせてみれば随一の役者が志賀さんとなります。
志賀廣太郎の若い頃~20代で演劇修業のためにドイツに留学
志賀廣太郎、恩師の影響で役者の道へ
志賀廣太郎さんが俳優を目指したきっかけに関しては、意外なことに、周囲の環境に影響されて自然と演劇部の活動に没頭するようになったそうですね。
俳優になりたいと早くから一大決心をしたわけじゃないけど、たまたま幼稚園の園長先生や小学校の担任の先生が、表現や演劇に関わってる方だったんです。特に小学校の先生は、児童演劇協会にも所属されてて、ご自分で脚本を書かれてそれを生徒にやらせるという方でした。
後年知ったんですけど、民芸の俳優教室に通ったこともあるそうで、そういう影響もあって中学ですんなり演劇にはいって。中学でも顧問の方が、自分で書いている方でした。高校でも誘われるままに演劇を続けていました。
高校時代の志賀さんは、一般の大学に進学をしてから演劇を学ぶことも考えていたそうですが、高校3年時となる1966年になると、桐朋学園芸術短期大学に芸術科が設置され、演劇を学べることになるというニュースが飛び込んできました。
桐朋学園芸術短期大学の演劇専攻コースは、名門劇団「俳優座」の養成所を吸収して発足したものだったため、志賀さんは学校に通いながら名門劇団のレッスンを受けられる環境に魅力を感じて、同大学への進学を決意することになりました。
志賀廣太郎、大学卒業後もすぐに役者にならず
桐朋学園芸術短期大学芸術科に進学後の志賀廣太郎さんですが、大学の講義内容はかなり充実しており、能や狂言といった古典芸能から声楽まで学べるカリキュラムだったとか。
志賀さんは専攻科にまで進んだため、桐朋学園芸術短期大学の方には4年間通うこととなりましたが、卒業後の進路は意外なことに劇団に入ることもなく、そのまま聴講生やゼミの助手として大学に残り続けることになりました。
幼少期から演劇一筋の人生を歩んできた志賀さんが、大学を卒業後に俳優の道へ進まなかった理由に関しては、学生時代に劇団の手伝いをしている際に聞いた劇団員の愚痴から、役者業の大変さを思い知ったことが原因だったとか。
若き日の志賀さんはかなりのイケメンでしたので、そのまま役者の道に進んでも成功を収められたようにも思いますが、志賀さんは俳優志望の青年には珍しいリアリストだったのでしょうね。
志賀廉太郎、本場の舞台演劇を学ぶため単身ドイツへ
桐朋学園芸術短期大学を卒業後から2年後に、志賀廣太郎さんはドイツへ私費留学することを決意します。
志賀さんがドイツ留学を決意した理由に関しては、翻訳劇が多かった当時の日本演劇界の事情から、本場の舞台演劇を勉強したいという想いがあったようですね。
志賀は2年ほど大学に残った後、私費でドイツへ留学する。当時は翻訳劇の舞台が多く、役者は外国人を演じることになる。志賀は、ヨーロッパ原作の劇が現地でどう演じられているのか、興味を持ったのだという。
引用:単身、ドイツで演技修業
ドイツへ留学をした志賀さんは、現地の語学学校に通った後に、シュトゥットガルトにて体操の専門学校に通うことになりました。
わざわざドイツまで来た志賀さんが、演劇ではなく体操の専門学校に通ったことに対しては、「芝居の身体表現を向上させることに、体操を勉強することが必要なのではないか?」という考えがあったとか。
なぜ体操かというと、芝居の身体表現、つまり演技の基礎がそこにあるのではないかと考えたんです。
引用:単身、ドイツで演技修業
志賀廣太郎、ウィーンの日本人学校での勤務経験も!
シュトゥットガルトの体操専門学校に1年ほど通った後の志賀廣太郎さんですが、オーストリア・ウィーンに移動して、現地の日本人学校の国語教師をしていたとか。
悠々自適とした欧州ライフを送っているかに見えた志賀さんでしたが、1977年になると、当時交際していた女性と結婚するために、日本へ帰国することになりました。
日本へ帰国後の志賀さんに関しては、運良く母校・桐朋学園芸術短期大学の非常勤講師の職に採用されることとなり、1978年から現在まで演劇専攻の講師として働き続けています。
桐朋学園短期芸術大学の講師としての志賀さんの教え子には、女優の南果歩さんなどがいるそうですね。
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志賀廣太郎、40歳を前に役者を目指したきっかけとは
志賀廣太郎、「青年団」主宰・平田オリザとの出会い役者の道へ
中年となった志賀廣太郎さんが、一度は断念した役者の道を目指すきっかけとなったのは、劇団「青年団」の主宰・平田オリザさんとの出会いがきっかけとなりました。
○平田オリザの経歴
1962年東京生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。
1995年『東京ノート』で第39回岸田國士戯曲賞受賞。
1998年『月の岬』で第5回読売演劇大賞優秀演出家賞、最優秀作品賞受賞。
2002年『上野動物園再々々襲撃』(脚本・構成・演出)で第9回読売演劇大賞優秀作品賞受賞。
2002年『芸術立国論』(集英社新書)で、AICT評論家賞受賞。
2003年『その河をこえて、五月』(2002年日韓国民交流記念事業)で、第2回朝日舞台芸術賞グランプリ受賞。
2006年モンブラン国際文化賞受賞。
2011年フランス国文化省より芸術文化勲章シュヴァリエ受勲。
引用:平田オリザ
40歳を前にしたある時、講義の題材として平田さんの作品を使いたいと思った志賀さんは、知人を介して「青年団」の打ち上げに参加をしたそうです。
打ち上げの場において、講義での作品の利用の許可を求めたところ、平田さんはあっさりと承諾してくれたとか。
平田さんのフランクな対応にホッとした志賀さんでしたが、同時に「演じたこともない作品を学生に教えられるのだろうか?」という一抹の不安の不安を覚えたこともあり、酒の勢いを借りて「青年団」の公演に参加出来ないかと逆オファーをかけます。
そして、突然の申し出に対しても快くOKしてくれた平田さんのおかげで、志賀さんは1990年に久々の舞台に立つことになりました。
しかし同時に自分が演じていない台本を学生に教えられないという思いが生じ、酔った勢いで平田に「次の舞台に出たい」と言ったところ出演が決まり、1990年、41歳で『光の都』に出演。
引用:志賀廣太郎
志賀廣太郎、40代半ばで劇団「青年団」に入団
志賀廣太郎さんが「青年団」に正式入団したのは、1993年のことでした。
晴れて劇団員となった志賀さんでしたが、40代半ばで定職を失うという選択肢はなかったようで、桐朋学園芸術短期大学の講師の職はそのまま継続しました。
劇団員と大学講師の二刀流となった志賀さんは、「青年団」の方では、舞台設営作業から食事作りまでを積極的にこなす面倒見の良さを発揮します。
演劇方面の大学講師という肩書がありながらも、偉ぶらずに裏方仕事を積極的にこなす志賀さんの人柄は、当時20代の劇団員ばかりだった「青年団」でもすぐに受け入れられ、「志賀じい」や「志賀さん」と呼ばれて慕われたそうですね。
近年は、売れっ子俳優としてドラマや映画に大忙しな志賀さんですが、現在も「青年団」の方に所属しており、暇があると「青年団」の舞台公演に顔を出して、受付の手伝いをしたりしているとか。
志賀廣太郎、低音イケメンボイスは生まれつき
志賀廣太郎さんといえば、イケボ(イケメンボイス)で有名な俳優でもあります。
舞台挨拶とは関係ないけど志賀廣太郎さんの声ほんといいね
— くコ:彡(イカ) (@ossan9314) 2015年3月21日
ムロさんもこの間の電話出演のときとは違って聞き取りやすいいい声だったし、あーいうイケボ目指したい
声だけなら志賀廣太郎さんはイケボだと思う。
— 声優&キャラ誕生日 (@birthday_366a) 2017年4月21日
発声が綺麗で程よい低音で大塚明夫さんと言い勝負が出来ると思うのだけど。
志賀さんは桐朋短大で講義をしている。
志賀さんのイケボの秘密に関しては、大学時代に習った声楽の影響かと思いきや、実は生まれつきの美声だったようですね。
僕は自覚してなかったし、今もまだよくわかってはないんですけど、大学のとき、国語音声学の先生で柴田武先生という方がいらっしゃって。『新明解国語辞典』とかの辞書を編纂されてたり、方言の研究されてる方なんですけど。その方の授業で、最初にひとり一分くらいの自己紹介をしたときに、「君の声はいい声だから大事にしなさい」といわれて「えっ」と思いました。
俳優として成功を収める人間には、何かしら天賦の才能が備わっているというエピソードの1つなのかもしれませんね。
志賀廉太郎は独身~40代で離婚した嫁との間に子供はなし
志賀廣太郎、役者活動を始めた頃に嫁と離婚?
仕事面では演劇人としてこの上のないキャリアを送っているように見える志賀廣太郎さんですが、プライベートでは40代で離婚を経験しているそうですね。
結婚のために、わざわざ欧州から日本へ帰国をした志賀さんの経歴を踏まえると、愛の儚さを思い知る情報にもなりますが、離婚原因に関しては、志賀さん本人が特に言及していないため不明となっております。
40代は志賀さんが舞台役者として活動をし始めた時期でもあるため、タイミングを考えると、大学講師と舞台役者の二刀流となった志賀さんと前妻との間にすれ違いが生じて、離婚へと至ったのかも知れませんね。
志賀さんの子供に関しては、これまでにいるという情報がないため、おそらくはいないのではないかと思われます。
大学講師は名前の響きは良い職業となりますが、非常勤講師ともなると平均年収の相場は300万円となるため、家庭を持った場合は共働きが前提の職業となります。
そのため、志賀家でも夫婦共働きだったことは想像に容易く、子供を作るタイミングがなかったのかもしれませんね。
志賀廣太郎の現在① 激やせで病気の噂が流れていた
志賀廣太郎、体調不良を理由に大河ドラマ「いだてん」を降板
志賀廣太郎さんは2018年の4月に、大河ドラマ「いだてん」の春野先生役を体調不良により降板しています。
NHKは26日、2019年放送の大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」に出演する予定だった俳優・志賀廣太郎が、体調不良のため降板することを発表した。佐戸井けん太が代役を務める。
関係者によると、今月上旬の衣装合わせの際に体調が悪そうだったため、過密な撮影スケジュールを考慮し降板が決まったという。所属事務所は「疲労がたまり体調を崩した。現在はだいぶ回復しています」と説明。
同年の4月より放送中だったドラマ「花のち晴れ〜花男 Next Season〜」の小林孝蔵役は続投していただけに、一見するとそれほど心配する必要もないように見える志賀さんの体調不良問題ですが、ネット上では思わぬ方面から反響を呼ぶことになります。
志賀廣太郎、激やせ降板でネット上ではがん説も…
志賀廣太郎さんの体調不良問題に関して、ネット上で思わぬ重病説が流れ始めたのは、出演していたドラマ「花のち晴れ〜花男 Next Season〜」での激ヤセぶりが原因となります。
元々ふくよかなイメージよりも枯れた印象のあった志賀さんでしたが、「花のち晴れ〜花男 Next Season〜」出演時の志賀さんは、病的な印象を視聴者に与えてしまう痩せ方をしておりました。
そのため、ネット上では志賀さんの激ヤセぶりに対する心配の声と共に、癌説なども流れる事態となっています。
花のち晴れ~花男 Next Season~
— カピマル (@kapimaru39) 2018年4月24日
見てるけど、志賀廣太郎さんの激ヤセが気になって、内容入ってこない(´×ω×`)
病気とかじゃないといいけどなー(꒦໊ྀʚ꒦໊ི )
志賀廣太郎さん、この間の花より団子のドラマで顔が明らかにげっそりしてたからなー。
— はらこ (@raharako) 2018年4月26日
あれは癌で痩せてる気がする。
NEWS23見ようとチャンネル変えたら、花のち晴れ延長中。志賀廣太郎さんが出てたけど、何この激ヤセぶり。。ちょっ怖い。あのご病気でなければ良いのですが。
— Z.Z.チョンチョン@映画「夏目友人帳」待機 (@ZhongZhongzhi) 2018年5月15日
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直近の仕事はこなせても、2019年以降の仕事をこなすことが不透明な状況といえば、進行性の病気などが予想されるだけに、あながち突拍子もない噂でもない志賀さんのがん説と言えます。
志賀廣太郎、「激やせ重病説」に女性週刊誌が自宅に直撃取材も
志賀廣太郎さんの「激やせ重病説」に関しては、ネットの噂だけには留まらずに、2018年6月になると、「週刊女性」の記者が志賀さんに直撃取材しています。
志賀さんの自宅は、都心から1時間ほど離れた場所にある集合住宅らしく、名俳優にしてはかなり庶民的な住まいのようです。
テレビドラマでお馴染みの俳優ということもあり、「ご近所の有名人」でもあった志賀さんの体調不良ぶりに関しては、近隣の住民の間でも心配の声があがっていたとか。
「大河降板のニュースがあったころに偶然お会いしたので聞いてみたら、“今はもう大丈夫”って。その言葉が本当だったらいいのですが、そのときはいつもより10キロくらいやせているような感じでしたから……」(近所の住民)
志賀廣太郎、「激やせ重病説」に減量しただけと噂を一蹴
「週刊女性」記者の突撃取材に対する志賀廣太郎さんの返答に関しては、「重病説」を否定する「疲労説」一辺倒のものとなりました。
─体調不良で来年の大河ドラマを降板されましたが?
「今は完全に回復していますので」
─何かご病気とか?
「いやいや、疲れです」
─(どことなく顔色が悪そうで)かなりおやせになった印象ですが?
「元にどんどん戻ってはいます」
そのため、最終的には志賀さんの所属事務所への取材という形を取る羽目になった「週刊女性」記者ですが、こちらでも「重病説」に関する情報は得られなかった模様です。
「志賀の体調が悪かったうえに、大河ドラマについてはきついスケジュールだったのです。そうしたら、NHKさんのほうから“ほかの方で対応できるので”とご配慮いただいたので、降板させていただいたんです。
現在は舞台にも出ていますし、体調は問題ない。人間ドックで先生から“少しやせなさい”と言われたようで、ちょっと絞りすぎちゃったのかもしれませんね」
2017年6月に亡くなられた女優の野際陽子さんのように、病気を隠して体力の限界まで役者業を続ける人物もいる世界だけに、「医師の指導でダイエットをして痩せただけ」という事務所側の返答も果たしてどこまでが本当なのかは分かりません。
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周囲の取り越し苦労で終わるのならば、それが一番だという結論でもある志賀さんの「激やせ重病説」となります。
志賀廣太郎の現在② 死因「誤嚥性肺炎」で死去
志賀廣太郎さんが、2020年4月20日午後8時20分に誤嚥性肺炎のため死去したことを、所属事務所「レトル」が発表しました。
所属事務所は公式サイトで「2019年春に脳梗塞で倒れて以降、復帰に向けてリハビリを続けてまいりましたが、かないませんでした。ここに生前のご厚誼を深く感謝するとともに、謹んでお知らせ申し上げます。ご遺族の意向により、葬儀は4月29日に近親者のみにて執り行われました。誠に勝手ながらご香典ご供花の儀はご辞退申し上げます」と報告しています。
また重病の原因が「脳梗塞」であることも明らかになりました。
劇団員の志賀廣太郎が、2020年4月20日午後8時20分、誤嚥性肺炎のため満71歳で永眠いたしました。2019年春に脳血栓で倒れて以降、復帰に向けて懸命のリハビリを続けてまいりましたが、かないませんでした。詳しくは、こちらをご覧ください。https://t.co/YIlkPB8DdC
— 平田オリザ (@ORIZA_ERST_CF) April 30, 2020
志賀廣太郎について総まとめをすると…
・志賀廣太郎は結婚歴があり、役者活動をスタートさせた40代で離婚している。また、子供はいない可能性が高い。
・志賀廣太郎は体調不良を理由に2019年放送の大河ドラマ「いだてん」を降板した。
・志賀廣太郎は、ドラマ降板と最近の激やせぶりから、ネット上では病気(がん)ではないかと噂されている。しかし、2020年4月20日の死去で脳梗塞だったと判明した。
志賀廣太郎さんのご冥福をお祈りいたします。