数々の作品で様々な役柄を演じ分ける名バイプレイヤーとして知られる俳優の光石研さんの若い頃や家族が話題です。
この記事では光石研さんの若い頃の画像や経歴、韓国との関係、父親など家族、嫁との馴れ初めや結婚、子供、オシャレだと話題の自宅などについてまとめました。
この記事の目次
光石研のプロフィール
光石研のプロフィール
生年月日:1961年9月26日
出身地 :福岡県北九州市八幡西区黒崎
身長 :173cm
血液型 :A型
光石研さんは、1978年以来、ドラマや映画を中心に活躍を続けている国内を代表する俳優の1人で、癖のある役からおっとりとした役、さらには暴力的なアウトローの役まで幅広い役柄を見事に演じ分ける名バイプレイヤーとして高い人気を誇ります。
数々の話題作に出演しており、近年の代表作品としては、2012年の「アウトレイジ ビヨンド」、2013年公開映画「共食い」、2015年公開の「恋人たち」、2016年の「シン・ゴジラ」2017年の「アウトレイジ 最終章」、2017年放送のテレビドラマ「バイプレイヤーズ」、2017年のNHK朝ドラ「ひよっこ」、2017年のNHK大河「おんな城主 直虎」、2018年のドラマ「ハゲタカ」、2020年のNHK朝ドラ「エール」などがあります。
また、主演作としては2011年公開の映画「あぜ道のダンディ」、2019年放送の連続ドラマ「デザイナー 渋井直人の休日」などがあります。
今回はそんな光石研さんの若い頃の経歴や画像、家族や結婚、子供などを中心に紹介します。
光石研の若い頃① 高校生の時に映画「博多っ子純情」の主役に抜擢される
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光石研さんの若い頃を紹介していきます。
光石研さんは、東海大学付属第五高校の2年生だった1978年の夏休み前に、映画「博多っ子純情」のオーディションを受けていきなり主役に抜擢されて俳優デビューしています。(上の画像の真ん中が若い頃の光石研さん)
光石研さんは、高校の友人に誘われて「博多っ子純情」のエキストラのオーディションを受けに行ったところ、前日に同級生と喧嘩をして眉あたりを2針縫う大怪我をして絆創膏を貼っていた事が審査員に注目され、その時の喧嘩の再現や酔っ払いの真似などをさせられたそうです。
若い頃の光石研さんはお茶らけた性格だったのだそうで、全力で演技して見せたところ、滑稽な演技が審査員達にウケまくり、なんとそのまま主役の1人に抜擢されてしまったのだそうです。
光石研さんは、それまでは俳優になろうと考えた事もなかったそうなのですが、「博多っ子純情」に出演した事で撮影現場の面白さの虜になり、高校を卒業したら俳優になろうと心に決められたのだそうです。
光石研の若い頃② 高校卒業後に上京し本格的に俳優の道へ
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若い頃の光石研さんは高校を卒業後にすぐに俳優を目指して上京しています。
「博多っ子純情」の撮影時にかわいがってくれたプロデューサーに俳優を目指して上京した事を連絡すると、ちょうど映画「男はつらいよ」シリーズの撮影中で、エキストラとして使ってもらえる事になったそうです。
そして、この「男はつらいよ」の出演シーンを見た業界人から連絡があり、芸能事務所「鈍牛倶楽部」を紹介してもらえたのだそうです。(光石研さんは現在もこの事務所に所属)
しかし、若い頃はあまり仕事がなく、事務所の先輩で、当時は既に国民的人気俳優であった緒形拳さんのバーター出演などで、なんとか食い繋ぐようなような日々だったそうです。
そんな若い頃について光石研さんは「緒形拳さんに食わせてもらっていたようなものです」と語られています。
緒形拳さんも型破りな後輩である光石研さんを可愛がられていたようで「君はおもしろいな、いまが辛抱だぞ」と声をかけてくれたのだそうです。若い頃の光石研さんは、緒形拳さんからのこの言葉を支えに下積み時代を頑張ってこられたのだそうです。
光石研の若い頃③ 30代半ば頃からバイプレイヤーとして頭角を表す
長い下積み時代を送っていた光石研さんは、34歳だった1996年に、緒形拳さんが重要な役で出演したイギリスの巨匠ピーター・グリーナウェイの映画「ピーター・グリーナウェイの枕草子」に、自身も重要な役柄で起用されました。これは緒形拳さんのバーターというわけではなく、オーディションで勝ち取った役でした。
これと時期を同じくして光石研さんは、岩井俊二監督や青山真治監督監督ら同世代の若手監督からオファーを受けるようになり、1995年の「Love Letter」や1996年の「Helpless」、「スワロウテイル」、1998年の「四月物語」など、当時話題になった映画作品に印象深い脇役として多数出演。演技派の俳優としての評価を高めていきました。
光石研の若い頃④ 「シン・レッド・ライン」でハリウッドデビュー
若い頃の光石研さんは、1998年製作のハリウッドの戦争映画「シン・レッド・ライン」のオーディションに合格しハリウッドデビューも果たしています。
光石研さんは「シン・レッド・ライン」では日本人将校役を演じています。光石研さんはハリウッドの撮影現場と日本の撮影現場の違いに驚かされたという事ですが、どちらの現場もスタッフや俳優が映画にかける情熱は同じで面白いと語られていました。
光石研と韓国との関係
ネットの検索エンジンでは、光石研さんと韓国というワードが関連づけられていますが、これは光石研さんの父親の出身地が韓国のソウルだった事が関係しているようです。
父は韓国のソウルで生まれ、12歳の時に終戦で引き揚げてきて、中高と佐賀で育ったので筑後弁。
光石研さんの父親については次の見出しで紹介します。
光石研さんの父親が韓国ソウル出身という事から、光石研さんが在日韓国人ではという噂もあるようですが、後述するように光石研さんの父親は日本人なので、光石研さんが在日韓国人という事はありません。
光石研の家族① 父親は韓国生まれだが日本人
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光石研さんの家族についても見ていきます。
上でも触れていますが、光石研さんの父親は韓国のソウル(当時は日本統治時代で京城と言った)の出身です。
韓国ソウルの出身とはいっても、韓国人という事ではなく、当時の韓国は日本の統治下にあり、曽祖父の代から韓国でビジネスに成功して土地を持っていて、それを光石研さんの祖父が管理していたのだそうです。そして、その頃に現地で生まれたのが光石研さんの父親でした。
しかし、光石研さんの父が小学校6年生の時に日本は戦争に敗け、在留の日本人は逃げるようにして本国へと戻りました。
うちの父は京城、今のソウルで生まれたそうだ。ひいお爺(じい)ちゃんがやり手で、ソウルにかなりの土地を持ってて、それをお爺ちゃんが管理していたらしい。なので父は何不自由なく幼少期を過ごしたと聞く。しかし、小学校6年生の時に終戦、着の身着のままソウルからプサン、プサンからやっとのことで博多港に到着。
帰国後、光石研さんの父は北九州市で育ち、地元の八幡製鉄所に勤めて、その後結婚して光石研さんが生まれました。
光石研さんによると、父はとても多趣味でアクティブな方だそうで、子供時代にはよくスキーに連れて行ってもらったのだそうです。また、本格的に陶芸をやっていて実家にはそのための窯があるのだとか。
光石研さんの父は現在もご健在だそうで、2022年2月に光石研さんが自身初のエッセイ「SOUND TRACK」を発表した際、父に報告しないでいたらLINEが送られてきて「お前のエッセイが出るらしいが、俺は1ミリも知らない、どういう事だ?」と怒られたのだそうです。
光石研の家族② 母親や兄弟
光石研さんの母は、北九州市八幡西区の黒崎の出身だという事ですが、60歳の若さでがんで他界されています。
光石研さんは兄弟はおらず一人っ子で育っています。
光石研の嫁は一般女性
光石研さんは29歳だった1990年に結婚されています。
光石研さんの結婚した嫁は都内のある会社で電話受付の仕事をされていた一般の女性で、名前や年齢、顔画像などは公開されていません。
光石研の嫁との馴れ初めや結婚エピソード
光石研さんと嫁との馴れ初めは友人との紹介という事ですが、詳しい出会いの内容は明かされていません。
光石研さんは電話でプロポーズされたそうなのですが、当時はまだ役者として芽が出ておらず超貧乏生活を送っており、結婚指輪はなんと1000円のものしか買えなかったのだそうです。
なので、結婚した当初は共働きの嫁に頼りっぱなしのほぼヒモ状態だったのだとか。
そんな嫁の支えもあって、光石研さんは俳優として成功し現在はなくてはならないバイプレイヤーとして活躍されています。
現在も嫁との仲はとても良いそうで、自宅で一緒に晩酌をしたりもするのだとか。
ビール呑んで、それからハイボールかな。いつもじゃないけど、女房にもたまに付き合ってもらいます。女房はこっちの業界とは全然関係ないんで、結婚してしばらくは俳優の不規則な生活に戸惑ったと思います。今まであんまり考えなかったけど、この仕事をずっと続けられたのは家族の理解があったからかもしれませんね。うん、家族にも感謝しないといけないかな(照れ笑い)。
また、光石研さんは毎年嫁と海外旅行に行っている事なども明かされています。
光石研と嫁の間には子供はいない模様
光石研さんは1990年に結婚した嫁とのエピソードはたまに語られていますが、子供についてのエピソードは1度も語られておらず、おそらく子供はいないと見られています。
光石研さんはこれまでに父親の役も何度も演じられているので、子供がいるイメージがあるのですが、現実には子供を持たれていないようです。
光石研さんは「グリグリ」という名前のトイプードルを飼われていて、とても可愛がられているようです。このグリグリくんが子供のような存在なのではないかと思います。
光石研の自宅がオシャレだと話題に
出典:https://www.ideelifecycling.com/
光石研さんの自宅がかなりオシャレだと話題になっています。
光石研さんはインテリ系のメディアの取材を受けて、自宅内の画像を公開された事があるのですがそれがまるでセットのようにオシャレだと話題を呼びました。
このインタビューによると、光石研さんの自宅は世田谷区の閑静な住宅街にある瀟洒(しょうしゃ)なマンションで、光石研さんが自らデザインしてリフォームをされたのだそうです。
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室内を彩る家具やインテリアは、すべてがこだわり抜かれて洗練されていて、有名なデザイナーの自宅だと言われても信じてしまいそうなクオリティです。
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元々、光石研さんはDIYなどのモノづくりが好きなのだそうで、この自宅のリフォームも、ノートを一冊作るほどアイデアを練りに練られたのだそうです。
まとめ
今回は、さまざまな役柄を演じ分ける名バイプレイヤーとして抜群の人気を誇る俳優の光石研さんについてまとめてみました。
光石研さんは若い頃は、高校2年生の時にオーディションを受けた映画「博多っ子純情」でいきなり主役に抜擢され、それをきっかけに高校卒業後に上京して俳優を目指した経歴を持ちます。
その後は、長く下積み時代を送りましたが、30代半ば頃に演技派俳優として評価を上げ、「シン・レッド・ライン」でハリウッドデビューも果たしています。
光石研さんの家族については、父親は韓国生まれの日本人、母親は生粋の北九州人で、兄弟はおらずひとりっ子です。
1990年、29歳の時に結婚されていて、嫁は電話受付の仕事をしていた一般女性で、光石研さんの下積み時代を共働きで支えてくれたそうです。
光石研さんには子供はいないようですが、トイプードルの愛犬「グリグリ」くんを我が子のように可愛がられているようです。
また、自宅がとてもオシャレな事も話題で、インテリア系のメディアで紹介された事もありました。