巨額の脱税容疑で逮捕され注目を集めた日本大学元理事長の田中英寿が、2024年1月に亡くなりました。
この記事では、田中英寿元理事長の身長などのプロフィールや日大で独裁的権力を掌握するまでの高校時代や大学時代を含めた経歴、結婚した嫁や子供、山口組との関係、逮捕の概要や死去などについてまとめました。
この記事の目次
田中英寿のプロフィール
田中英寿のプロフィール
生年月日:1946年12月6日
出身地 :青森県北津軽郡金木町
身長 :175cm(相撲現役時)
田中英寿は日本大学前理事長(第12代理事長)で、2021年11月29日に脱税の疑い(所得税法違反容疑)で逮捕され注目を集めた人物です。
過去には、2018年の日大アメフト部の悪質タックルが問題になった時にも田中英寿の名前が取り沙汰され、国内最大のマンモス大学である日大で絶大な権力を持つ事実上のトップで、悪質タックルを部員に指示した内田正人前監督の後ろ盾にもなっていたなどと報じられていました。
今回の危険タックル事件の原因は、内田前監督によるアメフト部の恐怖支配だったことが次第に明らかになってきた。その最大の後ろ盾とされるのが田中理事長だ。
この日大アメフト部悪質タックル事件が大きな問題となっていた2018年当時も、一部のメディアが「金で人を操る」、「金の力で日大の権力を握った」などと田中英寿元理事長の金の面での黒い噂について匂わせていました。
田中理事長はこの金を駆使して政治力に磨きをかけ、人脈を広げ、地位を築いていった。
田中理事長はカネと人事権で周囲をイエスマンで固め、不満分子は左遷した。日大は今や学校法人ではなく、相撲部屋です。田中理事長が親方で誰も逆らえない。
さらに、日大アメフト部悪質タックル事件よりさらに13年さかのぼる2005年には既に、田中英寿元理事長に対する黒い噂が囁かれていました。
週刊文春2005年6月23日号が「日大総長選の”黒幕”がJOC常務理事就任の奇怪」と題する記事を掲載し、田中英寿元理事長と暴力団関係者との関わりを報じています。
05年には、週刊文春が田中理事長と暴力団関係者のつながりを報道したのだ。
田中英寿元理事長は、こうした暴力団組織とのつながりを周囲に誇示し、”恐怖政治”によって、その絶大な権力を得たとの報道も出ていました。
日本最大の大学で、学生数7万人という巨大組織の絶対的権力者である田中理事長。その「恐怖政治」の源泉の1つとなっているのが、“闇社会”とのつながりだ。
今回はこの田中英寿元理事長についてまとめていきます。
田中英寿の経歴① 青森の農家の三男として生まれ小学生時代から相撲
続けて、田中英寿元理事長の経歴についてみていきます。
田中英寿元理事長は、1946年12月6日に青森県五所川原市(当時は北津軽郡金木町)で、農家の3男として生まれたとという事です。
田中理事長は終戦直後の1946年12月6日に青森県五所川原市、当時の北津軽郡金木町で農家の3男として生まれた。
田中英寿元理事長は小学校低学年の頃に相撲を初めています。田中英寿元理事長の出身小学校と中学校は地元の公立校である金木町立金木小学校と金木町立金木中学校と見られていますが、確定情報ではありません。
田中英寿の経歴② 出身高校は青森県立木造高校で相撲部で活躍
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田中英寿元理事長は、中学を卒業後は青森県立木造高校へと進学しています。
田中英寿元理事長の出身高校である青森県立木造高校の現在の偏差値は「55」です。
木造高校は大相撲力士を多数輩出した名門相撲部を持つことで知られ、国民的人気力士であった舞の海さんもこの高校出身です。
田中英寿元理事長は、高校時代は相撲部に所属して寮生活を送り、1年目からレギュラーとして全国大会に出場するなど頭角を表し、国体での団体優勝も果たしています。
田中英寿の経歴③ 日本大学経済学部へ進学し学生横綱に
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田中英寿元理事長は、高校を卒業後の1965年4月に日本大学経済学部へと進学しています。
日本大学経済学部の現在の偏差値は学科によって違いますが「50〜52.5」です。ただし、田中英寿元理事長は一般入試ではなく相撲でのスポーツ推薦で入学しています。
田中英寿元理事長は日体大でも相撲部に所属し、大学3年生時には学生横綱に輝いています。日本大学相撲部の1年後輩には、後に大相撲横綱(第54代)に君臨する輪島大士がいましたが、大学時代は実力は輪島よりも田中英寿元理事長が上と見られていました。
田中英寿元理事長と輪島は高校時代からの親友で、輪島が大学3年生時に学生横綱に輝いた時には、決勝戦で前年横綱である田中元理事長と対戦しこれを破っていますが、これはこの年で大学を卒業する田中英寿元理事長が輪島に華を持たせたのだとも言われています。
田中英寿の経歴④ 大相撲へは行かずに日本大学職員に
田中英寿元理事長は、日大卒業後はそのまま日本大学に職員として就職しています。
これは、田中英寿元理事長が大学在学中から日大首脳に目をかけられており、「輪島は大相撲へ進んでもいいが、お前は日大に残れ」と命じられたためだったとも言われています。
田中英寿元理事長の日本大学職員時代の金にまつわるエピソードとして、青森の実家の父親に原稿用紙150枚もの手紙を送り、毎月10万円の仕送りを頼んだというエピソードが知られています。
田中理事長は日大職員になると、実家の父親へ3日間かけて原稿用紙150枚もの手紙を書いた。趣旨はこうだ。
「オレは農家の三男だから、田んぼや畑はいらない。その代わり、これから3年間、毎月10万円ずつ仕送りをしてくれ」
田中英寿元理事長は日大に就職後、農獣医学部体育助手兼相撲部コーチに就任して、自身も現役選手として相撲を続け、1969年、1970年、1974年の計3回にわたりアマチュア横綱に輝きました。
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田中英寿元理事長は1980年、33歳で現役を引退するまでの間に、合計で34ものタイトルを獲得しており、その圧倒的強さから「アマ相撲界の大鵬」の異名でも呼ばれました。
その後、田中英寿元理事長は日大の運動部を統括する保健体育審議会を経て、1983年に日体大相撲部の監督に就任し、多くの部員を大相撲の世界へと送り出しています。田中英寿元理事長が育てたとされる力士は主に両国、智ノ花、舞の海、琴光喜、高見盛、大翔鵬、濱ノ嶋などがあげられます。
大学卒業後に相撲部屋入門というルートを開拓したのもこの頃の田中英寿元理事長だと言われています。そして、自分がスカウトして育成した力士を入門させた際に、その相撲部屋から力士に支払われる数百万円から数千万円にもなるという支度金の一部を、田中英寿元理事長が懐に入れていたとの情報も報じられています。
田中監督は、大学から部屋というルートを開拓します。プロでも通用する上背のある学生をスカウトし、育成するのです。田中が育てた力士は舞の海、琴光喜、高見盛など50人以上に及びます。そして、学生を力士として部屋に入れると、部屋から田中監督を通じてその力士に支度金が支払われる。その額は大学時代のタイトルに応じて、数百万円から数千万円にもなり、その一部を田中監督が懐に入れていた。
田中英寿の経歴⑤ 日本大学理事に就任し瞬く間に出世
田中英寿元理事長は、相撲部の監督として多くの力士を輩出した実績を評価される形で、52歳だった1999年に日本大学理事に選ばれています。
その後は瞬く間に出世の道を歩み、2000年に日本大学保健体育事務局長、2001年に日本大学校友会本部事務局長、2002年には日本大学常務理事に就任。2005年に日本大学校友会会長となっています。
この間、田中英寿元理事長は、「日大の横綱になる」などと公言して野心を隠さず、裏切りや裏金の受け取りなど、権謀術数の限りを尽くしていた事を窺わせる内容を一部のメディアが報じています。
田中氏に学校施設の新築や増改築工事に絡むゼネコン業者からのキックバック疑惑や暴力団関係者との黒い交際など、きな臭い噂が絶えなくなったのです。幸安氏は、田中氏の悪評を耳にするだけでなく、パーティーの席で、施設の建設を担う営繕管財担当の常務理事を差し置いて、建設業者が田中氏の元に挨拶に出向いている場面を目撃
田中英寿の経歴⑥ 日本大学理事長となり長年にわたって最高権力者として君臨
その後も、田中英寿元理事長は、あらゆる手を使ってライバルを蹴落とし、敵対勢力を排除し、2008年に理事長に就任すると、強い権限を持っていた総長という役職を廃止させて自分に権力集中させ、独裁的体制を築き上げました。
「総長は教学出身者しかなれないため、職員上がりの田中氏は理事長を目指した。そして総長制を廃止し、すべての権限を理事長に集約させたのです。彼は権力のトップに立つと、側近であっても気に入らなければ躊躇うことなくポイ捨てにしました。正しくそれは恐怖政治でした」(前出・日大元幹部)
恐怖政治を敷く田中氏の背後には、暴力団の影が常に見え隠れした。
田中英寿の身長は175cm
田中英寿元理事長の身長は、相撲の現役時代のデータなどによると「175cm」だったようです。
田中英寿元理事長は日本大学卒業後は大相撲へと進む道も考えていたようですが、身長が足りなかったので日大に残ることにしたという証言もあります。
田中本人は上背が足りなかったので、大相撲はあきらめ、日大に残ることにしたのです
田中英寿の結婚した嫁は元演歌歌手の征子さんで「ちゃんこ料理田中」を経営
田中英寿元理事長は、1974年に元演歌歌手の征子さんという女性と結婚されています。
この田中英寿元理事長の嫁の征子さんは、旧姓は湯沢征子という名前で、若い頃は三波春夫さんの弟子として前座も務めていた元演歌歌手で、レコードも2枚出しているという事です。
田中は74年、三波春夫の前座をしていた元演歌歌手の優子夫人こと旧姓、湯沢征子氏と結婚している。
「優子夫人は旧姓、湯沢征子さんという長野県出身の元演歌歌手です。三波春夫の弟子で、レコードを2枚出していて大月みやこと一緒に地方巡業をしたこともあるそうです。
詳しい経緯は不明ですが、嫁の征子さんの母親がJR阿佐ヶ谷駅近くのビルで母親が喫茶店を経営し、その後、この店舗を嫁の征子さんが「ちゃんこ料理田中」というちゃんこ料理店に改装して経営していたようです。
嫁の征子さんは、結婚する前から田中英寿さんを経済面で支援していたという関係者の証言も出ているので、元々資産家の家の出身か、あるいは演歌歌手として稼いだ金を元手に店舗経営を行いそれで成功したかのどちらかだと推測できます。
店が入る湯沢ビルは1、2階が店舗で、3、4階が住居になっています。もともとは優子夫人の母親が上京して阿佐谷で喫茶店を始め、その後、ちゃんこ屋になった。優子さんは貧しい家庭で育った前理事長を、結婚前から経済面でも支援していた」(日大関係者)
いずれにしても、若い頃の田中英寿元理事長を支え、日大の理事長にまで押し上げたのはこの嫁の征子さんの資金面での支援のおかげだったと言われています。
そのため、田中英寿元理事長は嫁の征子さんには頭が上がらず、日大の人事などを含めて、事実上の権力を握っていたのは嫁の征子さんだとする関係者の証言をテレビの報道番組を含む、複数のメディアが報じています。
また、嫁の征子さんが経営していたちゃんこ料理店の入る湯沢ビルという建物は、1、2階が店舗で、3、4階が住居になっていたという事ですが、田中英寿元理事長と嫁の征子さんはここを自宅としており、脱税容疑での逮捕で東京地検特捜部が踏み込んで、2億円超の現金が見つかったのもこのビルでした。
田中英寿元理事長はこの2億円の現金について、「妻のたんす預金。古いお金だ」などと、嫁の征子さんの金であり、脱税のために隠した金ではないという説明をしていたようです。
関係者によると、捜索で2億円超の現金が見つかり、田中容疑者は逮捕前、この現金について「妻のたんす預金。古いお金だ」などと周囲に説明。隠した所得ではないとの認識を示したという。
田中英寿元理事長を支えていた嫁の征子さんですが、田中英寿元理事長が脱税容疑で逮捕されてから約一年後の2022年10月に亡くなっています。嫁の征子さんは長期入院で闘病生活を送っていたとようで、征子さんを亡くした田中英寿元理事長は意気消沈していたとのことです。
優子夫人とは『嫁』『主人』と呼びあう仲のいい夫婦で、脱税を認めたのも、自分が認めないと優子夫人が逮捕される可能性があったからだといいます。日大関係者には『優子が残れば、ほかは何もいらない』とまで言っていました。強制捜査のときのケガが元で入院し、そのまま自宅に戻れず亡くなった優子夫人に対する自責の念は、最後まで強かったようです
引用:「日大のドン」田中元理事長が死去 本誌直撃に語っていた林真理子氏への“恨み節”「やってみれば苦労はわかるでしょう」
田中英寿の子供(娘)
田中英寿元理事長と、嫁の征子さんとの子供に関する情報は出ておらず、2人の間に子供はいないと見られています。検索ワードで「娘」と表示されているようですが、娘がいるという情報はありません。
田中英寿と山口組との関係
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黒い噂が絶えなかった田中英寿元理事長ですが、その極め付けは指定暴力団山口組との懇意な関係が度々報じられていた事です。
2014年11月には、海外のメディア「VICE NEWS」が6代目山口組の司忍組長と寄り添うツーショット写真を掲載し、その親密な関係を報じています。
山口組六代目の司忍組長と田中氏が名古屋のクラブで親密そうに寄り添う写真を外国メディアが報道。さらに田中氏と、司氏の出身母体である弘道会幹部で、同会傘下の佐々木一家総長でもあった山本岩雄氏(故人)とのツーショットも出回った。
司忍6代目山口組組長は、山口組組員の拳銃不法所持の共謀容疑で裁判を受けていましたが、この裁判で司忍組長を擁護する意見書が提出されています。この意見書提出の根回しを行ったのも田中英寿元理事長だったとされています。
2005年12月に最高裁で有罪が確定するが、その過程で司氏を擁護する“意見書”が提出された。「憲法学者である慶応大学の小林節教授(当時)が作成したものでしたが、その段取りをしたのが田中氏でした。田中氏は以前に面識のあった小林教授を銀座のしゃぶしゃぶ店に連れ出した。そこに髙山氏が待っていて、意見書の作成を依頼したのです」(田中氏の知人)
田中英寿元理事長と山口組関係者との関係が報じられた当時、日本大学の広報担当者は「田中理事長は(山口組の幹部といった)人々と会ったという事実はない。写真は偽造で合成写真」とのコメントを出していましたが、その後も田中英寿元理事長と山口組をはじめとする暴力団との関係の疑惑は度々報じられていました。
田中英寿元理事長は日本大学での権力を維持するために、こうした山口組をはじめとする反社会組織との関係を利用していたとされています。
田中英寿が逮捕され有罪判決を受ける
田中英寿が脱税容疑で逮捕される
黒い噂がひっきりなしに報じられていた田中英寿元理事長が、2021年11月29日についに逮捕されました。
田中英寿元理事長は、2018年と2020年の所得を隠し、約5300万円の所得税を脱税した容疑で東京地検特捜部に逮捕されました。
しかも、この隠蔽された所得は、日本大学の取引先の業者からリベートという名目で受け取った計1億1840万円だったという事です。つまり、田中英寿元理事長は日本大学を私物化して莫大な利益を貪り取っていたという事になります。
当初、田中英寿元理事長は現金を受けとった事自体を否認していましたが、2021年12月14日に、容疑を認める供述を始めた事が報じられていました。
所得税法違反の疑いで逮捕された日本大学前理事長の田中英寿容疑者(75)が、東京地検特捜部の調べに「税務申告すべき必要性を認識していた」と脱税容疑を認める供述をしたことが14日、関係者への取材で分かった。
田中英寿が理事長を辞任
逮捕後、田中英寿は2021年12月1日に大学に理事長を辞任する意向を伝え、同日の臨時理事会で辞任が承認されました。
複数の日大理事によると、臨時理事会には約30人が出席し、全員が田中容疑者の辞任を承認した。また、加藤直人学長が新理事長を兼任することを決定。現在の常務理事と理事の全員が辞任することを申し合わせた。3日の定例理事会までに辞任届を提出するという
田中英寿に執行猶予付きの有罪判決
2021年12月2日に所得税法違反(脱税)の罪で起訴された田中英寿元理事長は、起訴内容を認め翌日に6千万円の保釈保証金を現金納付し保釈されました。
2022年2月に行われた初公判でも田中英寿元理事長は「争う気は無い」と起訴事実を認めています。
同年3月29日に、田中英寿元理事長には「業者からの現金受領を隠蔽する目的で脱税に及んでおり、動機は身勝手で酌量すべき事情はない」として懲役1年、執行猶予3年、罰金1300万円の有罪判決が言い渡されました。
田中英寿元理事長が起訴内容を認め修正申告したことなどが考慮され執行猶予付きの判決となったようです。
田中英寿元理事長は控訴はせず、この刑が確定しています。
田中前理事長は初公判で「反省している」などと起訴内容を認め、弁護側は執行猶予付き判決を求めていた。田中前理事長は判決後、弁護人を通じて「判決を厳粛に受け止めております」とコメントを出した。控訴しない方針という。
田中英寿の死去と死因
田中英寿が2024年1月に亡くなる
出典:https://topics.smt.docomo.ne.jp/
脱税事件で世間の注目を集めた田中英寿元理事長が2024年1月13日に亡くなりました。77歳でした。
死因などは明らかになっていませんが、田中英寿元理事長は癌で闘病中で亡くなる一カ月ほど前から入院していたといいます。
日本大学の元理事長で、2022年に脱税事件で有罪判決を受けた田中英寿(たなか・ひでとし)氏が13日、東京都内の病院で死去した。77歳だった。関係者によると、がんで闘病中だった。
田中英寿は寂しい最期だった
もともと田中英寿元理事長は糖尿病も患っていたようで、有罪判決が確定してから入退院を繰り返していたようです。
しかし、脱税事件後、日本大学が田中英寿元理事長との決別を宣言したこともあり、見舞いにくる日大関係者もほとんどなく寂しい晩年だったといいます。
亡くなる一カ月前に体調が悪化し入院先を決める際には、日大病院から受け入れを拒否されたとの情報もありました。
「1ヵ月ほど前、田中氏から駿河台にある日大病院に『入院したい』との申し出がありましたが、病院側は『入院を認めると、コンプライアンス上の問題になります。残念ながらお受けすることはできません』ときっぱり断り、結局ほかの病院に入院することになりました」
ただ、田中英寿元理事長を支えてくれる人物が一人だけいたようで、それが10年以上愛人関係にあった中国人女性だといいます。
田中英寿元理事長は、嫁の征子さんを亡くした後、この中国人女性と女性の娘と3人で生活していたようです。
「田中氏は、若いころから支えてくれた奥さんが亡くなり、意気消沈の様子でした。ところが、奥さんが亡くなって1ヵ月もすると、40代の中国人女性が阿佐ヶ谷の自宅に居座るようになり、彼女の娘を含めた3人で暮らすようになりました。実はこの女性、10年以上関係がある愛人です。水商売風の美人で、奥さんが健在のころは、田中氏が用意した新宿のマンションに娘と住んでいました。田中氏は体調面で問題を抱えていたため、この中国人女性が身の回りの世話をしていました。昨夏は暑さが厳しく、避暑のため2人で仙台にある別荘に滞在していた時期もありましたね」
まとめ
今回は、2021年11月に巨額の脱税容疑で逮捕された日本大学前理事長の田中英寿という人物についてまとめてみました。
田中英寿元理事長のプロフィールは、1946年12月6日生まれで、出身地は青森県北津軽郡金木町(現在の青森県五所川原市)、身長は175cmです。
田中英寿元理事長の経歴については、小学校低学年から相撲を始め、青森県立木造高校時代には国体で団体優勝、日本大学進学後には学生横綱に輝き、その後は日本大学に職員として就職し、計3度のアマチュア横綱にも輝いています。
現役を引退後は、日本大学の内部で出世を続け、2008年に日本大学理事長に就任すると、金や暴力団組織との関係を利用して独裁的権力を掌握し、長年にわたって最高権力者の座に君臨してきました。
田中英寿元理事長は1974年に元演歌歌手の経歴を持つ征子さんと結婚していますが、2人の間には子供はおらず、征子さんとは2022年に死別しています。
田中英寿元理事長は、それまでも山口組との関係が報道されるなど、黒い噂が絶えませんでしたが、2021年11月についに脱税の容疑で逮捕されました。田中英寿元理事長は起訴内容を認めたこともあり2022年3月に執行猶予付きの有罪判決が下されています。
その後、田中英寿元理事長は判決からおよそ2年後の2024年1月に77歳で死去しています。かつては「日大のドン」とも呼ばれた田中英寿元理事長ですが、事件後に周りから人がいなくなり寂しい最期を迎えたようです。