近年は俳優としても活躍するアーティストの世良公則さんですが、娘がアナウンサーでは?と話題です。
今回は世良公則さんの若い頃の経歴、実家の家族(父親)、結婚した嫁や子供(娘)、身長や自宅、髪型や病気の噂、現在を紹介します。
この記事の目次
- 世良公則は若い頃はアイドル的人気を誇るロックバンドのボーカル
- 世良公則が所属していた「世良公則&ツイスト」とは
- 世良公則は俳優としても成功している
- 世良公則の若い頃の経歴① 3歳からヴァイオリンを習うもガキ大将だった
- 世良公則の若い頃の経歴② 高校・大学時代はバンド活動に熱中
- 世良公則の若い頃の経歴③ ポプコンでグランプリを取りプロデビュー
- 世良公則の実家は金持ちで父親は公務員
- 世良公則が超人気ドラマのタイアップを断った理由
- 世良公則の自宅は豪邸
- 世良公則は若い頃に川島なお美と不倫していた
- 世良公則は病気?噂のきっかけと真相
- 世良公則の家族情報:結婚した嫁は一般人
- 世良公則の家族情報:息子は元ジャニーズ?
- 世良公則の家族情報:娘はアナウンサー?
- 世良公則の現在① 近年はバイプレイヤーとしても活躍中
- 世良公則の現在② 高身長でイケメンだが、髪型が不自然?
- 世良公則の現在③ 陶芸にハマっている
- 世良公則のまとめ
世良公則は若い頃はアイドル的人気を誇るロックバンドのボーカル
世良公則(せら まさのり)
生年月日:1955年12月14日
出身地:広島県福山市
世良公則さんと言えば、1970年代後半に活躍した「世良公則&ツイスト」のボーカリストです。
また、容姿端麗な世良公則さんをアイドル視する女性も多く、アイドル雑誌やティーン雑誌などに登場する機会も多かったそうです。
ニューミジックの星 世良公則
— らうおう (@Krjg14W) May 27, 2018
ヤングのアイドル 西城秀樹
ポップス界のキング沢田研二
名づけてSSS pic.twitter.com/Ah7AsPRdel
世良公則が所属していた「世良公則&ツイスト」とは
「世良公則&ツイスト」は、「ロック御三家」と呼ばれ、日本語ロックをお茶の間に普及させたエポックメイキング的存在でした。
そんな「世良公則&ツイスト」は、デビュー曲の「あんたのバラード」の大ヒットを皮切りに、6曲連続でオリコンTOP10ヒットを飛ばすなど、時代の寵児となりました。
1位:銃爪(1978年)54.8万枚(年間17位)
2位:宿無し(1978年)52.2万枚(年間14位)
3位:あんたのバラード(1977年)43.5万枚(年間25位)
4位:燃えろいい女(1979年)41.0万枚(年間25位)
5位:性(1978年)31.8万枚(年間37位)
紅白歌合戦にも1978年と1979年に連続出場しています。
世良公則は俳優としても成功している
アーティストとして大きな成功を掴んだ世良公則さんですが、人気絶頂期だった1980年、25歳の若さで結婚したため、女性ファンが一気に離れてしまいます。
そのため、「世良公則&ツイスト」の活動も低迷し、1981年にはついに解散。
以降の世良公則さんは、ソロでの音楽活動の傍ら、俳優業にも力を入れ始めます。
俳優としての世良公則さんの代表作には、伝説の人気刑事ドラマ「太陽にほえろ!」の春日部一(通称・ボギー)役が挙げられます。
その他にも、1986年に放映されたNHK連続テレビ小説「チョッちゃん」では、ヒロインの夫役を演じるなど、俳優としても活躍しました。
世良公則の若い頃の経歴① 3歳からヴァイオリンを習うもガキ大将だった
大物アーティストである世良公則さんですが、3歳の頃にヴァイオリンを習い始めるなど、音楽が身近にある環境で育っています。
世良公則さんがヴァイオリンを習い始めたきっかけは、近所の仲の良いお兄さんが習っていたことに触発されたからだそう。
そこのお宅は習字の先生をしていたので、遊びに行っては墨で真っ黒になりながら新聞紙に手形をつけたりとか(笑)。そのときにそのおにいちゃんがバイオリンを弾いているのを見て、「ぼくこれやってみたい」って言ったのがきっかけなんですよ。
世良公則さんのヴァイオリン歴はかなり長く、高校2年生くらいまでヴァイオリン教室に通っていたとのことです。
ちなみに、ヴァイオリン教室に通って音楽理論を習得した効果は大きく、どんな曲でも譜面を見れば初見で弾きこなせる特技が身につきました。
性格はかなりやんちゃだった
幼少期からヴァイオリンを習っていたことから、お坊ちゃま的な少年時代かと思いきや、世良公則さんはかなりやんちゃな性格の子供だったそうです。
ぼくは保育園のときに、すべり台の上から積み木をばらまくような子どもだったんですよ(笑)。それで親が大変心配しまして、情操教育の一環で音楽を身に付けるようになると、物静かな、やさしい子になるんじゃないかと期待を込めて。
習い事をなんでも途中で投げ出すぼくが、自分から「バイオリンやりたい」って言い出したので、ちょっと無理をしてもということでやらせてくれたようなんです。
ガキ大将だった小学校時代には、下級生をイジメたことを咎められ、先生からビンタされたことまでありました。
さらに、中学生の頃になるとがっつりと不良化してしまった世良公則さんですが、ローリングストーンズを知ったことで、洋楽に興味を抱くように。
以降はギターに目覚め、友達と一緒にボブ・ディランやニール・ヤングなどの曲を演奏するようになりました。
その結果、ヴァイオリン教室から足が遠のくようになり、酷い時は1年間も練習をサボっていた時期もあったようです。
世良公則の若い頃の経歴② 高校・大学時代はバンド活動に熱中
中学を卒業後の世良公則さんは、広島県福山市内にある県立福山葦陽高校に進学しています。
高校時代の世良公則さんは、中学に引き続き不良少年だったそうで、長ランやボンタン、リーゼント頭で学校に登校していたそうで、暴走族ではなかったもののバイクも乗り回していました。
ただし、この時期も音楽に熱中しており、同級生が結成した「FBIバンド」に加入し、ベースを担当しています。
世良公則さんは、音楽理論を学んでいたこともあり、レコードを聴いただけでコードを譜面に起こせる特技があったため、バンドメンバーからも重宝されたそう。
ちなみに、FBIバンドでカバーをしていたバンドは、ローリング・ストーンズやディープ・パープルといった洋楽アーティストでした。
大学時代に譜面が読めなくなっていた
高校を卒業後の世良公則さんは、大阪芸術大学芸術学部に進学しています。
また、バンドのメンバーも全員大阪の大学に進学したため、大学時代も引き続き、FBIバンドの活動を継続しました。
とはいえ、音楽関係者から下手くそと不評で、ボーカルが前任者から世良公則さんに交代するなど、マイナーチェンジもしたようです。
そして、世良公則さんにとって一番大きな事件は、ヴァイオリン教室に通っていた時代の「音楽の貯金」がなくなり、譜面が書けなくなってしまったことでした。
ぼくは逆で、バンドを始めてそれまでは譜面も書けたし、曲を聴けば、それを譜面に起こすこともできたのが、まるでダメになった。クラシックで培った財産を、ロックをやることで全部投げ出してしまったんですね。だから今譜面書けないですもの。
多分1年くらい勉強をすれば、思い出して書けるようになるかもしれないんですけど、言葉といっしょで、話さなくなると忘れるんです。
世良公則の若い頃の経歴③ ポプコンでグランプリを取りプロデビュー
FBIバンドは、大学4年時になると「ツイスト」に改名し、洋楽のカバーバンド路線からオリジナル曲路線に変化していきました。
ただし、まだこの時点では、世良公則さんたちはプロを目指すつもりはなく、学生時代の思い出作りのために、ポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)に参加。
しかし、応募曲だった「あんたのバラード」がポプコンでグランプリを獲得し、プロデビューの権利を得たことで、世良公則さんとキーボードの神本宗幸さんの考えが変わります。
その後、就職派のメンバーたちの考えが変わらずに脱退。
知り合いの音楽仲間たちを加えて、「世良公則&ツイスト」でプロデビューを果たしました。
デビュー後、瞬く間にスターダムにのし上がった世良公則さんですが、周囲の扱いは必ずしも良くはなかったそうです。
特に、当時出演していた「ザ・ベストテン」などの音楽番組では、世良公則さんとバンドメンバーの間に書き割り(背景画として使われる大道具)が降りてくることが多かったそう。
生演奏が当たり前だった当時は、書き割りが降りてくると音が遠くなる上、メンバーがオマケ扱いされている感もあったため、世良公則さんは、番組プロデューサーに抗議したそうです。
しかし、昭和の時代はまだまだアーティストを軽く見るテレビ業界人が多く、「若手の癖に生意気だ」とまったく相手にされなかったとか。
世良公則の実家は金持ちで父親は公務員
幼少期よりヴァイオリンを習っていたことから、世良公則さんの実家がお金持ち説も浮上しています。
しかしながら、父親が地方公務員で母親が保育士と、実際の世良家は特別お金持ちな家庭でもなく、県営団地暮らしでした。
ただ、母方の実家がお寺だったそうなので、そちらからの支援も多少あった可能性もあります。
世良公則が超人気ドラマのタイアップを断った理由
世良公則さんは人気刑事ドラマ「太陽にほえろ!」のボギー刑事役で人気を博しましたが、同作品に出演した際の男気エピソードも存在します。
当時、既に大物アーティストの地位を固めていた世良公則さんですが、出演前に「歌手じゃなくて俳優として来たのだから新人扱いで良い」と、番組プロデューサーに要請していたとか。
また、「太陽にほえろ!」の挿入歌を担当する話も持ち上がっていたようですが、「俺の歌は番組のカラーに合わない」と依頼を断っています。
なお、ボギー刑事の人気が爆発した結果、当初は1年間の出演予定だった番組出演期間が、半年も延長されたそうです。
世良公則の自宅は豪邸
大ヒット曲を何曲も持ち、作詞作曲も担当していた世良公則さんだけに、自宅は東京都世田谷区の高級住宅街にあります。
画像を見ても分かるように、かなりモダンな豪邸になっていますので、購入時の価格は相当なものだったように思われます。
世良公則は若い頃に川島なお美と不倫していた
世良公則さんは、女優の川島なお美さんと不倫関係だったのでは?との噂も存在します。
こちらの疑惑は、週刊誌にスクープされたわけではなく、川島なお美さんの元マネージャーが暴露本を出して発覚したんです。
2人は1996年に公開された映画「新極道の妻たち・惚れたら地獄」で共演しており、この作品の収録現場で意気投合して、深い仲になってしまったと言われています。
新・極道の妻たち 惚れたら地獄
— ヤマサキ タクヤ (@sukarupi1112) October 16, 2020
観賞
今回の話わりと好きかも。
とにかく姐さんが耐えて耐えて耐えまくってからの片手マシンガン。姐さんの脇を固める連中もなかなか豪華役者陣ばかりで、それだけでも見応えあり。
川島なお美やら女性陣もなかなか良かった。
世良公則は毎回だれかとやってんなぁ。 pic.twitter.com/s4osDXASHc
元マネージャーによると、世良公則さんは川島なお美さんが最も夢中になった相手だったそうです。
世良公則は病気?噂のきっかけと真相
世良公則さんの検索関連ワードには、「病気」と不穏なワードがあがってきます。
ただし、実際の世良公則さんはこれまでに大病を患ったことはなく、健康そのものだとか。
世良公則さんに「病気」とのワードが浮上した原因については、世良公則&ツイストのメンバーだった大上明さんが、病気で脱退を余儀なくされた過去が関係しているのかもしれません。
また、2018年に世良公則さん本人が、過労による貧血で倒れ、病院に搬送されたことから、心配した多くのファンがいた可能性もあります。
世良公則の家族情報:結婚した嫁は一般人
世良公則、嫁は同級生でアイドル人気絶頂期に結婚していた
世良公則さんは、前述の通り、アイドル的な人気を誇っていた1980年、25歳の若さで結婚しています。
結婚相手は、高校時代の同級生・柳井典子さんという化粧品会社に勤めるOLでした。
世良公則さんと典子さんは、高校時代より交際をしており、8年間も純愛を貫いた末に結婚に至りました。
また、世良公則さんが典子さんへのプロポーズ代わりに作った曲が、1980年2月にリリースされたシングル「LOVE SONG」でした。
ちなみに、新婚当時の2人が暮らしていたマンションには、松田聖子さん・神田正輝さん夫妻も住んでおり、近所付き合いもしていたそうです。
松田聖子と神田正輝、結婚直後に住んでいたマンションは世良公則夫妻(夫人は一般人で専業主婦)も住んでおり、結婚後は休業していた聖子は暇なんで毎日世良夫人と互いの家でお茶していたとのこと。
— 茶屋町吾郎 (@Chaya_machi) April 6, 2019
世良公則の家族情報:息子は元ジャニーズ?
世良公則さんは、典子さんとの間に2人の子供をもうけています。
長男は「世良大吾」名義でファッション雑誌「ポップティーン」の読者モデルをしていたとの噂に加え、元ジャニーズだったとも言われています。
しゃくれているがイケメンで、小柄で少しふっくらした体型だった、と具体的な容姿の証言もあるようです。
ただし、実際に「世良大吾」を検索してみると、該当するような人物の情報が見当たらないため、デマの可能性もあります。
世良公則の家族情報:娘はアナウンサー?
世良公則さんの長女・明音(あかね)さんがアナウンサーとの噂も存在します。
しかしながら、こちらの情報もどうやらガセネタで、明音さんは完全な一般人のようです。
そのため、プライベート情報などは不明となっています。
世良公則の現在① 近年はバイプレイヤーとしても活躍中
近年の世良公則さんは、音楽活動の傍ら、俳優業を継続しています。
社会現象になったドラマ「マルモのおきて」に畑中陽介役で出演しており、健在ぶりをお茶の間にアピールしました。
また、NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」やドラマ「下町ロケット」などに出演しています。
先週の「カムカムエヴリバディ」は世良公則の歌が評判通り圧巻。「日本のルイ・アームストロング」として世良を考えた配役の妙もあろう。水曜日、アメリカに毒を吐く世良の演技も迫真。最近の朝ドラは外れがない。そんな中、不出来だったあの作品やあの作品は何だったのか。https://t.co/JjmoAN7Ksp
— スージー鈴木(硬式):6/17新刊『桑田佳祐論』(新潮新書)発売 (@suziegroove) December 12, 2021
世良公則の現在② 高身長でイケメンだが、髪型が不自然?
2022年現在で67歳となる世良公則さんですが、身長は176cmとデビュー当時から大柄なミュージシャンでした。
その一方で、中年期以降はバンダナを頭に巻いているのが定番スタイルで、薄毛疑惑も浮上。
そんな世良公則さんは、2011年放送の「マルモのおきて」で十数年ぶりにテレビドラマに出演しましたが、その時の髪型が不自然すぎてカツラ疑惑がささやかれるようになりました。
世良公則の前髪がこんもりしてる。ここずっと、バンダナを放したことはなかったのに。外した途端にこの毛の多さは・・・カツラ KGB入り間違いなしだな♪
— 紫 (@emikoom) April 11, 2011
世良公則のカツラ(増毛?)はなんだかすごいな、笑ってしまう。 自信があるのか、変なオールバックにしてるし。
— 銀葉樹 (@shawnradke) October 7, 2011
世間の疑惑の視線を気にせずに、以降も生え際を晒している世良公則さんですが、「髪型が不自然すぎる!」とのネットユーザーの声は絶えない状況です。
世良公則さん、久しぶりにテレビで熱唱したね。髪はカツラかな?#カムカムエヴリバディ
— izfan (@izfan17) December 10, 2021
世良公則の現在③ 陶芸にハマっている
世良公則さんは現在、陶芸にハマっており、グループ展や茶会などを開催しています。
世良さんは2009年、NHKの番組「趣味悠々」で陶芸を担当。多治見市の幸兵衛窯をはじめ、九谷や越前、信楽など全国の窯元を訪れ、陶芸の魅力を紹介した。それ以来、自らも作陶に励むようになり、幸兵衛窯の加藤亮太郎さんら多くの陶芸家たちと親交を深めながら、展覧会や茶会を開いてきた。
2022年4月には、旧知の仲の陶芸家たちの作品を集めた酒器展「世良公則feat. 『AKATSUKI/暁坏』酒器展」をプロデュース。
岐阜県多治見市内にある「市之倉さかづき美術館」で開催されていました。
世良公則のまとめ
世良公則さんは、1970年代後半に一世を風靡した大物アーティストであり、役者としても人気を博しました。
娘や息子も芸能人では?との噂もありますが、どうやら信憑性が低い情報のようです。
音楽活動と俳優活動の他にも、近年では陶芸にも力を入れており、イベントもプロデュースするなどその活動は留まるところを知りません。
世良公則さんの今後より一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させていただきます。