中国に国籍を持ち、劇団「東京壱組」立ち上げから舞台、テレビ、映画で活躍してきた女優の余貴美子さん。
余貴美子さんは范文雀さん、ジュディオングさんとも血縁関係があると言われています。
余貴美子さんの現在までの活躍について総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
余貴美子の生い立ち&プロフィール
「ハマのマリア」と呼ばれた女優・余貴美子
余貴美子さんはとても美人な女優ですが、『Dr.倫太郎(日本テレビ系)』や『家政夫のミタゾノ(テレビ朝日系)』などで個性的な役を多く演じ名脇役として活躍をしてきました。
国籍は中国であり、エキゾチックな魅力のある余貴美子さんについて総まとめしましたのでご紹介します。
余貴美子さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 余 貴美子(よ きみこ)
生年月日: 1956年5月12日
出生地: 神奈川県横浜市中区
国籍: 中華民国
血液型: B型
職業: 俳優
ジャンル: 映画・テレビドラマ・舞台
配偶者: あり(2006年 – )
事務所: アルファエージェンシー
引用:Wikipedia – 余貴美子
余貴美子、父親は台湾人で国籍は中国だった
生まれは横浜市、国籍は中国の余貴美子
余貴美子さんは台湾人の父親と日本人の母親を持つハーフで、横浜市で生まれ日本で育ちましたが国籍は中国に置いているようです。
余貴美子さんの父親は台湾桃園市中壢区の出身で、貿易商をしながらナイトクラブ、キャバレー、ライブハウスの経営も行っていました。
余貴美子さんの父親のお店では、過去にハナ肇さんや山田吾一さんも働いていたようで、池袋の再開発により横浜駅前に新しく飲食店を出店しているようなので現在も経営はうまくいっているようですね。
祖先が中国広東省鎮平村(現在の官坪村)出身の客家であり、父親が台湾出身の中国人華僑ことから、余貴美子さんの一族は国籍を中国としているようです。
一方、余貴美子さんの母親は日本舞踊の師匠をしており、妹がひとりいます。
余貴美子さんの実家には両親と妹の他に祖父母、叔父叔母などが同居している大家族で、多い時には最高で20人が生活していたということで自宅も豪邸だったのでしょう。
余貴美子さんの家庭では母親だけが日本人で、その他全員が中国国籍だったようで、家での会話は中国語だったそうです。
余貴美子、高校時代から姉御肌の酒豪だった
横浜市立老松中学校、神奈川学園高等学校に通った余貴美子
余貴美子さんの出身小学校はわかりませんでしたが、横浜市立老松中学校、神奈川学園高等学校に進学しているようです。
余貴美子さんは中学、高校と茶道部に入っていたようで、日本舞踊をしていた母親の影響も強くあったのでしょう。
しかし、余貴美子さんの豪快な性格は高校時代から発揮されており、よくジャズ喫茶やライブハウスに入り浸って朝まで飲んでいたようです。
余貴美子さんの当時のあだ名が「ハマのキミちゃん」「ハマのマリア」と呼ばれており、バイクチーム「ケンタウロス」に出入りをしてバイク乗りの長髪のイケメンと交際していたようです。
この頃、余貴美子さんはスチュワーデス(現在のキャビンアテンダント)になりたいと思っていたそうです。
高校時代から姐御肌の竹を割った性格をしていた余貴美子
余貴美子さんは現在も凛とした雰囲気を持っているように、高校時代から明るくさっぱりとした姐御肌であり、二日酔い知らずの酒豪として知られていたようです。
「ハマのマリア」と呼ばれて慕われていた余貴美子さんにはテーマソングまであったと言われています。
余貴美子さんは50歳直前頃に結婚していますが、余りにも凄みがあり過ぎて並みの男では相手ができなかったからなのかもしれませんね。
余貴美子、1976年に劇団「オンシアター自由劇場」に入団
高校卒業後に演劇の世界に入った余貴美子
余貴美子さんは神奈川学園高等学校を卒業すると、1976年に「オンシアター自由劇場」に入団して演劇の世界に入りました。
余貴美子さんの「オンシアター自由劇場」時代の代表作は『上海バンスキング』のリリー役で、1985年に退団すると同年に大谷亮介さんらとともに劇団「東京壱組」を立ち上げました。
同劇団では原田宗典さんの戯曲を中心に活動していましたが、14公演の後に1996年に解散しています。
それから余貴美子さんはテレビドラマや映画に舞台を変えて活躍を始めました。
数々の賞を受賞してきた余貴美子
演技派女優として知られる余貴美子さんは現在までに多くの名誉ある賞を受賞してきましたので一部をご紹介します。
余貴美子さんは1998年の映画『学校III』にて「第22回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞」の受賞を皮切りに、2003年の映画『ホテル・ハイビスカス』で「第25回ヨコハマ映画祭 助演女優賞」を受賞しています。
そして、2008年の映画『おくりびと』、2009年の映画『ディア・ドクター』にて、2年連続で「日本アカデミー賞最優秀助演女優賞」を受賞しています。
この2年連続での最優秀賞の受賞は、高倉健さん、役所広司さん、風間杜夫さん、竹中直人さん、松坂慶子さんに次いで6人目となる快挙でした。
また、余貴美子さんは2012年には映画『あなたへ』にて「第36回日本アカデミー賞 最優秀助演女優賞」を、2013年にも映画『武士の献立』にて「第37回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞」を2年連続で受賞しています。
余貴美子は「とぼけた感じのいい人」の役が多すぎる。たまにはすごい悪女も見たい気がする。#純と愛
— 810snow (@810snow1) 2013年1月7日
余貴美子、女優・范文雀とは従姉妹同士?
范文雀といとこ同士だと言われる余貴美子
ネット上では余貴美子さんが女優の范文雀さんといとこ同士だと噂されています。
范文雀さんは台湾人の両親を持ち、日本で生まれて日本で育ちました。
范文雀さんは1968年にドラマ『特別機動捜査隊(テレビ朝日系)』で女優デビューを果たすと、『サインはV』『アテンションプリーズ』など数々の作品に出演し、名脇役として活躍していました。
歌手としても活躍した范文雀
2001年頃まで女優として活動していましたが、2002年に范文雀さんは悪性リンパ腫を煩い心不全により54歳の若さで死去しています。
余貴美子さんの父親と范文雀さんの母親は実の姉弟であることから、ふたりはいとこ同士だと言われています。
余貴美子さんと范文雀さんの祖先は台湾に移住してきた中国華僑の客家であり、余貴美子さんは8歳年上で先に女優になった范文雀さんに憧れて女優を目指したと言われています。
余貴美子、ジュディ・オングと姉妹?
余貴美子はジュディ・オングとは姉妹だった?
余貴美子さんは范文雀さんと実の従姉妹ですが、女優で歌手のジュディ・オングさんとは姉妹だったと噂されています。
ジュディ・オングさんは1961年に日米合作映画『大津波』で女優デビューを果たすと、1966年に「星と恋したい」で歌手デビューしました。
そして、1979年には女性下着メーカー「ワコール」のCMソングだった「エーゲ海のテーマ~魅せられて」が200万枚のスマッシュヒットを飛ばし、ジュディ・オングさんの代表曲となりました。
同曲は1979年に「第21回日本レコード大賞」を受賞し、ジュディ・オングさんは『第30回NHK紅白歌合戦』への初出場を果たしています。
ジュディ・オングさんは2018年現在70歳を目前に控えていますが、2017年には元SMAPの草なぎ剛さん主演のドラマ『嘘の戦争 (フジテレビ系)』に出演し、バラエティ番組『痛快TV スカッとジャパン(フジテレビ系)』や音楽番組『THE夜もヒッパレ(日本テレビ系)』などに不定期出演をして活躍しています。
ジュディ・オングさんの父親は戦後の米軍GHQの報道工作員であり、母親は台湾人であることからハーフでした。
そのため、余貴美子さんと血縁関係には無く、姉妹という噂はデマだったことがわかります。
余貴美子さんの一族は日本に移住して商売をしようと考えていた親日的な家系であるのに対して、ジュディ・オングさんの祖父は辛亥革命の中心的人物であり、抗日活動に精を出していたことからも一族的な繋がりは無いと言われています。
余貴美子さんとジュディ・オングさんが姉妹だと噂されるようになった理由は、ふたりが台湾出身であることや顔が似てることが原因だったようです。
余貴美子が結婚した旦那と子供について…50歳目前の超晩婚だった
余貴美子、2006年3月にNHK美術スタッフ・山下恒彦氏と結婚
50歳を迎える年に結婚した余貴美子
余貴美子さんは過去にバラエティー番組『メントレG(フジテレビ系)』にゲスト出演し、トークコーナーで50歳を迎える年に結婚をしたことを明かしました。
余貴美子さんは2006年3月、50歳を迎える2ヶ月前に結婚したことを発表しました。
余貴美子さんの旦那は2歳年下の山下恒彦さんで、当時はNHKの美術スタッフを務めていました。
その後昇進して現在はNHKのチーフプロデューサーを務めていますが、余貴美子さんと山下恒彦さんの馴れ初めは2001年のNHK朝の連続テレビ小説『ちゅらさん』で、約5年の交際期間を経て結婚に結びついたようですね。
『メントレG』にてTOKIOメンバーからプロポーズについて聞かれた余貴美子さんは「忘れてしまいました」と照れていたようです。
余貴美子さんは50歳での結婚ということもあり夫・山下恒彦さんとの間に子供はいませんが、山下恒彦さんは前妻と離婚したバツイチであり、連れ子がいるという噂もあるようです。
年齢を考えても山下恒彦さんがバツイチ子持ちだったとしても不思議ではないでしょう。
余貴美子さんが明かしたところによれば、夫の山下恒彦さんとの仲は良好でユニークな人のようですね。
「男と女の違いというか、『何で男ってこんな大事な話してるときにカンチョーとかして来るんだろう?』とか(笑)、向こうも『女って何で出かける時間になってもちゃんと出て来れないんだ?』とか思ってたり。みんな違う夫婦だけど、同じなんだなと感じてます。元々、血の繋がりのない他人が繋がりを作っていくわけで、『カンチョー』とか言ってても(苦笑)、互いを認め合っていくのが大事なのかなと思います」
「ハマのマリア」と呼ばれた余貴美子さんにカンチョーをする山下恒彦さんも相当破天荒な人なのかもしれませんね。
余貴美子の昔の若い頃のかわいい画像特集
余貴美子の昔の若い頃のかわいい画像①
余貴美子さんの昔の若い頃は柴咲コウさんに似てると言われていますが印象は確かによく似ています。
余貴美子の昔の若い頃のかわいい画像②
余貴美子さんの昔の若い頃の写真について「かわいい」「美人すぎる」という声が多いようです。
余貴美子の昔の若い頃のかわいい画像④
余貴美子さんが40、50代くらいの画像だと思いますが、美魔女といった感じですね。
余貴美子の昔の若い頃のかわいい画像⑤
余貴美子さんはちょっと外斜視なところも柴咲コウさんに似てると言われる要因になっているでしょう。
余貴美子の現在の美しい画像①
余貴美子さんは還暦を迎えてからも依然として変わらぬ美しさをキープしています。
余貴美子の現在の美しい画像②
2014年10月ドラマ『ファーストクラス』より。
個性的なファッションと髪型が似合ってますね
22歳の余貴美子様、めちゃくちゃ美人やない…( ꒪⌓꒪)…??? pic.twitter.com/h1uWuOu2g8
— 마코토 (@mtavcxoqt206) 2018年2月15日
余貴美子さん好きな女優さんでトーク番組初めて観たけどかわいい人だ。チマタの噺面白かった。
— チャッピー (@duomythique) 2018年2月17日
余貴美子の私生活エピソードから分かる性格
余貴美子の私生活エピソードから性格を探る
ネット上で分かる余貴美子さんの私生活エピソードから性格の傾向を探ってみましたのでご紹介しましょう。
余貴美子の大好物は肉
余貴美子さんは一番焼肉が大好物だと語っていますが、肉好きだからこそ美しさを保っているのかもしれません。また、からすみスパゲティと麻婆豆腐も好きなようです。
余貴美子は昔から酒豪の大酒飲み
余貴美子さんは高校時代からお酒を浴びるように飲んできたようですが、特に好きなお酒は日本酒のようです。ロケなどで地方へ行くと誰も入らないような小さなスナックに行って飲むのが好きなようです。お店の人は余貴美子さんが入ってきて驚くことでしょう。お酒を楽しみながら三味線を弾き民謡を歌うのが好きなようですね。
余貴美子は日本的な文化に慣れ親しんできた
余貴美子さんは日本舞踊をしていた母親の影響か、日舞はもちろん民謡、長唄、和太鼓、三味線、フラメンコなどを習ってきたようです。民謡は名取にまでなっているようです。
余貴美子は沖縄が大好き
余貴美子さんは仕事で訪れた何の縁も無かった沖縄が好きになったようですが、案外のんびりした性格をしているのかもしれません。
余貴美子は誰とでも打ち解ける性格
余貴美子さんは気に入ったお店の店員とすぐに仲良くなるのが得意なようで人当たりの良い性格をしているのでしょう。
50歳での結婚となったのも、人から慕われやすい性格からも、余貴美子さんがブレない芯の強い性格とマイペースさを持っていたからなのかもしれません。
今日はお店に余貴美子さんが来た。
— るみやま (@rmk1212) 2012年8月24日
やさしそうなとってもいい人だった
(^-^)v あーゆう人は実力もそうだけど人柄の良さで仕事とか来てそう。
余貴美子について総まとめすると…
・余貴美子と女優・歌手として活躍した范文雀はいとこ同士である
・余貴美子は50歳直前の2006年3月、NHK美術スタッフの山下恒彦氏と結婚した
舞台出身でこれまでに多くのドラマ、映画で名脇役として活躍してきた美人演技派女優の余貴美子さんについて総まとめしてきました。
余貴美子さんは60歳を超えた現在もドラマ、映画で精力的に活躍していますが。
祖父の代から日本に移住してゼロから商売を始め、多くの失敗の上に成功を築いてきた余一族の逞しい血筋は確実に余貴美子さんに受け継がれているようです。
余貴美子さんは大きな病気をしたことは無いようですが、お酒が大好きなことから健康には気をつけてこれからも長く活躍していって欲しいですね。