アニメ「ちびまる子ちゃん」の原作者である、さくらももこさんには、家族にまつわる不幸エピソードの数々がうわさされています。
この記事では、さくらももこさんの家族にまつわる噂や結婚・離婚に関する情報、そして乳がんで死去した現在までをまとめています。
この記事の目次
さくらももこのプロフィール【顔写真あり】
さくらももこの経歴や顔写真
出典:naver.jp
芸名:さくらももこ
本名:非公開
出身地:静岡県静岡市清水区
生年月日:1965年5月8日
身長:159cm
デビュー:1984年
出身高校:県立清水西高等学校
最終学歴:静岡英和女学院短期大学卒業
さくらももこさんは、自身の少女時代を題材にした漫画「ちびまる子ちゃん」の原作者として知られています。
また、エッセイストとしても活躍しており、初期エッセイ3部作「もものかんづめ」「さるのこしかけ」「たいのおかしら」は、いずれもミリオンセラーの大ヒットを記録しました。
1986年4月、地元の短期大学を卒業後、株式会社ぎょうせいに入社するも、勤務態度の悪さから、わずか2ヶ月で退職勧告を受け、以降、漫画家として本格的に活動を開始。
1990年に「ちびまる子ちゃん」がアニメ化されると、国民的人気を獲得。自身が作詞を担当した主題歌「おどるポンポコリン」で、第32回日本レコード大賞を受賞。
以降、漫画家・作詞家・脚本家・エッセイストとして活動していました。
さくらももこの本名
さくらももこさんの本名は非公開でしたが、旧姓は“三浦美紀(みうらみき)”であるそうです。
現在は再婚していて苗字が変わっているようですが、下の名前は〇〇美紀さんというようですね。
さくらももこの家族にまつわるエピソード【父・母・姉・祖父・祖母】
出典:http://anime-toshidensetu1.net/
自身の少女時代を題材として、漫画「ちびまる子ちゃん」を書き上げたさくらももこさん。
同作品における「さくら家」の家族たちは、とても仲が良く、和気あいあいとした幸せな
姿で描かれていることは、皆さんご存知のとおりです。
しかし、実際のさくらももこさんの家族は、作品内で描かれているものとは全く異なっていたとの「都市伝説」がネット上で、まことしやかにささやかれています。
その都市伝説の内容というのが、こちらです。
さくらももこの家族に関する都市伝説【父・母・姉・祖父・祖母】
・姉→男に騙され借金肩代わり、●●●で返済するも男性恐怖症で現在母の年金でヒキコモリ
・父→八百屋の雇われ店員を続けるもまる子が中学生の時に多額の借金と女を作り駆け落ち。数年後に北海道で凍死しているところを発見される。
・母→心労により統合失調症になる
・お祖父ちゃん→アニメとは違いまる子をとことん嫌っていた。ボケたフリをして姉に性的虐待を行っていた。まる子が小6の時死亡。葬儀でまる子が「やったーお寿司だぁ~」と喜んだのは有名。
・お祖母ちゃん→ヒロシの借金と駆け落ちに絶望し姉の部屋で首吊り。
家族5人の誰もが、不幸のどん底にあるという驚くべき内容となっています。
幸せな家族を描いたアニメ「ちびまる子ちゃん」しか知らない私たちからすると、信じたくもない話ですが、果たしてこれらの都市伝説は本当の話なのでしょうか?
結論から言いますと、これらの都市伝説は、尾ひれのついたうわさで「真相とは異なる」とされているようです。
これらの都市伝説を知った人が以前、ヤフー知恵袋に質問を投稿していましたが、回答者の方から「うわさ」を否定する回答が行われていました。
9割方デマです。本当なのは、おじいちゃんが陰険な人で、さくらさんはおじいちゃんが心底嫌いだったという点だけです。亡くなったのは、さくらさんが高校生の時。お寿司ではなく、おじいちゃんの死に顔がマヌケで、参列者一同の前で大笑いしたそうです。ちなみに御両親とも健在で、お姉さんも普通にお仕事をされています。
ちなみに、漫画の中では描かれていなかった真実として、さくらももこさんの父の職業が「八百屋店主」であったというものがあります。
漫画の中では、家業が八百屋との描写は一切出てきていません。これは、原作者のさくらももこさんが「ごく普通の家庭として描きたかった」と考えたからだと言われています。
『ちびまる子ちゃん』は、さくらももこの子ども時代の体験がベースとなった半自伝的な作品。つまり、ひろしの職業は青果店店主だったのだ! だが、我々の知っているまる子の家は、店を営んでいるような造りではない。どうやらこれは、「ごく普通の家庭として描きたかった」という作者の意図によるものらしい。きっと、このこだわりによってヒロシの職業を描きにくくなってしまったのだろう。
また、さくらももこさんの実父であるひろしさんは、現在もご存命で、地元の静岡県から、八百屋を廃業して、東京都内へと引越しされているそうです。
まずおじいさんとおばあさんは亡くなっているだろうけど他の家族はまだご健在だそうですよ。以前は自営で八百屋さんをされていたそうですが今はお店を畳んで家族で都内にお引越ししたそうです。お父さんに関しては90年代末ごろに出版された富士山というムック本に出版当時の写真が載っているそうだからご健在であることはたしかです。
ですので、ネット上でまことしやかにうわさされているような「浮気(駆け落ち)の末に、凍死」というような、とんでもエピソードの可能性は一切ないようです。
なぜ、このような「とんでもエピソード」の数々が出てきたのか、その理由も今となっては分かりません。しかし、さくらももこさんを快く思っていない一部のアンチファンによるものであろうことは、容易に想像できますね。
さくらももこの理想のおじいちゃん「さくら友蔵」の真実
出典:https://pbs.twimg.com
漫画「ちびまる子ちゃん」の中で、主人公「さくら ももこ(まる子)」の最大の理解者として、いつも彼女を応援してくれている祖父の「さくら 友蔵」。
Wikipediaにある「ちびまる子ちゃん」の登場人物紹介のページにも、その旨について詳しく紹介されています。
まる子の一番の理解者で、どんな時もまる子の味方。まる子を溺愛しており、まる子のトンチンカンな行動に協力しては他の家族に怒られたりあきれられたりしている。よくまる子に何かをねだられては、年金を使って買ってあげようとする。まる子にローラースルーゴーゴーを買ってあげたが、その後に寿司をねだられて7万5千円分の年金を使い果たし、結局ローラースルーゴーゴーは返品することになった[109]。
孫のまる子を溺愛し、いつも味方に立ってくれる理想のおじいちゃんとして描かれている「さくら 友蔵」。
しかし、漫画の中で描かれている祖父「さくら友蔵」の姿は、現実の祖父とは大きく異なる人物であったことが、後に作者のさくらももこさん自身によって明かされています。
モデルは名も同じ作者の祖父ということになっているが、作者によれば「性格は正反対。意地悪で冷たく、一番嫌っていた」とコメントしている。作者が高校2年の時に老衰で亡くなり、家族たちの誰も涙を流さなかったとのこと。(中略)そのため作中の好々爺である友蔵はむしろ「自分の理想のおじいちゃん」を描いたものであるとのこと。
さくらももこさんの著書「もものかんづめ」に収録されている「メルヘン翁」が、祖父にまつわるエピソードの元ネタとされています。
祖父が死んだのは私が高二の時である。祖父は全くろくでもないジジィであった。ズルくてイジワルで怠け者で、嫁イビリはするし、母も私も姉も散々な目に遭った。ジィさんは、死ぬ数年前からボケていたのだが、そのボケ方がどうも怪しい。知らんふりして私の貯金箱から金を盗んだり、風呂をのぞこうとしたり、好物のおかずが出たりすると一度食べたにもかかわらず、「食べてない」とトボケて食べようとしたりするのだ。
原作のファンからも、さくらももこさんの描いた「さくら 友蔵」が、漫画「ちびまる子ちゃん」の中だけの、理想のおじいちゃん像であったことが証言されています。
さくらももこさんのおじいさんは昔から意地が悪く やたら意地悪をしてきたり イヤミを言ってきたりする嫌なおじいさんで さくらさんとお姉さんのノリコさんはかなり嫌っていたそうです 特に姉ノリコさんは よくボケたふりをしてお風呂を覗かれたりして特に嫌っており、死んだ時 「ムンクの叫び見たいだ」と爆笑したそうです。
実の祖父の死を笑ったという、普通の人の感覚からは理解できないエピソードのある、さくらももこさん。
ネット上では、このエピソードから、祖父を心から嫌っていた彼女の性格の悪さを非難する声も上がっています。
ただ、彼女の著書の熱狂的なファンの方からは「誇張やデマがほとんど」との見解がなされているようです。
ネット上では「さくらももこは友蔵の死をゲラゲラ笑った」と書かれているがそれは誇張だ。確かにさくらももこは友蔵の死を悲しまなかった。しかし笑ったのは実際は姉であり、死に装束があまりにもおかしかったのでついつい笑ってしまったのだ。死そのものを笑ったわけではない。
さくらももこの結婚① 最初の旦那は編集者~現在は離婚してる
出典:https://www.atpress.ne.jp
さくらももこ、編集者と結婚【1989年】
1989年(当時25歳)のときに、集英社の漫画雑誌「りぼん」の編集者を務めていた男性と結婚したさくらももこさん。
漫画やアニメの大ヒットもあり、結婚生活は順風満帆だと思われていました。
さくらももこ、長男を出産【1994年】
1994年には、長男も誕生しており、長男のペンネームはさくらめろんと公表されていました。息子さんのメロン君の本名は陽一郎と言われています。
長男にも母親がさくらももこであることは長く秘匿していたそう。さくらももこさんが息子さんに自身の正体を明かした時期は不明ですが、聞いたときは相当驚いたでしょうね!
さくらももこと編集者の離婚理由とは【1998年】
しかし、1998年にさくらももこさんは、編集者の男性との離婚を発表しています。
さくらももこの結婚② イラストレーター「うんのさしみ」と再婚
さくらももこ、うんのさしみと再婚【2003年】
出典:http://allin8.net
芸名:うんのさしみ
本名:非公開
出身地:非公開
生年月日:1969年1月17日
職業:イラストレーター
その後、さくらももこさんは、2003年にイラストレーターの「うんのさしみ」さんと再婚。現在も夫婦としての関係が続いているとされています。
うんのさしみさんは、現在51歳の男性で、職業はイラストレーターの方と言われています。
主な作品は以下のものとなっています。
- 『アミが来た』 エンリケ・バリオス原作(さくらももこ訳)、徳間書店、2002年。『まほう色の瞳』 エンリケ・バリオス著(さいとうひろみ訳)、徳間書店、2002年。
- 『グランドファーザーとつり人』 トム・ブラウン・ジュニア原作(さくらももこ訳)、徳間書店、2003年。
さくらももこの作品『神のちからっ子新聞』に、ボンバー編集部のイラスト担当のマンガ家として登場している。
さくらももこさんとうんのさしみさんの間に子供はいないので、さくらももこさんの子供は前夫との1人だけということになります。
さくらももこの最近の様子【~2018年】
さくらももこさんは最近も漫画家として活動していました。
静岡県出身の漫画家。
代表作に『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』『神のちからっ子新聞』他、エッセイや作詞など多岐にわたって活動している。2015年、集英社グランドジャンプにて「まんが倶楽部」連載開始。2016年、大好きな郡上八幡のキャラ『GJ8マン』を勝手に創作。
引用:ブログを始めます。
さくらももこさんの活動はLINEブログで報告されていました。
http://lineblog.me/sakuramomoko/
しかし、2018年8月に突然の訃報が・・・
さくらももこが乳がんで死去【2018年8月15日】
さくらももこ死去の訃報
2018年8月15日午後8時29分、さくらももこさんが乳がんで死去しました。
さくらももこは、平成30年8月15日午後8時29分、乳がんのため永眠いたしました。(享年53)
これまで温かい応援をして下さったファンの皆様、お世話になりました関係者の皆様に深く感謝致しますとともに、ここに謹んでご報告申し上げます。
さくらももこ死去にネットでは悲しみの声
さくらももこさんの突然の訃報にネット上では驚きの声が上がっています。
ちびまるこちゃんの原作者さくらももこさんの訃報が伝えられましたが、まだお若いのに残念な気持ちです。
— 一色/夏11日(土)V-39b (@1123and0222) 2018年8月27日
慎んで哀悼の意を表します。
死因が乳癌との事で、同じく乳癌でこの世を去った私の妹の、生前の癌の診断が出るまでの経緯を綴らせて頂きました。
お時間の有る折に御一読頂ければ幸いです。 pic.twitter.com/5WrqKYQfUP
驚き、悲しいです。
— 美山加恋 (@karen_miyama) 2018年8月27日
実写ドラマでたまちゃんを演じさせていただいた時、先生から素敵な絵をいただき、それは今でも私の宝物です。
ちびまる子ちゃんという本当に素敵な作品の中でたまちゃんと出会えたことも私の大事な宝物です。
先生、沢山の宝物をありがとうございました。 https://t.co/i6yLZWmzsN
さくらももこの乳がん闘病について
さくらももこ、乳がんを2011年から患っていた…最期は両親と息子が看取る
死去してしまったさくらももこさんですが、2011年から乳がんを患っていたと言います。病気が発覚した直後に東日本大震災が起きたので大変だったようです。
病気が発覚したすぐ後に、東日本大震災(2011年3月11日)が起きた。さくらさんは、直後は作品中では触れるべきではないと考えたが、震災1週間後、まる子が花畑の中で涙を浮かべながら「きっと大丈夫だよね。日本も」と語る内容の4コマ漫画を新聞に描いた。その後2週間、新聞の連載を休んだ。さくらさんはその時期が本当につらかったと振り返っている。
「病状はずっと膠着状態でしたが、この夏前になって、急激に悪化したそうです」(前出・知人)
東京都心にある自宅からすぐ近くにある総合病院に通って治療を続けていたようだ。奇しくも、そこは、乳がん闘病の末に昨年、命を落とした元アナウンサーの小林麻央さん(享年34)もがん発覚直後に通っていた病院だった。
「最期は、静岡から上京して都内の自宅で一緒に暮らしていたご両親や20代半ばになった息子さんらに看取られたそうです」(前出・知人)
2018年は東京都心にある自宅からすぐ近くにある総合病院に通って治療を続けていたようで、あの小林麻央さんも一時期通っていた病院だったそうですね。
最期はご両親と息子さんに看取られたそうです。
さくらももこ、仕事のために “民間療法” を選択した
乳がんを患ったさくらももこさんですが、すぐに手術をして症状は落ち着いていたようです。その後は抗がん剤を使用していましたが、副作用が辛かったので、仕事に影響が出ないように民間療法を選択したといいます。
乳がん発症時に使用していた抗がん剤の副作用が、相当、辛かったようで、身体にも合わなかった。そのため、仕事に支障がないようにと民間療法を試すようになったのだと聞いています。そうこうしているうちに、取り返しのつかない状態にまでなってしまったようです。
2017年6月に亡くなった小林麻央さんも乳がん闘病で最初は民間療法を選択したことが話題になりましたが、真面目な人ほど民間療法にハマってしまうといいます。
【訃報】小林麻央さん死去、乳がん闘病から現在まで総まとめ【ブログKOKORO】
まとめ
・さくらももこは1989年に漫画雑誌「りぼん」の編集者と結婚するも1998年に離婚している。
・さくらももこは1994年に長男を出産。長男のペンネームはさくらめろん。本名は陽一郎といわれている。
・さくらももこは2003年にイラストレーターの「うんのさしみ」さんと再婚した。
以上、さくらももこさんの家族にまつわる噂や結婚・離婚に関する情報をまとめました。
漫画「ちびまる子ちゃん」の中で、自身の理想のおじいちゃんを描き、幸せな家庭へのあこがれを投影したさくらももこさん。
現実の彼女の私生活は、漫画やアニメの「ちびまる子ちゃん」の世界とは異なり、祖父との確執や離婚・再婚など、波乱に満ちたものであったことがわかりました。
幸せとは言い難い幼少期を送ってこられたさくらももこさん。うんのさしみさんとの再婚後は、離婚のうわさも出ておらず、幸せな結婚生活を送られていました。
しかし、闘病生活を送っており、53歳という若さで亡き人になってしまいました。
ご冥福をお祈りいたします。
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