坂口良子さんは女優としてご活躍されていましたが、2013年に大腸がんによる肺炎でお亡くなりになられています。
記事では、坂口良子さんの一生涯を時系列で振り返り、元夫の田山恒彦さんや息子の坂口直彦さんと娘の坂口杏里さん、再婚相手の尾崎健夫さん、そして病気で亡くなる前の裏話などをまとめています。
この記事の目次
若い頃が美人!坂口良子のプロフィール
プロフィール
生年月日:1955年10月23日
没年月日:2013年3月27日(満57歳没)
出生地:北海道余市郡余市町
血液型:O型
出身中学校:余市町立東中学校
出身高校:小樽双葉女子学園(現双葉)高校→ 堀越学校
職業:女優
活動期間:1971年 – 2013年
活動内容:テレビドラマ、映画、舞台
坂口良子さんは女優として活躍されていました。
出典:akhd.dee.cc
若い頃:15歳の時の坂口良子さん
1971年のミス・セブンティーンコンテスト優勝をきっかけに芸能界入りしています。
若い頃:16歳の時の坂口良子さん
1972年のフジテレビのテレビドラマ『アイちゃんが行く!』で主演デビューしています。
その後は、愛くるしい顔立ちと親しみやすいキャラクターでアイドル的人気を誇り、『たんぽぽ』『前略おふくろ様』『犬神家の一族』等、人気作品に次々と出演しています。
以下も坂口良子さんの若い頃の写真ですが、本当に美しいですね。人気が出たのも頷けます。
坂口良子さん72年『あこがれ』デビュー!
— 国見亭 (@A813tea) 2015年6月14日
71年「ミス・セブンティーンコンテスト」優勝
72年ドラマ「アイちゃんが行く!」主演デビュー。
「池中玄太80キロ」女優として有名
娘「坂口杏里」さんとバラエティ多数出演
13年癌のため死去。 pic.twitter.com/sX2cH5yF8z
坂口良子の最初の結婚…地上げ屋の旦那・田山恒彦との間に息子と娘・坂口杏里が誕生
坂口良子さんと田山恒彦さんの結婚から離婚まで
1986年に坂口良子さんは不動産会社役員・田山恒彦さんと結婚、そして2人の子供(後述)をもうけました。
元夫の田山恒彦さん
田山恒彦さんは実業家として活躍していた男性で、いわゆる「地上げ屋」だったと言われています。
しかし、バブル崩壊により会社が破綻し、多額の借金を負ってしまいます。
その後、1994年に坂口良子さんは田山恒彦さんと離婚をしました。離婚原因は金銭問題、坂口良子さんは田山恒彦さんに多額の負債を無断で保証させられ、結婚前からの資産も全てなくなっていたと言います。その額はなんと40億円以上と物凄い額です。
その後、2人の子供の親権は坂口良子さんが持ちました。以下、子供について紹介します。
坂口良子さんと田山恒彦さんの子供(息子・娘・坂口杏里)
息子の坂口直彦さん
1989年生まれの一般男性です。坂口良子さんが再婚(後述)した時の披露宴で姿を見せています。
慶應大学医学部を卒業し医者をしているとの噂がありますが、真相は不明です。
また障害者という噂が流れていますが、写真も普通ですし、披露宴でも普通にスピーチをしていたので、ネットのデマでしょう。
娘の坂口杏里さん
生年月日: 1991年3月3日
出身地:東京都
血液型: B型
身長:168 cm
ジャンル:元 バラエティタレント
坂口杏里さんはご存知の方も多いと思いますが、二世タレントとして2008年に芸能界入り、主にバラエティ番組で活躍していました。
親子での共演も
娘の坂口杏里さんが芸能界入りたての時には親子で共演することもありました。
坂口良子が再婚…旦那はプロゴルファー尾崎健夫
坂口良子さんは2012年8月10日にプロゴルファーの尾崎健夫さんと再婚をしています。
1998年に知人の紹介で知り合ったそうで、その時から15年間、事実婚状態だったので、ようやくの結婚といった感じだったそうです。
2012年8月10日に挙式
二人の入籍や結婚披露宴の模様などが『ぴったんこカン・カン』で放送されました。
再婚相手の尾崎健夫さん
生年月日: 1954年1月9日
愛称:ジェット・ジェット尾崎
身長: 181㎝
体重: 81 kg
出身地: 徳島県海部郡海陽町
ジャンボ尾崎こと尾崎将司さんの弟であり、プロゴルファーとして知られています。
2013年に坂口良子が病気で死去…死因は大腸がんによる肺炎
病気で亡くなった坂口良子さん
2013年3月27日午前3時40分、57歳という若さでお亡くなりになられています。
2011年には腸閉塞を患っており、最終的には大腸がん(横行結腸がん)や肺炎など複数の病気を併発していたようです。
女優坂口良子さんが27日午前3時40分に横行結腸がん(大腸がん)による肺炎のため、死去した。今月上旬、一部週刊誌が重病と報じ、坂口さんは12日付の自身のブログで、昨年腸閉塞(へいそく)を患い、インフルエンザから肺炎になったと説明していた。通夜、告別式は近親者だけで行われた。
突然の訃報だった。尾崎と長女でタレントの坂口杏里は29日午後、「かねてより病気療養中(横行結腸がんならびに肺炎)でしたが、平成25年3月27日午前3時40分永眠いたしました」とマスコミ各社にファクスで送信した書面で、坂口さんが天国に旅立ったことを報告。コメントも発表した。「これから家族全員、力をあわせて、皆さまのご厚情を賜りながら頑張ってまいります。今後とも、なにとぞ、ご指導鞭撻(べんたつ)のほどよろしくお願い申し上げます」。
死因は大腸がん(横行結腸がん)による肺炎とのことです。
肺炎とは
肺炎とは、肺の炎症性疾患の総称です。一般的には肺の急性感染症として理解されています。
肺炎では発熱、咳、痰、呼吸困難、全身倦怠感、胸痛などの症状があり、最終的には死に至ることもあります。
しかし、肺炎に至るまでの大腸がんの影響が大きそうです。
大腸がんとは
大腸癌は、大腸(盲腸、結腸、直腸)に発生する癌腫のことです。日本では女性のがんの死亡率の1位、男性では3位を占めます。
坂口良子さんですが、実は2011年秋にがんが発覚していたといいます。
2011年秋にがんが発覚、がんを周囲に隠し闘病生活を送っていた
最後まで見せた女優魂
最期まで女優魂を貫いた坂口さんの闘病生活を、元マネージャーがこう語っています
「2年前、坂口はロケ先の鎌倉で急激な腹痛に襲われ、病院で腸閉塞と診断されました。その治療時に大腸に初期ガンが見つかったのです。あの時、緊急入院という状態だったのに、坂口は周囲に迷惑をかけたくない一心で鎌倉から東京の病院まで自身で運転した。あの精神力ならきっと病魔に打ち勝つと信じていたのに…」
坂口良子さんはガンの発見直後に手術を受けました。大腸に初期ガンと報道されているのでステージは1か2と思われます。
その後半年間、月に2~3日ほどの抗ガン剤治療を続けたといいます。そしてがんで闘病中もドラマやバラエティー番組に出演し、周囲に悟られないように振る舞っていたと言われています。
がんを周囲に隠していた理由としては、子供たちのために仕事を続けたい気持ちが強かった空と言われています。
「何より子供たちのために仕事を続けたい気持ちが強かったのでしょう。坂口は19年前の離婚後、無我夢中で働き、育児ができなかった。それをとても後悔しており、『子供たちに罪滅ぼしをしたい』とよく口にしていた。それでタレントで娘の杏里のために、バラエティーなど女優には畑違いの番組にも積極的に出演したのです」
再婚相手の尾崎健夫さんは本当の病名を知っていたそうですが、坂口杏里さんには「腸閉塞という病気」と嘘をついていたようです。
尾崎は、良子さんが体調を崩して入院した際、本当の病名を知りながら、杏里には「ママは腸閉塞という病気で、手術すれば治るから」と伝えていたという。杏里は尾崎の言葉を信じ、退院した良子さんとともに、バラエティ番組に出演し続けたそう。
しばらくして、良子さんは「検査」と杏里に告げ、再び病院で生活することになった。次に兄からの連絡を受け、杏里が病院に駆けつけたころには、良子さんは話すこともできない状態だったそう。
尾崎は、ここで初めて杏里に、良子さんが末期がんであることを明かしたという。良子さんがタレントとして活躍し始めた杏里に心配をかけたくないと強く願ったため、尾崎は杏里に真実を告げなかったそう。しかし、杏里は母親との時間を奪った尾崎を憎んだという。
この闘病の様子は金スマで放送されています。ネットでは以下のような反応がみられました。
金スマは滅多に見ないのだが昨夜は坂口良子を扱う予告だったので見た。ぴったんこカンカンでは昨年の結婚式も見ていたし、その前から娘の杏理と一緒に何度か出ていたのも見ていた。あの頃から既に末期癌だったのだ。親バカだと見ていたが、死の直前まで子供の為に必死に頑張っていたんだね。切ない。
— 小言の唄 (@N_poruto) 2013年7月27日
坂口良子さん亡くなった知らせ急やったから、きっと癌と戦いながらお仕事してはったんやろうと思ってたけど、想像以上やった。金スマで、最期をみせてくれてありがとうございました。
— なお (@nao20101024) 2013年7月26日
女優坂口良子さんの晩年をテレビで見ている。壮絶なまでの親の愛情.末期癌で痛み止めを打ちながらも娘の為に車椅子を断り自分の足で歩いて最後の仕事をしたって・・・凄すぎる。それを支えた尾崎健夫さんの愛情。家族っていいなぁが最後の言葉ですって。ご冥福を祈ります。
— nikomaro (@nikomaro_oo) 2013年7月26日
まとめ
■2012年8月には15年間事実婚状態だったプロゴルファーの尾崎健夫と再婚。その半年後、2013年3月27日、末期の大腸がんによる肺炎で亡くなった。当時、娘の坂口杏里には病名を隠しており、病名を知った時にはすでに母親は話せない状態になっており、真実を告げなかった義父を憎んだという。
女優・坂口良子さんの一生涯をまとめてみましたが、いかがでしたか?
57歳という若さでお亡くなりになられたのでは残念ですが、がんを周囲に隠して、子供たちのために仕事を続けていた姿には感銘を受けました。
娘の坂口杏里さんは坂口良子さんの遺産でホスト遊び、挙句の果てには借金までもしてしまいましたが、坂口良子さんは天国で泣いているかもしれませんね。
【整形】坂口杏里の現在までの顔の変化や激やせを画像で比較検証!【メンヘラ】
娘さんは残念なことになってしまいましたが、母親の坂口良子さんは素晴らしい女性であったとこのまとめで残しておきます。