ドラマ『さぼてんとマシュマロ(NTV)』で一躍ブレークし、数多くのドラマ・映画で活躍した昭和の俳優・沖雅也さん。
1983年に”おやじ 涅槃で 待つ”という遺書を残して自殺しましたが、その”おやじ”である日景忠男さんとの関係から真相が分かりました。
沖雅也さんの生前の活躍を含めて自殺の真相について総まとめしましたのでご紹介します。
沖雅也のプロフィール
人生に翻弄され自殺した俳優・沖雅也
沖雅也さんは1968年の16歳の時に映画『ある少女の告白・純潔』で俳優デビューを果たしました。またドラマ『さぼてんとマシュマロ』でブレークし一躍時の人となり、31歳までに125本の映画やドラマに出演しましたが、多忙を極める中で躁うつ病を発症し飛び降り自殺をして亡くなりました。
沖雅也さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 日景 城児(ひかげ じょうじ)
出生名: 楠 城児
生年月日: 1952年6月12日
没年月日: 1983年6月28日(31歳没)
出生地: 大分県別府市
死没地: 東京都新宿区
職業: 俳優、歌手
ジャンル: 映画、テレビドラマ
活動期間: 1968年 – 1983年
引用:Wikipedia – 沖雅也
沖雅也さんが”おやじ”と慕った日景忠男さんは1975年に養子縁組をした義父にあたる人物で、その出会いは沖雅也さんが家出して上京し、16歳の時に年齢を偽って働いていた売春専門のホモバーでした。
沖雅也さんが1983年6月28日に自殺した際に「おやじ 涅槃で 待つ」という遺書が日景忠男さん宛に残されていましたが、真相は自殺ではなかったと言われています。
沖雅也さんの自殺の真相を含め、生前の活躍について生い立ちから詳しく総まとめしましたのでご紹介しましょう。
沖雅也、中学生で10万円片手に東京に家出
裕福な家庭で育った沖雅也
沖雅也さんは石油卸売業の父親と、病院経営をする祖父という比較的裕福な家庭に1952年6月12日に”楠城児”として生まれました。
沖雅也さんが生まれてから父親の事業は失敗し大分市に転居することになり、その後も転々と引越しが続きました。
小学校時代の沖雅也さんは非常にいたずら好きのやんちゃな少年で手を焼いていたようです。
沖雅也さんが中学校2年生の頃に両親が離婚してしまい父親に引き取られましたがうまくいかず、1968年1月4日の中学校を卒業する直前に沖雅也さんは手持ちの10万円とバッグを持って家出をして上京しました。
上京した当日はホテルニューオータニに泊まっていた沖雅也さんは、翌日に名前と年齢を偽って中華そば屋に住み込みで働きはじめ、その後カステラ工場の配送の仕事などいくつかのアルバイトを転々として最終的に売り専のホモバーで働き始めました。
その当時の沖雅也さんは16歳で、お店で日景忠男さんに声を掛けられて一緒に住むようになり、芸能活動をするために事務所の設立とマネージャーをしてくれるようになりました。
沖雅也、日景忠男のバックアップでモデルとしてデビュー
沖雅也はモデルとして働き始めた
日景忠男さんのマネージメントにより沖雅也さんはファッション誌のモデルの仕事から始めました。
しかし、単発の仕事であることからなかなか食うに困る生活が続きましたが、1968年に後のオスカープロモーション社長である古賀誠一さんにスカウトされて、日活の関係者にお願いして沖雅也さんは映画『ある少女の告白・純潔』で俳優デビューを果たしました。
高い演技力を発揮した沖雅也さんは、翌1969年に「エランドール新人賞」を受賞するなど俳優として天才的な才能を秘めていました。
才能が認められた沖雅也さんはドラマ『さぼてんとマシュマロ』で全国区でブレークし、その後もドラマ『金メダルへのターン!(フジテレビ系)』や『キイハンター(TBS系)』などで準レギュラー出演をするようになり一躍注目度を高めていきました。
アイドル的な人気を獲得した沖雅也さんはその後本格的に芸能活動するために大手プロダクションの松竹芸能へ移籍し、1972年あたりからはアイドル的な立ち位置から本格的な演技派俳優へのイメージチェンジを図っていきました。
沖雅也さんは1973年から『必殺仕置人(朝日放送)』の「必殺シリーズ」に出演するようになり、1976年からは刑事ドラマ『太陽にほえろ!(日本テレビ)』でレギュラー出演してハードボイルドな俳優としても地位を築いていきました。
1978年にはドラマ『大追跡(日本テレビ系)』、1979年には『俺たちは天使だ!(日本テレビ系)』など人気ドラマに出演を続け、沖雅也さんはお茶の間の人気を集めました。
沖雅也さんは絶頂期には坂口杏里さんの母親で当時アイドル的人気を博していた女優の坂口良子さんが恋人だったという報道もありました。
沖雅也、躁うつ病の発症とテレビ俳優業の廃業
主演作が増える一方で忙殺された沖雅也
沖雅也さんは1981年にはドラマ『江戸の朝焼け(CX・東宝)』で主演を務めるなど活躍は続きましたが、一方で多忙による精神疲労から追い詰められていきました。
沖雅也さんはレギュラー出演ドラマをいくつも抱える売れっ子俳優となりましたが、一方で精神的に不安定になっていき、1981年4月11日に東名高速道路を当時の愛車・キャデラックを運転中に交通事故を起こしてしまいました。
沖雅也さんは幸い怪我は軽かったものの、躁うつ病だと診断されて2週間の入院を余儀なくされてしまいました。
退院してからも精神安定剤が欠かせない生活になってしまい、沖雅也さんは現場復帰するもすぐに肝臓炎を発症してしまい、精神安定剤の副作用による肥満やむくみなどと合わせて躁うつ病はさらに悪化してしまいました。
結局、沖雅也さんはそのまま俳優として復帰することは難しく、表向きには病死と発表されて1982年1月にすべての出演作を降板してテレビ俳優業を廃業しました。
沖雅也、新宿京王プラザホテル最上階から飛び降り自殺
舞台俳優として活動するもまもなく自殺した沖雅也
沖雅也さんは1983年6月28日の大阪での舞台公演目前に、新宿京王プラザホテルにチェックインして派遣型風俗を利用していました。
そして、沖雅也さんは日景忠男さんへ宛てた手紙を相手をした馴染みの女性に渡して欲しいとお願いすると、トレーニングジャージのまま新宿京王プラザホテルの最上階・47階に上がり、飛び降り自殺を遂げたと言われています。
この馴染みの女性は沖雅也さんの恋人ではなかったようですが、当時精神的に不安定だった沖雅也さんにとって拠り所のような存在だったのかもしれません。
沖雅也の死因の真実と遺書~日景忠男は沖雅也に3億円の保険金
沖雅也は飛び降り自殺ではなく不慮の事故だった?
2015年2月に沖雅也さんの”おやじ”であった日景忠男さんが亡くなりましたが、最期を看取った実姉によれば生前「沖の自殺は事故のようなものだった」と語っていたそうです。
沖雅也の遺書「おやじ 涅槃で 待つ」の真相とは?
養子縁組をした日景忠男さんはお金持ちではあったもののゲイだったようで、ホモバーで見つけた沖雅也さんの面倒を見る代わりに体の関係を持っていたようです。
「沖はホモではなく、女好きの普通の男でした。日景は嫉妬深くて束縛するタイプで、沖はそれに嫌気がさしていた。で、日景の財布から50万円抜き取って家出し、ホテルに2日間滞在。当時、報じられたようにホテトル嬢を呼んで、自殺する少し前まで性交していた。実は、沖は彼女に、日景に一通の手紙を渡してほしいと頼んだそうです」
表向きには沖雅也さんが日景忠男さん宛に書いた遺書には「おやじ 涅槃で 待つ」という自殺を決意したような文言として報じられていましたが、この時の手紙には「ホテルに迎えに来てほしい」と書かれてあったとも後付けで語っている日景忠男さん。
つまり、表向きに遺書と言われた「おやじ 涅槃で 待つ」という文言は作られたものであり、真相は沖雅也さんは自殺するつもりはなく日景忠男さんの待つ自宅に帰るつもりで迎えを望んでいたと語っています。
しかし、沖雅也さんは自殺したホテルは半年前から予約していました。
また、遺書の全文からもわかるように、沖雅也さんは病的なまでに美へのこだわりを持っていました。
また、死への覚悟が感じられます。
プラザホテル様へ
大変申し分けなくおゆるし下さいませ。
つかこうへい様 あなたの名、つかを使いし僕をゆるせるものならおゆるし下さい。
人は病む。いつかは老いる。
死を免れることはできない。若さも、健康も、生きていることも、どんな意味があるというのか。
人間が生きていることは、結局何かを求めていることにほかならない。
老いと病と死とを超えた、人間の苦悩のすべてを離れた境地を求めることが、正しいものを求めることと思うが、今の私は誤ったものの方を求めている者。
(便箋の裏) おやじ 涅槃で まってる 沖雅也
沖雅也さんは、躁うつ病の影響で体重は10kg以上増加するも、半年間でベストの体重に戻し、美しい姿でこの世を去ったそうです。
日景忠男さんは沖雅也さんが自殺をしようとは考えていなかったはずだと語っていますが、沖雅也さんの最期を見届けた警備員は、わざわざ後ろ向きになり背中から身を投げた姿をはっきりと目撃しています。
美への意識の高かった沖雅也さんは美しい姿で死にたかったのでしょう。事実、顔には一切傷がなかったそうです。
日景忠男、沖雅也に掛けた保険金3億円を手にする
日景忠男さんはその後沖雅也さんに掛けていた保険金3億円を手にしています。
「元々、保険金は1億円しか掛けていなかった。ところが、日景が知らないうちに保険会社の担当者が3億円に設定し直したといいます。それで、期せずして高額なお金を手に入れたのです。後日、日景は現金3億円をベッドに敷き詰め、その上に寝っころがったとか。その時、『これが沖の全てだ!』と思わず口にしたそうです」
日景忠男さんが大金を手に入れるために意図して沖雅也さんが新宿京王プラザホテルの最上階から落ちるように仕組んだかどうかは不明です。
しかし、日景忠男さんはその後3年間で手にしたお金を使い果たし、一時は借金をするまでに落ちぶれますが、詐欺を働いて2億円をせしめたり、覚せい剤に溺れて逮捕されるなど晩年は悲惨なものでした。
テレビ関係者の「キャラが面白い」という発言を目にしたのは1983年の沖雅也の自殺後、養父で事務所社長だった人に対するものが最初だった気がする。キャラさえ面白ければいいという考え方は、オウム真理教教祖をバラエティに起用するという愚行につながり、でも全く反省ないまま今日に至っている。
— 芦辺 拓 (@ashibetaku) 2017年10月17日
沖雅也の恋人の噂があった坂口良子、葬儀で弔辞も
沖雅也さんは生前、坂口良子さんと恋人関係だったといわれていました。
実際、沖雅也さんの葬儀では弔辞を坂口良子さんが読まれています。
しかし、その場で坂口良子さんは「事実でないのに色々言われて、すごく沖くんが可愛そうです」と実際は兄と妹のような関係だったことを告白しました。
沖雅也が自殺した新宿京王プラザホテルには幽霊が出る?
新宿京王プラザホテルには沖雅也の幽霊が出る?
当時、沖雅也さんの飛び降り自殺は不可解な部分があり憶測が飛び交いましたが、一方で遺書とされた「涅槃で待つ」 という言葉は流行語になっていました。
カリスマ俳優の沖雅也さんが自殺をしてしまったことで、新宿京王プラザホテルは自殺の名所となり何人もの自殺者を出していたようです。
この事件以降、Kホテルは自殺の名所となってしまい、多くの自殺者が出ている。また自殺以外でも殺人事件も数件起きており、心霊マニア垂涎のホテルになってしまった。
山口敏太郎が昨年、友人の漫画家ひぐらしカンナ氏主催のパーティーの出席したとき、参加されていたハンディキャップのある方が筆談で「Kホテル 近くの道を沖雅也の幽霊が繰り返し歩いている」と山口敏太郎に教えてくれた。
このハンディキャップを持つ人の話が本当なのであれば、現在も沖雅也さんは成仏できないまま涅槃にも行けず新宿京王プラザホテル周辺をさまよっているのでしょうか。
#探偵の日
— ウッシー (@okimasaya0612) 2018年5月21日
探偵と言ったら、数々ありますが、僕の推しは、もちろん、沖師匠(沖雅也さん)の代表作の俺達は天使だ!です pic.twitter.com/DOXavW9zQt
当時の沖雅也のことは全くなにも知らなかった。たぶん私も大ショックだとおもうが、現在遺された映像だけしかないけどイキイキとしていた沖雅也が好き。それでいい。 https://t.co/FLCt4fmPul
— シスターうさこ (@usacorori) 2018年5月27日
沖雅也について総まとめすると・・・
・沖雅也は983年6月28日、遺書を遺し新宿京王プラザホテルの最上階から飛び降り自殺した。
・沖雅也は共演の多かった坂口良子が恋人と噂されていたが、葬儀で坂口良子は否定している。
・沖雅也の死により、日景忠男は3億円の保険金を手にした。
刑事ドラマや時代劇、映画など数多くの作品で活躍しながらも、”自殺”により自ら命を絶った昭和の人気俳優・沖雅也さんについて総まとめしてきました。
結局、新宿京王プラザホテルに出る沖雅也さんの幽霊の目撃情報が本当なら現在も苦しみ続けていることになり、「涅槃で待つ」のは日景忠男さんの方になってしまったのかもしれません。