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岡田更生館事件の犯人&館長の名前と写真は?事件の詳細とその後まとめ

戦後直後に岡山県で起こった「岡田更生館事件」ですが、フィクションを超える惨劇が繰り広げられた事件として有名となっており、70人を超える犠牲者が出ました。

 

この記事では、「岡田更生館事件」の詳細、大森実さんと小西健吉さんが事件を暴いた経緯、犯人や館長の名前と写真、そしてその後や映画やアニメの題材についてまとめてみました。

「岡田更生館事件」とは?大森実と小西健吉らが潜入調査の末に暴いた大量殺人事件

 

 

「岡田更生館事件」とは、毎日新聞記者である大森実さんと小西健吉さんが潜入調査の末に暴いた大量殺人事件となります。

 

「岡田更生館事件」の舞台となった場所は、1946年から1950年にかけて岡山県吉備郡岡田村(現:倉敷市)に存在した貧困者向けの収容施設「県立岡田更生館」でした。

 

「県立岡田更生館」では、収容した貧困者に対する非人道的な扱いに加えて、脱走者への私刑も行われていたため、わずか数年の間に76名もの犠牲者が出ていたことが判明しています。

 

 

以降の項では、「岡田更生館事件」の詳細や時代背景について紹介させて頂きます。

 

 

 

「岡田更生館事件」の時代背景…戦争による荒廃でホームレスが激増していた

 

 

凄惨な事件の舞台となってしまった「県立岡田更生館」ですが、敗戦直後の日本を取り巻く社会情勢上やもなく誕生した施設でした。

 

当時の日本は、米軍の爆撃を受けて主要都市が焼け野原となり戦災孤児が大量に発生していた上に、外地からの引揚者や復員兵の中には行き場のない人間も大量に発生していたそうですね。

 

そういった戦争の被害者たちは、復興の始まったばかりの日本ではホームレスとして暮らす以外に道はありませんでした。

 

そのため、終戦直後は岡山県下でも大量のホームレスが存在したようで、治安の悪化なども懸念されていました。

 

岡山県でも、1946年9月時点で岡山市中心部で老若男女500人以上、県全体では未成年の浮浪者だけでも約2,000人を数えた。その中には犯罪に手を染める者もいて、住人が被害に遭うなど治安の悪化が懸念された。

 

引用:岡田更生館事件

 

そんな状況を解決するために全国各地に作られたのが貧困者向けの収容施設となっており、ピーク時の「県立岡田更生館」には500人以上もの収容者がいたと言われております。

 

ちなみに、当初は年齢に関係なく貧困者全般を収容をしていた「県立岡田更生館」ですが、篤志家たちの間で「子供には子供の環境を」との声が高まった結果、1947年になると県下に保護児童収容所が次々と設立されたことも手伝い、子供たちはそちらに移っていたようですね。

 

とはいえ、「県立岡田更生館事件」はその頃には既に問題施設化していたようで、子供の犠牲者も少なからずいたとか。

 

 

「岡田更生館事件」の詳細その①…北川のタレコミが事件の始まりだった

岡田更生館事件、授産施設での労働を誘い文句に貧困者を誘い出していた

 

「岡田更生館事件」が発覚したきっかけについては、放浪詩人・北川冬一郎さんのタレコミだったと言われております。

 

1949年1月頃に、仕事を探すために倉敷市を訪れていた北川さんですが、日雇い仕事にもありつけずに駅のベンチで一晩を過ごす羽目になってしまったとか。

 

そんな北川さんに目をつけて声をかけてきたのが、「県立岡田更生館」職員・Aでした。

 

 

Aは、行き場のない貧困者たちをスカウトする役割を担っていたようで、「施設内の授産施設で働けば日給300~400円稼げる」との謳い文句で北川さんを誘い出すことに成功しています。

 

1949年当時の日給300~400円は、現在ならば1万5000~2万円相当の好条件となるため、聊か胡散臭い話でもありますが、Aが岡山県会計課主事の肩書を持つ公務員も兼ねていたことから信じてしまった人間が続出していたようですね。

 

 

岡田更生館事件、騙して収容した貧困者たちを監禁していた

 

Aにまんまと誘い出されてしまった北川冬一郎さんですが、「県立岡田更生館」に着くなり丸坊主にされた挙句、土蔵の2階に収監されてしまったそうですね。

 

収容者には序列がつけられ、「作業場」と呼ばれる3か所のいずれかに収容された。浮浪者はまず第一、第二の作業場に収容される。指導員に見込まれた者のみが”優等生”として第三作業場に昇格できる仕組みとなっており、更生館は外部から視察が来ると、この特別室とも言える第三作業場のみに案内していた。第三作業場はバラックの2階建ての縄ムシロ倉庫で、その2階部分が居住スペースだった。一方第一、第二作業場は土蔵造りの建物であった。

 

引用:岡田更生館事件

 

 

その後の北川さんは、畳1畳のスペースに数人が収容されるといった劣悪な環境の下、夜は逃亡防止のために裸で麻袋にくるまって眠ることを強要されるなど、奴隷同然の扱いを受け続けることになりました。

 

お風呂にもほとんど入れない環境下での収監生活は、最悪な衛生状態だったことは言うまでもなく、収容者たちは疥癬(かいせん)に苦しんだ他、結核なども蔓延していたと言われております。

 

「疥癬」はダニの一種である「ヒゼンダニ」がヒトの皮膚に寄生しておこる皮膚の病気で、腹部、胸部、大腿内側などに激しいかゆみを伴う感染症です。直接的に肌から肌、また、衣類やリネン類を介して間接的にヒトからヒトへ感染します。

 

引用:疥癬(かいせん)を正しく知りましょう

 

その他、1日3回の食事内容に関しても、朝晩は水のように薄い雑炊しか出なかった他、昼もパンや麦飯が出る程度でした。

 

当然ながら、劣悪すぎる環境に耐えきれずに「県立岡田更生館」を脱走する収容者たちは続出していたようですが、すぐに捕まって連れ戻された挙句、集団リンチを受けて殺されてしまうことになりました。

 

「県立岡田更生館」が脱走者を許さない鉄壁の収容所化していた理由については、収容者の一部を仲間に引き入れて指導員として利用し、他の収容者たちの行動を監視させていたそうですね。

 

ちなみに、指導員に昇格した収容者だけは、お腹いっぱの食事にありつけていたと言われております。

 

 

岡田更生館事件、北川冬一郎が決死の脱出をした理由とは?

 

脱走者には死の制裁が待っていた「県立岡田更生館」ですが、残された者たちも極度の栄養失調下にあったため、疥癬の掻き傷が原因で死んでしまう人間が続出していたとか。

 

その他にも、唯一の希望だった県庁からの定期視察すらも、指導員たちを利用して上手くやり過ごされてしまっている現実を目の当たりにした北川冬一郎さんは、1949年2月中旬に「県立岡田更生館」からの脱走を決意します。

 

北川さんの脱走プランは、定期視察員向けに開催された演芸会に使用した椅子を村役場に返しに行く途中に逃げるという頭脳的なものでした。

 

 

そのため、運良く「県立岡田更生館」から逃げ切ることが出来た北川さんでしたが、地元の醜聞を嫌った警察に隠蔽されることを懸念していたこともあり、事件の告発先には毎日新聞大阪本社を選ぶことになりました。

 

 

「岡田更生館事件」の詳細その②…大森実たちの潜入調査により事件が発覚

岡田更生館事件、大森実記者を中心に潜入調査の計画が立てられていた

 

 

北川冬一郎さんより「岡田更生館事件」の告発を受けた毎日新聞大阪本社の面々ですが、あまりに荒唐無稽すぎた内容も手伝い、当初は半信半疑だったと言われております。

 

とはいえ、現地調査を決行した結果、近隣住民たちから「県立岡田更生館」より定期的に遺体が運び出されているとの証言を得たこともあり、社会部記者・大森実さんが中心となって潜入調査の計画が建てられることになりました。

 

「県立岡田更生館」への潜入調査は、岡山地検の協力を得て潜入翌日の正午に救援部隊が来る手筈となっていた他、非常時に備えて岡田村の外れの旅館に同僚の記者やカメラマンたち数名がスタンバイするといった下準備が整えられていたそうですね。

 

その後、1949年2月16日にホームレスとして「県立岡田更生館」へ送られることとなった大森さんと小西健吉さんでしたが、北川冬一郎さんの証言通りの惨状を目の当たりにしたことは言うまでもありません。

 

 

岡田更生館事件、潜入計画は成功してスクープ写真を手にしていた

 

潜入調査時に27歳の若さだった大森実さんですが、太平洋戦争を生き残った人間だけあり肝っ玉も大きかったようで、救援部隊の到着を待たずに脱走することを思いつきます。

 

大森さんが脱走を思いついた理由については、捕まった際にどんな酷い目にあうのかを実体験したいといった知的好奇心が大きかったようですね。

 

そのため、小西健吉さんと一緒に、1949年2月17日午前に「県立岡田更生館」より脱走した大森さんでしたが、10人を超える指導員が追いかけてきたこともあり、すぐに捕まって連れ戻されてしまったとか。

 

 

その後、事務所に連れていかれてリンチ寸前の状態へと追い詰められた2人ですが、身分を明かして相手がひるんだ隙に、旅館にいる同僚たちに電話をかけて救助を要請しています。

 

車やオートバイに乗り、ものの数分で「県立岡田更生館」で駆け付けたという同僚記者たちは、施設内を回り証拠写真を次々に撮影していったと言われております。

 

 

岡田更生館事件、当初は県や施設側は反論していた

 

正規の大スクープを手に入れた毎日新聞大阪本社の面々ですが、1949年2月18日の朝刊記事は、あえて外部取材記事のみで構成して県側の反応を待っていました。

 

 

そんな思惑にまんまと誘い出されてしまった岡山県知事・西岡広吉さんは、毎日新聞のスクープ記事に憤慨し、否定会見を開く羽目になってしまいました。

 

この辺の西岡さんの反応については、前述の通り「県立岡田更生館」は定期視察員の目を狡猾に欺き続けていたため、スクープ記事を「根も葉もない捏造」だと認識したことは仕方がない話だったのかもしれませんね。

 

思い通り世間が注目する一大騒動となったことに小躍りした毎日新聞側は、西岡さんの会見翌日には潜入調査レポートと現場証拠写真を含めた本玉記事を出し、西岡さんの反論を論破することになりました。

 

その後は、大騒動の当事者となった「県立岡田更生館」側が冤罪キャンペーンを開始し、館長・Bが記者たちを集めて反論会見を開く自体にまで発展しました。

 

悪知恵の働く男だったBは、恐怖に支配されていた収容者たちを上手く利用して、自分の正当性を強調しようとしていたと言われております。

 

また、本館2階の大広間には独自の会見場を設け、反論した。その会見場には、身なりが整えられた収容者が200名余り集められ、正座していた。壇上に立ったN館長が「もし、本当に、私が悪事を働いたと思う人があれば、いまここで、県や国のお役人の前で、手をあげて下さい。」と涙声で訴えたことから、収容者は全員うつむいたまま、手を挙げる者は誰一人いなかった。

 

引用:岡田更生館事件

 

しかしながら、潜入調査により「県立岡田更生館」に顔見知りが何人も出来ていた大森実さんが反論会見に飛び入りして、収容者たちを説得する演説を行ったことで告発者が続出することとなり、Bの小細工は裏目に出る結末となりました。

 

 

「岡田更生館事件」は疑惑の判決だった…犯人一派は微罪だった

 

「岡田更生館事件」に関しては、警察の捜査の結果、施設近くの山に設置された火葬場の広間から大量の白骨死体が発見されるなど、殺人を裏付ける証拠なども発見されたそうですね。

 

 

そのため「岡田更生館事件」は、施設職員ら10人以上が逮捕されるといった大騒動となった一方で、犯人一派の中で殺人罪などで起訴された人間がいないといった不可解な展開を辿ることになりました。

 

岡田更生館事件の主な判決
・館長・B(業務上横領や私文書偽造で懲役1年)
・職員兼岡山県会計課主事A(業務上横領や私文書偽造で懲役1年)
・指導員C(業務上横領や私文書偽造で懲役8ケ月 執行猶予3年)
・施設会計係D(業務上横領や私文書偽造で懲役6ケ月 執行猶予2年)

 

この辺の事情に関しては、当時の裁判資料がほとんど残っていないため、何故そうなったのかは不明となっています。

 

 

「岡田更生館事件」真相とは?…主犯・B館長の実名や写真は非公開だった

 

 

「岡田更生館事件」の真相については、館長・Bを主犯とした(貧困者たちを収容した際に県から支給される)給付金目当ての犯罪であったことが判明しています。

 

Bが横領していた運営費の総額は、現在の紙幣価値で4500万円以上だったそうで、貧困ビジネスの走りとの評価も受けている状況です。

 

認定された主な罪のもう一つは、更生館の館長による運営費の横領だ。収容者の飲食費や衛生費などとして県から交付された金のうち90万円超について、収容者の貯金を使った後の埋め合わせ、来館者の接待費、妻の入院費などに流用した。
虚偽の領収書を作成し、収容者の飲食物や日用品の購入に金を使ったように装う、工作もしていたという。

引用:70人以上死亡 過酷な実態改めて 岡田更生館事件の裁判記録開示

 

日本の戦後史に残る大事件を起こしてしまったBですが、名前や顔写真などは公開されておらず、戦前は満州で巡査をしており柔道5段の猛者だったとの情報が残る程度となります。

 

 

「岡田更生館事件」のその後…映画化はされていないがアニメ「ひぐらしのなく頃に」の題材になっていた?

岡田更生館事件、ひぐらしのなく頃にの題材になっていた?

 

「県立岡田更生館」のその後に関しては、事件発覚後は改称するなどして存続していた時期もあったものの1957年に取り壊されることになり、現在は住宅地となっているそうですね。

 

「岡田更生館事件」については、戦後有数の犠牲者が出た事件である一方で、被害者が身寄りのない貧困者たちばかりという救いのなさから、映画の題材にしようと試みる映画関係者もいませんでした。

 

 

とはいえ、2000年代に一世を風靡したゲーム原作アニメ「ひぐらしのなく頃に」の登場人物・鷹野三四さんが、作中で幼少期に収容されていた施設関連のエピソードに対して、「県立岡田更生館」をモチーフにしているのではないかとの噂もある状況です。

 

三四の過去は悲惨であり、幼少時に両親が事故に遭い死亡。その後、施設職員らによる監視や虐待が横行する劣悪な環境の施設に送られてしまう。表向きには人里離れたような場所にある孤児院だったが、実態は国の補助金を目当てとした名ばかりの施設だった。

 

引用:鷹野三四

 

 

「岡田更生館事件」についてまとめてみると…

 

 

 

「岡田更生館事件」に関しては、大森実さんらの決死の潜入調査が暴いた大量殺人事件である一方で、犯人一味が殺人犯として裁かれることはなかったという救いのない事件となります。

 

「岡田更生館事件」の被害者たちのご冥福を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。

 

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