財産家でもある大橋巨泉さんを最後の最後まで悩ませたガン治療。
大橋巨泉さん嫁の寿々子さんや子供はどんな人?ガン治療で在宅医が誤投与したモルヒネとは大橋巨泉さんにどんな悪作用をしたのか?など気になる話題についてまとめました。
是非、このまとめを読んで誤投与などの医療ミスに立ち向かって下さい。
この記事の目次
大橋巨泉のプロフィール
出典:http://extradmt.net/11898.html
大橋巨泉とは
名前:大橋巨泉(おおはし・きょせん)
本名:大橋 克巳(おおはし・かつみ)
別名義:池間 仙也
生年月日:1934年3月22日
没年月日:2016年7月12日(満82歳没)
出生地 :東京府東京市本所区両国(現・東京都墨田区両国)
身長:178c
血液型:B型
大橋巨泉は1960年代〜2016年までタレント・ラジオパーソナリティー・放送作家・政治家など様々な職業で活躍しました。
芸名の「巨泉」は、もともとは自身の俳号です。多くの芸能人や関係者が「巨泉さん」や「巨泉」と呼ぶので、「大橋さん」と呼ばれるのは皆無に近いようです。自身の人気番組であった「世界まるごとHOWマッチ」では、「きょちゃん」と呼ばれたこともあります。
大橋巨泉の嫁と子供(1956年~)
大橋巨泉の配偶者はマーサ三宅(1956年〜1964年)と、浅野順子(1969年〜大橋巨泉の死去まで)です。大橋巨泉の嫁・マーサ三宅と浅野順子
マーサ三宅(1956年〜1964年)
本名は三宅 光子。生年月日は1933年5月13日生。日本の女性ジャズ・ボーカリストとして活躍。
浅野順子(1969年〜大橋巨泉の死去まで)
本名は大橋寿々子(旧姓:浅野)。生年月日は不明。若い頃はアイドルとして活躍。
1956年にジャズシンガー・マーサ三宅と結婚。次女をもうけるものの、1964年に離婚しています。
1969年14歳年下で当時アイドルであった浅野順子と結婚し、巨泉が35歳・浅野が21歳での結婚は「少女誘拐」などとマスコミに取り上げられました。
大橋巨泉の子供・大橋美加と豊田チカ
長女の大橋美加
名前は・(おおはし みか)。生年月日は1959年8月29日。ジャズシンガーとして活躍。乙女座・AB型・東京都出身。
次女のチカシンガー
名前は豊田チカ(とよだ ちか)。1961年生まれ。ジャズシンガーとして活躍。
大橋巨泉の子供は、長女がジャズ歌手の大橋美加と、次女がチカシンガー、娘2人ともマーサ三宅との結婚生活でもうけた娘です。浅野順子との間には子供はいません。
タレントの大谷瑠奈は、大橋美加の娘です。なお、瑠奈を含めて5人孫がいます。
姪の大橋ひろみはフジテレビ「クイズ!シッテレQ」のレポーターで日本テレビ「クイズ笑って許して」の2枠回答者として出演しました。その他1984年秋には叔父である大橋巨泉と「CFカード」のコマーシャルにも出演しました。
大橋巨泉・司会者として花開く(1960年代から1980年代)
出典:topicks.jp
トーク力は瞬く間にテレビ業界で認められる
1960年代から1980年代にかけ、「11pm」や「クイズダービー」などの司会に起用され大ブレイクを果たしています。特に「世界まるごとHOWマッチ」では、人気絶頂のビートたけしと渡り合うほどのトーク力で視聴者の心を釘付けにする魅力がありました。
セミリタイアする大橋巨泉(1990年代)
出典:buzzshogun.com
1990年にセミリタイアを宣言
人気番組の司会者から、自ら降りて世間をアッと驚かせた大橋巨泉です。しかし、一方では大橋巨泉のような仕事を休む時期・仕事に励む時期を真似する人もでてきたようです。
大橋巨泉が政治家に転身(2000年代)
政治家になったものの、その活動母体の民主党との意見の相違により僅か半年で議員を辞職しました。知名度の高い大橋巨泉だっただけに、かなりの議論を呼ぶ辞職になりました。
大橋巨泉が病気に。闘病生活が壮絶(2005年~2016年)
出典:qulioplus.jp
長引いた闘病生活
2005年5月胃癌を患っていたことが判り、6月に摘出手術を行っています。
2013年まで病気は落ち着いていたのですが、がんが転移し、壮絶な闘病生活が始まります。
2013年11月には中咽頭がんを発症し摘出手術。
2014年11月には肺と食道の間にある「縦隔」のリンパ節に腫瘍が見つかり放射線治療。
2015年5月18日には肺がんの手術を受け、右肺の約3分の1を摘出。
2015年10月14日、縦隔のリンパ節に2か所発見された腫瘍の除去手術。
2015年11月3日、腸閉塞で入院、手術は成功。12月9日に退院。
2016年2月には左鼻腔内にがんが見つかり、外科手術を避け、抗がん剤および放射線による治療を行っていました。
その後も闘病しながら活動を続けていましたが、体力の低下を感じて2016年3月27日に入院、4月5日に一旦退院して在宅介護に切りかえたものの、在宅介護の医療機関によるモルヒネ系鎮痛剤の誤投与により極端な体力減退に陥って4月11日に都内の病院に緊急入院し、5月下旬には集中治療室に入っていました。
週刊現代で連載していたコラムも6月27日発行号掲載分で容態悪化を説明し「気力も体力もない」と連載を終了しました 。
大橋巨泉が死去。死因は急性呼吸不全(2016年7月12日)
出典:yanagiyakoenji.at.webry.info
大橋巨泉の10年位も及ぶ闘病生活
闘病虚しく2016年7月12日に入院先の千葉県の病院で帰らぬ人となってしまいました。
死因は急性呼吸不全とのことです。
タレントの大橋巨泉(本名:大橋克巳)さんが、12日午後9時29分、急性呼吸不全のため入院先の病院で死去した。82歳だった。
大橋巨泉死去前に在宅医が誤投与?
出典:livedoor.4.blogimg.jp
大橋巨泉さんの家族 モルヒネの誤投与、医師への怒りを激白。12日に亡くなった大橋巨泉さんの妻が、医師への怒りをつづっている。モルヒネ系鎮痛剤の誤投与が死期を早めた可能性が少なからずあると指摘。モルヒネ系薬は体力が衰えている人には慎重に使う必要があると医療関係者(`-д-;)ゞ
— @にゅ~す! (@tae643) 2016年8月1日
2016年7月12日に亡くなられた大橋巨泉さんの奥様・寿々子さん(浅野順子と同一人物)によると、「先生からは死因は”急性呼吸不全”ですが、中咽頭がん以来の手術や放射線治療などの影響も含まれますが、最後に受けた鎮痛剤・モルヒネの過剰投与による影響も捨てきれない」との言葉を伺いましたとインタビューに答えています。
死因は“急性呼吸不全”ですが、その原因には、中咽頭がん以来の手術や放射線などの影響も含まれますが、最後に受けたモルヒネ系の鎮痛剤の過剰投与による影響も大きい」と伺いました。もし、一つ愚痴をお許しいただければ、最後の在宅介護の痛み止めの誤投与が無ければと許せない気持ちです。
所属事務所の発表でも誤投与のことが触れられています。
所属事務所の発表によると、2013年11月にステージ4の中咽頭がんを発症、以来3回のがん手術と4回の放射線治療を受けてきたが、昨年11月に発症した2度に渡る腸閉塞とその手術による衰弱、さらに今年4月に受けた在宅介護の医療機関のモルヒネ系鎮痛剤の誤投与により極端な体力減退に陥り、4月11日に緊急入院。入院先のスタッフの治療で3ヶ月間も耐えたが、12日に亡くなった。
大橋巨泉さんに誤投与した在宅医とは?
大橋巨泉さんにモルヒネ鎮痛剤を誤投与した医師は「ニキビ治療専門家」であり、緩和医療の経験の少ない医師であったといいます。名前は公表されていません。
近所の在宅診療所の院長であるA医師だった。A氏は、巨泉さんが「背中が痛い」というと、モルヒネ系の鎮痛剤を処方したという。巨泉さんの親族が語る。
「親族はみな後悔の気持ちでいっぱいです。あとで調べたら、A氏は皮膚科や美容形成外科の分野で有名な医師だったと知り、驚きました」
A氏はもともと防衛医科大学校病院の形成外科医として勤務後、都内に美容皮膚科クリニックを開業。重症のニキビに対する光線力学療法で話題を呼び、ニキビ治療に関する著書も出版するなど、業界内では有名な存在だった。
医療事故訴訟を起こされていた過去もあったといいます。
だが、その得意分野においてもこんな過去があった。防衛医大病院の形成外科医時代の1998年に、あざの治療をめぐって医療事故訴訟を起こされていたのである。原告であるフリーライターの井上静氏によれば、裁判では「十分な説明がなされないまま手術をした診療契約上の債務不履行にあたる」として、勤務する防衛医大=国に、500万円の賠償命令が下された。
今回の背景には、「在宅医療」において根本的な問題があります。
終末期医療や在宅緩和ケアに関する教育体制が追い付いておらず、皮膚科や眼科など緩和医療の研鑽を積んでいない医師が、末期がんの在宅患者を診ているケースがあるそうです。
この誤投与がどれほど大橋巨泉さんの死を早めたのかは不明ですが、遺族はやり切れない気持ちでいっぱいのようです。
まとめ
・大橋巨泉には2人の子供がおり長女・大橋美加、次女・豊田チカともにジャズシンガーである。
・大橋巨泉の死因は急性呼吸不全。長年がんの闘病をしており、最後に受けたモルヒネ系の鎮痛剤の誤投与により死期を早めたと妻は語っている。
大橋巨泉さんの嫁と子供、死去前の誤投与についてまとめましたが、いかがでしたか?
ネットの反応の中には、寿々子さんのコメントに対する鎮痛剤の誤投与やモルヒネ系の鎮痛剤の過剰投与と言った言葉のみを捉え、終末期治療だから仕方がないと反発する意見が見られます。
大橋巨泉さんの家族 モルヒネの誤投与、医師への怒りを激白 #ldnews #ldnews https://t.co/iOkbd92qmu 生きられる流れであれば誤投与はなかったですし、誤投与があっても回復しています。どちらに転んでも生きる時は生きるものです。
— 時刻館 (@zikokukan) 2016年8月1日
しかし、モルヒネ系の鎮痛剤に関しては、強くなる痛みに合わせて鎮痛薬を増加すれば、最後は鎮痛薬によって命を落とすことになります。痛みを我慢せず鎮痛剤を使用すると麻薬中毒になると言った誤解が未だ根強く残っています。みなさまもお気をつけください!