秋元康さんと言えば今やAKB48の生みの親として有名です。
秋元康さんと嫁・おニャン子クラブ高井麻巳子さんとの結婚や子供情報、年収や資産、そして枕営業疑惑の内容やお気に入りメンバーをまとめました。
この記事の目次
秋元康のプロフィール
名前:秋元 康(あきもと やすし)
別名:高井 良斉
出身:東京都目黒区
生年月日:1958年5月2日
秋元康、ハガキ職人から放送作家として業界デビュー
秋元康さんは放送作家、音楽プロデューサー、作詞家、映画監督としても活動しています。
主にAKB48グループや坂道シリーズのプロデューサーで、ほぼ全ての楽曲の作詞をし、番組の企画構成やドラマの脚本なども手掛けており、他にも日本映画監督協会会員、日本放送作家協会理事長、2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事、代々木アニメーション学院名誉学院長兼総合プロデューサーなども務めています。
特に家柄が音楽一家ということでもなく、サラリーマン家庭の2人兄弟の長男として生まれます。高校2年生の時に受験勉強を始めるものの、勉強には集中出来ずラジオをよく聞いていたハガキ職人でした。
そして、ニッポン放送「せんだみつおの足かけ二日大進撃!」を聴いていた際に何気なく、せんだみつおを主人公とした「平家物語」のパロディを受験勉強用に用意したノート20枚にわたり書き上げニッポン放送に送ったところ、社員の亀渕昭信さんと大橋巨泉事務所の放送作家グループに所属していた奥山侊伸さんの目に留まり、奥山侊伸さんの弟子となり同グループに所属することになりました。
その後、放送作家という職業の将来性に不安を感じていたところ、PMPの朝妻一郎さんを紹介され、それを機に作詞を手掛けるようになり、1981年フジテレビ系で放送されたアニメ「とんでも戦士ムテキング」の挿入歌「タコローダンシング」で初めて作詞家としてクレジットされることになります。
アーティストに初めて提供した作品は、Alfeeのシングルレコード「通り雨」のB面「言葉にしたくない天気」で、これ以降作詞家としても活動を開始します。
特に1982年の稲垣潤一「ドラマティック・レイン」、1983年には長渕剛「GOOD-BYE青春」で作詞家としての知名度を得ることになりました。
秋元康、「おニャン子クラブ」のプロデューサーとして一躍有名に
1985年、秋元康さんは女性アイドルグループ「おニャン子クラブ」のプロデューサーとして大成功をおさめます。
これにより、業界内にとどまらず世間にも「秋元康」の名前が知られるようになりました。
おニャン子クラブ
1988年には一度渡米し、ニューヨークに1年半ほど滞在、帰国後、美空ひばりさんの遺作となった「川の流れのように」の作詞を担当し、現在の作詞家としての地位を不動のものにしました。
秋元康、2005年に「AKB48」総合プロデューサーに就任
2005年、KRKプロデュース株式会社代表の窪田康志さん、株式会社office48代表の芝幸太郎さん、株式会社電通らと協力「秋葉原48プロジェクト」を発足し、東京・秋葉原で女性アイドルグループ「AKB48」を立ち上げ、総合プロデューサーに就任します。
AKB48
2006年、株式会社AKSを東京都港区白金台に設立し、AKB48の運営・管理業務を行うこととなり、AKB48は専用劇場で毎日公演を行う「会いに行けるアイドル」を標榜しました。
デビュー当時は「アキバの萌えアイドル」といった地下アイドル的な位置付けでしたが、10thシングル「大声ダイヤモンド」以降徐々に一般の人気を上げ、2010年以降はシングルCDにおいて100万枚を超える売り上げを記録するようになりました。
秋元康のマルチな仕事内容とは~過去には映画監督にも挑戦
プロフィールからもわかりますが、秋元康さんは放送作家、プロデュース、作詞家、映画監督と様々な仕事をしています。
秋元康の作詞家としての実績は4000曲以上
作詞家としてはこれまで4,000曲以上を世に送り出してきており、最初にミリオンセラーを出した曲はとんねるずの「ガラガラヘビがやってくる」となり、最もヒットしたシングルはAKB48の「さよならクロール」となります。
秋元康さんが天才といわれる所以の一つが、あらゆるジャンルの作詞をこなしてしまうところです。
美空ひばりさんの遺作となった「川の流れのように」やジェロさんのデビュー曲「海雪」も担当するなどジャンルの垣根を越えて言葉を紡ぐことが出来る天才ですね。
また、月光恵亮プロデュース楽曲、真矢、猿岩石の楽曲とアニメソングの作詞を担当する際は「高井麻巳子は良妻」をもじった「高井 良斉」のペンネームを用いることもあります。
秋元康、アイドルプロデューサーとして数々の有名アイドルを生み出す
秋元康さんはおニャン子クラブ、AKB48、乃木坂46など数々のアイドルユニットのプロデュースを手がけています。
・1985年-1987年おニャン子クラブ
・1985年-1989年少女隊
・1986年-1987年息っ子クラブ
・1989年幕末塾
・1993年ねずみっ子クラブ
・2001年-2006年推定少女
・2005年~AKB48
・2008年~SKE48
・2009年-2012年SDN48
・2010年~NMB48
・2011年~HKT48、乃木坂46、JKT48
・2012年~SNH48
・2015年~Thinking Dogs、欅坂46、NGT48
・2016年~BNK48
・2017年~STU48、ラストアイドルファミリー
・2018年~TPE48、MNL48
やはり、秋元康さんには女性アイドルのスター原石を見抜く力があるのでしょうか。
しかし、この能力は女性に対してだけのようで、ジュノンスーパーボーイコンテストの審査員をした際に、優勝した武田真治に対して、「こいつはダメ」と1人だけ思っていたとか…
しかし、その後の武田真治さんの大活躍を目の当たりにして、「見る目がない」と反省したそうです。
秋元康、映画監督としてはいまいちパッとせず…
秋元康さんは意外ですが、映画の監督やプロデューサーとしても活動しています。
主な監督作品としては松坂慶子さん主演の1991年作品『グッバイママ』や森光子さん主演の2000年作品『川の流れのように』などを手がけました。
しかし、作詞やアイドルプロデュースに比べるとヒット作はありません。
そんな彼が、おそらくはずっと憧れ、しかし自らの手で成功をつかむことはできなかった世界がある。それは、映画だ。彼の過去のインタビューを追うと、ときおり映画に関する発言が飛び出してくる。
「僕は高校時代、シナリオライターに興味があったんですね。その頃は『祭りの準備』とか『青春の殺人者』とかATG系がバリバリで、脚本家の中島丈博さん、カッコいいなとか思ってました」(「プレイボーイ」91年2月19日号)
秋元康さんは過去のインタビューなどからも映画業界へ憧れがあるようです。
しかし、自分の立ち位置もよくわかっているようで、インタビューではこうも語っています。
「ボクは本質的に監督じゃないんだよね。プロデューサーであり、ヒット請負人」(「SPA!」92年6月17日号)と言う。映画監督を志し自主映画を撮り続けているような青年が聞いたら憤死しそうな発言だが、こうも強調されると逆に、映画監督になりきれない自分を、かつて映画少年だった秋元自身に納得させようと言い聞かせているようにも見えてくるというものだ。
秋元康の結婚した嫁はおニャン子クラブの高井麻巳子
秋元康、1988年におニャン子クラブの高井麻巳子と電撃結婚
秋元康さんは1988年(昭和63年)5月23日、おニャン子クラブのメンバーだった高井麻巳子さんと電撃結婚をしました。
高井麻巳子さんは結婚を機に芸能界を引退、その後夫婦で渡米し1年半ほどニューヨークで新婚生活をしていました。
秋元康の嫁・高井麻巳子プロフィール
名前:高井 麻巳子(たかい まみこ)
生年月日:1966年12月28日
出身:福井県小浜市
血液型:O型
身長:157.5cm
高井麻巳子さんは1985年から女性アイドルグループおニャン子クラブのメンバーで、会員番号は16番として芸能活動を行っていました。
1985年4月に「夕やけニャンニャン」内のコーナー「アイドルを探せ」の出場者をスカウトをする企画で、原宿を歩いているときに伊藤克信さんにスカウトされ、同コーナーで「青い珊瑚礁」を歌い、117点を獲得して合格しおニャン子クラブ会員番号16番としてデビューします。
同年9月、おニャン子クラブから初のソロデビューとなった河合その子さんのキャンペーンに「with おニャン子クラブ」として同行し、10月、岩井由紀子さんと2人でうしろゆびさされ組を結成します。
1986年6月には「シンデレラたちへの伝言」でソロデビュー、1987年4月にはおニャン子を卒業し、女優として連続ドラマに出演するなど活動の幅を広げます。
しかし1988年5月23日秋元康さんと結婚し、芸能界を引退しました。結婚後は表立った活動はありませんが、小説の挿絵などを手がけています。
秋元康の子供は娘が1人~現在は慶應義塾女子高校に在学中
秋元康、2001年3月に娘が誕生!名前は秋元せり
秋元康さんと高井麻巳子さんは、結婚から13年後の2001年3月に第一子となる女児が誕生しました。
名前は秋元せりさんという名前で、特に芸能活動などはしていないので、情報はそこまで多く出回っていません。
学校は小学校から慶應義塾に通っているため、現在は慶應義塾女子高校の3年生となっています。
また、ある噂ではAKBの研究生になるという噂がありますが、その噂に関しては信憑性のない噂なので、ガセネタでしょう。
秋元康の推定年収と資産が凄すぎる!~収入の大部分は印税だった
秋元康の年収はなんと50億円以上!!資産は数百億との噂!
秋元康さんの推定の年収を調べてみたところ、推定年収はなんと50億以上と言われているのです。
国税庁の調査では、「文筆・作曲・美術家」の区分で平成24年度の所得が50~100億円の人間が1人であることから、状況的にこれが秋元氏とみられているという。AKB48だけでなくSKE48やNMB48ら関連グループの総売り上げだけで200億円以上となるだけに、この印税だけでも十数億円。さらに同年にはパチンコ台のリリースもあり、同じく権利料として十数億円が入るのは間違いないという。
ただ、AKB48などのアイドルグループの運営は儲かっていないそうです。これは自身のツイッターで「CD売れても握手会とかの会場代とかで出てっちゃう」と発言していました。
秋元康さんの年収の大部分は作詞印税となりますが、その他にもAKB48などプロデュースしているユニットの一人でもCMなどに出演すると、出演料の一部が秋元康さんに入ってくるようになっているそうです。
またAKB48の研究生は1公演のギャラが5,000円程度ということが秋元氏の口から明かされているだけに、こうした秋元氏の“一人勝ち”に対して、「メンバー全員に300万ずつくらい配れよ」というネットの声も。
アイドルプロデューサー業というのはおいしい仕事なんでしょうか。
50億以上というのはビックリですね。少しは多忙なアイドルたちにも還元して欲しい気もしますが…
ちなみに秋元康さんの総資産は数百億円と言われています。年収が50億以上あれば資産として数百億円になるのも納得出来ます。むしろ数千億の可能性もありますね。
秋元康の枕の真相とは?~AKB48は秋元康の「喜び組」との噂も?
元AKB48の前田敦子が秋元康に枕営業していた噂が浮上
これだけ若くてかわいい女の子たちと仕事をしている秋元康さん。自身の嫁も元おニャン子のメンバーということもあり、枕営業の噂もネット上では囁かれています。
AKB48の人気ナンバーワンであった前田敦子が、AKB48のプロデューサーである秋元康に枕営業をしていた疑惑がネット上に多くリークされている。
引用:前田敦子 × 秋元康(プロデューサー) 枕営業疑惑 | AKB48恋愛発覚データベース − 彼氏 風俗 AV 全男性スキャンダルまとめ –
ちなみに前田敦子は
秋元が早々に愛人契約をしましたが(どちらかというと前田のほうがノリ気で股を開いたのですが)
引用:前田敦子 × 秋元康(プロデューサー) 枕営業疑惑 | AKB48恋愛発覚データベース − 彼氏 風俗 AV 全男性スキャンダルまとめ –
前田敦子
秋元康が、AKBのメンバーにカラダを要求してるみたいだよ。
AKBには、暗黙のルールがあり、先生の言う事には、反対出来ない
みたいだよ。もし、秋元の要求に応えないと、選抜メンバーから
外されるようです。これは、あるメンバーから聞きました。
引用:前田敦子 × 秋元康(プロデューサー) 枕営業疑惑 | AKB48恋愛発覚データベース − 彼氏 風俗 AV 全男性スキャンダルまとめ –
これらの証言を見るとやはり枕営業は行われているのではないか?と思われます。
ただ、あくまでネット上の証言なので信憑性に関しては何とも言えない部分でもありますが、これだけ爆発的な人気があるのであれば、このような噂が立ってしまうのも仕方ないことでしょう。
秋元康のお気に入りメンバーはショートカットが多い?
秋元康さんのお気に入りメンバーとしては前述した元AKB48前田敦子さん、SKE48松井珠理奈さん、元乃木坂46生駒里奈さん、欅坂46平手友梨奈さんなどが挙げられます。
お気に入りメンバーに共通しているのは髪型がショートカットが多く、またグループ誕生初期からセンターを任されていることが多いのでわかりやすいです。
最近では、欅坂46平手友梨奈さんを特に気に入っているようで、猛烈にプッシュされています。
欅坂46平手友梨奈は秋元康のお気に入り確定!生駒里奈や篠田麻里子の舞台で観劇デート
秋元康について総まとめすると…
・秋元康の子供は、慶應義塾女子高校の3年生で名前は秋元せりである。
・秋元康の年収は推定50億ともいわれ、総資産は数百億あると噂されている。
・元AKB48の前田敦子は、秋元康に枕営業していたと噂されたことがある。
秋元康さんの枕の噂に関してはあくまで噂レベルでなんの確証もありませんでした。
芸能界の枕営業の噂はちらほらある話のため、仕方ないかもしれませんが、秋元康さんが潔白であることを願いたいですね。