ドリル優子の異名で知られる衆議院議員の小渕優子さんに再び政治資金問題が浮上しています。
この記事では、小渕優子さんの身長や若い頃の学歴や経歴、父親の小渕恵三さんら家族、結婚した旦那さんや子供、自宅、ドリル優子の由来や現在の政治資金問題などについてまとめました。
この記事の目次
- 小渕優子のプロフィール
- 小渕優子の身長
- 小渕優子の若い頃の学歴や経歴と画像① 幼少期(星美学園幼稚園)
- 小渕優子の若い頃の学歴や経歴と画像② 星美学園小学校時代
- 小渕優子の若い頃の学歴や経歴と画像③ 成城学園中学校高等学校時代
- 小渕優子の若い頃の学歴や経歴と画像④ 成城大学経済学部経営学科時代
- 小渕優子の若い頃の学歴や経歴と画像⑤ TBSに入社し3年間勤務
- 小渕優子の家族① 父親は小渕恵三元首相
- 小渕優子の家族② 母親は小渕千鶴子
- 小渕優子の家族③ 姉はイラストレーター、デザイナーの小渕暁子
- 小渕優子の家族④ 祖父は元衆議院議員の初代・小渕光平
- 小渕優子の家族⑤ 伯父は企業グループ光山社総帥の2代目・小渕光平
- 小渕優子の結婚した旦那はテレビプロデューサーの瀬戸口克陽
- 小渕優子の子供は男子が2人
- 小渕優子の自宅は東京都渋谷区
- 小渕優子は「ドリル優子」の異名で呼ばれる理由は政治資金問題の隠蔽疑惑
- 小渕優子の現在…またしても政治資金問題が浮上
- まとめ
小渕優子のプロフィール
小渕優子のプロフィール
生年月日:1973年12月11日
出身地 :東京都文京区
血液型 :A型
身長 :168cm
小渕優子さんは自由民主党に所属する衆議院議員で、2000年6月の第42回衆議院議員総選挙で26歳にして初当選し、これまでに、内閣特命担当大臣(男女共同参画、少子化対策)、経済産業大臣、内閣特命大臣(原子力損害賠償・廃炉等支援機構)などを歴任した有力政治家です。
小渕優子さんは1998年から2000年まで内閣総理大臣を務めた小渕恵三元首相の次女としても知られています。小渕優子さんは父親の小渕恵三さんが首相に就任した際にその私設秘書になり、小渕恵三さんが首相在任中に脳梗塞に倒れてそのまま亡くなられたため、その地盤を引き継ぐ形で衆議院議員になりました。
小渕優子の身長
出典:https://www.obuchiyuko.com/
小渕優子さんの身長は「168cm」です。
小渕優子さんのオフィシャルサイトの活動報告のページ2004年1月22日の投稿で本人が自身の身長について書かれていました。
1月22日 議員会館のこんにゃくはこの2、3日でこんなに大きくなりました。隣に立つ小渕の身長が約168cmなので…。
ちなみに父親の小渕恵三さんも身長は同じ168cmです。女性の方で父親と同じ身長というのは珍しいですが、母親の小渕千鶴子さんの身長が165cm以上あるようで、そちらの遺伝のようです。
小渕優子の若い頃の学歴や経歴と画像① 幼少期(星美学園幼稚園)
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小渕優子さんは、自民党衆議院議員・小渕恵三さんの3番目の子供(次女)として誕生。2310グラムの未熟児でしたが元気だったため翌日に退院したそうです。
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上の画像は小渕優子さんの初節句の時のもので、お母様の膝の上に乗っているのが生後3ヶ月の小渕優子さんです。
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上は七五三の時のもので、3歳当時の小渕優子さんと若い頃の父親・小渕恵三さん(当時39歳)です。小渕優子さんはこの頃にピアノを習い始め、大学まで続けられています。
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小渕優子さんは1978年に、東京都北区赤羽台のカトリック系のミッションスクール「星美学園幼稚園」に入園しています。
小渕優子の若い頃の学歴や経歴と画像② 星美学園小学校時代
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小渕優子さんは1980年4月に幼稚園と同じ系列の「星美学園小学校」に進学しています。
小学校時代の小渕優子さんはお琴の習い事を始めています。当時は父親の小渕恵三さんについて国会にもよく行っていたそうです。
3年生の時にはブラスバンド部に所属するも早朝練習がキツくなり挫折。4年生からは演劇部に入部してこちらは長く続けています。また、5年生からは児童会役員を卒業まで務めました。
小渕優子の若い頃の学歴や経歴と画像③ 成城学園中学校高等学校時代
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小渕優子さんは中学受験をし、1986年4月に名門私立の「成城学園中学校」に入学してます。
中学時代の小渕優子さんは小学校に引き続いて演劇部に所属し打ち込まれたそうです。また、中学時代は1学年上のバスケ部の先輩に恋をし、高校まで5年間ずっと片思いを続けていたのだとか。
1989年4月には、内部進学で「成城学園高等学校」へと進学。部活は演劇部からゴルフ部に写っています。また、高校2年生の時には小学生時代から続けていたお琴の準師範の試験に合格して名取となり「秀優華」の名前をもらっています。
小渕優子の若い頃の学歴や経歴と画像④ 成城大学経済学部経営学科時代
右から2番目が大学時代の小渕優子さん
1992年4月、小渕優子さんは「成城大学」の経済学部経営学科へと進学しています。(現在の偏差値は52.5)大学では原価計算・会計学のゼミを受講し、卒論のテーマは「コマーシャルによる経営戦略」でした。
大物政治家の子供なのでお金の面では不自由はなかったはずですが、大学時代にはお金を稼ぐ大変さを学ぶためにとたくさんのアルバイトを経験されたそうです。
小渕優子の若い頃の学歴や経歴と画像⑤ TBSに入社し3年間勤務
出典:https://www.obuchiyuko.com/
成城大学を現役卒業後の1996年4月、小渕優子さんはテレビ局のTBSに入社しています。
小渕優子さんはスポーツ部を希望していましたが、研修後に配属されたのは営業局でした。1年半ほど営業局の仕事をした後、制作局へ配属され、「はなまるマーケット」のADとして活躍されました。
ちょうどその時期に、父親の小渕恵三さんが内閣総理大臣に就任し首相官邸に引っ越し。これを機に小渕優子さんは実家を離れて一人暮らしを始めています。
その後、小渕優子さんは1999年3月31日にTBSを退社されています。その理由は、総理大臣としてあまりに多忙のために疲れ切っているように見えた父親の小渕恵三さんを少しでも助けようと、小渕恵三事務所の私設秘書になるためでした。
これが、小渕優子さんが政治の道へと進みきっかけとなりました。
小渕優子の家族① 父親は小渕恵三元首相
小渕優子の父親・小渕恵三のプロフィール
生年月日:1937年6月25日
没年月日:2000年5月14日(没年62歳)
出身地 :群馬県吾妻郡中之条町
身長 :168cm
血液型 :A型
既に書いたように、小渕優子さんの父親は1998年から2000年にかけて総理大臣を務めた小渕恵三さんです。
小渕恵三さんの父親は自民党所属で衆議院議員を2期務めた小渕光平さんでした。小渕光平さんは議員在職中の1958年に脳梗塞により54歳で亡くなっています。
小渕恵三さんは父親の小渕光平さんの死から5年後の1963年11月に行われた第30回衆議院議員総選挙に、父親と同じ旧群馬3区から自民党公認で出馬して26歳の若さで初当選を果たしました。
小渕恵三さんは竹下登さん(第74代内閣総理大臣)の下で力をつけ、1979年に第2次大平内閣にて、総理府総務長官兼沖縄開発庁長官に任命され初入閣を果たしました。
その後、1987年11月に発足の竹下登内閣で内閣官房長官に就任し、1989年に元号が「昭和」から「平成」に改元された際には、「平成」と書かれた額縁を記者会見で掲げ、それ以来「平成おじさん」の愛称で親しまれるようになりました。
その後、自民党幹事長、自民党副総裁、外務大臣(第2次橋本内閣改造内閣)のポストを歴任し、1998年7月30日に引責辞任した橋本龍太郎首相の後継として第84代内閣総理大臣に就任しています。
最初は支持率低く成立した小渕内閣でしたが、その誠実な人柄と経済や外交面での実績が次第に国民に評価されて支持率を上げました。長期政権も視野に入りましたがその矢先の2000年4月2日に脳梗塞に倒れ、同年5月14日に志し半ばにして亡くなりました。まだ62歳の若さでした。
小渕優子の家族② 母親は小渕千鶴子
小渕優子の母親・小渕千鶴子のプロフィール
生年月日:1940年8月16日
出身地 :群馬県吾妻郡中之条町
小渕優子さんの母親は、現在はエッセイスト、環境保護運動家などで活躍されている小渕千鶴子さんです。
小渕千鶴子さんは、小渕優子さんの父親の小渕恵三さんと同じ群馬県吾妻郡中之条町の出身ですが、一部サイトに書かれているに幼馴染ではなく、小渕恵三さんが23歳、小渕千鶴子さんが20歳だった1960年に共通の知人を介して偶然知り合い、その後交際されています。
「主人も私も、群馬県吾妻郡中之条町の生まれです。私たち夫婦の出会いは、主人が23歳、私が20歳の時でした。地元の中之条駅で、本当に偶然出会ったんです。居合わせた共通の知人に紹介され、それから付き合いが始まりました」
と、かつて週刊新潮のインタビューで語っていたのは、小渕恵三元首相の妻・千鶴子さん。
結婚は1967年で、1968年に長女の暁子さんを、その後、長男の小渕剛さんを出産し、1973年に3人目の子供、次女として小渕優子さんを出産しました。
小渕優子の家族③ 姉はイラストレーター、デザイナーの小渕暁子
小渕優子の姉・小渕暁子のプロフィール
生年月日:1968年2月3日
出身地 :東京都北区
小渕優子さんの6歳年上の姉は、イラストレーターやグラフィックデザイナーとして活躍されている小渕暁子さんです。
小渕暁子さんは玉川大学文学部芸術学科を卒業後の1990年に、グリーティングカードメーカーの「株式会社AESOP(現在の株式会社日本ホールマーク)」の企画デザイン室に入社し、1994年に独立して「aube design」を立ち上げました。
これまでのデザイン実績としては、箱根水族館の壁画作成、伊藤忠ファッションシステムとでざイン契約を結び、ライセンスブランド「instyle」を立ち上げ、2005年のグッドデザイン賞の眼鏡部門受賞、上海万博日本産業館のメインキャラクター「昆昆」とユニフォームのデザイン、和歌山日赤病院の壁画作成などがあります。
また、小渕暁子さんは、父親の小渕恵三さんについてのエッセイ「父のぬくもり」、小渕恵三さんへのお見舞いの手紙をまとめた「父が読めなかった手紙」、小渕恵三さんと家族についての「家族の庭」、絵本作家としての初作品「たいせつなちきゅうの たいせつなともだち」など作家としても活動されています。
小渕優子の家族④ 祖父は元衆議院議員の初代・小渕光平
小渕優子さんの祖父(小渕恵三さんの父親)は、元衆議院議員の初代・小渕光平(おぶち・みつへい)さんです。
小渕優子さんの祖父の小渕光平さんは、1904年2月26日に群馬県吾妻郡中之条町に生まれました。家は極めて貧しく、尋常小学校卒業後にすぐに働きに出ています。苦労の末19歳の時に小渕製糸所を創業し、経営努力を重ね群馬県随一の製糸会社へと成長させました。
実業家としては、群馬県トラック協会理事長、群馬県製糸業協会理事、群馬柔道クラブ吾妻支部長、吾妻貨物自動車社長、北毛自動車運送社長などを歴任されています。
政治の世界へと進出したのは1942年で、中之条町議会議員を経て、1949年に衆議院議員初当選。1952年の衆院選で落選するも、1958年に自民党の公認を受けて再当選を果たして国会議員に復帰しました。
しかしそれからわずか3ヶ月後の同年8月26日に脳梗塞で倒れて54歳の若さで亡くなりました。子供である小渕恵三さんも同じく脳梗塞で若くして亡くなっているのは、もしかしたら遺伝的な要因もあったのかも知れません。
小渕優子の家族⑤ 伯父は企業グループ光山社総帥の2代目・小渕光平
小渕優子さんの伯父(父親の小渕恵三さんの兄)は、企業グループ光山社の総帥を務めた実業家の2代目・小渕光平さんです。
- 明治大学商学部と東京農工大学卒業という優秀な学歴を持つ人物で、出生名は小渕庚午(おぶち・こうご)でしたが、志半ばで死去した父親の後を継いで光山社グループの総帥となった際に父親の名も引き継いで2代目・小渕光平を襲名しました。
その後、実業家として卓越した手腕を発揮し、光山自動車工業、光山石材、光山電化工業、光山運輸工業、光山フィリピン、光山カビテ、光山ソフトウェアーなどのグループ会社を次々と設立して事業を拡大させ、成功へと導きました。
以降も様々な企業の取締役を歴任し、2008年5月26日に病気のために77歳で亡くなっています。
小渕優子の結婚した旦那はテレビプロデューサーの瀬戸口克陽
小渕優子の旦那・瀬戸口克陽のプロフィール
生年月日:1973年9月9日
出身地 :鹿児島県
小渕優子さんは、2004年12月7日に結婚されています。
小渕優子さんの結婚した旦那さんはTBS時代の同期である瀬戸口克陽(せとぐち・かつあき)さんです。結婚は瀬戸口克陽さんが小渕家に婿入りする形で、瀬戸口克陽さんは現在は小渕克陽が本名です。
小渕優子さんの旦那さんの瀬戸口克陽さんは、全国でも屈指の進学校「鹿児島県立鶴丸高等学校」(偏差値74)から、東京大学経済学部へ進学し卒業という高学歴を持ち、1996年にTBSへと入社しました。
情報番組のスタッフを2年務めたのち、ドラマ制作現場へと移り、プロデューサーになってからはヒット作を連発し「高視聴率男」とも呼ばれています。
小渕優子さんの旦那さんの瀬戸口克陽さんがこれまでに手がけたテレビドラマの代表作としては、「GOOD LUCK!!」、「ホームドラマ!」、「砂の器」、「花より男子」、「華麗なる一族」、「スマイル」、「獣医ドリトル」、「運命の人」、「99.9-刑事専門弁護士-」、「THE GOOD WIFE / グッドワイフ」などがあります。
こうした実績から、小渕優子さんの旦那さんの瀬戸口克陽さんはTBSの将来の社長候補筆頭とも言われているという事です。
「自民党の選挙対策委員長に就任した小渕優子さん(49歳)の夫・瀬戸口克陽さん(50歳)は、TBSの敏腕プロデューサー。将来の社長候補の筆頭です」(TBS社員)
小渕優子の子供は男子が2人
小渕優子さんと旦那さんの瀬戸口克陽さんの間には子供が2人生まれています。
小渕優子さんと旦那さんの瀬戸口克陽さんの1人目の子供は、2007年9月25日に誕生した長男です。
小渕優子さんは2007年4月に記者会見を開いて子供の妊娠を発表し9月25日に産休届を提出して都内の病院で出産しています。この日は奇しくも、福田康夫さんが内閣を発足させた日で、それもニュースにされていました。
群馬5区選出で自民党の小渕優子衆院議員(33)が25日、都内の病院で、TBS社員の夫(34)との間に、第1子となる男児を出産した。故小渕恵三元首相の孫にあたる。
同じ群馬選出の福田康夫氏が首相指名を受け、内閣を誕生させた日。出産予定日は29日だったが、早まった。地元事務所の秘書は「まさかこの日に重なるとは」。
小渕優子さんと旦那さんの瀬戸口克陽さんの2人目の子供は2009年2月16日に誕生した次男です。
2人目の子供の妊娠を発表した当時、小渕優子さんは麻生太郎内閣で内閣特命担当大臣(男女共同参画、少子化対策)を務めていました。当時、現職閣僚の妊娠は初めてである事も大きく報じられています。
16日付の産経新聞朝刊によると、 小渕優子少子化担当相が15日、群馬県富岡市での後援会の会合で「息子 に弟か妹ができることになりました」と第2子を妊娠したことを明らか にした。内閣府によると、日本の現職閣僚の妊娠は初めてと産経新聞は 報じた。
報道によると、会場の拍手を受けて小渕氏は「大臣であっても選挙 があっても元気な子どもを生みたい」と語った。
小渕優子さんの子供2人の2023年現在の年齢は長男が16歳の高校生、次男が14歳で中学生ですが通っている学校などはわかっていません。ただ、出身小学校は「目黒区立東山小学校」ではないかと言われています。
小渕優子の自宅は東京都渋谷区
出典:https://presidenthouse.net/
小渕優子さんの自宅は東京都渋谷区にあります。
小渕優子さんの自宅が渋谷区の高級住宅街「松濤」にあるという噂が流れていますが、これは事実ではありません。ただ渋谷区内にあるのは事実で、渋谷区内のある閑静な住宅地に自宅を構えています。
2014年10月の毎日新聞に、小渕優子さんの自宅は安倍晋三首相(当時)の自宅から約80メートルのところにあるとの記事が出ています。当時の安倍晋三さんの自宅は渋谷区富ヶ谷町に建つ富ヶ谷ハイツという高級マンションでした。
東京都渋谷区の小渕優子氏の自宅前には、早朝から記者やカメラマンが多数詰め、出張のため自宅を出るのを待ち構えた。改造内閣の「看板」として小渕氏を起用した安倍晋三首相の私邸が、約80メートル先にある。
小渕優子は「ドリル優子」の異名で呼ばれる理由は政治資金問題の隠蔽疑惑
小渕優子さんは2014年9月に発足した第2次安倍晋三改造内閣で、経済産業大臣と内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償・廃炉等支援機構)に任命されましたが、その1ヶ月後の同年10月16日発売の週刊新潮が小渕優子さんの政治資金規正法違反疑惑を報じました。
これを受けて、10月20日に小渕優子さんは大臣を辞任しています。
この小渕優子さんの政治資金規正法違反容疑で、東京地検特捜部が、小渕優子さんの元秘書の自宅や後援会事務所を家宅捜索しましたが、この時に会計書類などを保存していたハードディスクが電動ドリルなどの工具で入念に破壊されていた事も判明。
ドリルでハードディスクを物理的に破壊したのは証拠隠滅を図ったものと疑われ、国民からの大きな批判が起こりました。
この事件以来、小渕優子さんは「ドリル優子」という異名で呼ばれるようになりました。
小渕優子の現在…またしても政治資金問題が浮上
出典:https://news.tv-asahi.co.jp/
2014年のドリル事件以来、重要なポストにはついていなかった小渕優子さんでしたが、2023年9月13日に要職である自民党選挙対策委員長に任命されました。
しかしその直後の9月14日発売の「週刊文春」(2023年9月21日号)が、小渕優子さんが例のドリル事件の後も、「光山商事」、「光山倉庫」、「光山電気工業」など自身のファミリー企業(家族のところでも触れた光山社の流れを汲む企業)にガソリン代、倉庫使用料代、事務用品代などの名目で合計1400万円以上の政治資金を支出していた事を報じました。
また、小渕優子さんが、ドリル事件で有罪判決を受けた元秘書が取締役を務める会社にも政治資金約1200万円を環流させていた問題も報じました。
小渕優子さんは、このファミリー企業への政治資金環流問題について「法に反する事はしていない」と反論しました。
さらにその翌週発売の「週刊文春」(2023年9月28日号)が、追撃記事として、小渕優子さんが父親の小渕恵三さんの死後に、その政治資金を複数の政治団体を迂回させる手法で非課税で約1億5000万円の政治資金を受けっとっていたとする問題も報じました。
そのため、小渕優子さんは現在、再び政治資金問題をめぐって批判が集まっている状況となっています。
まとめ
今回は、自民党所属の衆議院議員で、元総理大臣の小渕恵三さんの娘としても知られる小渕優子さんについてまとめてみました。
小渕優子さんの身長は165cmで、父親の小渕恵三さんと同じです。
小渕優子さんは若い頃の学歴や経歴は、カトリック系の私立「星美学園幼稚園」、「星美学園小学校」を経て、名門私立「成城学園中学校」、「成城学園高等学校」へと進み、「成城大学」の経済学部経営学科を卒業されています。
大学卒業後はテレビ局のTBSに入社して営業局や「はなまるマーケット」のADなどとして3年間勤務。退職後は父親の小渕恵三さんの私設秘書として政治の世界に入りました。
小渕優子さんの家族は、父親が元内閣総理大臣の小渕恵三さん、母親はエッセイスト、環境保護運動家の小渕千鶴子さん、姉がデザイナーの小渕暁子さん、祖父に実業家で元衆議院議員の初代・小渕光平さん、伯父に実業家の2代目・小渕光平さんがいます。
小渕優子さんは2004年12月にTBS時代の同期である瀬戸口克陽と結婚されています。旦那さんの瀬戸口克陽さんとの間の子供は男子が2人で、2023年現在はそれぞれ高校生と中学生です。
小渕優子さんの自宅は新宿区の閑静な住宅街にある邸宅です。
小渕優子さんは2014年に政治資金規正法違反容疑で捜査を受けた際に、会計書類などが保存されていたハードディスクをドリルで破壊した事から「ドリル優子」の異名でよばれています。
2023年現在、小渕優子さんの政治資金問題が再び浮上しており、批判を受けている状況です。