官房長官や衆議院議長などを歴任した自民党大物議員の細田博之さんが急逝しました。
この記事では細田博之さんの若い頃の画像や経歴、家系図、嫁の洋さんとの結婚や息子と娘ら子供、松江と都内に複数ある自宅、添い寝セクハラ発言など不祥事、脳梗塞発症と死因などについてまとめました。
この記事の目次
細田博之のプロフィール
細田博之のプロフィール
生年月日:1944年4月5日
没年月日:2023年11月10日(没年79歳)
出身地 :島根県松江市
細田博之さんは、科学技術政策担当大臣、沖縄及び北方対策担当大臣、情報通信技術担当大臣、個人情報保護担当大臣、内閣府特命担当大臣(男女共同参画)、内閣官房長官、衆議院議長などの要職を歴任した衆議院議員で、自民党の重鎮として長年にわたって君臨しました。
細田博之さんは若い頃から政治の世界で絶大な権力を握った人物でしたが、晩年はスキャンダルを連発しました。
2022年5月10日、細田博之さんは自民党の政治資金パーティの場で「議長になっても毎月もらう歳費は100万円しかない。」などと発言して批判を浴びると、5月17日発売の週刊文春が細田博之さんの女性記者に対するセクハラ疑惑を報道。
その2ヶ月後の2022年7月に安倍晋三元首相が殺害されたのをきっかけに自民党と統一教会との繋がりが明るみに出ると細田博之さんと統一教会の親密な関係も報じられます。
しかし、細田博之さんは、セクハラ疑惑に関しては、被害者の女性記者の報道を肯定する証言が出ているにも関わらず事実無根だと一蹴。統一教会との関係に関しては、関連イベントに出席した事は認めたものの、内容のほとんどないA4用紙1枚の文書で説明したのみで「説明責任が果たされていない」、「紙対応」などと批判が殺到しました。
細田博之さんは2023年7月に脳梗塞を発症して手術を受けた事を明かし、同年10月に体調不良を理由に衆院議長辞任を表明するも、議員は続けたいとして次期衆院選出馬の意向を示したため、「理屈が通らない」、「高額な国会議員報酬に執着しているだけでは」などの批判の声を呼びました。
そして、細田博之さんは衆院議長辞任からわずか1ヶ月足らずの2023年11月10日に79歳で急逝しています。
この記事ではそんな細田博之さんについて改めて紹介していきます。
細田博之の若い頃① 東大法学部卒業後通商産業省に入省し官僚に
細田博之さんは1944年に島根県松江市で、鉄道省(後の運輸省)に勤める官僚だった細田吉蔵の長男として誕生しました。
細田博之さんは若い頃から突出した学力を示し、全国トップクラスの名門である東京教育大学附属駒場高校(現在の筑波大学附属駒場高校、偏差値78)から東京大学法学部(文科一類の偏差値は70)へ進学しています。
東大法学部を現役卒業後は通商産業省に入省して官僚となり、産業政策局物価対策課長などを務めました。
細田博之の若い頃② 父親の細田吉蔵の議員秘書を経て衆議院議員に
出典:https://kagayaku-kagawa.jp/
細田博之さんの父親の細田吉蔵は1960年に運輸省を退官して衆議院議員になり、国務大臣防衛庁長官、自由民主党総務会長などを歴任した後、1983年に運輸大臣に就任するなど大物政治家になっていました。
若い頃の細田博之さんはその後継者として1986年に通商産業省の役人を退官し父親の議員秘書になって政治の世界に入りました。
1990年、父親の細田吉蔵に地盤を譲られる形で島根県全県区から衆議院議員選挙に立候補し初当選し46歳で国会議員となり、以降2021年の第49回衆議院議員総選挙まで11期連続当選しています。
細田博之の若い頃③ 自民党の大物議員の1人に
細田博之さんは、58歳だった2002年の第1次小泉改造内閣で科学技術政策担当大臣兼沖縄及び北方対策担当大臣に任命され初入閣を果たし、60歳の2004年に内閣官房長官に任命されています。
以後は自民党国会対策委員長、自民党経理局長、自民党幹事長代理、自民党幹事長、自民党選挙対策委員長、自民党総務会長など、自民党の要職を歴任し自民党の大物議員として長く政界に君臨しました。
細田博之は若い頃から習っていたピアノでも話題に
出典:https://www.news-postseven.com/
自身の生い立ちやプライベートについてはほとんど明かされていない細田博之さんですが、Twitter(現在のX)のプロフ欄に「趣味はピアノ」と記載しており、小学校3年生の頃からピアノを習っていた事を明かしています。
母親の同級生にピアノの先生をしていたそうで、そこで毎日習いにいっていたのだそうです。ただ、その後3年ほど習った後にピアノをやめてしまったそうです。
しかし、39歳の頃にもう1度ピアノをやってみようと思い立ち、再び趣味としてピアノを演奏するようになったそうで、独学で相当練習されたという事です。
細田氏は小学生の頃ピアノを習っていたが、3年ほどで辞めてしまい、再開したのは39歳のときだった。
最初の頃は『トロイメライ』、『エリーゼのために』、といった曲を何百回も弾き、独学で練習した。
細田博之さんは年齢を重ねてからも趣味としてピアノを弾かれており、自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)のYouTubeでピアノを披露されています。
細田博之の家系図と家族
細田博之さんの家系図です。
続けいて、細田博之さんの家系図を見ながら家族についても紹介していきます。
細田博之の家系図① 父親は元大物政治家の細田吉蔵
細田博之の父親・細田吉蔵のプロフィール
生年月日:1912年5月2日
没年月日:2007年2月11日(没年94歳)
出身地 :島根県松江市西茶町
細田博之さんの父親の細田吉蔵さんは運輸省の官僚を経て、1960年から1990年まで10期連続で衆議院議員を務めた自民党の大物政治家です。
行政管理庁長官、防衛庁長官、 自民党総務会長、運輸大臣などを歴任しました。
1990年に息子の細田博之さんに地盤を譲って政界を引退し、自民党の党友組織である「自由国民会議」の代表に就任して終生務め、2007年に2月11日に94歳で死去しています。死因は「急性心筋梗塞」と発表されています。
細田博之の家系図② 母方の祖父は元軍人で政治家の升田憲元
細田博之の母方の祖父・升田憲元のプロフィール
生年月日:1875年8月15日
没年月日:1949年5月10日(没年74歳)
出身地 :島根県飯石郡赤名村(現在の飯石郡飯南町)
細田博之さんの母方の祖父は、元陸軍軍人で立憲民政党の衆議院議員だった升田憲元(ますだ・のりもと)という人物です。
細田博之の母方の祖父・升田憲元は、陸軍将校として日露戦争にも従軍した元軍人で、日露戦争後に京都帝国大学法科大学政治科と法律科を卒業して高等文官試験に合格し、陸軍省参事官、国勢院事務官、大蔵事務官、国勢院総裁秘書官などを歴任しました。
1922年に退官後は弁護士になって帝国在郷軍人会本部法律顧問、陸軍軍法会議指定弁護士を務め、その後政界へと進出して東京都東京市芝区会議員を経て、1936年の第19回衆議院議員総選挙で当選して衆議院議員となりました。
細田博之の家系図③ 父方の祖父は油卸問屋を営んだ商人・細田義一郎
細田博之さんの父方の祖父は、油の卸問屋「細田油店」を営んだ細田義一郎という人物です。
細田博之さんの父方の祖父の細田義一郎がどのような人物だったのかは伝わっていませんが、細田家は元々は、中国地方の大名・尼子家の家臣だった武家の家系で、主家滅亡後に1度帰農し、江戸時代に回船問屋として栄えたという事です。しかし明治維新の時に1度没落。その後島根県松江へ移り油屋を開業して再起し、豪商と言われるまでの成功を収めたという事です。
細田博之さんの父親の細田吉蔵はこの細田義一郎の4番目の子供として生まれたため家業は継がず、東京帝国大学法学部を卒業して官僚を経て衆議院議員となって大物政治家に上り詰めました。
細田博之の家系図④ 結婚した嫁の父親(細田博之義父)は加藤昌一
細田博之さんの結婚した嫁の父親、細田博之さんにとっての義父は加藤昌一(かとう・しょういち)という人物で、東大工学部機械科を卒業後、鉄道省(運輸省)に入省して国鉄に所属。
国鉄退職後は神戸製鋼所に入社し取締役、常務取締役、系列の神鋼造機の会長などを歴任しました。
細田博之さんと加藤昌一さんの娘である嫁との結婚については次の見出しで見ていきます。
細田博之の結婚と嫁
家系図のところでも触れたように、細田博之さんは神戸鉄鋼所の元常務取締役の加藤昌一さんの娘と結婚されています。
細田博之さんが結婚した嫁は加藤昌一さんの長女の洋(ひろ)さんという女性ですが、詳しい事は明かされていません。
細田博之さんは自身の結婚については全く語っておらず、結婚した時期すらも不明です。また、嫁の洋さんについても1度も語られておらず、嫁の洋さん自身も表には出ずに裏方に徹されていたようで顔画像なども流出していません。
細田博之さんの嫁の細田洋さんは、2022年2月1日に76歳で亡くなられています。死因は「誤嚥性肺炎」と発表されています。
細田 洋さん(ほそだ・ひろ=細田博之衆院議長の妻)2月1日、誤嚥性肺炎のため死去、76歳。家族葬を行った。喪主は夫、博之氏。
後で触れますが、細田博之さんのセクハラ疑惑を週刊文春が報じらた時には、細田博之さんは大の女性好きで有名といった内容も一部報じられていました。あくまで憶測ですが、こうした報道が仮に事実であったとすれば、細田博之さんと嫁との結婚関係はあまり上手くいっていなかったのかも知れません。
家系図のところでも触れましたが、細田博之さんの嫁の洋さんの父親は、元運輸官僚の大物の加藤昌一という人物なので、細田博之さんと嫁は恋愛結婚ではなく、いわゆる政略結婚であったのかも知れません。
細田博之の子供は息子と娘が1人ずつ
出典:https://www.saitama-np.co.jp/
細田博之さんは嫁の洋さんとの間に子供が2人います。
細田博之さんの子供は息子さんと娘さんが1人ずつです。細田博之さんは結婚や嫁についてと同様に息子さんや娘さんら子供についても一切、発言されませんでした。
そのため、細田博之さんの子供2人の名前は不明でしたが、2023年11月に細田博之さんが死去し、その告別式の喪主を息子さんが務めた事が報じられ、息子さんの名前が明伸(あきのぶ)さんである事が判明しています。
故細田博之氏(前衆院議長)の告別式 11月15日午前10時から東京都品川区西五反田5の32の20の桐ケ谷斎場。喪主は長男、明伸氏。
細田博之さんの葬儀で喪主を務めた息子の明伸さんは、挨拶で「私にとって温厚で優しく、仕事に強い責任と情熱を持っていた印象でした。心残りもあったと思うが、出会に恵まれ、多くの方々のご支援ご協力をいただき幸せな人生だったと思います」と述べられています。
晩年は多くのスキャンダルで批判を集めた細田博之さんでしたが、息子さんにとっては尊敬すべき父親だったのでしょう。
細田博之さんの子供2人が何年に生まれたのかも明らかにされておらず、息子さんと娘さんが現在何歳なのかも不明です。
また、細田博之さんは父親の後を継いで政治の世界に入りましたが、細田博之さんの子供2人は政治の世界には入っていません。細田博之さんの議員秘書を務めていたといった情報もなく、子供2人は一般の社会で生活されていると見られています。
したがって、息子さんや娘さんが細川博之さんの地盤を引き継いで政治の世界に入るといった可能性は低そうです。
細田博之の自宅3ヶ所もネットで話題に
細田博之さんの自宅もネット上で話題になりました。
2022年5月発売の週刊文春が細田博之さんが女性記者に対して「(記者が求める情報を)添い寝したら教えてあげる」などのセクハラ発言をしたとする疑惑を報じる記事を掲載。その記事では、細田博之さんは出身地で政治地盤である島根県松江市内に2つの不動産、東京都世田谷区内に一軒家とマンションを所有しているとする情報も明かされていました。
松江市にある2軒の不動産に加え、世田谷区内にも相続したマンションと一軒家を所有。特に一軒家は土地だけで1億円はくだらない。
この記事がきっかけとなり、細田博之さんの自宅はどこなのかとネットで話題にされました。
細田博之の自宅① 島根県松江市の戸建て住宅
出典:https://presidenthouse.net/
ネットで話題になっていた細田博之さんの自宅は3ヶ所で、1つ目の自宅は出身地であり自身の政治地盤でもあった島根県松江市にある戸建ての住宅です。
そこまで大きな邸宅というわけではありませんが、広々とした土地に建てらた機能的な住宅で広い庭も備えているのが確認できます。
出典:https://presidenthouse.net/
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ただ、細田博之さんは自民党の重鎮として東京都内を中心に活動されていたため、こちらの自宅には主に嫁の細田洋さんや息子さんや娘さんが住まわれていたと思われます。選挙戦時には細田博之さんはこちらに拠点を置かれていたのでしょう。
細田博之の自宅② 東京都世田谷区野沢3丁目の邸宅
細田博之さんの都内の自宅は東京都世田谷区野沢3丁目に建つ立派な邸宅です。
細田博之さんの東京都世田谷区野沢の自宅は、敷地面積70〜80坪と見られています。
文春の記事ではこの自宅の資産価値は「土地だけで1億円はくだらない」と書かれていましたが、実際にはもっと価値が高いようです。
東京都世田谷区野沢の2023年12月現在の坪単価は約250万円なので、土地だけで1億7500万円〜2億円ほどの資産価値があります。上物もかなりの豪邸に見えるので、細田博之さんの東京都世田谷区の自宅の総資産価値は少なくとも3億円以上にはなりそうです。
文春の記事によると、細田博之さんは世田谷区内にマンションも自宅として保有しているとの事ですが、こちらのマンションは特定されていません。
細田博之の自宅③ 衆議院議長公邸
出典:https://upload.wikimedia.org/
細田博之さんの3つ目の自宅として話題になったのは、東京都千代田区永田町2丁目18-1にある衆議院議長公邸です。
細田博之さんは2021年11月から2023年10月にかけて衆議院議長を務めていたため、この衆議院議長公邸も自宅として利用可能でした。
衆議院議長は他国の来賓をもてなす事もあるため、衆議院議長公邸は迎賓施設としても利用されます。
ただ、細田博之さんは主に前述の世田谷区野沢の自宅の方を使用されていたようです。
細田博之の添い寝セクハラ発言疑惑
自民党の大物政治家として絶大な権力を握っていた細田博之さんでしたが、晩年の2022年から2023年にかけてはスキャンダルが次々と出て、晩節を汚したとの声も出ています。
その中でも細田博之さんの晩年の「添い寝セクハラ疑惑」がネット上で話題にされています。
細田博之さんの添い寝セクハラ疑惑とは、2022年5月に「週刊文春」が2週にわたって報じたスキャンダル記事で、細田博之さんが自身の担当女性記者複数人に対して「添い寝したら(重要な情報を)教えてあげる」などのセクハラ発言を繰り返したとするものです。
5月19日発売の週刊文春が『細田博之議長 女性記者に深夜に「今から家に来ないか」』という記事を掲載。 大勢の政治部記者から文春に“告発”が寄せられたとし、細田氏が過去に複数の女性記者らにセクハラ発言を繰り返していたと報道。たとえば女性記者が細田氏に取材をすると「添い寝をしたら教えてあげる」と言われたという話が“常識”のように記者たちの間に広まっているという。
文春の記事によると、細田博之さんは女性記者複数人に対して懇談の際に「添い寝したら(重要情報を)教えてあげるよ」、「膝枕してよ」、「いつでもいいからうちに来てね。何もしないでいいから、横で添い寝するだけだから」などと発言したり、深夜に突然「ご飯食べに行きましょう♡♡」、 「2人きりで会いたい♡♡」などと書いたメールを送ってきたりしたという事です。
また永田町にある自民党本部でも女性職員の身体を触るなどのセクハラ行為を日常的にしていたとの内容も書かれています。
実際に添い寝をさせられた女性がいたかどうかまでは書かれていませんが、複数のセクハラ被害者の証言が掲載され、音声データなど決定的な証拠の存在も匂わせるような内容も書かれていました。
細田博之さんはこの文春の記事に対して、「全くの事実無根」、「訴訟も視野に入れて検討する」と抗議しています。
しかし、細田博之さんはこの文春記事から1年半後に体調を崩し2023年10月には衆議院議長を退任。それからわずか1ヶ月後に急逝したため、結局この添い寝発言などのセクハラが実際にあったのか真相が明かされる事はありませんでした。
細田博之は脳梗塞の症状で衆議院議長を辞任していた
2022年に、不適切発言や文春による添い寝セクハラ疑惑報道、統一教会との関係などのスキャンダルを連発した細田博之さんでしたが、翌2023年7月21日に熱中症の症状を訴えて東京都内の病院に搬送されました。
数日前から体調不良の症状があり、細田博之さん自ら東京都内の自宅から119番通報して救急車で搬送されたという事です。
細田博之衆院議長(79)が21日午前、熱中症の症状を訴え、東京都内の病院に搬送された。医療関係者と会話しており、命に別条はないという。関係者が明らかにした。
数日前から症状があったといい、都内の自宅から自ら119番した。
その後、細田博之さんは2023年8月6日の広島平和記念式典と8月15日の全国戦没者追悼式を欠席。
体調不良が続いていたため、10月13日に記者会見を開き、衆議院議長を辞任する意向を発表しました。
この会見の場で、細田博之さんは、当初は熱中症の症状と認識したが、病院の検査で脳梗塞の初期症状が判明し予防的治療のために入院して7月中に脳梗塞の手術を受けていた事などを明かしています。
細田博之 衆院議長
「7月に隠岐の島へ行ったときに熱中症の状況になりまして、早期治療を行いました。実際は脳梗塞の初期でございました。脳梗塞の手術は成功しまして問題はないと、普通に活動していくことになりました」
「辞めたくて辞めるわけじゃないんです」
引用:細田博之氏、脳梗塞の手術は成功「そんなに大病ではない。多少よたよたしているが、まだ議員はできる」衆院議長辞任も次期衆院選には立候補表明
細田博之さんは衆議院議長の辞任は決めたものの、次の衆議院議員選挙には出馬する意向を示しました。細田博之さんは脳梗塞の手術は成功したとして「そんなに大病ではない」と強調し、議長や辞めるが国会議員は続けるとの方針を示したのでした。
しかし、細田博之さんは2022年に国会議員の歳費に関わる不適切発言、添い寝発言などのセクハラ疑惑、統一教会との関係などスキャンダルを連発していた事もあり、この会見での言動も批判を集める的となりました。
細田博之さんに対しては、脳梗塞を患って衆議院議長を辞めるのに、国会議員は続けるというのはとても理屈に合わないという批判から、歳費目当てで議員にしがみつきたいだけだろうと邪推するような声も上がっていました。
また、この記者会見に出席した記者からは、統一教会との関係や添い寝発言などのセクハラ疑惑への説明責任を全く果たしていないのに、自分の都合ばかりべらべらと話しているといった批判の声も上がりました。
細田博之の死因は多臓器不全
出典:https://news.tv-asahi.co.jp/
2023年10月に脳梗塞の手術を受けていた事を明かし、体調が安定しないことを理由に衆議院議長を辞任をしたものの議員自体は続ける事をほゆめいしていた細田博之さんでしたが、その後、公の場に姿を見せませんでした。
実は会見の後、細田博之さんは体調を崩して入退院を繰り返し本会議を欠席していました。そして、11月8日に血圧が低下するなど容態が急変し一旦は持ち直したものの、9日〜10日にかけて意識不明に陥り、10日の午前10時58分に入院先の都内の病院で79歳で死去しました。
細田博之さんの死因は「多臓器不全」と発表されています。
関係者によると、10日に死去した細田博之前衆院議長の死因は多臓器不全。8日夕に血圧が低下するなど容体が急変したという。いったんは持ち直したが、9、10日がヤマの状態だった。
引用:細田博之氏死因は多臓器不全 8日に容体急変
細田博之さんの葬儀は11月15日に東京都品川区の斎場で営まれ、岸田文雄総理や額賀衆議院議長、安倍派の所属議員など多くの関係者が参列しました。
まとめ
今回は、各種担当大臣や内閣官房長官、衆議院議長などを歴任した自民党所属の大物政治家で、晩年には、国民の感覚とかけ離れた不適切発言、添い寝発言セクハラ疑惑、統一教会との関係などで晩節を汚し、2023年11月10日に79歳で死去した細田博之さんについてまとめてみました。
細田博之さんは若い頃は、東京教育大学附属駒場高校(現在の筑波大学附属駒場高校)から東京大学法学部へと進学し、東大卒業後は通商産業省に入省という絵に描いたようなエリートコースを辿っています。
細田博之さんの家系図は政治家の家系であり、母方の祖父は元陸軍将校で立憲民政党の衆議院議員だった升田憲元、父親は防衛庁長官、 自民党総務会長、運輸大臣などを歴任した自民党の大物議員であった細田吉蔵です。
細田博之さんは父親の細田吉蔵の後を継ぐ形で1990年に衆議院議員になって政治の世界に入り、小泉純一郎内閣、麻生太郎内閣、安倍晋三内閣で重用され、自民党の大物政治家に上り詰めました。
細田博之さんは結婚しており、嫁は運輸省の元官僚で退官後に神戸製鋼所の常務取締役も務めた加藤昌一の長女である洋(よう)さんという方でした。嫁の洋さんは2022年2月に76歳で亡くなっています。
細田博之さんは嫁の洋さんとの間に息子と娘が1人ずつ2人の子供がおり、息子さんの名前は明伸(あきのぶ)さんである事がわかっています。娘さんの名前は不明で、子供2人の年齢や職業などもわかっていません。また細田博之さんの子供2人は政治の世界には関わっていないようで、息子さんか娘さんが細田博之さんの地盤を引き継いで衆議員戦に出馬するといった話も出ていません。
細田博之さんの自宅も話題になっており、出身地であり政治地盤である島根県松江市にある2つの不動産と、東京都世田谷区野沢にある資産価値数億円の邸宅の他、都内にマンションも保有している事もわかっています。
政治家として絶大な権力を手にした細田博之さんでしたが、晩年は「議長になっても毎月もらう歳費は100万円しかない。」などと国民の感覚とかけ離れた不適切発言が批判されたのを皮切りに、週刊文春に女性記者に対して「添い寝したら(重要情報を)教えてあげるよ」と持ちかけるなどのセクハラ疑惑を報じられ、さらには統一教会との関係も追及されるなどスキャンダルを連発しました。
そして、2023年7月には脳梗塞を発症して手術を受け、それによる体調不良を理由に同年10月に衆議院議長を辞任。それから1ヶ月も経たない11月10日に79歳で亡くなりました。死因は「多臓器不全」と発表されています。