2010年4月2日の広島カープ戦前のノック中にくも膜下出血で突然倒れた木村拓也さんですが、そのまま意識が戻ることなく帰らぬ人となってしまいました。
この記事では、木村拓也さんの倒れる瞬間のエピソードや死因について、そして遺された嫁や子供の現在について詳しくまとめました。
木村拓也のプロフィール【元巨人のプロ野球選手】
木村 拓也(きむら たくや)
出身地: 宮崎県宮崎郡田野町(現:宮崎市)
生年月日: 1972年4月15日
没年月日: 2010年4月7日(37歳没)
身長: 173 cm
体重: 75 kg
投球・打席: 右投両打
ポジション: 内野手、外野手、捕手
プロ入り: 1990年 ドラフト外
初出場: 1992年9月29日
最終出場: 2009年10月12日
木村拓也さんはスタープレーヤーの称号でもある打率3割やゴールデングラブ賞も獲得していませんが、本業の捕手を始めいろんな守備を巧みにこなす上、「俊足・強肩・巧打」と三拍子揃ったユーティリティプレーヤーとしては「球界No.1」と呼ばれた選手でした。
元「SMAP」の木村拓哉さんと漢字一文字違いであることから、「キムタク」の愛称でも親しまれていました。
特に木村拓也さんが活躍した2006年には代打成功率が4割を超え、現役時代に「代打の神様」と呼ばれた八木裕さんをして「代打で結果を残すスイッチヒッターは怖い」と言わしめました。
木村拓也さんは球界随一の俊足を生かしたバントが非常に巧く、塁上にランナーがいない場面でもセーフティバントで出塁するなど敵チームにとっては怖い存在でした。
2009年に現役を引退した木村拓也さんは、2010年に巨人の一軍内野守備走塁コーチに就任しましたが、その矢先である4月7日に帰らぬ人となってしまいました。
木村拓也が37歳で突然死~倒れる瞬間や詳しい死因とは?
木村拓也、2010年4月2日に倒れる瞬間の画像
木村拓也は試合前の練習中に倒れた
2010年4月2日は「マツダスタジアム(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)」での対広島東洋カープ1回戦の試合でした。
17時40分頃に巨人は練習でシートノックを行っていましたが、コーチを務めていた木村拓也さんが本塁付近でボールを持ったままふらつき、意識を失って前のめりに倒れ込みました。
すぐさま球場に駐在していた広島カープのチームドクターが駆け付け、心臓マッサージや人工呼吸、AEDによる蘇生処置が施されましたが、木村拓也さんの心肺は止まっただったため、広島市内にある広島大学病院に救急搬送されました。
搬送された時はすでにレベル5の危険状態にあったと言われていますが、診断の結果、木村拓也さんは「くも膜下出血」だと分かり、そのまま入院となりました。
しかし木村拓也さんの意識は戻らず、4月7日3時22分に死去しました。
木村拓也の死因はくも膜下出血で前兆があった
木村拓也はくも膜下出血の前兆を感じていた
木村拓也さんは広島カープ戦の直前に関係者に対して「ひどい頭痛に見舞われて、2時間ぐらいしか眠れなかった」「食べる量は変わらないのに痩せた」と話しており、くも膜下出血の前兆があったことが分かっています。
また2016年2月19日に放送された番組では嫁の由美子さんが前兆について語っており、倒れた4月2日直前に木村拓也さんは頭痛を訴えていたそうです。
そのため、由美子さんは「体調管理してあげればよかったのかな」と後悔を隠せない様子でした。
木村拓也の仲間が手向けの白星を勝ち取る
巨人は喪章をつけて臨んだ阪神戦に勝利した
多くの人に影響を与えてきた偉大なプレーヤーだった木村拓也さんの突然の死を悼み、巨人の仲間たちは現役最後に守っていた二塁にてその名前を叫びました。
甲子園での阪神戦前に同コーチの名前を叫び冥福を祈った。深い悲しみの中、チームは一丸となって手向けの白星を贈った。
心の底から叫んだ。「タクヤーッ!」。甲子園が開門された午後4時。普段のような観客を迎える音楽はない。練習開始前、原監督の提案で行われた二塁守備位置での黙とう。「みんなで拓也の名前を呼ぼう」と話して絶叫した指揮官に首脳陣、選手も続いた。静まりかえった甲子園の上空にナインの声が響く。それに対する返事のように、雲間からは光が差した。
この日の阪神戦ではチームメイトが普段以上の集中力を発揮し、見事に白星を天国の木村拓也さんに捧げることができました。
木村拓也さんの告別式は4月10日に広島市内で営まれ、野球関係者やファンなど3000人以上の人が参列し、由美子さんが喪主の挨拶として「夫は家族の永遠のヒーローです」と述べると、来場者は一斉に涙を流しました。
木村拓也さん追悼試合
— バッシー (@bashikogiants) April 7, 2016
谷さんの代打逆転満塁ホームラン
実況の(天国から木村拓也さんが笑っています)って言葉ほんまに感動する#giants pic.twitter.com/P4NzgMbciy
木村拓也が結婚した嫁や子供の現在について
木村拓也、一般人の嫁との間に子供は3人
オーストラリア旅行での写真が最後の家族写真となった
木村拓也さんが結婚した嫁・由美子さんは一般人のため、馴れ初めや結婚に関する詳細な情報は出回っていないようです。
木村拓也さんと由美子さんの間には長男・恒希(こうき)さん、長女・生吹(いぶき)さん、次男・俊生(としき)の3人の子供に恵まれています。
一度情報番組『ズームイン!!サタデー(日本テレビ系)』に木村拓也さんが出演した際に、家族も映ったようですが和やかな仲の良い家族だったようです。
木村拓也の長男・恒希が追悼始球式を務めた
小さい体でしっかりした球を投げた木村拓也の長男
2010年4月24日に東京ドームで行われた追悼試合にて、当時10歳だった木村拓也さんの長男・恒希さんが始球式を務めました。
小学5年生の小さな体ながら恒希さんはしっかりとした球を投げ、キャッチャーミットのど真ん中に吸い込まれてストライクを取りました。
このYouTube動画のコメント欄には、多くのファンからの感動のコメントが寄せられていますので一部を紹介します。
・すでに以前のコメントで出てると思うけども。 全9ポジションの中で、唯一お父さんが触ることを許されなかったピッチャーズプレートを 息子が踏んだこと。親子で全ポジション制覇したことにも触れたい。
・父親がなくなった直後で、この年齢で、これだけの人の前で、さっと投げて当たり前のようにストライク投球をするとは・・・どれだけ芯の強い子なんだ
・背番号0を永久欠番にしよう だがこうきくんが巨人に入団したときこれを解除しよう
恒希さんは当時の始球式の様子について、2018年のインタビューで以下のように語っています。
「大歓声をいただいてありがたかったですが、プレッシャーもすごかった。原監督には『巨人は君を待ってるから』、谷さんには『タクの代わりに頑張れ』と言っていただきました。でも、その後、やっていたソフトボールにもなかなか集中できなくて。夏過ぎぐらいに試合に出ることが増えて、ようやく吹っ切れた感じでした」
木村拓也の家族が2014年V3達成目前の巨人のベンチを訪れる
V3達成目前の巨人のベンチに木村拓也の家族が訪れた
2014年8月28日に東京ドームで行われた巨人対阪神戦にて、木村拓也さんの家族が広島から上京して試合前のベンチを初めて訪れていました。
軟式野球で父と同じ二塁を守る中学3年生の恒希君(15)は、阿部とキャッチボール。「選手の皆さんが優しくしてくれて、うれしかったです。(阿部に)『頑張れ』と声をかけてもらいました」と笑顔を見せた。
妻の由美子さんは「主人がここで頑張っていたんだと、すがすがしい気持ちで球場を見ることができました。子供たちとも『絶対に優勝できる』と話しているんです」と声援を送っていた。
木村拓也さんの家族の想いに応えたのか、この日巨人は阪神に勝利し優勝に向けて一歩前進しました。
そして、木村拓也さんの家族がそう感じたように、巨人はリーグ優勝を果たし、V3を達成して木村拓也さんへの手向けとしました。
木村拓也の長男・恒希がプロ野球選手を目指していた
広島工業大学に進学した木村拓也の長男・恒希
恒希さんにとって父・木村拓也さんは幼少期から憧れの存在であり、小学2年生からソフトボールを始めて父と同じ捕手をしました。
恒希さんは中学校に上がると野球部に所属して、木村拓也さんが現役最後に守っていた二塁を守り、広島県立廿日市高等学校では二塁・三塁・遊撃を守り、捕手転向を勧められましたが膝を故障して手術をリハビリに9か月間要しました。
高校3年最後の夏は5番で一塁を守り、木村拓也さんと同様にユーティリティプレーヤーとして活躍し、父と同じ左打ちまで身につけていました。
高校卒業後は広島工業大学に進学した恒希さんは、母親の夢でもあった建築士を目標とする一方で、プロ野球選手への道も目指していたようです。
しかし、父親の木村拓也さんが偉大な野球選手だったことからそのプレッシャーは大きく、悩んでいた時期もあったことを恒希さんは明かしています。
「父の動画のコメント欄に『息子も頑張れ』と書かれているのを見たりして、やっぱり期待されてるのかなと感じてました。高校に入ってからは気持ちの整理もできて少し楽になってきましたが、精神的にきつい時期もありましたね」
現在はそうした世間のプレッシャーには折り合いを付けられているようで、恒希さんはたとえプロ野球界でなくても社会人野球で続けていけたら嬉しいと語っています。
木村拓也の長男・恒希は父親に似ている
成長し父親・木村拓也の影が出始めた恒希
木村拓也さんの嫁で、シングルマザーとなり3人の子供を育ててきた由美子さんは、成人直前の恒希さんが父親に似てきたことをインタビューで明かしていました。
「恒希は、すごくコミュニケーションを取ってくれる子なので助かっています。だいぶ頼れる存在になってきました。本人は意識してないんでしょうが、口調が似てきましたね。特に最近思います。表情、性格、しぐさも似ているので、野球をやっている姿、打撃フォームも似てるなあ、と感じながら見ていました」
恒希さんは木村拓也さんのようにプロ野球界でスタープレーヤーにはなれないかもしれませんが、また違った道で一流になって名前が知られるよういなるかもしれません。
木村拓也さんは長男である恒希さんには特別厳しかったようですが、その威厳が恒希さんを家族の支柱的存在に育てていったのでしょう。
木村拓也の長女と次男の現在
長女と次男はバスケットボールをしている
3兄弟の内野球をやってきたのは長男の恒希さんだけで、長女の生吹さんと次男の俊生さんはバスケットボールをやっているようです。
幼かった3人きょうだいの長男・恒希さんは、この春から大学生、妹の生吹(いぶき)さんは高校2年生、弟の俊生(としき)君は小学6年生になった。
「妹は強豪校でバスケットボール中心の生活を送っていて、野球をやっていた僕の高校時代より大変そうです。弟も小学校でバスケをやっています」
さすが一流選手だった木村拓也さんの子供たちなだけあって、種目は違っても全国レベルのプレーヤーになっているようです。
これからも木村拓也さんの子供たちの活躍には注目が集まっていくことでしょう。
木村拓也についてまとめると…
・木村拓也は試合直前の練習中に倒れたため、倒れる瞬間の画像や動画は数多く出回っている
・木村拓也と嫁との間に子供は3人おり、長男・恒希はプロ野球選手を目指している
球界随一のユーティリティプレーヤーとして活躍した木村拓也さんの訃報や家族のその後について詳しくご紹介してきました。
現役を引退してコーチに就任した直後に倒れてしまった木村拓也さんですが、選手として張り付めていた緊張の糸が切れてしまったことも影響したのかもしれません。
現在は木村拓也さんに続くように「スーパーユーティリティプレーヤー」と呼ばれるような若手選手も出てきているようです。