「久留米看護師連続保険金殺人事件」の犯人・吉田純子の極悪非道な犯行が話題です。
この記事では吉田純子の起こした「久留米看護師連続保険金殺人事件」の内容、その生い立ち、韓国籍の噂や旦那や子供、死刑執行の様子などについてまとめました。
この記事の目次
吉田純子は「久留米看護師連続保険金殺人事件」の犯人
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吉田純子は、2002年4月28日に発覚した「久留米看護師連続保険金殺人事件」の犯人です。
「久留米看護師連続保険金殺人事件」はかつて同じ看護学校に通っていた中年女性4人による一連の保険金殺人、及び詐欺事件で、吉田純子は他の3人の共犯者を巧みな方法で支配して意のままに操り、周囲の人間に詐欺を仕掛けて数百万円単位の金を次々と騙し取り、共犯者3人までも騙して多額の金銭を詐取しました。
さらには、共犯者3人を言葉巧みに騙して下僕のように操り、うち2人の夫を医療知識を駆使して殺害し、多額の保険金を騙しとったのでした。吉田純子が一連の事件で方々から騙し取った金額は2億円を超えており、吉田純子は近年まれに見る悪女的凶悪犯として注目を集めました。
今回はこの「久留米看護師連続保険金殺人事件」の犯人・吉田純子について見ていきます。。
吉田純子の起こした「久留米看護師連続保険金殺人事件」の概要
2002年4月28日、看護師資格を持つ4人の女性による保険金を詐取する目的の殺人事件が発覚しました。
福岡県警に逮捕されたのは、元看護師・吉田純子(当時42歳)、治験コーディネーター・堤美由紀(当時42歳)、看護師・池上和子(当時41歳)、元看護師・石井ヒト美(当時43歳)の4人でした。
この4人は「久留米看護師連続保険金殺人事件」が起きる20年以上前に福岡県久留米市内の聖マリア看護専門学校に共に通っていた元同窓生同士でした。
事件発覚のきっかけは犯人の1人の警察への相談
この「久留米看護師連続保険金殺人事件」が発覚したのは、2001年8月に犯人の1人、石井ヒト美が、「吉田純子から金を出せと脅迫されている」と福岡県警久留米署に相談した事がきっかけでした。
警察が吉田純子から何故脅迫されているのかと聞くと、石井ヒト美は、過去に自分の旦那の不祥事によって複数の家族から慰謝料を請求されており、その借金を吉田純子が肩代わりしたとして、その金の返済を求められているのだといった説明をしました。
しかし、警察がさらに話を聞くと、石井ヒト美は慰謝料そ求められている家族が誰なのかも把握しておらず、吉田純子が間に立って相手方と交渉しているため自分にはよくわからないといった説明を繰り返すだけでした。
そして、それから数ヶ月後に石井ヒト美は、自分の夫であった久門剛さん(当時44歳)を、吉田純子らと共に殺害し、保険金を騙し取ったことを供述したのです。
犯人の1人、石井ヒト美の夫の久門剛さんの殺害
石井ヒト美と久門剛さんは、事件から約20年前に吉田純子の紹介で知り合い結婚しますが、その後、久門剛さんの浮気癖が原因で別居状態になっていました。
吉田純子は久門剛さんの保険金を詐取する事を狙って、石井ヒト美に夫の殺害計画を持ちかけたのでした。
吉田純子はこの時、実は久門剛さんが浮気相手との交際費を稼ぐために、多くの人々から金を騙し取っておりその結果自殺者まで出ている、その遺族や被害者家族から慰謝料を請求されているが自分が間に立って交渉している。こうなっては夫を殺害しその保険金で遺族に賠償するしかないなどと作り話をして、石井ヒト美を説得しています。
石井ヒト美はこの吉田純子の狂言を信じ、夫殺害計画に賛同してしまったのでした。
1999年3月27日、石井ヒト美は、子供の事で相談があるとして別居中だった久門剛さんを自宅マンションに呼び出し、睡眠薬をすりつぶして入れたカレーライスを食べさせて酒を飲ませました。
その日の午後11時頃、久門剛さんが泥酔して寝入ったのを確認した石井ヒト美は、吉田純子ら共犯者3人に携帯電話で連絡して自宅へと入れ、眠っている久門剛さんの鼻から医療用のマーゲンチューブを挿入し、注射器を使ってウイスキーボトル1.5本分を胃に直接流し込みました。
また、吉田純子らは、酸欠状態を引き起こすために静脈注射で体内に空気を入れるなどもし、久門剛さんの心音が停止したのを確認してから、石井ヒト美に「夫がアルコールの飲み過ぎで倒れた」と119番通報させました。
久門剛さんは病院に搬送後、翌28日の午前10時20分頃に死亡が確認されました。死因は「誤嚥性肺炎」と診断され、吉田純子らの犯行は発覚しませんでした。
吉田純子はすぐに石井ヒト美に保険会社に連絡させ、死亡保険金約3257万円を振り込ませました。この保険金は全て吉田純子の懐に入っています。石井ヒト美は吉田純子の嘘に騙され、保険金全額に加えて、久門剛さんの退職金の1部なども吉田純子に渡しています。
犯人の1人、池上和子の夫の平田栄治さんの殺害も発覚
警察の取り調べにより、石井ヒト美を除く吉田純子ら3人が、1998年1月23日に、犯人の1人池上和子の夫の平田栄治さん(当時39歳)も共謀して殺害していた事が発覚しました。
その日の深夜に、平田栄治さんは飲酒をして帰宅しましたが、池上和子は夫にさらにビールを勧め飲ませました。このビールには砕いた睡眠薬が入っており、平田栄治さんは深く眠り込みました。
そこで、吉田純子と堤美由紀を自宅へと招き入れ、翌24日の深夜2時頃に、注射器を使って平田栄治さんの静脈に空気を注射し、心筋梗塞に見せかけて殺害します。
翌朝早く、池上和子は119番通報し「眠ったまま冷たくなっていた」と説明。搬送先の医師は急性心不全による突然死だと考えたものの、念のためCTスキャンを撮ってみると、脳内血管に空気が入っていたため、不自然死として久留米署に連絡します。警察の検死では病死と判断され、司法解剖は行われず、この時も吉田純子らの犯行は発覚しませんでした。
その後、平田栄治さんの死亡保険金3498万円が振り込まれますが、それもほぼ全額の3450万円を吉田純子が1人で詐取しています。吉田純子は、池上和子にもでっち上げた架空の人物からの借金があると思い込ませ、その返済の名目で保険金を騙し取ったのでした。
吉田純子は犯人の1人、堤美由紀の実母の殺害も計画していた
吉田純子は、平田栄治さんと久門剛さん殺害後の2000年5月29日に、犯人グループの1人堤美由紀の実母のミサエさん(当時82歳)の殺害も計画しています。これも保険金を狙っての犯行でした。これは、堤美由紀には隠しての犯行計画でした。
吉田純子は、犯人グループの1人、石井ヒト美に探偵事務所の人間を名乗らせて、堤ミサエさん宅を訪ねさせ、「娘さんの不倫調査に来た」と偽って、自宅に上がり込ませました。
石井ヒト美は隙を見てミサエさんに襲いかかり、隠し持っていた注射器でインシュリンを首筋に注射し、さらに首を絞めて殺害しようとしました。しかし、ミサエさんは這うようにしてなんとか外に逃げ出し大声で助けを求め窮地を脱しています。
その後、吉田純子は殺害に失敗した制裁金だと言って石井ヒト美から300万円を脅し取っています。
吉田純子は保険金殺人以前にも同僚などから多額の金銭を騙し取っていた
吉田純子は上述の男性2人の保険金殺人以前にも、共犯者の3人や元同僚など複数の人間を嘘の作り話で巧みに騙して、数百万円から一千万円単位の現金を何度も騙し取っていました。
後に「久留米看護師連続保険金殺人事件」の共犯者となる堤美由紀に対しては、自分のバックには、「先生」という、とある皇族に連なる人物で、政界にも顔が聞く大物がついていると偽り、その「先生」から得た情報だとして様々な都合の良い嘘をでっち上げ多額の現金を奪い取っています。
堤美由紀は完全に吉田純子に心理的に支配された状態になり、後には同性愛関係も強要され、吉田純子が堤美由紀の子供を妊娠した、というとんでもない嘘まで信じるほどでした。
吉田純子は他の人間を騙すときにも、同じように架空の人物(裏社会に関係する人間など)をでっち上げ、さらにはターゲットにそうした人物からの多額の借金があるという架空の話を作り上げて、自分が間に立って交渉しているように装うという手口で金を奪い取りました。
吉田純子ら「久留米看護師連続保険金殺人事件」犯人達の判決
「久留米看護師連続保険金殺人事件」を起こした吉田純子ら4人の判決は、主犯の吉田純子が死刑、堤美由紀が無期懲役、石井ヒト美が懲役17年でした。
池上和子は死刑が求刑されていましたが、判決前に子宮癌で病死しています。死亡時の年齢は43歳でした。
吉田純子の生い立ち① 両親と4歳年下の弟の貧困家庭に生まれる
続けて、「久留米看護師連続保険金殺人事件」の犯人の吉田純子の生い立ちについて見ていきます。
吉田純子は1959年7月10日の生まれで、出身地は福岡県柳川市(山門郡三橋町)です。家族は両親と4歳年下の弟が1人の4人家族でした。
吉田純子の父親は井口軍造という1931年12月1日生まれで地元柳川市で育った人物です。吉田純子の父の軍造は元自衛官で、除隊後は独立して自動車修理工として働いていました。
吉田純子の母親は井口瑞江といい、1930年1月17日の生まれで軍造とは見合い結婚でした。
吉田純子の実家の家計は厳しく、母親も内職や家政婦の仕事をして家計を支える貧困家庭でした。吉田純子の生家は6畳と4畳半の二間しかない借家で、純子は4歳年下の弟の信二さんと4畳半の部屋で寝起きしていたそうです。
吉田純子の4歳年下の弟の信二さんは、成績が優秀でスポーツもできたため、母親はこの弟ばかりを可愛がって吉田純子には冷たくあたり、時には、口にタオルを加えさせてお尻を叩くといった体罰を与える事もあったようです。
吉田純子は柳川小学校を経て、柳城中学校を卒業しています。当時の吉田純子は学校の成績はあまり良くなく、やたらと見栄を張り友人に嘘をつくといった虚言癖のある少女だったようです。
なお、「久留米看護師連続保険金殺人事件」の共犯者の堤美由紀は、この柳川小学校と柳川中学校時代の同級生でしたが、当時は吉田純子とはそれほど親しくはなく顔見知り程度の関係でした。
吉田純子の生い立ち② 佐賀女子高校衛生看護科入学
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吉田純子は中学卒業後の1975年4月に「佐賀女子高校」の衛生看護科に入学しています。
高校時代の吉田純子には虚言癖があり、自分は他校の野球部、テニス部、バスケ部などのエース、地元の会社社長の息子、幼なじみなどと交際していたと嘘をつき、具体的に相手の名前や交際中のエピソードなども友人達に話しました。これらは全て吉田純子の虚言なのですが、何故か周囲の友人らはそうした作り話に騙されてしまったそうです。
吉田純子には、明らかな嘘を相手に信じ込ませるような特殊な話術の才能があったとしか考えられません。後の「久留米看護師連続保険金殺人事件」も吉田純子のこうした才能によって実行されたものだったようです。
ニセ妊娠カンパ事件で同級生から金を騙し取り停学処分に
後に何度も詐欺事件を起こす吉田純子ですが、高校時代には早くも最初の詐欺を実行していました。
吉田純子は学校の友人らに、中学時代の友人が妊娠してしまい中絶費用に困っているので、カンパしてくれないかと持ちかけ、合計で数万円を騙し取っています。
しかしこの事件は、おかしいと気づいた教師が問い詰めた事で発覚しています。吉田純子はこの事件で停学処分になり、同じ佐賀女子高校系列の武雄校舎へと転校処分になっています。
この停学処分が影響して吉田純子はこの高校で正看護師免許を取得する事ができず、准看護師免許のままで卒業しています。
吉田純子の生い立ち③ 聖マリア看護専門学校で共犯の3人と出会う
吉田純子は高校卒業後に大阪の貝塚市立病院に就職して1年ほど勤めますが、やはり正看護師を目指したいとして地元福岡県に戻り、1979年の春に久留米市郊外にある「聖マリア看護専門学校」に入学しています。
この「聖マリア看護専門学校」でのクラスメイトが、後に「久留米看護師連続保険金殺人事件」の共犯となる、池上和子と石井ヒト美でした。その1年後に堤美由紀も入学し、「久留米看護師連続保険金殺人事件」の共犯者4人が顔を揃えました。
当時は、この4人はどこにでもいるような女子仲良しグループだったようです。その後全員が正看護師の免許を取得して卒業し、いったんはそれぞれが別々の道へと進んでいます。
そして卒業から約10年後の1989年夏頃に吉田純子は堤美由紀と再開し、その後、池上和子と石井ヒト美とも再び連絡を取るようになります。吉田純子は自分の私利私欲のために巧みにこの3人を騙して主従関係を作り上げ、「久留米看護師連続保険金殺人事件」をはじめとする数々の凶悪事件の共犯者へと仕立て上げていく事になります。
吉田純子は在日韓国人だという噂も
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インターネット上には吉田純子の生い立ちが在日韓国人だとする噂もあるようです。
ただ、吉田純子が在日韓国人だとする根拠などは特に示されておらず、独自に調査してみても発見する事ができませんでした。
また、韓国籍の人は自衛官にはなれませんが、吉田純子の父親は元自衛官だと報じられています。この事から、実は母親が韓国籍で吉田純子が韓国籍を選択した可能性は残されているものの、日本で生まれ育った人間があえて韓国籍を選択する事は考えづらいため、吉田純子が韓国籍である可能性はかなり低いと言えそうです。
考えられるのは、「久留米看護師連続保険金殺人」のあった福岡県が、全国的に見て在日韓国人・朝鮮人が多い地域だという事、吉田という苗字が在日韓国人・朝鮮人の通名として、全体の割合として多く使用されている名前である事などから、吉田純子が韓国と関係があるとする噂につながったという事かも知れません。
なお、吉田純子の出身地は福岡県柳川市ですが、公表されている国勢調査のデータによれば、この地域に住む韓国人・朝鮮人の人口比率は「地域の全住人の0.018パーセント」でした。
ネットでは、こうした凶悪犯罪の犯人は韓国や朝鮮が関係しているといった噂が必ず出てくるので、証拠が示されていない場合は安易に信じる事はできません。
吉田純子の旦那は6歳年上の自衛官・吉田浩次
1981年10月、22歳の時に吉田純子は6歳年上の自衛官・吉田浩次さんと結婚しています。
吉田純子と旦那の吉田浩次さんとの出会いは、吉田純子が「聖マリア看護専門学校」を卒業し、研修看護師として「聖マリア病院」で働いていた頃だったようです。
当時、旦那の吉田浩次さんは自衛隊の久留米駐屯地に勤務しており、その同僚自衛官が聖マリア病院に入院し、そこへ吉田浩次さんが見舞いに来たのが最初の出会いだったという事でした。
吉田純子の旦那の吉田浩次さんの実家は久留米市善道寺町の旧家で、土地を周辺住人に貸してその地代で生計を立てられるほどの資産家だったようですが、吉田浩次さんが中学を卒業する頃には家が傾き、ほとんどの土地を手放してしまっていたようです。
旦那の吉田浩次さんは学力優秀な少年だったようで、地元の進学校である福岡県立明善高校に合格しています。しかし、経済的な事情もあって仕方なく自衛隊に入隊したそうです。
この旦那の吉田浩次さんですが、その後、吉田純子との夫婦仲は破綻して別居状態となるのですが、吉田純子が一連の事件を起こしていた頃に住んでいた高級マンションのローンを払い続けるなどもしています。
当時は夫婦関係は全くありませんでしたが、何故かこの旦那の吉田浩次さんは経済的に吉田純子を支えていたようで優しい性格の人の良い人物であったようです。
吉田純子の子供は旦那の浩次との間に娘が3人
吉田純子には旦那の吉田浩次さんとの間に3人の子供がいます。
吉田純子の子供は全員が娘で、最初の子供が1983年1月に生まれた長女の紀子さん。2人目の子供が1987年10月に生まれた次女のエリさん。3人目の子供が1989年12月に生まれた三女のさやかさんでした。
吉田純子は後に、「久留米看護師連続保険金殺人」の共犯者となる堤美由紀と、旦那の吉田浩次さんにローンを支払わせて購入した高級マンションで同居する関係になるのですが、子供らの面倒はもっぱらこの堤美由紀に見させていたようです。
吉田純子の3人の子供らの現在は不明ですが、全員が既に30代になっているはずです。
吉田純子の死刑執行の様子
吉田純子は「久留米看護師連続保険金殺人」の裁判で、2010年に死刑判決が確定しています。
そして、2016年3月25日に福岡拘置所で死刑が執行されています。享年は56歳でした。
吉田純子の死刑執行の様子はかなり暴れまわって抵抗したと噂されていますが、公式な情報ではなく真偽は不明です。また、吉田純子の死刑執行の様子を収めた録音テープがネット流出したとの噂が流れましたが、これはデマです。
まとめ
今回は、2002年4月28日に発覚した「久留米看護師連続保険金殺人事件」の犯人・吉田純子についてまとめてみました。
吉田純子の生い立ちは、福岡県柳川市の生まれで、両親と弟が1人の4人家族、実家は貧困家庭で貧しい子供時代を送っています。吉田純子は柳川小学校、柳川中学校を経て、看護婦を目指して佐賀女子高校看護衛生科に入学しますが、同級生から金を騙し取る事件を起こして停学となり、正看護師の資格を取れないまま卒業しています。
その後、吉田純子は正看護師資格取得を目指して「聖マリア看護専門学校」へ進学し、そこで「久留米看護師連続保険金殺人事件」の共犯者となる3人と出会っています。
吉田純子には韓国籍の噂もありますが、父親が元自衛官という事からその可能性は低そうです。
吉田純子の旦那は自衛官の吉田浩次さんで、結婚後に3人の子供を儲けています。
吉田純子はこの事件で死刑判決を受け、2016年に死刑が執行されました。吉田純子の死刑執行時の様子は、暴れまわって抵抗したとの噂がありますが、これは真偽不明です。