殺害したバラバラ遺体を奥多摩山中などに遺棄した事件の主犯・松井知行の自殺が確定的となり注目されています。
この記事では松井知行の生い立ちや経歴、家族、関東連合との関係、事件の内容や被害者の古川信也さんと交際相手・マリコさんや共犯の紙谷惣、現在についてまとめました。
この記事の目次
- 松井知行は「奥多摩山中および秩父山中における連続殺人事件」の主犯
- 松井知行の生い立ちや経歴について
- 松井知行の家族
- 松井知行と関東連合との関係
- 松井知行の事件の内容① 被害者の古川信也さんのトラブルを松井が解決
- 松井知行の事件の内容② クレジットカード詐欺への協力を古川信也さんが拒否しトラブルに
- 松井知行の事件の内容③ 古川信也さんと恋人のマリコさんを拉致監禁
- 松井知行の事件の内容④ 古川信也さんを殺害する事をマリコさんに強要
- 松井知行の事件の内容⑤ 古川信也さんを殺害
- 松井知行の事件の内容⑥ 古川信也さんの遺体を奥多摩山中などに遺棄
- 松井知行の事件の内容⑦ 共犯者ら合計8名が逮捕されるも松井らは逃亡
- 松井知行の事件の内容⑧ 松井はマリコさんや紙谷惣らと海外へ逃亡
- 松井知行の現在…逃亡先の南アフリカで死亡の報道
- 松井知行の共犯者の紙谷惣の現在…逮捕監禁罪で2020年に逮捕
- 松井知行と南アフリカに行ったマリコさんの現在…嫌疑不十分で不起訴
- まとめ
松井知行は「奥多摩山中および秩父山中における連続殺人事件」の主犯
松井知行(まつい・ともゆき)は、2003年5月から9月にかけて東京都新宿区および西多摩郡奥多摩町や山梨県の山中で発生した「奥多摩山中および秩父山中における連続殺人事件」の主犯格です。
松井知行は事件当時32歳で、クレジットカードやキャッシュカードの偽造や振り込め詐欺などを行っていた犯罪グループに所属していました。
奥多摩山中および秩父山中における連続殺人事件の被害者は、当時飲食店従業員だった古川信也さん(当時26歳)で、松井知行にクレジットカード偽造の協力を求められたのを拒否したためトラブルになり殺害されました。
松井知行は古川信也さんの遺体をバラバラにして奥多摩山中などに埋めた後、共犯者の紙谷惣(かみや・そう、当時29歳)や古川信也さんの恋人だったマリコさん(偽名、当時19歳)を連れて海外へと逃亡し、警視庁に国際指名手配されていました。
現在、この松井知行が逃亡先の南アフリカ共和国で2016年12月に自殺によって死亡していた可能性が高いとの報道が出た事が注目されています。
今回はこの松井知行についてこれまでに判明している内容や、この男が起こした「奥多摩山中および秩父山中における連続殺人事件」の内容などについてまとめていきます。
なお、「奥多摩山中および秩父山中における連続殺人事件」は、警視庁が捜査で使用していた事件の呼称で、インターネット上や報道などでは「東京・山梨連続リンチ殺人事件」という呼び名が使われる場合が多いです。
松井知行の生い立ちや経歴について
松井知行の生い立ちや経歴についてはこれまでに全く情報が出てきておらず、素性も含めて不明となっています。
松井知行の生い立ちや経歴についてわかっているのは、警視庁が公開している情報からせに年月日が「1971年12月4日」である事と出身地が「北海道」である事だけです。
その他松井知行の特徴について、「身長は174cmくらい」、「右の上腕に『L字型』の傷跡と、長さ5cm以上の手術の跡がある」、「目が鋭く視力が悪い」といった内容が警視庁から公開されています。
また、捜査関係者からの証言だとして「週刊新潮」(2016年12月22日号)に、松井知行について、「六本木で有名な不良遊び人だった」、「暴力団とも交流があった」との情報が出ています。これが事実ならば、古川信也さんを殺害する事件を起こす以前から松井知行は東京では有名な不良(半グレ)だった可能性が高いようです。
六本木で有名な不良遊び人だった松井は、もともとカードのスキミングに詳しく、暴力団とも交流がありました。
松井知行の家族
生い立ちや経歴と同様に、松井知行の家族の情報は全くなく不明です。
ただ、2016年12月(週刊新潮の記事では遺体発見は2017年12月とされているが誤り)に南アフリカで松井知行と思われる遺体が発見され、警視庁が松井知行の親族とのDNA鑑定を行っているので、何らかの家族は存在していると思われます。
殺人容疑などで国際手配されていた松井知行容疑者の親族のDNA型と、南アフリカで死亡した男の遺体のDNA型を鑑定した結果、「松井容疑者本人と矛盾しない」と確認されたことが捜査関係者への取材でわかった。
松井知行と関東連合との関係
「週刊文春」(2020年9月17日号)に掲載された、松井知行や紙谷惣らの古川信也さん殺害事件についての記事で、警視庁担当記者の話として「松井は関東連合グループとも仲が良く、半グレの先駆け。」と書かれています。
ところが、関東連合系の暴走族の元リーダ格の1人で「六本木クラブ襲撃事件」の犯人として有罪判決を受けて服役中の石元太一は、獄中手記として更新している自身のブログで、関東連合関係者は誰も松井知行の事も、共犯の紙谷惚の事を知らないとして文春の記事内容を否定しています。
関東連合と仲がいい、悪い云々の前に、誰も知らないよね、この二人のこと(笑)。
そもそも、以前このブログにも書いた通り、あのATM事件の主犯格が関東連合の元メンバーというのも誤報だし。
『君は誰だ?』
ただ単に警察がそういったことにしたかっただけでしょ。いつものように。
松井知行の事件の内容① 被害者の古川信也さんのトラブルを松井が解決
ここからは、松井知行の起こした「奥多摩山中および秩父山中における連続殺人事件」(東京・山梨連続リンチ殺人事件)の内容を時系列順にまとめていきます。
2002年頃、事件の被害者である古川信也さんは、勤めていた東京・六本木の飲食店を辞める際に顧客名簿を勝手に持ち出して店側とトラブルになり、これを解決してくれる人物を探していました。
そんな時に知人の紹介で知り合ったのが松井知行でした。松井知行は暴力団にも顔が効く人物として、六本木界隈で知られており、古川信也さんの勤めていた店を脅すなどして、このトラブルをすぐに収めました。
松井知行の事件の内容② クレジットカード詐欺への協力を古川信也さんが拒否しトラブルに
松井知行はトラブルを無事収めた見返りとして、古川信也さんに自らが所属する犯罪グループへの協力を求めるようになりました。
松井知行は、古川信也さんに六本木に新たに高級クラブを開店させるように命じ、その店の顧客のクレジットカードの情報をスキミングの手口を使って盗み出す事や、女性従業員に接待させてその様子をビデオに撮りそれを材料に恐喝する事などを命じました。
古川信也さんはこの指示を拒否し続けましたが、松井知行らがかけてくる圧力に恐怖を覚えるようになり、2003年9月に一緒に行動していた友人2人と交際相手のマリコさん(仮名・当時19歳)と共に、六本木から逃げ出しました。
古川信也さんとマリコさんら4人は、福島県にアパートを借りて身を隠しました。
しかし、古川信也さんの逃亡を知った松井知行は激怒し、すぐに古川さんらの行方を追い始めました。
松井知行の事件の内容③ 古川信也さんと恋人のマリコさんを拉致監禁
被害者の古川信也さんが、恋人のマリコさんらと福島県に逃亡してから1週間後の2003年9月17日、松井知行は、古川信也さんの友人を脅して古川さんと連絡を取らせ、その日の深夜に千葉県市川市のレストランへと古川信也さんを誘い出しました。
松井知行は仲間らに命じてこのレストラン駐車場で古川信也さんを拉致し、一方で自分は仲間と共に古川信也さんらが隠れ家としていた福島県のアパートへと押しかけ、そこで古川信也さんの帰りを待っていた交際相手のマリコさんを誘拐しました。
松井知行らは、古川信也さんとマリコさんを、埼玉県戸田市内のマンション一室に監禁し、そこで古川信也さんに対して、少なくとも松井知行は8人以上の仲間と共に執拗に暴行を加えました。
松井知行らは、古川信也さんをマンションの浴室に閉じ込め、「塩だけで生きろ」と言い放って食べ物も与えずに監禁。
恋人のマリコさんもマンションの別の一室に閉じ込められました。
松井知行の事件の内容④ 古川信也さんを殺害する事をマリコさんに強要
松井知行は当初は古川信也さんの殺害までは考えていませんでしたが、古川信也さんの荷物の中に、松井知行らの犯罪グループの組織図のようなものが見つかった事で方針を殺害する方向へと変えました。
恋人のマリコさんの処遇については意見が割れ、「解放すれば警察に通報するだろうから、一緒に殺害するべき」、「乱暴して誰かの女にしてしまえばいい」といった意見が出て、最終的には、「古川信也さんの殺害に加わらせて共犯にし、逃げられないようにする」事が決まりました。
松井知行の仲間の1人がマリコさんに「このままじゃ(古川)信也は絶対に殺される。一緒に殺さないとマリコちゃんも殺されるよ。俺もやるから、一緒にやろう」と持ちかけ、この時点ではマリコさんはこれを拒否しています。
松井知行の事件の内容⑤ 古川信也さんを殺害
古川信也さんやマリコさんを拉致監禁した翌日の2003年9月18日の朝、松井知行らは、古川信也さんの手足を粘着テープで縛った上で段ボール箱に詰め込み、トラックの荷台に乗せて東京都奥多摩町の仲間の自宅へと運びました。
さらにその翌日の19日、松井知行らは乗用車のトランクに古川信也さんを押し込むと、13時頃に山梨県丹波山村のキャンプ場(山梨県北都留郡丹波山村親川地区)へと移動しました。
ここでもマリコさんは「信ちゃんを助けてあげてください」と泣き叫んで命乞いをしたという事ですが、「一緒に古川を殺さなかったら、あんたも殺されるよ」、「やらなければ両親のところに乗り込むぞ、兄弟がどうなっても知らないぞ」などと脅され、最後には首を縦に振り、古川信也さんの殺害に加わりました。
松井知行は、マリコさんに最初に古川信也の首を絞めさせました。それから松井知行、紙谷惣と他の仲間らも殺害に加わり、古川信也さんの首に木材を押し当てたり、頭にビニール袋を被せるなどしました。
さらに、松井知行らは古川信也さんのベルトを奪って首に巻きつけて綱引きのように引っ張り、最後には松井知行が古川信也さんの顔面を何度も殴ってトドメを刺しています。
松井知行は古川信也さんの死亡を確認した後、「バーベキューをしよう」と提案し、古川信也さんの遺体を車のトランクに入れたまま、キャンプ場の河原でバーベキューをしています。
松井知行の事件の内容⑥ 古川信也さんの遺体を奥多摩山中などに遺棄
松井知行はバーベキューをした後に、9月19日深夜から20日未明にかけて、紙谷惣や他の仲間ら数人と古川信也さんの遺体をノコギリや包丁などを使って頭部と腕と足に切断しています。
松井知行らはその後、バラバラにした古川信也さんの遺体をビニール袋に分けて入れ、手分けして殺害現場付近の丹波山の山中から奥多摩山中にかけて遺棄しました。
そして、2003年10月4日、奥多摩山中に有害銃駆除のために入っていた地元猟友会のメンバーの1人が、西多摩郡奥多摩町の町道脇の側溝に人の右腕が落ちているのを発見。
この遺体の指紋を照合した結果、特異行方不明者として、警視庁高井戸警察署に届け出が出されていた古川信也さんのものである事が判明し事件が発覚しました。
松井知行の事件の内容⑦ 共犯者ら合計8名が逮捕されるも松井らは逃亡
古川信也さんの遺体が発見され、その遺体の断面にノコギリのようなもので切断された痕跡がある事が確認され、警視庁は殺人死体遺棄事件と断定し捜査を開始しました。
その後、2004年1月8日までに、松井知行さんの拉致監禁や殺害および死体遺棄に関与した男女8人(未成年者2名を含む)が、古川信也さんに対する逮捕監禁容疑で逮捕され、同年1月23日までに、そのうちの6名が殺人、死体損壊、死体遺棄の容疑で再逮捕されています。
しかし、この逮捕者の中に松井知行と紙谷惣、そして古川信也さんの交際相手だったマリコさんは含まれていません。
また、この時に逮捕された8人の供述により、松井知行らの犯行グループが、2003年5月27日に東京都新宿区内のホテルで、飲食店経営の長沼正司さん(当時38歳)に暴行を加えて死亡させ、埼玉県秩父郡長瀞町の山中に遺体を遺棄した事なども判明しています。
警視庁は一連の事件で、合計14名の容疑者を逮捕していますが、依然として松井知行と紙谷惣は捕まりませんでした。
松井知行の事件の内容⑧ 松井はマリコさんや紙谷惣らと海外へ逃亡
松井知行は、2003年10月4日に古川信也さんの遺体の一部が発見された事が報じられると、他人の名義のパスポートを使い、紙谷惣、マリコさん、当時17歳の自分の交際相手を連れてハワイへと逃亡しています。
その後、松井知行とその交際相手はアメリカ・アトランタ州を経由して、10月18日に南アフリカのヨハネスブルグ国際空港(現在のO・R・タンボ国際空港)へと移動し、紙谷惣とマリコさんは韓国ソウルを経由して、10月22日に同じく南アフリカ・ヨハネスブルグへと入っています。
南アフリカには、松井知行のグループが日本で連絡を取り合っていた犯罪グループ(カード偽造団)がいました。
松井知行らはこのまま南アフリカに隠れ住む事になりますが、カード偽造などで稼いだ大金を使ってプール付きの豪邸に住んでいたようです。
警視庁はインターポールを通じて、松井知行らを国際手配し、2004年4月12日付で長沼正司さんに対する殺人・死体遺棄・死体損壊容疑で指名手配しています。
松井知行らは、南アフリカでの潜伏中も犯罪行為をして金を稼いでいた疑いがあり、2010年の南アフリカでのサッカーワールドカップに絡んだ被害総額約1億円の詐欺事件にも関与していた疑いも持たれています。
この事件と紙谷惣との関与を疑った警視庁は、2011年6月に捜査員を南アフリカに派遣していますが、南アフリカは死刑制度廃止国であるため、日本に帰国して裁かれれば死刑の可能性がある紙谷惣の引き渡しに応じずに逮捕は叶いませんでした。
さらに、2016年に発生したコンビニATMから18億円が不正に引き出された事件でも松井知行や紙谷惣の関与も疑われており、この被害額の一部が松井知行らの逃走資金に使われた可能性も疑われていました。
松井知行の現在…逃亡先の南アフリカで死亡の報道
南アフリカに逃亡して10年以上にわたって国際手配されていた松井知行でしたが、現在は既に自殺により死亡している事がほぼ確定的になっています。
2016年12月に、南アフリカの海岸で発見された首吊り遺体の指紋と、松井知行の指紋が一致したとの情報が入った事を受けて、2022年7月に警視庁の捜査員が松井知行の親族のDNA検体を持って現地へ派遣され、埋葬されていた首吊り遺体のDNA型の鑑定を現地当局へと依頼しました。
そして同年8月11日にその現地でのDNA鑑定により「松井容疑者本人と矛盾しない」との結果が示されたため、南アフリカで発見された遺体が松井知行のものである事が確定的となりました。
警視庁は、日本国内でもDNA鑑定を行って確定的な結果を得た上で、被疑者死亡で書類送検する方針を固め、国内での一連の捜査を終了すると見られるとの報道がされています。
松井知行の共犯者の紙谷惣の現在…逮捕監禁罪で2020年に逮捕
松井知行と共に南アフリカ共和国へと逃亡していた紙谷惣ですが、逃亡後に現地の言葉を流暢に話すようになり、2011年頃からは松井知行とは行動を別にして独自に生計を立てていたようです。
これは、紙谷惣が松井知行に離反する形で距離を置いたようで、松井知行は腹心だった紙谷惣が離れていった事にショックを受けて、逃亡後に恋人や夫婦のような関係になっていたマリコさんに対しても自殺を仄めかすようになり、2011年9月頃に隠れ家を出て姿をくらましたという事です。
その後、紙谷惣は南アフリカで独自に金を稼ぎながら潜伏を続けていたようですが、新型コロナウイルスの感染拡大によって現地でのビジネスがうまくいかなくなり、隠れ家の大家ともトラブルになって追い出され、2020年に8月下旬に「コロナで金も仕事も無くなり困窮しているので帰国したい」と現地の日本大使館に出頭しました。
紙谷惣はその後の2020年9月3日、日本に帰国して成田空港に降り立ち、新型コロナウイルスのPCR検査を受けた後に、逮捕監禁の容疑で警視庁に逮捕されました。
その後、紙谷惣は古川信也さんに対する監禁罪で起訴された後、同年10月15日に殺人と死体損壊・遺棄の罪で追起訴されています。
公判前整理手続に時間を要しているのか、事件の全貌を明らかにするための取り調べが続いているのか、現在はまだ裁判は始まっておらず紙谷惣に対しての判決は出ていません。
松井知行と南アフリカに行ったマリコさんの現在…嫌疑不十分で不起訴
被害者の古川信也さんの交際相手だったマリコさん(偽名)は、事件発覚後に逃亡した松井知行に連れられて南アフリカへと渡り、現地で一緒に生活していたようです。
松井知行の配下の男によれば、南アフリカではマリコさんは松井知行さんの妻や恋人気取りで、下の元に命令口調で話し、犯罪行為にも協力していたという事ですが、真偽はわかりません。いずれにしても、マリコさんは自分が生存するために松井知行に従わざるを得ない立場にいた事は間違い無いと思われます。
このマリコさんですが、2011年11月に松井知行の元から逃れて帰国し、成田空港で古川信也さん殺害の容疑で警視庁に逮捕されています。マリコさんは自分は脅迫されて無理矢理共犯にさせられたという思いがあるため、逮捕時には容疑を否認しています。
その後、東京地検はマリコさんに対して、殺人の実行行為、殺意、共謀等に疑義が生じる点や、緊急避難が成立する余地がないと断じる事は困難な点などにより、同年11月22日に嫌疑不十分で不起訴とする決定を下しています。
その後や現在のマリコさんについては不明ですが、匿名掲示板で全く別の事件に関わって逮捕されたという情報もあるようです。ただ、これは真偽不明となっています。
まとめ
今回は、2003年5月から9月にかけて発生した「奥多摩山中および秩父山中における連続殺人事件」(東京・山梨連続リンチ殺人事件)の主犯格で、殺人容疑などで国際手配されている松井知行についてまとめてみました。
松井知行は当時は六本木界隈では名の知れた半グレで恐れられていたという事ですが、1971年12月4日生まれで北海道出身という情報以外、その生い立ちや経歴、家族などに関する情報は全くといって良いほど明かされていません。
また、松井知行は関東連合と関係があるとの報道も一部週刊誌から出ていましたが、これについては元関東連合関係の暴走族のリーダー格であった石元太一服役囚が関東連合とは関係ないとする趣旨をブログ(外部委託による獄中手記)に書いています。
松井知行が起こした「奥多摩山中および秩父山中における連続殺人事件」の内容ですが、被害者の古川信也さんにクレジットカード偽造詐欺への協力を求めたが拒否されたためにトラブルとなり、仲間達と共に古川信也さんを拉致して殺害しバラバラにして奥多摩山中などに遺棄したという事件でした。
その後、松井知行は共犯の紙谷惣や、古田信也さんの交際相手だったマリコさん(偽名)らを連れて南アフリカ共和国へと逃亡し、10数年にわたって潜伏していました。
しかし、松井知行は2016年12月に南アフリカの海岸で首吊り遺体となって発見されています。共に逃亡していた紙谷惣は2020年に自ら出頭して帰国し逮捕され、マリコさんも2011年に帰国して逮捕された後、嫌疑不十分で不起訴処分となっています。