新潟県新発田市で強姦目的で5人の女性襲い、そのうちの2人を殺害した喜納尚吾が注目されています。
この記事では喜納尚吾の生い立ちや出身、何人か、経歴、結婚などの家族、徳永希さんらを殺害した事件の身勝手な動機、裁判での判決や現在の状況などについてまとめました。
この記事の目次
- 喜納尚吾は新潟県新発田市女性連続殺人事件の犯人
- 喜納尚吾の生い立ち① 子供時代から盗癖があった
- 喜納尚吾の生い立ち② 中学時代は野球部で鈴木亜美のファン
- 喜納尚吾の生い立ち③ 八重山商工高校へ進学も半年で退学し少年院にも
- 喜納尚吾の経歴① 高校中退後に放火未遂事件で保護観察処分
- 喜納尚吾の経歴② 強姦致傷事件で執行猶予が取り消され計8年の実刑
- 喜納尚吾の経歴③ 出所後2013年7月に新潟県新発田市へ引っ越し
- 喜納尚吾の出身は石垣島だが何人かと疑うような声も
- 喜納尚吾の家族① 父親は野球チームのコーチで地元では有名な人物
- 喜納尚吾の家族② 母親は息子の極刑を望む供述も
- 喜納尚吾の家族③ 結婚していて妻がいたとの報道も
- 喜納尚吾の事件の被害者は徳永希さんと20歳女性ら少なくとも計5人
- 喜納尚吾の事件の動機は異常な性欲
- 喜納尚吾の判決は無期懲役だが軽すぎるという声が多い
- 喜納尚吾の現在…第一審で無期懲役判決も弁護側も検察側も控訴するか検討
- まとめ
喜納尚吾は新潟県新発田市女性連続殺人事件の犯人
喜納尚吾(きな・しょうご)は、2013年から2014年にかけて新潟県新発田市で発生した「新発田市女性連続殺人事件」の犯人です。
喜納尚吾は、2013年8月から2014年1月にかけて10代から30代の女性5人を強姦目的で襲い、そのうち2人を殺害しました。
喜納尚吾に対しては、2018年3月に被害者4人に対する強姦や強姦致死などの罪で無期懲役の判決が確定していましたが、2020年に新たに当時20歳の女性に対する殺人などの容疑でも逮捕起訴され2022年11月に無期懲役の判決が下されました。(2022年11月23日の時点では確定はしていない)
この喜納尚吾についてこれまでにわかっている内容をまとめていきます。
喜納尚吾の生い立ち① 子供時代から盗癖があった
喜納尚吾の子供時代については、裁判で読み上げられた母親の供述調書によると、両親や他人の現金を盗む事を繰り返し手に負えない状況だったという事です。
供述によると、喜納被告は子供の頃から両親や他人の現金を盗むことを繰り返し、母親の手に負えない状況だった。
喜納尚吾の生い立ち② 中学時代は野球部で鈴木亜美のファン
出典:https://livedoor.blogimg.jp/
窃盗を繰り返していたという子供時代の喜納尚吾ですが、意外にも中学時代の同級生からの評判は悪くはなかったようです。
中学時代の喜納尚吾は運動神経が良く、授業中に注意される事はあったものの不良という印象はなかったとの同級生からの証言が出ています。
沖縄県石垣島出身。中学校時代の同級生らは事件に驚きを隠せない。
「運動神経が良くて足が速く、クラスの中にいる騒がしい男子の1人という感じだった。授業中に先生に『うるさい』と注意されることがあっても、特に不良ということはなかった。顔も悪くないので人気はあった」
また、中学時代の後輩の証言では、当時の喜納尚吾は野球部のエースで、地区の陸上大会にも出場したという事です。
喜納容疑者は沖縄県石垣市出身。中学時代に後輩だった男性会社員(30)によると、中学では野球部のエース。足が速く地区の陸上大会にも出場していた。
他にも、当時の喜納尚吾は歌手の鈴木亜美さんのファンだったといった情報も出ています。
別の同級生は「当時、歌手の鈴木亜美が大好きだった。人気があった浜崎あゆみと似ているね、と話すと、『全然違う。亜美ちゃんのほうが、かわいい』と言っていた。普通の中学生だったのに、あんな事件を起こすとは…」と話す。
喜納尚吾の生い立ち③ 八重山商工高校へ進学も半年で退学し少年院にも
喜納尚吾は、中学卒業後は野球の強豪校である八重山商工高校へと進学しています。
しかし、半年ほどで自主退学しています。
高校は、ロッテの大嶺兄弟を輩出した八重山商工高校に進学。だが、素行の悪さで半年で自主退学し、那覇市に引っ越す。
その後、沖縄を離れた喜納尚吾は、18歳の時に金沢市で車を盗んで捕まり、1年間少年院に入っています。
喜納尚吾の経歴① 高校中退後に放火未遂事件で保護観察処分
裁判で公開された情報によると、喜納尚吾は八重山商工工業を中退した後、2002年(19歳頃で、少年院から出た直後か)に放火未遂事件を起こして保護観察処分となっています。しかし、その翌年の2003年に強姦致傷と建造物等以外放火で執行猶予が取り消されて懲役しています。
今回の公判でも証拠となっている前科に関する報告書によれば、2002年には放火未遂で保護観察付きの執行猶予判決が言い渡されたものの、2003年に強姦致傷や建造物等以外放火などの罪で、前刑での執行猶予が取り消され服役。
なお、2014年の一部の報道で喜納尚吾が友人宅(あるいは居候先のアパート)に放火する事件を起こし、殺人未遂で逮捕され懲役3年の実刑をくらったとの報道がありましたがこれは正確ではなく、裁判で公開された情報によれば、この時には保護観察となり執行猶予がついたというのが事実だったようです。
高校中退後、風俗店従業員として働いていたが、ささいなトラブルから友人宅に放火。懲役3年の実刑判決を食らい、出所後は宮城県に移り住んだものの、そこでも窃盗などを繰り返し、昨夏に新潟県新発田市に移り住んだ。
20歳のころに居候先の住民のアパートに火を付けて殺害しようとしたとして、殺人未遂罪で、懲役3年の実刑判決を受けた。
喜納尚吾の経歴② 強姦致傷事件で執行猶予が取り消され計8年の実刑
上でも触れていますが、喜納尚吾は放火事件を起こして殺人未遂になり、執行猶予判決となった後、翌年の2003年に連続強姦致傷事件を起こし、執行猶予判決が取り消され、2004年から合計で8年間服役しています。
さらに、喜納尚吾には2015年の裁判で、2003年の別の16歳少女に対しての強姦致傷事件への関与も認めています。
新潟地検によると、喜納被告は沖縄県内で起こした強姦致傷事件などで16年10月から約8年間服役した。
これとは別に、16年5月に沖縄県で発生した当時16歳の少女に対する強姦致傷事件への関与を、喜納被告は今月6日の検察側の被告人質問で認めたが、この事件は時効を迎えている。
喜納尚吾の経歴③ 出所後2013年7月に新潟県新発田市へ引っ越し
喜納尚吾は8年の懲役を終えて2012年に出所し、翌年の2013年の夏頃(裁判で明かされた情報によると7月)に新潟県新発田市へと引っ越しています。
そして、その後すぐに5人の若い女性を強姦目的で襲い、そのうちの2人を殺害する事件を起こしました。
喜納尚吾の出身は石垣島だが何人かと疑うような声も
裁判で公開されている情報などを見ても、喜納尚吾の出身地は沖縄県石垣島で間違いないようです。
喜納容疑者は沖縄県石垣市出身で、13年ごろから新発田市内に住んでいた。
ただ、ネット上では喜納尚吾について、「何人?」、「日本人ではないのでは」といった声が少なからず出ています。
具体的には在日コリアンでは?という声が出ているという事ですが、こうした凶悪な犯罪者に対しては必ずこうした事をいう人が現れます。今回も特に根拠などは示されておらず、喜納尚吾は沖縄生まれの日本人である可能性が高いでしょう。
喜納尚吾の家族① 父親は野球チームのコーチで地元では有名な人物
喜納尚吾の家族については父親が野球チームのコーチで地元でも有名だったという情報が出ています。
父親は野球チームのコーチをしており、地元では有名な人物だった。
喜納尚吾は中学時代は野球部のエースで、高校も強豪校の八重山商工高校へと進学しているのもこの父親の影響があったようです。
喜納尚吾の家族② 母親は息子の極刑を望む供述も
喜納尚吾の母親は、2015年に新潟地検で息子の極刑を望むという内容の供述をしています。
この母親の供述調書が、2015年の裁判で弁護側によって読み上げられています。
刑務所に服役していた事実にも触れ、25年8月の連続強姦事件に関して「被害者には本当に申し訳ない気持ちでいっぱい」とした上で「尚吾が終身刑か処刑になれば、これ以上、被害者を増やすことにならない」と言及した。
母親の供述内容への思いを裁判員に聞かれ、喜納被告は「自分の子にそういう風に思わざるを得ないのは、親として苦しいことだろうと感じた」と述べた。
喜納尚吾の家族③ 結婚していて妻がいたとの報道も
テレビニュースなど一部の報道で、喜納尚吾が新潟県新発田市に引っ越してきてすぐに結婚しており、最初の逮捕時には自宅で元妻と一緒に住んでいたとする情報が出ています。
この報道が事実なら、喜納尚吾が新発田市に引っ越してきたのは2013年7月で、最初の逮捕が2014年6月なので、結婚していた期間は数ヶ月ほどだったと思われます。
ただ、喜納尚吾の結婚を報じているのは一部のテレビニュースのみで、新聞や週刊誌などは報じていないため誤情報だった可能性も考えられます。
喜納尚吾の事件の被害者は徳永希さんと20歳女性ら少なくとも計5人
出典:https://livedoor.blogimg.jp/
喜納尚吾の事件の被害者で名前が明かされているのは、当時22歳のパート従業員だった徳永希さんのみです。
徳永希さんは2013年11月22日夜、友人に会うために新発田市緑町の自宅を出たところで、喜納尚吾に刃物で脅されて車で連れ去られました。
その後、喜納尚吾は車内で徳永希さんに乱暴し、車外へ連れ出して暴行を加えて顎の骨を折るなどして死亡させました。
それから約4ヶ月後の2014年4月7日、徳永希さんは自宅から北西に約5km離れた同市真野原の藪の中で白骨化した遺体となって発見されています。
喜納尚吾の被害者は徳永希さんの他には、2014年1月15日に仕事に向かう途中に喜納尚吾に車ごと拉致されてわいせつな行為を受け、新発田市内の小川で顔を水につける、あるいは頸部を圧迫するなどして殺害された当時20歳の女性ら少なくとも計5人です。
殺害された徳永希さんと20歳女性以外の被害者は、2013年8月2日に強姦などの被害にあった当時30代の女性、翌8月3日に強姦などの被害にあった当時10代の女性、同年12月に車を運転中、突然乗り込んできた喜納尚吾に暴行されそうになり、抵抗して難を逃れた当時20代の女性の3人です。
さらに、2013年9月には、新発田市内のアパートの駐車場で車4台が放火と思しき出火で燃えるる火災があり、そのうちの1台から当時24歳の女性の遺体が見つかる事件がありました。これも喜納尚吾の犯行ではないかと疑われています。(証拠が見つからず起訴に持ち込めなかった)
喜納尚吾の事件の動機は異常な性欲
少なくとも5人の女性を強姦目的で襲い、うち2人を殺害した喜納尚吾ですが、被害者との面識は一切ない無差別的犯行で、その動機は異常な性欲を満たしたいという身勝手なものでした。
裁判での判決でも「性欲を満たしたいという身勝手極まりない動機にくむべき点はない」と、その犯行動機の卑劣さが非難されています。
これに対し判決は、「性欲を満たしたいという身勝手極まりない動機にくむべき点はない」と断じ、「被害者が味わった恐怖の強さや絶望の深さは筆舌に尽くすことができない」と非難した。
喜納尚吾の判決は無期懲役だが軽すぎるという声が多い
喜納尚吾は、2013年の4件の事件(徳永希さんの強姦致死と2件の強姦、1件の強姦未遂など)での裁判では、2018年に無期懲役の判決が確定しています。
2014年1月の当時20歳女性に対する強制わいせつ致傷と殺人の事件については、逮捕と起訴のタイミングのずれによって、上の4件とは別で裁判が行われました。こちらの裁判も、2022年11月18日に新潟地裁で「無期懲役」の判決が言い渡されています。
こちらは、第一審判決であり2022年11月24日の時点では確定はしていません。
この判決に対しては、少なくとも5人の若い女性を身勝手な動機で襲い、そのうちの2人を殺害しておきながら無期懲役という判決はあまりにも軽いのではないかという声が多く上がっています。
新潟地裁終わってるだろ、喜納尚吾無期懲役とかさ。
— Satoshi0101 (@satoshi1158) November 21, 2022
こいつの犯罪歴、もう一度熟視してみなはれや。#喜納尚吾
喜納尚吾の現在…第一審で無期懲役判決も弁護側も検察側も控訴するか検討
第一審では「無期懲役」という判決が出た喜納尚吾ですが、2022年11月24日現在、弁護側も検察側も控訴するかどうか検討中だという事です。
2度目の無期懲役を言い渡された喜納被告。控訴について、弁護側は喜納被告と相談して決める方針で、検察側は内容を検討したうえで対応を決めることにしています。
現在の時点では喜納尚吾の刑は確定しておらず、今後の展開にも注目が集まります。
まとめ
今回は、2013年から2014年にかけて新潟県新発田市で少なくとも5人の若い女性を強姦目的で襲い、そのうちの2名、当時22歳の徳永希さんと当時20歳の女性を殺害した喜納尚吾についてまとめてみました。
喜納尚吾の生い立ちについては、沖縄県石垣島の出身で、子供時代から両親や知人から現金を盗むなど手に負えないほど素行が悪かった事がわかっています。中学時代は野球部で投手として活躍し強豪野球部で知られる八重山商工高校へと進学したものの半年で中退しています。
その後の経歴は、自動車盗難、放火、強姦致傷などの事件を次々と起こしており、その間、少年院への1年の入院や、懲役8年の実刑判決など、まともに生活していた時期はほとんどなかったようです。
喜納尚吾は一時結婚していたといった報道も出ていましたが、一部テレビニュースでのみ報じられた情報で信憑性は高くないようです。
事件の動機は異常に強い制欲を満たすためという身勝手なもので、徳永希さんら被害者との面識はなく無差別な犯行でした。
徳永希さんへの強姦致死などが裁かれた1度目の裁判では「無期懲役」の判決が確定。20歳の女性に対する殺人などの罪が裁かれた2度目の裁判でも無期懲役の判決が言い渡されています。
現在は、検察側も弁護側も無期懲役の判決に対して控訴するかを検討中と報じられており、今後の展開への注目も高まっています。