「兜町の風雲児」ともてはやされた挙句、巨額の詐欺事件「投資ジャーナル事件」を起こして逮捕された中江滋樹さんが話題です。
この記事では中江滋樹さんの生い立ちや家族、結婚、アイドルの倉田まり子さんとの愛人疑惑の真相、死因となった火災事故や他殺説などについてまとめました。
この記事の目次
中江滋樹は「投資ジャーナル事件」の首謀者として知られる相場師
中江滋樹のプロフィール
生年月日:1954年1月31日
没年月日:2020年2月20日(享年66歳)
出身地 :滋賀県近江八幡市
中江滋樹さんは、1970年代から1980年代半ばにかけて一世を風靡した伝説的な相場師、証券ジャーナリストです。
中江滋樹さんは24歳だった1978年に「投資ジャーナル社」を設立し、「投資ジャーナル」、「月刊投資家」などの証券関連雑誌を次々と創刊して自身の投資テクニックを紹介して絶大な支持を集め、「兜町の風雲児」などと持て囃されました。
「投資ジャーナル社」の発行する雑誌は、当時の投資家達の間で話題を呼び、本屋に平積みされるほどの発行部数が瞬く間に売り切れるほどでした。
中江滋樹さんは売り上げ拡大に伴って会社規模を拡大し、全盛期には東京に200を超える事務所を展開し、従業員の数も3000人を超えていました。
当時の勢いは凄まじく、証券会社から仕入れた情報を会員に提供するサービスでは、政治家や財界人、芸能人も我先にと中江滋樹さんの会員になるなど、20代にして一時代を築き上げました。
時代の寵児ともてはやされた中江滋樹さんでしたが、1982年頃に保証金の10倍の資金を融資するというサービスを拡大させ584億円もの資金を集めたものの、その預かり金を返しきる事ができなくなり、そのうち内の約18億円が詐取とされて1985年6月に警視庁に逮捕され懲役の実刑判決を受けています。この事件は「投資ジャーナル事件」と呼ばれています。
「投資ジャーナル事件」については後で改めて紹介します。
そんな波乱万丈な人生を送った中江滋樹さんですが、2020年2月20日に自宅のアパートの火災により焼死体となって発見されています。享年は66歳でした。
続けて、この中江滋樹さんについてまとめていきます。
中江滋樹の生い立ちや経歴
中江滋樹さんは、1954年1月31日、滋賀県近江八幡市の生まれです。父親は証券会社の社員で、その影響から中江滋樹さんは子供の頃から株を始めています。
当時は父親と兄と食事をしに行った際に、高いステーキを注文する兄に対して自分は安いオムライスを注文し、その差額の数百円を父親から貰いそれを投資資金に充てていたそうです。小学5年生の頃に日活の株を千株買い、約1万円の利益を出したそうです。
その後も相場を続け、滋賀県立彦根東高校在学中に、名古屋市の投資顧問会社「三愛経済研究所」の会員となって投資を学んだようです。
高校卒業後には神戸大学経営学部へと進学したと一部の書籍では書かれていますが、中江滋樹さん本人は、あまりにも相場が儲かるので大学へ進学するのがバカバカしくなり、高校卒業後の1973年に家出をして名古屋の証券会社で株価の推移を黒板に書く「黒板書き」という仕事をしていたと自身の生い立ちについて語られています。
1973年、その相場の才能を「三愛経済研究所」の犬塚芳嗣所長に見出されて同研究所に入所。
22歳だった1976年に投資コンサルタント会社「2×2(ツーバイツー)」を創業し、この頃に「月刊投資家」の発行を始めています。
そして1978年9月に、東京兜町に「投資ジャーナル社」を立ち上げ、本格的に投資雑誌の販売をスタートさせ若干26歳にして大きな成功を収めたのでした。
中江滋樹の家族や結婚について
中江滋樹の家族は、証券会社に勤めていた父親と、同じく証券会社に勤めていたという兄の克己さんの存在が本人のブログで明かされています。
また、過去に結婚しており、離婚した元嫁との間に5人の子供がいる事も週刊誌の記事で明かされました。
中江氏には離婚した妻との間に5人の子供がいるが、家族と連絡を取ることはなかったという。
ただ、中江滋樹さんは逮捕されてから亡くなるまで家族とはほとんど連絡を取っていなかったようです。
中江滋樹さんは過去に結婚されていたという事ですが、結婚された時期や結婚相手の情報などは明かされていません。
中江滋樹さんには全盛期には10人を超える愛人がいたという事で、家族や結婚にどのような価値観を持たれていたのかも気になるところですが、本人が家族や結婚生活について言及された事はほとんどありませんでした。
中江滋樹は人気アイドル・倉田まり子引退の原因を作った
出典:https://nagoyazin.cocolog-nifty.com/
1984年、「FRIDAY」本誌創刊前のパイロット版に中江滋樹さんと当時の人気アイドル倉田まり子さんの親密そうなツーショット写真が掲載されました。当時、中江滋樹さんは「投資ジャーナル事件」によって証券取引法違反で告発され、警察からの追求を避けて海外逃亡を続けていた事もあり、この記事は清純派アイドルのイメージのあった倉田まり子さんのスキャンダルに発展します。
倉田まり子さんはちょうどその頃に、東京都目黒区の一等地に、7000万円とも見られる3階建ての豪邸を購入しており、これが中江滋樹さんの愛人になった見返りだったのではとの疑惑までが浮上したのでした。
その後、税務署の調査によって倉田まり子さん側から、中江滋樹さんからの7000万円の借用書が発見され、豪邸の購入資金は借金だった事が判明して愛人疑惑は否定されたものの、贈与税の支払いができずにこの豪邸は差し押さえられ競売にかけられています。
この騒動によって清純なイメージが失墜したことで、倉田まり子さんはアイドル引退に追い込まれてしまいました。
出典:https://kimagure-diary.com/
後年、中江滋樹さんはこの倉田まり子さんとの騒動の真相について語っています。それによれば、当時倉田まり子さんが事務所を移籍しようとしており、問題になった7000万円はその事務所移籍資金として貸したものだったという事でした。
そして、中江滋樹さんは「FRIDAY」に掲載された倉田まり子さんとのツーショット写真の出所についても次のように説明されています。
中江滋樹さんによれば、当時の部下から、新たに「パルム」という情報雑誌を創刊するにあたり3000万円を出資して欲しいと頼まれ、「創刊号の表紙とインタビューに倉田まり子さんを使い、そのインタビューに自分を同席させる事」という条件で出資に応じたのだそうです。
そのインタビューの席で中江滋樹さんと倉田まり子さんのツーショット写真が記念に撮影されたのですが、その後、中江滋樹さんが「投資ジャーナル事件」で追及を受けた際に、その時のカメラマンがこのツーショット写真を無断で持ち出してフライデーに売ってしまい、それを元にして愛人疑惑の記事が書かれてしまったというのが真相だったという事でした。
中江滋樹の起こした「投資ジャーナル事件」とは
出典:https://80shistoryhome.files.wordpress.com/
中江滋樹が詐欺罪で逮捕された「投資ジャーナル事件」の経緯についてもみていきます。
「兜町の風雲児」として一世を風靡していた中江滋樹さんは、1982年頃から、保証金を積めばその10倍の資金を融資すると謳い、7684人から約580億円もの現金を集めましたが、利用者に対しては「預かり証」を発行しただけで実際に購入した株式の引き渡しは行われませんでした。
警視庁はこれを「証券取締法違反」の疑いで捜査しており、中江滋樹さんはその捜査を避けるために、出資者から集めた100億円もの現金を持って妻や愛人らを連れて海外に逃亡しました。逃亡から8ヶ月後の1985年6月19日、中江滋樹さんは帰国したところを詐欺容疑で警視庁によって愛人や妻ら11人と共に逮捕されます。
その後の裁判によって、1989年位中江滋樹さんに懲役6年の実刑判決が下されています。
中江滋樹の死因は火災による焼死
中江滋樹さんは、2020年2月20日に66歳で死去しています。死因は火災による焼死でした。
火災が発生したのは東京都葛飾区の中江滋樹さんの自宅の木造アパートでした。火災の原因は中江滋樹さん本人の寝タバコによる出火だと見られています。
性別不明の焼死体は、伝説の相場師だった。2月20日早朝、東京都葛飾区の木造2階建てアパートの一室から出火し、焼け跡から遺体が発見。
「損傷が激しく、警視庁が身元の特定作業を進めたところ、かつて『兜町の風雲児』と呼ばれた投資家、中江滋樹氏(66)であることが判明しました」
中江滋樹の死には他殺説も
中江滋樹さんは「投資ジャーナル事件」などで、暴力団関係者を含む大勢の人間からの大金を詐取している事から、本当の死因は火災による事故死に見せかけた他殺ではないかとの噂もあるようです。
自殺じゃなくて他殺じゃないの🐼
— 就活転活パンダ塾長 (@goncha87) February 20, 2020
投資ジャーナルの中江滋樹元会長が死亡か(共同通信) https://t.co/d1cDD7GE1z
まとめ
今回は、1970年代から1980年代半ばにかけて「兜町の風雲児」ともてはやされ、その後巨額の詐欺事件「投資ジャーナル事件」で逮捕された中江滋樹さんについてまとめてみました。
中江滋樹さんは証券会社の父親の家族に生まれた生い立ちを持ち、小学生時代から株取引を始め、大学卒業後に「投資ジャーナル社」を設立して次々と証券関連雑誌を発行し事業を拡大、政界や芸能界にまで影響を及ぼす時代の寵児となりました。
しかし全盛だった1982年頃から、投資資金として保証金の10倍の資金を融資するというサービスをして580億円もの資金を集め、警察の追及を受けた事でその内の100億円を持って海外逃亡するという「投資ジャーナル事件」を起こし、帰国した1985年に詐欺容疑で逮捕されて懲役6年の実刑判決を受けています。
この事件の煽りを受け、当時人気アイドルだった倉田まり子さんと中江滋樹さんのツーショット写真が「FRIDAY」に掲載され、2人が愛人関係にあったとの疑惑が浮上。この影響で倉田まり子さんは芸能界引退に追い込まれています。
そんな中江滋樹さんでしたが、2020年2月20日に自宅の木造アパートで遺体となって発見されています。死因は火災による焼死で、自身の寝タバコが原因だったとみられています。