赤坂のライブハウスで女性歌手が刃物で刺された事件で逮捕された大津陽一郎が話題です。
この記事では大津陽一郎の生い立ちや実家の親などの家族、高校や大学など学歴と自衛隊の経歴、結婚や嫁と子供や自宅、事件の経緯、被害者の女性歌手はYumiという噂、現在の状況についてまとめました。
この記事の目次
大津陽一郎は赤坂ライブハウス女性歌手殺人未遂事件の犯人で自衛隊員

大津陽一郎容疑者(事件当時43歳)は、2025年11月16日に東京都赤坂のライブハウスで、当日のイベントに出演予定だった女性歌手(事件当時40代)が刃物で刺されて重傷を負った「赤坂ライブハウス女性歌手殺人未遂事件」の犯人として逮捕された男です。
この事件では、犯人とされる大津陽一郎容疑者が現役の自衛隊員である事が判明。また、大津陽一郎容疑者は結婚していて嫁と子供がいましたが、その事実を隠して被害者となる女性歌手と事件からみて9年前から不倫交際していた事なども判明して社会に衝撃を与えています。
ここでは、この大津陽一郎容疑者の生い立ちや実家の家族、高校や大学などの学歴、自衛隊での経歴、結婚と嫁や子供や自宅などの私生活など、現在の時点で明らかにされている内容をまとめつつ、赤坂ライブハウス女性歌手殺人未遂事件を引き起こした詳しい経緯や、女性歌手がYumiという噂などについてもみていきます。
大津陽一郎の生い立ちと実家や家族…厳格な両親のもと長男として育つ
大津陽一郎の実家は広大な敷地に建つ古風な邸宅
大津陽一郎容疑者の生い立ちと実家の家族について現在までに明らかにされている内容をみていきます。
大津陽一郎容疑者は、1981年、茨城県常陸大宮市で生をうけています。
大津陽一郎容疑者の実家の場所は茨城県常陸大宮市のJR常陸大宮駅から車で20分ほどの距離にある山間部にあると報じられています。
そして、大津陽一郎容疑者の実家は地元の名士として知られる代々続く地主の一族だったと報じられており、その家柄は近隣からも一目置かれる存在だったようです。ある実家近隣住民は「代々の墓が8基ある」とも証言しており、相当に古くからその地域の有力地主として根付いていた事が推測されます。
その実家は広大な敷地に建つ古風な邸宅で、手入れが行き届いた敷地内には少なくとも5台の車が停められているという事です。
また、登記簿によれば、大津陽一郎容疑者の実家の父親は相続などで少なくとも1万平方メートル以上の広大な土地を所有しており、その実家敷地内には家や畑に加えて先祖代々の墓地も敷地内に建っているとも報じられています。
大津陽一郎容疑者の実家の家族構成については、5人家族と報じられており、両親は共に元公務員、本人は3人きょうだいの長男だと報じられています。
大津陽一郎の生い立ち① 県庁職員の父親と教師の母親による厳格な教育方針
大津陽一郎容疑者の実家の家族を知る方の証言によれば、大津陽一郎容疑者の父親は県庁職員、母親は教師だったという事です。親族にも警察関係者や公務員が多く、真面目で堅い家系として知られていたという事です。
このような地元の名士と呼ばれるような家族に長男として生まれた大津陽一郎容疑者は、両親から厳格なしつけを受けて育ったとされます。
大津陽一郎容疑者の実家の家族を知るという地元の知人によると、テレビやゲームといった娯楽は厳しく制限され、礼儀作法や勉学に励むことが求められる日々だったといいます。このような教育方針は、大津陽一郎容疑者を真面目で寡黙な人間に育てた一方で、長男としての過度なプレッシャーが与えられていた可能性も指摘されています。
事件後、やつれた様子で取材に応じた大津陽一郎容疑者の父親は、息子について「普通…普通の子でした」と絞り出すように語っており、その言葉からは計り知れない衝撃と戸惑いが窺えます。
大津陽一郎の生い立ち② “名家の坊ちゃん”としての周囲の評判
大津陽一郎容疑者は、地元では「名家の坊ちゃん」として知られていたという事ですが、学業成績は必ずしも優秀ではなかったようです。
大津陽一郎容疑者の実家の家族を知る地元の知人は「厳しい家に生まれたが、学業はふるわなかった。おとなしい人だった」と当時を振り返っています。
親族一同も、大津陽一郎容疑者が凶悪な事件を起こしたことに大きなショックを受けているようです。親族の1人は、「本当に大人しいと聞いていましたから、女性関係でトラブルなんて……。評判も悪くなかったんですよ」と語っており、大津陽一郎容疑者の内面に潜む闇に気づいていた者はいなかったようです。
大津陽一郎の生い立ち③ 中学時代は“無”のような存在との証言

一方、大津陽一郎容疑者の中学時代について、「活発なグループともやんちゃな集団とも距離を置き、いつも同じバスケ部所属の大人しい1人とだけ一緒におり、いつも2人で教室の隅でコソコソと話していた」との証言が、同じ中学に在籍していたという人物から出ています。
この方によれば、中学時代の大津陽一郎容疑者は「どの輪にも入れない“無”のような存在」だったとの事です。
そしてこの証言者は、当時の大津陽一郎容疑者の陰湿な一面を目撃していた事も証言しています。
当時のこの中学校では、運動会や遠足などの学校のイベントのたびに、廊下にカメラマンが撮影した写真が貼り出され、生徒が購入できるようになっていたそうなのですが、大津陽一郎容疑者が自分が気に入らないある同級生(同じバスケ部に所属するお調子者だったとの事)の写った写真を爪で引っ掻いたりして、顔の部分をピンポイントに傷つけているところを目撃したそうです。
大津陽一郎容疑者はこの同級生の写真の顔部分を傷つける事を何枚もやっていて、「すごく陰湿だな」と感じたのだとか。
大津陽一郎容疑者は、今回のライブハウス女性歌手襲撃事件でも、犯行前に被害者女性が出演予定のライブ告知ポスターに黒色のスプレーで大きくばつ印を書いており、この証言者の方は「30年経っても相変わらず同じことをしてんのかよ」、「陰湿さが変わっていない」と思ったそうです。
大津陽一郎の経歴…県内の公立高校を卒業後大学へは進学せず自衛隊に入隊
続けて、大津陽一郎容疑者の経歴について、現在までに明らかにされている内容をみていきます。
大津陽一郎の経歴① 出身高校は「進学校ではない地元の県立高校」
報道によれば、大津陽一郎容疑者は地元の私立中学校を経て県内の公立高校を卒業した後、大学には進学せず、2000年3月に陸上自衛隊に入隊しています。
大津陽一郎容疑者の出身高校については「地元の公立高校」、「進学校ではない県立高校」などの情報が親族や知人などの証言から明らかになっているものの、具体的な高校名などは現在の時点では不明です。
学業については、親族が「成績が思いのほか下の方」と証言しており、勉学への興味が薄く大学への進学は考えなかったと推測されます。
大津陽一郎容疑者が高校卒業後に自衛隊という進路を選んだ理由ですが、「国防を担う」といった志があったというわけではなく、ただ単に、両親を含め公務員の多い家柄や、名家の長男という立場から、国家公務員である自衛官という職業を選択したのではないかと考えられています。
大津陽一郎の経歴② 自衛隊入隊後は「寡黙で真面目」と評価されていた
自衛隊入隊後の大津陽一郎容疑者は、初任地で東京都練馬区の朝霞駐屯地に配属され、2018年ごろ青森県の八戸駐屯地へと配属。その後、八戸駐屯地で6年ほど勤務し、2024年ごろに再び朝霞駐屯地へと戻り、今回の「ライブハウス女性歌手殺人未遂事件」を引き起こすまで同地で勤務していました。
自衛隊員としての大津陽一郎容疑者は、事件の時点で勤続25年のベテラン隊員であり、階級は中堅にあたる2等陸曹で、職務を黙々とこなす真面目な自衛隊員として評価されていたという事です。
事件当時は朝霞駐屯地の第1施設大隊に所属し、主な任務は、災害支援でも活躍するブルドーザーや油圧ショベルといった施設器材の管理であり、専門的な知識と実直な勤務態度が求められる部署でした。
自衛隊の同僚たちは、大津陽一郎容疑者を「寡黙で真面目」な人物として記憶しており、彼が私生活で大きなトラブルを抱えていることを想像していた者は誰1人いなかったようです。
大津陽一郎容疑者の地元の知人は、「勤務の前日は酒を飲まないなど真面目で、普段は寡黙だが、仕事の話になると熱く語る姿が印象的」と証言しており、休日出勤をしたり、非番の時にも体力を維持するためにランニングやトレーニングをしたりと非常に意識の高い自衛官としての一面も見せていたようです。
大津陽一郎の結婚と嫁や子供
大津陽一郎容疑者は結婚しており、嫁と3人の子供がいました。
近隣住民や親族からは良き父親と認識されていた
大津陽一郎容疑者について、自宅の近隣住民からは、「しょっちゅう家の前で子どもと遊んでいた」、「いたって普通の父親」といった証言が聞かれ、休日にバーベキューをするなど、積極的に子供と関わる姿が目撃されていたようです。
実家の親族も「家族思いの人で、奥さんともうまくいっていたはず」と語っており、少なくとも周囲には円満な家庭を築く理想の父親として認識されていた事が窺えます。
大津陽一郎の嫁と子供についての情報
大津陽一郎容疑者の嫁(妻)については、近隣で評判の良い人物だったようです。ある町内会の関係者は、大津陽一郎容疑者の嫁について、「明るくて気丈で、地域のことも何でもイヤと言わずにやってくれる」と評価しています。
しかし、その一方で「旦那さんはそういう町会のことには参加しなかった」、「家のことは奥さんに任せきりだったのでしょう」とも証言しており、家庭や地域社会での役割は、嫁(妻)がその多くを担っていた様子がうかがえます。
子供は3人いることが報じられていますが、その性別や正確な年齢については明らかにされていません。ただ、子供の年齢については一部のメディアが「高校生以下」と報じています。
大津陽一郎の結婚時期と実際の結婚生活
親族の証言によれば、大津陽一郎容疑者が嫁と結婚したのは「ライブハウス女性歌手殺人未遂事件」から見て10年以上前とされ、結婚したばかりの頃について、「お子さんが小さい頃は、お盆になると必ずお線香をあげに家族で帰省していた」と証言しています。しかし、その帰省もここ最近は途絶えていたとの内容も明かしています。
周囲からは幸せな家庭を築いていると見られていた大津陽一郎容疑者ですが、実際にはその結婚生活にはいくつかの影が落ちていた事が推測されています。
大津陽一郎容疑者は、過去に約6年間(4年間との証言も)、青森の駐屯地へ単身赴任していた時期があります。家族と離れて暮らしたこの期間が、大津陽一郎容疑者の心境にどのような影響を与えたのかは定かではありませんが、この期間が今回の事件の遠因となったと推測する向きもあります。大津陽一郎容疑者が練馬の自宅に戻ってきたのは、事件の約2年前でした。
また、大津陽一郎容疑者は自衛隊員という仕事柄、朝早く家を出て夜遅くに帰宅する多忙な生活を送っていたようです。物理的な不在や、家庭内の役割分担の偏りが、嫁や子供との間に見えない亀裂を生んでいた可能性も否定はできません。
大津陽一郎の自宅…2019年に東京都練馬区の一軒家を4700万円で購入

大津陽一郎容疑者は、八戸駐屯地に赴任していた2019年に約4700万円のローンを組んで、東京都練馬区の一軒家を購入しています。
大津陽一郎容疑者の実家と親しい知人は、当初は大津陽一郎容疑者が自宅購入を喜んでいたと証言しており、「青森からわざわざ東京へ車を出して『契約をしに行く』『印鑑を押してくる』と周囲に話していた」と明かしています。この時には「家族想い」という印象を受けたとも話しています。
大津陽一郎容疑者のこの自宅は、陸上自衛隊朝霞駐屯地から約2キロ離れた場所にあり、近隣住民からは「仲の良い明るい家族」と見られていたという事です。
一方で、大津陽一郎容疑者が自宅のベランダで1人で缶ビールを片手にBBQをしている姿が目撃されており、家族内で孤立していたのでは?との憶測も呼んでいます。
大津陽一郎の「赤坂ライブハウス女性歌手殺人未遂事件」の経緯
大津陽一郎が引き起こした「赤坂ライブハウス女性歌手殺人未遂事件」の詳しい経緯も追っていきます。
事件からみて9年ほど前に被害者となる女性歌手とSNSを通じて知り合う
大津陽一郎容疑者は、事件から見て約9年前に被害者となった40代の女性歌手と知り合っています。
大津陽一郎容疑者はSNSを通じて女性歌手と知り合ったとされ、自身が結婚していて嫁と子供がいる事を隠し、独身を装って女性歌手と交際するようになったとされています。
9年という長期間にわたって、大津陽一郎容疑者は家庭と不倫相手との間で巧みな二重生活を送り続けたと見られています。自宅を離れる事が多い自衛隊員という職業柄を利用しての不倫であったと考えられます。
今回の事件の被害者であるこの女性歌手は、大津陽一郎容疑者に家庭があることは全く知らなかったとみられています。
2025年6月に女性歌手から別れを切り出され関係が終わる

2025年6月頃、女性歌手の方から大津陽一郎容疑者に別れを切り出し、その関係は終わったとされています。大津陽一郎容疑者は「円満に別れた」と供述しています。
しかし、大津陽一郎容疑者のその後の行動から見て、円満な関係の解消というのが偽りだった可能性も指摘されています。
大津陽一郎容疑者は女性歌手との別れを受け入れられず、歪んだ執着心を募らせ、長年にわたって築き上げてきた偽りの関係が崩壊することへの恐怖と、そして自らの思い通りにならない相手への逆恨みなどの負の感情を増幅させ、破滅的な行動を起こしたとも考えられます。
2025年11月6日の早朝に嫁に偽って自宅を出て赤坂のライブハウスへ
2025年11月16日、日曜日。大津陽一郎容疑者は、赤坂のライブハウスのイベントに出演していた女性歌手を突如として襲撃し、刃物で左脇腹などを刺して内臓に達するほどの重傷を負わせました。
事件当日の大津陽一郎容疑者の行動は、極めて計画的かつ冷静でした。早朝6時、大津陽一郎容疑者は練馬区の自宅で嫁に「今日は職場に行く」とだけ告げ、私服姿で自転車に乗り朝霞駐屯地へと向かっています。
しかし、これは完璧な偽装工作でした。大津陽一郎容疑者は駐屯地に到着後、約30分で黒いマスクと青い上着に着替え、再び自転車で今度は都心、赤坂へと向かっています。
大津陽一郎容疑者は事件現場となった赤坂のライブハウスに、女性歌手が到着する2時間以上も前から現れ、その時を待ち伏せていた事が確認されています。
逃走時のための着替えを用意するなど、その行動からは強い殺意と計画性の高さが窺えます。この周到な準備は、大津陽一郎容疑者が単なる衝動で犯行に及んだのではなく、明確な意思を持って女性歌手の命を狙っていたことを示しています。
赤坂のライブハウスで女性歌手を襲撃
ライブの出演を控えた女性歌手が現場に姿を現した瞬間、潜んでいた大津陽一郎容疑者は彼女に襲いかかり、刃物のようなもので女性の左脇腹などを執拗に突き刺しました。
傷は内臓に達するほど深く、現場にはおびただしい量の血が流れる凄惨な状況だったという事です。女性歌手は一命をとりとめたものの、腎臓の摘出手術を余儀なくされるほどの重傷を負っています。
現場から自転車で逃走
凶行に及んだ後、大津陽一郎容疑者は自転車に乗って、現場から逃走。その逃走ルートは自衛官として培った知識と肉体を利用したかのような、冷静沈着なものでした。
大津陽一郎容疑者は赤坂から約20km離れた、自身の職場である朝霞駐屯地まで、約1時間半かけて自転車で走り抜け、途中で服装を着替えるなどして警察の捜査を振り切ろうと画策していた事が窺えました。
しかし、現代の都市は監視の目から逃れることはできず、警視庁は、街中に張り巡らされた防犯カメラの映像を繋ぎ合わせる「リレー捜査」によって、犯人の足取りを追跡。犯行時の黒っぽい服装から、駐屯地に入る際の別の服装へと着替える姿まで、その一部始終はカメラに記録されていました。これが、犯人として大津陽一郎容疑者を特定する決定的な証拠となったと見られています。
逮捕と虚偽の否認
捜査線上に大津陽一郎容疑者が浮上し、警視庁は2025年11月22日未明、彼を殺人未遂の容疑で逮捕しています。逮捕に際し、大津陽一郎容疑者の自宅も家宅捜索され、逃走時に使用されたとみられる自転車が押収されています。
逮捕当初、大津陽一郎容疑者は一貫して容疑を否認。「私はやっていない」、「被害者とは知り合いだったがトラブルはなかった」などと、自らの犯行を認めようとはしませんでした。
しかし、防犯カメラの映像という動かぬ証拠と、9年間にわたる不倫関係という動機を裏付ける事実もあり、その主張は完全に偽りであるとみられています。
大津陽一郎が襲撃した女性歌手はYumiだとする噂について

出典:https://scontent.cdninstagram.com/
大津陽一郎容疑者の赤坂のライブハウス襲撃事件の被害者の女性歌手ですが、インターネット上やSNSを中心に「Yumi」という名前の人物ではないか、という噂が広がっているようです。
しかし、被害者の女性歌手がYumiさんという方だという情報ははっきり確認されたものではなく現在の時点では憶測の域を出ていません。
このような憶測が広まった背景には、いくつかの要因が考えられます。
1つは、事件が発生した2025年11月16日、現場となった赤坂のライブハウス「Casa Classica」では、「MUSE CONCERT」というライブイベントが開催されていました。
このライブの共演者である「MUSE」という音楽ユニットのメンバーとして「Yumi」という名前があったことから、インターネット上で関連性が指摘されるようになりました。
警察や報道機関は、被害者を「40代の女性歌手」と報じています。このプロフィールに合致する人物として、ライブの出演者リストからYumiという名前が挙げられ、憶測が広まったと考えられます。
匿名掲示板(5ちゃんねるなど)やSNSでは、公開されている断片的な情報をつなぎ合わせ、個人を特定しようとする動きがしばしば見られます。今回のケースでも、同様のプロセスを経て「Yumi」という名前が浮上し、噂として拡散された可能性が高いです。
一方で、警視庁や主要な報道機関は、被害者のプライバシー保護の観点から、一貫して被害者の女性歌手の実名を公表していません。報道では「40代の女性」、「知人女性」といった呼称が用いられています。
とはいえ、事件現場となった赤坂のライブハウスが「Casa Classica」であり、事件当日開催されていたのが「MUSE CONCERT」だとする情報は、これまでに公開されている情報からも明らかです。

そのため、大津陽一郎が襲撃した女性歌手がYumiさんではないかとする噂には一定の信憑性があると見ている方が多いようです。
大津陽一郎の現在の状況と今後
大津陽一郎容疑者の現在と今後についても詳しくみていきます。
大津陽一郎の現在① 殺人未遂で起訴され勾留が続くも黙秘に転じているとの報道
大津陽一郎容疑者は2025年11月22日に殺人未遂の容疑で逮捕され、取り調べを経て、12月12日に東京地検によって殺人未遂の罪で起訴されました。これにより、大津陽一郎容疑者の立場は正確には「容疑者」から「被告人」となります。
今後は刑事裁判を待つ身として、引き続き勾留されることになります。
大津陽一郎容疑者の現在の様子ですが、逮捕当初は「私はやっていません」と容疑を否認していたものの、その後は黙秘に転じていると報じられています。しかし、捜査の過程で彼の犯行を裏付ける客観的な証拠が次々と明らかになっています。
特に、勤務先である陸上自衛隊朝霞駐屯地の彼の個人ロッカーからは、血の付いた作業服が発見され、 DNA型鑑定の結果、付着した血液が被害女性のものと矛盾しないことが判明しており、犯行を裏付ける有力な証拠となっています。
大津陽一郎の現在② 陸上自衛隊における状況
大津陽一郎容疑者は現在も陸上自衛隊に籍を置いていますが、起訴されたという事実を重く受け止めた防衛省・自衛隊は、今後の裁判の結果を待って、懲戒処分を決定することになります。
有罪判決が確定すれば、国家公務員法および自衛隊法に基づき、最も重い処分である「懲戒免職」となることは確実視されています。25年間にわたり築き上げてきた自衛隊員としてのキャリアは、完全に失われることになります。
大津陽一郎の現在③ 今後予想される動き
大津陽一郎容疑者の今後は、裁判員裁判による公判が開かれることになります。裁判では、以下の点が主な争点となると考えられます。
検察側は内臓にまで達する深い傷を負わせていることや、周到な計画性(待ち伏せ、変装、逃走準備など)を理由に、強い殺意があったと主張すると考えられます。
大津陽一郎容疑者は犯行当日、駐屯地と現場を自転車で往復し、複数回着替えるなど、捜査のかく乱を狙った計画性の高さが指摘されています。
また、9年間にわたる不倫関係の末、別れを告げられたことへの逆恨みが動機とみられており、その自己中心的な動機がどう評価されるかも焦点となります。
大津陽一郎容疑者本人が法廷で自らの罪とどう向き合い、反省の弁を述べるかどうかも、量刑に影響を与えると考えられます。
適用される殺人未遂罪の法定刑は「死刑または無期もしくは5年以上の懲役」と非常に重いものです。犯行の計画性や執拗さ、結果の重大性を鑑みれば、執行猶予が付く可能性は極めて低く、長期の実刑判決が下されることが予想されます。
まとめ
今回は2025年11月16日に赤坂のライブハウスで女性歌手が刃物で刺されて重傷を負った事件の犯人として逮捕された、自衛隊員の大津陽一郎容疑者についてまとめみました。
大津陽一郎容疑者は、茨城県常陸大宮市の代々続く地元の名士の一族に長男として生まれています。両親と下にきょうだいが2人いる5人家族で、父親が県庁職員、母親が教員という堅い家庭で育ったとされています。
大津陽一郎容疑者は地元の県立高校を卒業後は大学に進学せず自衛隊に入隊し、工兵にあたる施設科に所属し、主に朝霞駐屯地の部隊に所属していた経歴を持ちます。自衛隊での評価は「寡黙で真面目」というもので、周囲からは特に悪い評判などはなかったようです。
大津陽一郎容疑者は事件からみて10年以上前に結婚しており、嫁は明るく気丈で地域の事も積極的に引き受ける評判の良い女性だったようです。子供も3人おり、年齢や性別などは明かされていないものの「高校生以下」と報じられています。
しかし、大津陽一郎容疑者は9年ほど前に、今回の事件の被害者となった女性歌手とSNSで知り合い、自身が結婚していて嫁と子供がいる事を隠して交際していたとされています。
しかし、2025年の6月に女性歌手の方から別れを切り出されたとしており、これが今回の事件の動機に関連しているとみられています。
被害者となった女性歌手はYumiという名前で活動している方ではないかと噂されていますが、確証のある情報ではありません。
2025年12月現在、大津陽一郎容疑者は殺人未遂で起訴されており裁判を待つ状況です。


















