地下鉄サリン事件

地下鉄サリン事件の詳細と真相!目的や死者と後遺症&犯人の情報も総まとめ

1995年3月20日にオウム真理教が起こした同時多発テロ事件「地下鉄サリン事件」。

 

地下鉄サリン事件の真相、その目的と動機・死者と被害者の後遺症などの詳細、そして犯人の情報も総まとめしました。

この記事の目次

オウム真理教が起こした「地下鉄サリン事件」は日本初の化学テロ事件

「地下鉄サリン事件」死者13人、被害者は約6,300人の同時多発テロ

 

日本犯罪史上で初となる同時多発テロ事件

新興宗教団体・オウム真理教は教祖・麻原彰晃(松本智津夫)の指揮の下、「坂本堤弁護士一家殺害事件」、「松本サリン事件」など数々の凶悪事件を起こし、1995年の「地下鉄サリン事件」では日本で初の化学兵器を使った同時多発テロとなりました。

この事件では計13人の命が奪われ、6,300人以上が重軽傷を負いました。

 

「地下鉄サリン事件」は1995年3月20日午前8時のサラリーマンがひしめく通勤ラッシュ時に起こりました。

 

東京の地下鉄の各所で同時多発的に犯行が行われ、丸の内線、日比谷線、千代田線合わせて5編成の車内で化学兵器として使用される神経ガス「サリン」が散布されました。

 

このビニールパックに入ったサリンは各車両が駅を出発した直後に傘などで穴を開けられたため、多くの乗客が逃げ場を失った状態で被害に遭いました。

 

サリンにより多くの人が呼吸困難や目の痛みなどを訴え、駅構内や路上に寝かされて救護を受けており、乗客と駅員合わせて13人が亡くなり、約6,300人が重軽傷を負いました。

 

この時の被害者は8割以上が極度の視力低下や慢性疲れの後遺症に悩まされており、脳中枢神経に深刻なダメージを受けた人は重篤な神経障害が残っており、心的外傷後ストレス障害(PTSD)で公共機関を利用できなくなった人も少なくありません。

 

出勤時の人が混み合う時間帯に大都市圏でこうした化学兵器を使用した同時多発テロ事件は、世界的に見ても類を見ないものであり、「Tokyo Attack」と呼ばれ世界に大きな衝撃を与えました。

 

警察による「地下鉄サリン事件」の正式名称は「地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件」であり、毎日新聞はオウム真理教が起こした重大事件の内「坂本堤弁護士一家殺害事件」「松本サリン事件」と合わせて「オウム3大事件」と呼称しました。

 

 

「地下鉄サリン事件」の目的はすべての魂をポアするため

 

すべての魂をポアするために動き始めた麻原彰晃

麻原彰晃は1993年にすべての魂をポアするための決起をすることをオウム真理教幹部らに通達し、サリン製造や武器製造を推し進めました。

 

麻原彰晃は番組や雑誌などのメディアへの露出を減らし、信頼を置いているオウム真理教幹部らに化学兵器の開発や武器製造、暗殺の指令などを出し始めました。

 

オウム真理教が起こしたほとんどの事件では教団ナンバー2の村井秀夫を介して指示を出していましたが、「薬剤師リンチ殺人事件」に限っては自ら「これから処刑を開始する」と言い現場に立ち会っていました。

 

 

この頃オウム真理教はフリーメーソン認定をされている建物に炭疽菌をばら撒いたり、敵対者とみれば平然と拉致監禁して洗脳や殺害を繰り返し、VXガスを使った殺人も起こし始め、麻原彰晃は「こうなったらテロしかない」としてサリンを使った大規模テロを画策し始めました。

 

この頃にオウム真理教内では国家を模したような省庁制が導入され、その理由として麻原彰晃が体調を著しく崩して指揮ができなくなる恐れがあったからだと、当時11歳にして法皇官房長官に任命された三女の松本麗華が語っています。

 

麻原彰晃はサリン70トンを製造する計画や、ロシアから手に入れたAK-74を量産する武器製造を進めていましたが、次第に精神的に不安定になって妄想が酷くなり、アメリカ軍に毒ガス攻撃で殺されると怯えるようになりました。

 

そして、麻原彰晃は1994年から突然4姉妹らに過剰なスキンシップを図るようになり、特に一番可愛がっていた三女の松本麗華に対しては抱きしめたりキスをしていました。

 

1994年5月に始めてサリンを用いた「滝本太郎弁護士サリン襲撃事件」以来2度目となる「松本サリン事件」が1994年6月に発生し、8人の命が奪われました。

 

 

 

1995年3月20日「地下鉄サリン事件」が発生

 

麻原彰晃は40歳の誕生日に地下鉄サリン事件を謀議した

麻原彰晃は1995年3月18日の40歳を迎えた誕生日に、側近の村井秀夫、井上嘉浩らと警察による強制捜査を延期させる方法をリムジン内で謀議した結果、地下鉄でサリンを撒いて混乱を起こすという計画で決定しました。

 

1995年3月20日の通勤ラッシュで人が溢れる午前8時頃に、東京の地下鉄の丸の内線で2列車、日比谷線で2列車、千代田線で1列車にサリンが撒かれました。

 

特に被害がひどかった電車は日比谷線北千住発の車両で、秋葉原駅に到着する頃に3両目の車内にあった新聞紙の包から刺激臭が漂い始めました。

 

乗客らは気化したサリンを吸って悶絶し始め、電車は築地駅で緊急停車しましたが、その頃には各駅でオウム真理教の実行犯らがサリンのパックに穴を開けて毒ガスを発生させていたため各ホームでは苦しむ人々で溢れかえりました。

 

 

 

「地下鉄サリン事件」の被害が確認された駅

 

 

 

地下鉄サリンは東京の地下鉄の丸の内線で2列車、日比谷線で2列車、千代田線で1列車にサリンが撒かれました。

 

また、駅にはサリンを撒いていませんが、被害が確認された駅は下記となります。

 

被害が確認された駅は
丸の内線……中野坂上、後楽園、高円寺、国会議事堂前など
日比谷線……小伝馬町、茅場町、人形町、八丁堀、築地、霞ヶ関、神谷町
千代田線……霞ヶ関、国会議事堂

死者別では
中野坂上駅……1名(丸の内線池袋発)
小伝馬町駅……4名(日比谷線北千住発)
八丁堀駅………1名(日比谷線北千住発)
築地駅…………3名(日比谷線北千住発)
神谷町駅………1名(日比谷線中目黒発)
霞ヶ関駅………2名(千代田線我孫子発)
※(括弧)は原因となった列車です。

 

引用:地下鉄サリン事件の主な舞台となったは 地下鉄の どの駅なんですか ??|Yahoo知恵袋

 

 

「地下鉄サリン事件」サリンの症状と後遺症苦しめられる被害者の現在

 

元々神経ガスのサリンは無色無臭であり、その毒性は非常に強力で吸うだけで簡単に死に至り、皮膚に一滴垂らしただけでも死に至る可能性があることから、サリンを完全に防ぐには特別な防護服が必要だと言われています。

 

幸いにもオウム真理教が製造したサリンは不純物が65%と多く、本来のサリンが持つ殺傷能力の3分の1程度にとどまったと見られています。

 

しかし、サリンを吸い込んだ乗客や駅員らは顔面蒼白になって鼻や口から出血し、目をやられてタオルなどで目を押さえる人や、担架に乗せられて救急搬送されるスーツ姿のサラリーマンの姿で溢れかえりました。

 

中には救護にあたっていて一緒に要救助者を抱えていた人が突然膝を落とすして倒れるのが見えた瞬間に自身も気を失ってしまい、気づいたら病院に運ばれていた人もいたようです。

 

「地下鉄サリン事件」は速報として各局が中継で現場の様子を伝えていましたが、被害者が6,000人以上に及んでいたことからあまりに負傷者が多く、原因が特定できていなかったことから現場と災害救急情報センターのやり取りはパニックに陥っていました。

 

 

しかし、こうしたパニックの中で何が起きているのかいち早く察知したのは信州大医学部教授の柳沢信夫さんでした。

 

柳沢信夫さんは前年にオウム真理教が起こしていた「松本サリン事件」の被害者の症状と酷似していたことから直感的に再びオウム真理教がテロ事件を起こしたと察しました。

 

そしてすぐに現場で多くの被害者が救急搬送されていた聖路加国際病院をはじめとした都内の各病院に原因はサリンである可能性が高いことを伝え、治療法もFAXで伝達しました。

 

このオウム真理教による「地下鉄サリン事件」は、戦争状態に無い平時の国において、化学兵器が使用された世界で初めてのテロ事件であり、自衛隊の化学防護隊が化学防護車と除染車を出動させた日本で初めてのケースでした。

 

現在も「地下鉄サリン事件」の被害者は後遺症に苦しめられています。

 

 

 

 

 

 

「地下鉄サリン事件」真犯人発覚のきっかけは教団幹部・林郁夫の自白

 

 

 

林郁夫の自転車窃盗の取調中に「地下鉄サリン事件」を自白

 

「地下鉄サリン事件」発生から19日後の4月8日、事件は自転車泥棒の取調を受けていた林郁夫の自白で急展開を迎えます。

 

 

地下鉄サリン事件の実行犯で唯一無期懲役となった林郁夫
慶應義塾大学医学部を卒業し、米国の名門病院などで勤務。国立病院の医長を務めた経歴を持つ元心臓外科医で、石原裕次郎さんの治療に当たったこともあったとか。


 

 

事件から19日後の4月8日、教団幹部であった林郁夫を放置自転車窃盗の容疑で逮捕した。警察は当初、教団の実態把握を目的に取調べを行っていたが、麻原や教団に不信感があった林が「私が地下鉄にサリンを撒いた」と取り調べていた検事に対し自白。地下鉄サリン事件の役割分担などの概要を自筆でメモに記した。このメモで捜査は一気に進み、5月6日、警察は事件をオウム真理教による組織的犯行と断定し一斉逮捕にこぎつけた。この頃にはすでに新宿駅青酸ガス事件、都庁爆弾事件などが相次いでいた

 

引用:地下鉄サリン事件|wikipedia

 

 

林郁夫は死刑判決を逃れ、現在は千葉刑務所に服役

 

 

 

サリン散布した林泰男、広瀬健一、横山真人、豊田亨は死刑判決に…

 

 

 

 

「地下鉄サリン事件」オウム真理教教祖・麻原彰晃の逮捕と死刑執行

麻原彰晃、実行犯・遠藤誠一の裏切りで逮捕される

ユダ(遠藤誠一)の裏切りで逮捕された麻原彰晃

麻原彰晃は「地下鉄サリン事件」後に操作かく乱のために”尊師専用車”をあえて東京に移動させて都内に潜伏しているように見せかけましたが、1995年5月16日に山梨県西八代郡上九一色村(現・南都留郡富士河口湖町)のオウム真理教の関連施設「第6サティアン」に潜んでいるところを逮捕されました。

 

逮捕の決めてとなったのは「地下鉄サリン事件」の実行犯のひとりで、事件後は九州に逃走していたところを逮捕されたオウム真理教信者の遠藤誠一が、「麻原は第6サティアンの1階と2階の間の部屋に隠れている」と供述したことでした。

 

警察が現地を捜索したところ、第6サティアンの1階から2階への階段天井部分に作られた大人ひとりが入れる程度の空間に、頭に装置をつけた麻原彰晃が現金960万円と寝袋を抱えて隠れているのを発見しました。

 

 

 

「地下鉄サリン事件」を含め、オウム真理教が行ってきた数々の凶悪事件に関わった信者らは次々と逮捕され、最終的に13人に死刑判決が言い渡されました。

 

 

麻原彰晃の現在~2018年7月6日に死刑執行

2018年7月6日に突然死刑執行される

教祖・麻原彰晃を含む7人が2018年7月6日に死刑執行。その後、残る死刑囚6人についても7月26日に死刑執行されました。

 

麻原彰晃は2018年7月6日の死刑執行当日、東京拘置所の独居房でいつものように朝7時に目を覚ますと朝食をすべて食べて食器を戻してから間もなくして刑務官から出房の声がかかりました。

 

麻原彰晃は逮捕されて東京拘置所に収監されて以来、独居房の中では一日中何をすることもなくただ壁に寄りかかってぼーっとしていたようです。

 

運動も拒否していたため動くことはほとんどなく、刑務官が声をかけても反応することはほとんど無かったため、麻原彰晃は病魔に蝕まれており抗生剤でやっと命をつないでいる状態だったようです。

 

麻原彰晃は刑務官に独居房から出されて教誨室まで連れて行かれ、「お別れの日が来ました」と死刑執行を告げられる声には出さなかったものの驚いた顔をしていうです。

 

麻原彰晃は教誨室の椅子に座るように促され、死刑囚が執行前に心を落ち着けるために講話を聴く教誨を受けるかどうかを聞かれましたが、麻原彰晃は無反応で仏壇の仏に手を合わせる様子もありませんでした。

 

刑務官から遺書を書くかどうかを聞かれても無言を貫いた麻原彰晃でしたが、遺骨の引き取り先を聞かれると初めて「ちょっと待って」と声を発し、「四女」とだけ答えたようです。

 

そして刑務官が聞き取りづらかったため「四女?」と聞くと麻原彰晃は四女の松本聡香さんの名前を答え、確認のために「四女だな?」と聞き返したところ、麻原彰晃は「グフッ」と頷き、それが無念の呻きだったのかは不明ですがこの世で最期の言葉となりました。

 

しかし、いくらオウム真理教の起こした「地下鉄サリン事件」が日本犯罪史上でも類を見ない凶悪テロ事件だったとしても、一日に7人の死刑を執行するというのは異常事態だと見られています。

 

一日に多くて3人までが慣例として死刑執行されてきましたが、同一事件の犯人の死刑は原則同時執行がと言われることから13人の死刑囚がいる同事件においては特例だったのかもしれません。

 

 

 

オウム真理教死刑囚7人の死刑執行前日に上川法相と安倍首相が宴会

法務大臣・上川陽子と安倍晋三首相が死刑執行前日に飲み会

麻原彰晃らの死刑執行が翌朝に控えている中、前日5日夜に「赤坂自民亭」と称した9月の総裁選に向けた飲み会に法務大臣の上川陽子さんと安倍晋三首相が参加して楽しんでいる姿に疑問が集まっています。

 

上川陽子法務大臣は7月3日に死刑執行する7人の命令書にサインをしたばかりであり、死刑執行の前日は緊張感を高めるべきところを安倍晋三首相も揃ってお酒と食事で盛り上がる姿は誰もが眉をしかめざるを得ないでしょう。

 

さらに西日本に観測史上類を見ない集中豪雨が迫っている中で、5日には大阪府北部地震で被災した大阪北部や京都市などに早朝から避難勧告が出ており、夕方までに京都府だけで14万人に避難指示が出されていました。

 

西日本に危機的状況が迫っている中で、国のトップがお酒で浮かれている姿を国民に晒し、もはや自民党を支持してきた人も愛想を尽かした人が少なくなかったと思われます。

 

「安倍1強」。強い政治権力を握ると、死刑囚とはいえ7人もの人間に対して一斉に死刑執行ができる。言い換えれば安倍1強が今回の一斉死刑を生んだわけである。背筋がゾッとする。

 

引用:プレジデントオンライン – オウム大量死刑を生んだ”安倍1強”の怖さ

 

例え凶悪犯罪者だったとしても7人を一気に殺害するというのは倫理的にも異常に感じた人が少なくないようです。

 

世界においても日本は完全な民主主義国家としては認められておらず、自民党一強であり誰も法案の強硬裁決を止めることができない現状にネット上では「開発独裁国家」「国会議員主権国家」などと揶揄されています。

 

 

 

 

「地下鉄サリン事件」を起こしたオウム真理教・麻原彰晃とは

 

麻原彰晃が開祖した宗教団体・オウム真理教とは

 

麻原彰晃を開祖とする新興宗教

オウム真理教の開祖である麻原彰晃(本名・松本智津夫)は、日本人で唯一ヒマラヤで最終解脱を果たした空中浮遊などの超能力を有する超越者として著書などで宣伝し、その超能力を伝導できるとして多くの若者を中心に求心力を集め、国内外で信者を獲得していました。

 

「地下鉄サリン事件」に関わったオウム真理教信者の多くは理系大学出身の高学歴エリートだったことから、マスコミではオウム真理教にはこうした理系エリートが多いイメージで報道していました。

 

しかし実際はこうした高学歴エリートで高い技術力を持っている人物は中核メンバーであり、オウム真理教の大半の信者は身体的、性格的に社会的弱者で普通には生きていけない人間が多く、発達障害者、家庭でのDVや虐待された者、精神疾患者、パーソナリティ障害者などが多く教団に在籍していました。

 

熱心に信仰し心から人の役に立ちたいと願う人もいれば、社会への憎悪からカルト認定されていたオウム真理教に入信した者など様々いたようです。

 

元々麻原彰晃は宗教を嫌っていた立場であり、最初に結成された「オウムの会」は自身が身につけたチベット密教やヨーガを教える修行サークルのような存在でした。

 

しかし、麻原彰晃は人心を掌握できる才能が開花され、次第に現代日本を救済するには「アルマゲドン」しかないという破壊的思想を持つようになり、10年足らずで国家転覆計画を実行するようなテロ組織に変貌していきました。

 

まずはオウム真理教の教祖である麻原彰晃(松本智津夫)について詳しく総まとめしましたのでご紹介しましょう。

 

 

 

麻原彰晃、熊本で畳職人の四男として生まれる

 

日本で唯一の最終解脱者を自称していた麻原彰晃

麻原彰晃はチベット仏教の最高位にあるダライ・ラマ14世と接見を許された日本で唯一の最終解脱者だと自称し、オウム真理教を立ち上げて数々の事件を起こしてきました。

1995年5月16日に「地下鉄サリン事件」の首謀者として逮捕され、2006年に死刑判決が降り、2018年7月6日に東京拘置所で死刑が執行されました。

 

本名: 松本 智津夫(まつもと ちづお)
生年月日: 1955年3月2日
出身地: 熊本県八代市
死没: 2018年7月6日(63歳没)
死没地: 東京都葛飾区小菅(東京拘置所)
ホーリーネーム: マハー・グル・アサハラ
ステージ: 尊師、神聖法皇
教団での役職: 代表(設立者)

 

引用:Wikipedia – 麻原彰晃

 

麻原彰晃の本名は松本智津夫であり、1955年3月2日に熊本県八代市高植本町で畳職人をしていた家庭の4男として生まれました。

 

6男3女の9人兄弟であり、麻原彰晃は生まれつき先天性緑内障だったことから左目はほとんど見えておらず、右目も視力が1.0だそうです。

 

そして、麻原彰晃より12歳年上の長男は全盲であり、5男は弱視でした。

 

作家・藤原新也さんは麻原彰晃の家系で目の先天性疾患を持った者が多いのは水俣病の影響だと考えて、全盲の長男にインタビューをしたことがあったようですが、その考え通り長男も水俣病が原因だとして国に認定を求めましたが却下されたことを語ったそうです。

 

麻原彰晃の実家はとても貧しい生活をしており、子供時代にはいたずら好きだったことから近所の農機具を盗んだり壊したりする度に兄や姉からお尻を叩かれて外に放り出されていました。

 

テレビアニメが大好きだった麻原彰晃は尊敬していた長男にもチャンネル権を譲らないほど頑固だったようです。

 

 

 

麻原彰晃、盲学校に入学

 

両親に口減らしされた麻原彰晃

麻原彰晃は八代市立金剛小学校に入学したものの長男と同じ盲学校に転向させられ、右目は見えていたにも関わらず遠く離れた寮暮らしをさせられたことで親に捨てられたと感じ性格は歪んでいきました。

 

盲学校では国の補助で入学金や授業料などがかからなかったことから、貧しかった両親は少しでも生活を楽にするために麻原彰晃を家から出したため、近隣住民からは口減らしをしたと囁かれていました。

 

実際に両親は麻原彰晃に関心が無く、仕送りや衣類・食料を送ることも無ければ、20歳で学校を卒業するまでに一回たりとも訪ねてくることはありませんでした。

 

それは長男も5男も同じであり、盲学校のほかの生徒が週末に里帰りする中で松本3兄弟だけは実家に帰ることができませんでした。

 

親に捨てられた麻原彰晃は性格が歪み、盲学校では目の見えない生徒らを暴力で服従させて子分にし、外に連れ出して物を盗ませたり食事を奢らせるなど傍若無人ぶりを発揮しており、「外に連れ出してあげた」と因縁をつけて日当を巻き上げるなど恐喝も日常化していたようです。

 

 

そのため盲学校側には麻原彰晃を退学にするように苦情が挙がっていたようですが、結局卒業するまでに恐喝で得たお金を300万円ほど貯金していました。

 

 

 

麻原彰晃、高等部から総理大臣を目指すようになる

 

高等部では一転して人格者になった麻原彰晃

麻原彰晃は高等部に上がるとすこぶる担任教師の評判の良い生徒に変貌し、非常に活発で優しい性格で遠足などの時には全盲の生徒の手を引いてあげるなど中等部までの素行不良ぶりは鳴りを潜めていました。

 

麻原彰晃は可もなく不可もなくといった程度の成績でしたが、自分のように病気で困っている人を助けたいという想いから医者になることを目指し、熊本大学医学部を志望していました。

 

しかし、3年生の3月頃に視覚障害者は医師免許が取得できないことを知った麻原彰晃は夢を断念し、高等部の専攻科に移りました。

 

当時麻原彰晃は柔道部だったことから体格が非常によく、3年生時には175センチに体重80キロを超え、盲学校の生徒としては珍しい柔道二段の段位を取得していました。

 

この頃から麻原彰晃は毛沢東や田中角栄の考え方に傾倒するようになっており、東京大学法学部に進学して政治家を目指し、いずれ総理大臣になることを目標に掲げました。

 

また、この頃麻原彰晃は鍼灸免許も取得しています。

 

 

 

麻原彰晃、成人して宗教家を目指す

 

東大を断念して薬局を開業した麻原彰晃

麻原彰晃は東京大学文科1類受験を目指して勉強のために東京都江東区大島や品川区戸越を転々としますが、受験を諦めて八代市にある実家に戻りました。

 

その後麻原彰晃は熊本市春日で長兄が営んでいた漢方薬店の助手として勤務していました。

 

麻原彰晃は元従業員が全盲の長男を侮辱したことに腹を立てて暴行して怪我をさせたことで、八代簡易裁判所から傷害罪で1万5千円の罰金刑を受けたこともありました。

 

そして、麻原彰晃はこの頃から弁護士か宗教家になることを考え始めます。

 

そのため麻原彰晃は22歳で再上京して渋谷区にある代々木ゼミナールに入学しましたが成績は伸び悩み東大受験は3度諦めました。

 

この予備校時代に後に嫁となる石井知子と知り合っています。

 

 

麻原彰晃が石井知子と結婚

麻原彰晃は1978年1月7日に代々木ゼミナールで知り合った石井知子と結婚しました。

 

麻原彰晃は千葉県船橋市湊町に居を構えるとともに鍼灸院「松本鍼灸院」を開業しました。

 

しかし、すぐに同鍼灸院を廃業した麻原彰晃は、同市内の本町に診察室のある漢方薬局「亜細亜堂」を開業しました。

 

その後、麻原彰晃は船橋市新高根に新居を購入していることからそこそこ儲かっていたのかもしれません。

 

麻原彰晃は鍼灸師として患者を観ても病気を完治させることができないことについて虚しさを感じ、虚無感を払拭する何かを探すために四柱推命や気学などを勉強し始めました。

 

しかし、麻原彰晃はこれらの運命に関する知識を得ても運命そのものを変えることはできないことに気づき、台湾鍼灸、漢方などや断易、神課六壬などの占いまで幅広く知識を漁る中で、中国の占術・奇門遁甲や仙人になるための修行法・仙道に行き着きました。

 

この頃に麻原彰晃は神秘体験をしたことから以前は毛嫌いしていた宗教にも興味を持つようになり、新興宗教団体「GLA(God Light Association)」の開祖・高橋信次さんの書籍や、翻訳仏典などを読み漁り、阿含経を知ったことで新興宗教団体「阿含宗(あごんしゅう)」と出会いました。

 

 

 

麻原彰晃、新興宗教団体・阿含宗に入信する

 

国内外で社会貢献をする「阿含宗」に入信した麻原彰晃

麻原彰晃は25歳の1980年頃に根本仏教系の新興宗教団体「阿含宗」に入信しました。

 

国内外で非常に素晴らしい支援活動を行っている阿含宗ですが、麻原彰晃はそうした教理を理解することもなく入信した年に保険料の不正請求で立件され、670万円の返還を求められました。

 

また、麻原彰晃は1981年には船橋市高根台に健康薬品販売店「BMA薬局」を開局するも、翌年に無認可の医療品を販売して4千万円の利益を得ましたが、購入者から健康被害を訴えられて告訴され、薬事法違反で逮捕されて20万円の罰金刑を受けています。

 

麻原彰晃の3女・松本麗華さんによれば、薬事法違反で逮捕されたり宗教にのめり込むようになった頃から妻・松本知子は精神的に異常をきたすようになり、対人恐怖症、外出恐怖症、強迫神経症などの神経症を患うようになっていきました。

 

そのため家庭内でも情緒不安定になっており、外で気を使うようなことがあった日には家に帰ってきて些細なことで怒り狂っていたようです。

 

当然麻原彰晃とも夫婦喧嘩が絶えないようになり、松本知子は怒鳴りながら家出をしようと何度も部屋と玄関を行き来していたようですが、娘の中でついていこうとする者がいなかったため不憫に思った3女の松本麗華がついて行ってあげることもあったようです。

 

 

 

麻原彰晃、新宗教団体・オウム真理教を立ち上げる

 

麻原彰晃、自ら宗教を立ち上げる

麻原彰晃は1982年頃に経営塾をしていた西山祥雲に弟子入りして、認められたことから「彰晃」の名を貰って「松本彰晃」と名乗り始めました。

 

麻原彰晃は信仰していた阿含宗の教理にある「身体を清浄なものとする」という教えが本来の阿含経と相容れないものだと感じて28歳で脱会しました。

 

麻原彰晃は修行により身につけた仙道、ヨーガ、東洋医学などの知識から超能力を開発する指導塾「鳳凰慶林館」を東京都渋谷区桜丘に開業し、「アシュラ・シャカ」という意味を込めて「麻原彰晃」と名乗り始めました。

 

1984年にヨガ道場「オウムの会」へと名称を変更し、麻原彰晃は株式会社オウムを設立しました。

 

麻原彰晃は1985年に神奈川県の三浦海岸で修行していた際に、「アビラケツノミコト(神軍を率いる光の命)になれ」という天啓を受け、自身をアビラケツノミコトの生まれ変わりだと自称し始めました。

 

同年秋頃にはオカルト雑誌『ムー』『トワイライトゾーン』などに麻原彰晃が座禅で空中浮遊する写真が掲載されて注目を集めました。

 

この空中浮遊は厳しい修行を積んだ者が体得できる超能力だと言われていましたが、もちろんトリックによるもので現在までに空中浮遊をしている様子を撮した動画が存在しないことが何よりの証拠となっています。

 

麻原彰晃は宗教法人が税制上の優遇を受けられることに目をつけて、1986年にはヨガ道場「オウムの会」を宗教団体「オウム神仙の会」へと改称しました。

 

そして同年7月には麻原彰晃はついにヒマラヤで日本人で初となる最終解脱者になったことを自称し始め、後に多くの信者に影響を与えることになる自著を多く執筆し始めました。

 

この頃すでに麻原彰晃は危険思想を持っており、武力と超能力を駆使した国家転覆の計画を持っていることを語り、フリーメーソンとも戦う日が来ることを予告していました。

 

1987年の麻原彰晃が32歳の頃に「オウム神仙の会」は「オウム真理教」へと改称し、オカルト雑誌への広告を利用して信者を集め、バラエティ番組『鶴ちゃんのプッツン5(日本テレビ系)』などに出演して知名度を挙げるなど布教活動に尽力していきました。

 

 

 

 

麻原彰晃、国家転覆計画を実行に移し始める

 

凶悪事件の数々を起こし始める麻原彰晃

麻原彰晃はさらなる信者獲得のための宣伝として、1988年にチベット仏教の最高位であるダライ・ラマ14世と親交がある日本の政治学者であるペマ・ギャルポに接近しました。

 

麻原彰晃は自身の修行のレベルがどの程度にあるのか、チベット仏教の最高位のラマ(高僧)であるダライ・ラマ14世に見てもらいたいとペマ・ギャルポにお願いしました。

 

ペマ・ギャルポはインドのダラムサラにある宗教・文化庁に麻原彰晃を紹介し、現地の長老らと一緒に瞑想をする機会を得ました。

 

その結果、麻原彰晃は長老らから高く評価されたことでダライ・ラマ14世との接見を許され、何度も接見したことはオウム真理教の宣伝に多いに影響を与えました。

 

そして、1988年にはついにオウム真理教内部で死者を出す「在家信者死亡事件」が発生しました。

 

この事件は過酷な修業中に発狂した在家男性信者の頭を冷やすために、麻原彰晃の命令で教団ナンバー2の村井秀夫が男性信者を逆さにして風呂水に頭からつけて殺してしまった事件でした。

 

事故に近い殺人でしたが、麻原彰晃は「いよいよこれはヴァジラヤーナに入れというシヴァ神の示唆だな」と語り、暴力による国家転覆計画をいよいよ実行に移していきました。

 

麻原彰晃はこの頃から「ヨハネの黙示録」の解読に時間を費やすようになり、人類の救済について以下のように述べていました。

 

「当初、初めは、わたしはね、凡夫を救済するのがわたしの役割だろうと考えていた。しかし、近ごろわたしは心が少しずつ変わってきている。(略)動物化した、あるいは餓鬼化した、あるいは地獄化したこの人間社会というものの救済は不可能なのかもしれないなと。そして、じゃあどうしたらいいかというと、新しい種、つまり、今の人間よりも霊性のずっと高い種、これを残すことがわたしの役割なのかもしれないなと。」

 

引用:Wikipedia – 麻原彰晃

 

1989年には「在家信者死亡事件」を受けてオウム真理教の考え方に疑問を持った男性信者が殺害される「男性信者殺害事件」が発生し、さらに同年にオウム真理教の信者から相談を受けて「オウム真理教被害者の会」を立ち上げた坂本堤弁護士一家が殺害された「坂本堤弁護士一家殺害事件」が発生しました。

 

 

麻原彰晃は1990年に真理党を結成して衆議院議員選挙に東京4区から出馬し、街宣車上でオウムソングを踊りながら歌うなど異様なパフォーマンスで選挙活動を行って話題を集めました。

 

ほぼ無名だった麻原彰晃は飛沫候補だと揶揄されていましたが、「今に見てろ」と言っていたにも関わらず得票数は1783票と善戦することなく落選しました。

 

 

 

YouTubeより: 激戦東京4区オウム選挙報道 麻原彰晃マーチ ガネーシャ体操 進め真理党 選挙戦打ち上げの宴に密着 美人三姉妹 歌って踊る選挙活動

 

 

選挙戦で大敗したことで麻原彰晃は正攻法(マハーヤーナ)では世の中の救済ができないと考え、非合法路線(ヴァジラヤーナ)で行くことをオウム真理教幹部らに宣言し、神経ガスのサリンやボツリヌス菌、炭疽菌、ホスゲン爆弾などを用いた国家転覆のための無差別テロを計画し始めました。

 

 

 

 

麻原彰晃を称えるオウム真理教のテーマソング

 

アニメ好きの麻原彰晃は自ら出演したかった?

オウム真理教のテーマソングはすべて麻原彰晃が出演、声優を担当しており、幼少期からアニメが好きだったことが影響したのでしょうか?

 

麻原彰晃の選挙戦では街宣車でオウム真理教のテーマソングを流して歌いながら踊っていましたが、ネット上ではニコニコ動画を中心におもしろネタとして楽しまれてきた側面もあります。

 

 

YouTubeより: オウムアニメ 超越世界1~10

 

 

 

YouTubeより: オウム真理教 – 麻原彰晃 – 「尊師マーチ」を踊ろう

 

 

 

 

YouTubeより: オウム真理教 尊師ソングメドレー 吹いたらポア

 

 

 

 

麻原彰晃、バラエティ番組出演や芸能人との対談を始める

 

 

麻原彰晃、バレる可能性を考えて合法路線に切り替える

1991年にオウム真理教が国土法違反事件を起こしてしまったため注目を集め、発覚を恐れたことから武器・兵器の製造を中断して1991年~1992年の間はバラエティ番組に出演するなど合法路線に切り替えました。

 

麻原彰晃はインドやチベットを始め、ラオス、スリランカ、ロシアなどを歴訪して文化活動に務め、バラエティ番組『朝まで生テレビ(テレビ朝日系)』『TVタックル(テレビ朝日系)』『おはよう!ナイスデイ(フジテレビ系)』『とんねるずの生でダラダラいかせて(日本テレビ系)』などに出演し親しみやすい人物であることをアピールしました。

 

また、同時期に複数の雑誌での対談企画に出演し、ビートたけしさんや田原総一朗さん、荒俣宏さん、島田裕巳さんなどと様々なテーマで対談する一方で、大学などでの講演活動も精力的に行っていました。

 

以下のYouTube動画は麻原彰晃が出演していたバラエティ番組の一部です。

 

 

 

YouTubeより: 麻原尊師 生でダラダラいかせて出演 

 

 

 

 

YouTubeより: Shoko Asahara with Takeshi (English subtitle)

 

麻原彰晃はほとぼりが冷めるまで行っていた番組出演などについて、「邪悪な世界への誘惑であり、救世主としての使命を妨げている」と上祐史浩に語りました。

 

一層有名になってしまったオウム真理教ですが、麻原彰晃は1993年頃から再び非合法路線に切り替えてオウム真理教の武装化を進めていきました。

 

 

 

 

「地下鉄サリン事件」について総まとめすると…

・「地下鉄サリン事件」は、1995年3月20日に東京の地下鉄5列車の車内で起きた、日本初の無差別同時化学テロ事件である。

・「地下鉄サリン事件」の死者は13人、被害者は6300人もおよび、事件から20年以上経った今も後遺症苦しんでいる被害者が多い。

・「地下鉄サリン事件」の犯人逮捕のきっかけは、実行犯の林郁夫の自白だった。

・「地下鉄サリン事件」の犯人逮捕のきっかけとなった、林郁夫以外のサリン散布した信者と教祖の麻原彰晃は死刑判決を受け、2018年7月に死刑が執行された。

 

1995年3月20日に起きた「地下鉄サリン事件」と、首謀者でオウム真理教の教祖・麻原彰晃について詳しく総まとめしてきました。

 

「地下鉄サリン事件」では6,300人におよぶ被害者を出しましたが、現在も遺族は突然事件の光景がフラッシュバックしたり、怖くて電車に乗れなくなるなど心的外傷後ストレス障害(PTSD)で苦しんでいる人が多数います。

 

 

「地下鉄サリン事件」後にオウム真理教は消滅し、幹部のひとりだった上祐史浩が「Aleph(アレフ)」を立ち上げ、その他にも「ひかりの輪」や「山田らの集団」など第二のオウムと呼ばれる宗教団体を立ち上げており警戒が続けられています。

 

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