「GMOインターネット」の創業者である熊谷正寿さんですが、先祖は幕臣で父親は実業家というセレブな身の上でもあったとか。
この記事では、熊谷正寿さんの経歴や学歴、生い立ちと父親、結婚した嫁と子供など家族情報の他、気になる年収や資産についてもまとめてみました。
この記事の目次
熊谷正寿のプロフィール
熊谷正寿(くまがい まさとし)
生年月日:1963年7月17日
出身地:長野県東御市(東京育ち)
熊谷正寿、GMOインターネットの創業者であり年商は1900億円だった
熊谷正寿さんに関しては、総合IT企業「GMOインターネット」の創業者であり、現在も同社を率いる実業家となります。
2019年12月期決算で「連結売上高1961.7億円 営業利益252.8億円」を叩きだすなど、今や日本を代表するIT系企業の1つである「GMOインターネット」ですが、成功に至るまでの熊谷さんの人生には紆余曲折があったそうですね。
この記事では、熊谷さんのこれまでの経歴や家族情報の他、気になる金満ぶりについて紹介させて頂きます。
熊谷正寿の生い立ちや学歴…名家の御曹司だが高校を中退していた
熊谷正寿、先祖には幕臣や政治家もいた
熊谷正寿さんの家柄については、母方の祖母が幕末の剣豪・伊庭八郎さんを輩出した心形刀流宗家・伊庭家の傍系出身だったそうですね。
そのため、幕臣の血を引く存在である熊谷さんですが、父方の祖父はさらに凄く、戦前に立憲政友会の副幹事長を務めた政治家の熊谷勲さんとなっています。
さらには、父・熊谷新さんは「熊谷興行」を起業した実業家となりましたが、女癖がかなり悪かったそうで、子供全員が母親違いだったうえ生まれた時点では私生児でした。
新氏は1957年に「熊谷興業」を設立、東京・神楽坂を地盤にパチンコ店やディスコ、映画館などを経営した。実は新氏が40代でもうけた3人の息子の母親はすべて異なる。新氏は66~71年、まだ幼かった3人を認知、生年月日の順に養子縁組し、籍に入れている。
ちなみに、2人の兄弟と熊谷正寿さんは別居して暮らしていたため、本人的には自分が長男で「熊谷興行」の跡取りだと思って育っていたとか。
熊谷正寿、勉強は出来るタイプだったが遊び好きすぎてドロップアウトした
熊谷家の次男として生まれてきた熊谷正寿さんですが、生来の遊び好きが祟り勉強が苦手な少年でした。
中学生のときも全く勉強しないダメな生徒でした。高校進学では、女の子のいる共学で、華やかな青山あたりにあって、当時住んでいた東中野からあまり電車を乗り換えずにすむ――という学校を探しました。学校帰りのアフター5ならぬアフター3か4を考えた軟派な生徒です。
とはいえ、中学3年時の担任に「青山学院か国学院に行きたい」と進路相談をした際に、鼻で笑われてしまった悔しさから猛勉強をした結果、名門進学校である國學院高校に首席合格しています。
しかしながら、それで安心して遊び歩いたことが裏目に出てしまい、高校1年の終わり頃には学年で500番台まで成績が落ちたそうですね。
そんな事情もあり学校に居づらくなった熊谷さんは、校則の厳しさにうんざりしていたことも手伝い、高校2年時の夏に國學院高校を中退しております。
熊谷正寿の経歴…起業した一因には父親との仲違いがあった
熊谷正寿、高校を中退後は父親の会社で働いていた
高校中退後の熊谷正寿さんですが、当初はディスコや喫茶店でアルバイトをしていたものの、程なくして「熊谷興行」に入社しています。
「熊谷興行」での熊谷さんに関しては、御曹司としてちやほやされることはなかったそうで、夜遅くまで残業することが当たり前の状況でした。
この辺の厳しさについては、名家の生まれながらも苦労を重ねて起業した父・熊谷新さん独自の哲学があったのでしょうね。
私の父は終戦後、一代で事業を立ち上げた人でした。旧満州(中国東北部)から兵役を終えて帰ってきたときに、軍から手に入れたものなのか、人工甘味料のサッカリンを使った汁粉屋を新宿伊勢丹の裏で始め、そこから映画館やパチンコ店、喫茶店やパブ、不動産に至るまで、いろいろな事業に手を広げていきました
引用:父の背中、突然の家族
後に実業家として大成功をするだけあり、「熊谷興行」時代から抜群の経営センスを発揮していた熊谷さんは、若干17歳で傘下のパチンコ店の店長に就任し経営を立て直したこともありました。
「熊谷興行」時代の熊谷さんは、社業の他にも放送大学に進学して勉強に励んでいたそうですが、サラリーマン生活があまりに忙しすぎたため卒業にまでは至らなかったとか。
熊谷正寿、「熊谷興行」を退社して起業をした理由とは?
「熊谷興行」でも着実に実績を上げていた熊谷正寿さんですが、バブル崩壊直後の1990年に退社しています。
熊谷さんが「熊谷興行」を退社した理由に関しては、社長室長として経営改革を提案したところ、父・熊谷新さんと対立してしまったそうですね。
退社後の熊谷さんは、1991年になると「株式会社ボスメディア」を設立し、当初はダイヤルQ2を利用した出会い系コンテンツの配信と専用機器の販売をしていました。
そんな熊谷さんがインターネットに目を向けたきっかけについては、1993~1994年頃に読んだ日経MJの記事にビジネスとしての将来を感じたとか。
その後、1995年にインターネット事業を開始した熊谷さんは、多くの同業者が夢半ばで倒産に追い込まれる中、日本を代表する起業家として頭角を現していくことになりました。
熊谷正寿、予期せぬ逆風もあった
熊谷正寿さんは、社名を「GMOインターネット」に変更した直後の2006年に、予期せぬアクシデントで倒産危機も経験しています。
当時の「GMOインターネット」は、金融事業に乗り出すために、2005年に消費者金融「オリエント信販」を270億円で買収していました。
しかしながら、翌年の2006年に最高裁にてグレーゾーン金利を否定する判決が下ったため、過払い金が一括「GMOインターネット」側に請求される事態へと陥ってしまったそうですね。
わずか1年の経営で10年分の過払い金を請求される羽目になった「GMOインターネット」の経営は大混乱をし、巨額の引当金が原因で債務超過寸前に陥ってしまったとか。
本業は順調に利益を出していましたが、巨額の引当金が原因でバランスシート上は債務超過寸前。既存のインターネット関連の事業は好調でしたので、債務超過になれば黒字倒産の可能性もありました。結局、2008年、合計400億円を投じたオリエント信販を当時の経営陣に500万円で売却し、撤退することを決断しました。
そんな倒産危機を救ったのは、2度の上場を経て蓄財された熊谷さんの私財だったそうで、170億円もの大金を投下して債務超過を防ぐことになりました。
ちなみに、当時の「GMOインターネット」には外資から売却の打診もあったそうですが、会社の危機に自分だけ逃げだすわけにはいかないとの想いが強かった熊谷さんは、意地を貫き通しました。
熊谷正寿のセレブぶりが凄い…年収は15億円で資産は?
熊谷正寿、給料は1.2億円なれど配当金が凄かった
大企業を率いる熊谷正寿さんだけあり、その年収も気になるところです。
熊谷さんの年収については、給料面は意外に少なく1.2億円程度だとか。
【恒例、役員報酬の開示を行いました】
— 熊谷正寿【GMO】 (@m_kumagai) May 19, 2020
社内ポータルで6000名のパートナー(従業員さん)に対して、グループ企業役員約100人の昨年実績、今年の見通し役員報酬の開示を行いました。競争意識と良い意味の緊張感を持って頂くべく、今年から収入ランク順の発表。ちなみに僕は4位。 pic.twitter.com/tklaqIK2GM
ただし、「株式会社熊谷正寿事務所」名義も含めて「GMOインターネット」の株式の40%弱を所有する大株主でもある熊谷さんは、2019年12月期では14億円弱もの配当金収入を得ている状況となります。
そのため、熊谷さんの年収は15億円以上であることになり、日本人MLB選手に負けず劣らずのリッチぶりを誇っています。
熊谷正寿、資産は1200億円を超えていた
年商2000億円弱もの規模の企業を一代で作り上げた熊谷正寿さんですが、その資産額も凄いことになっています。
現在、時価総額3242億円となっている「GMOインターネット」ですが、熊谷さんの所有する資産は同社の持ち株分だけで1280億円近くになるようですね。
無論、それ以前に売却した株式で生じた資産なども健在でしょうから、熊谷さんの総資産については2000億円以上はあるのではないかと思われます。
熊谷正寿は遺産相続争いも経験していた…生前贈与がトラブルの元
一代で日本を代表する富豪となった熊谷正寿さんですが、遺産相続争いも経験しています。
2008年に父・熊谷新さんを亡くしている熊谷さんですが、新さんも実業家として成功した身の上だったため、かなりの遺産を残していたそうですね。
・「熊谷興行」の株式26%
・上場株式3銘柄
・新宿区のマンション
・現金3000万円
しかしながら、父親と決別して「GMOインターネット」を起業した経緯が影響しているのか、新さんは熊谷さんに内緒で他の兄弟2人に「熊谷興行」の株式74%を生前贈与していたとか。
新氏が生前に熊谷興業株の約74%を、康一、誠両氏に売却していた点だ。97年、新氏は康一、誠両氏に対して33%ずつを各450万円で売却。買い取り資金は熊谷興業から年利3%で貸し付け、返済は給料天引きの30回払いとした。2001年には7%を誠氏に追加で売却している。
自分に無断で生前贈与された株式を含めると、新さんの遺産の総額は50億円だと試算した熊谷さんは、「熊谷興業」の株式17%(8億円相当)を譲り渡すようにと兄弟たちと話し合いの場を持ったそうですね。
とはいえ、億単位のお金の問題が話し合いで解決するはずもなく、結局は法廷闘争へと発展してしまうことになりました。
兄弟たちとは母親違いなうえに一緒に暮らしたこともない他人同然の間柄だったことが、遺産相続問題を余計にこじれさせてしまった一因だったのかもしれませんね。
熊谷正寿の家族情報…嫁は糟糠の妻で娘が1人いた
熊谷正寿、20歳の若さで結婚していた
熊谷正寿さんに関しては、「熊谷興行」で働いていた20歳の頃にAさんと結婚をしています。
「熊谷興行」の御曹司だったものの給料面での優遇は一切なかったという熊谷さんは、結婚後の新居なども風呂なしのオンボロアパートであった社員寮でした。
その後娘が生まれると熊谷家の家計はますます逼迫したそうで、Aさんは幼い我が子を保育所に預けて働きに出ていたそうですね。
そんな苦楽を共にした糟糠の妻だけあり、実業家として大成した後も2人が別れることはなく、結婚40周年間近の熟年夫婦となっています。
熊谷正寿、1985年に子供が生まれていた
20歳の若さで結婚をした熊谷正寿さんは、パパになるのも早く21歳の時に第一子である長女が生まれています。
とはいえ、その後は経済的な問題で妻が働きに出るなど苦労が続いた熊谷家では、子作りに励む余裕はなかったようで、子供は長女だけになっているとか。
2020年現在35歳となっている長女については、一般人として暮らしているためか、これといった情報は公開されていない状況となります。
ただし、父子仲などは良いそうで、一緒に誕生祝いをするなど微笑ましい関係であるようですね。
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— 熊谷正寿【GMO】 (@m_kumagai) May 13, 2015
熊谷正寿についてまとめてみると…
熊谷正寿さんに関しては、事業家の次男として生まれた身なれど、温室育ちとは真逆な人生を歩んできたことになります。
熊谷さんの今後より一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。