スタイリッシュかつ革新的機能を持つ家電製品で話題のバルミューダの社長・寺尾玄さんが話題です。
この記事では寺尾玄さんの年齢、高校や大学などの学歴、海外放浪やバンド活動などのバルミューダ設立までの経歴、結婚した嫁や子供、自宅や資産などについてまとめました。
この記事の目次
寺尾玄(バルミューダ社長)のプロフィール
寺尾玄のプロフィール
生年月日:1973年7月25日
出身地 :茨城県龍ケ崎市
血液型 :A型
寺尾玄(てらお・げん)さんは、これまでに大ヒット家電製品を多数生み出している電機メーカー「バルミューダ株式会社」の創業者で、現在も代表取締役を務める経営者です。
寺尾玄さんはバルミューダを設立する前、海外を放浪した経験やプロミュージシャンとしてシンガーソングライターやバンドなどで活躍した異色の経歴を持つ人物としても知られています。
今回はこの寺尾玄さんについて紹介していきます。
寺尾玄(バルミューダ社長)の年齢
寺尾玄さんのフェイスブックなどによると、生年月日は「1973年7月25日」という事なので、2022年の誕生日で年齢は49歳という事になります。
寺尾玄(バルミューダ社長)の最終学歴は高校中退で大学へは進学せず
寺尾玄さんの最終学歴は高校中退です。17歳だった高校2年生の時に高校中退されています。
高校を中退した理由は、高校3年生に進級する際に文系と理系を決める用紙で、「将来、どんな職業に就きたいか」、「そのためにどの大学の何学部に進みたいか」などの質問が並んでおり、それに回答する事に対して強い抵抗と嫌悪感を覚えた事だったそうです。
高校2年の時に配られた「進路アンケート用紙」に嫌悪感を抱いたからです。その用紙には、「将来、どんな職業に就きたいか」「そのためにどの大学の何学部に進みたいか」「そのうえで3年次は文系、理系、文理系のどのクラスに進みたいか」という質問が並んでいました。その用紙を見た時に私は、直感的に「書いてはいけない」と思いました。特に「将来の職業」を記載する欄にその思いが強かった。
高校中退後、寺尾玄さんは改めて大検を取得しての大学進学などもされていないため、最終学歴は高校卒業です。
なお、寺尾玄さんが中退した高校などは明かされておらず不明です。ネット上では出身地が茨城県龍ケ崎市である事などから、候補として「竜ヶ崎第一高等学校」、「竜ケ崎第二高等学校」、「竜ケ崎南高等学校」、「愛国学園」などの名前が上がっています。
寺尾玄(バルミューダ社長)の経歴① 高校中退後は1年間海外を放浪
寺尾玄さんは高校を2年生で中退した後、スペイン、フランス、イタリア、モロッコなどの地中海沿岸の諸国を約1年間にわたって放浪されています。
寺尾玄さんの父親はとても自由な考えの人だったそうで、高校中退の決断にも反対せず、むしろ「好きなところへ行ってこい」と背中を押してくれたそうです。
また、寺尾玄さんは小学5年生の頃に両親が離婚しており、それから離れて暮らしていた母親は、寺尾玄さんが中学生の時にハワイでシュノーケリングをしている最中に溺れて亡くなっています。
寺尾玄さんの海外放浪の費用はこの母親の保険金で賄ったのだそうです。
自分の本能に従った結果、寺尾は、高校中退を決意する。当然、父親は反対しない。むしろ「早くやめて、1年間くらいお前の好きなところに行ってこい」と後押しをした。そこで寺尾は、迷うことなく海外へと放浪の旅に出る。その旅の資金は、母親の死によって手にした保険金であった。
ただ、母親の保険金を旅費に充てたとはいえ、貧乏旅だったようで、ユースホテルに泊まる事はほとんどなく、駅や公園で野宿をするというかなりワイルドな旅だったようです。
寺尾玄(バルミューダ社長)の経歴② バンド「Beach Fighters」で活動
海外放浪中、寺尾玄さんはロックシンガーのブルース・スプリングスティーンにハマり、帰国後に音楽の道を志しています。
ギターを購入して1ヶ月目に、覚えたての4つのコードだけを使って曲を作り、それをレコード会社に送ったところ、すぐに大手レーベルへの所属が決まったのだとか。
当時はシンガーソングライターとしてライブ活動などを行い、プロのバンドをつけてのレコーディングも進んでトントン拍子でメジャーデビューが決まったそうなのですが、デビュー直前にスポンサー企業の業績が悪化して、プロジェクトは全て白紙になってしまったそうです。
これをきっかけに寺尾玄さんはレーベルを辞め、アルバイトをしながら音楽活動を続けられています。寺尾玄さんは自らメンバーを集め、25歳だった1999年に「Beach Fighters」というミクスチャー系のロックバンドを結成。
このバンドはインディーズシーンで人気を集めましたが、バンドの中心人物だったドラマーの奥村純さんが脱退する事になり、これを機に寺尾玄さんは10年やった音楽を諦める決断をしています。
寺尾玄(バルミューダ社長)の経歴③ バルミューダを設立し成功
出典:https://kaden.watch.impress.co.jp/
バンドの解散後音楽を諦めた寺尾玄さんはプロダクトデザインの道へと進んでいます。
プロダクトデザインに興味を持ったのは、当時交際していた、デザインの勉強をしていたガールフレンド(その後結婚する事になる女性)の自宅を訪れた時に、「FRAME」というオランダのデザイン雑誌を見たのがきっかけだったそうです。
寺尾玄さんはまず、独学でCADの勉強を始め、実際に机を作ってみようと、新宿の紀伊國屋書店に行って専門書を読み漁ったり、東急ハンズに行って店員に素材の事について根掘り葉掘り聞いたりして、その方面の知識を深めて行ったのだそうです。
さらに、寺尾玄さんは、電話帳で調べた近所の町工場を片っ端から訪ねて、工作機械の使い方の教えを請うています。ほとんどの工場で断られてしまったそうなのですが、いくつかの製作所が寺尾玄さんに興味を持ち、工作機械の使い方を教えて、自由に製作ができる環境を提供しました。
そして、製造と設計の技術を習得した寺尾玄さんは、2003年3月に「有限会社バルミューダデザイン」を設立。同年5月には早くもノートパソコン用冷却台「X-Base」の販売を開始しています。
一時、会社は倒産の危機に陥りましたが、2010年4月に発売したDCモーター扇風機「GreenFan」が大ヒットとなった事で経営を持ち直しています。
その後、寺尾玄さんは2011年に会社名を「バルミューダ株式会社」に改め、次々と「GreenFan」の新シリーズを発売し経営を軌道に乗せています。
その後、2015年に発売したスタイリッシュさと機能性を兼ね備えたトースター「BALMUDA The Toaster」がその年のグッドデザイン賞金賞(経済産業大臣賞)を受賞。
さらに、「BALMUDA The Pot」、「BALMUDA The Gohan」、「BALMUDA The Range」など、それまでの常識や固定観念を覆す革新的なヒット商品を次々と世に送り出し、家電業界の風雲児とまで呼ばれるようになりました。
寺尾玄(バルミューダ社長)の結婚や嫁
出典:https://www.tv-tokyo.co.jp/
寺尾玄さんは結婚されています。嫁については、2012年配信のインタビュー記事の中で、バルミューダを設立する前から交際していた女性である事が明かされています。
この寺尾玄さんの嫁は当時はデザインの勉強をしていたそうで、それが寺尾玄さんがプロダクトデザインの世界に興味を持つきっかけになったそうです。
ある日、付き合い始めたばかりのガールフレンドの家に遊びに行ったんです。いまでは奥さんですけどね。彼女はデザインの勉強をしていて、部屋にはいろいろ関連書籍がありました。
寺尾玄さんと嫁の結婚時期は明かされていませんが、2012年の時点で小学校低学年の子供がいたようなので、結婚1、2年で子供が生まれたと仮定すると、寺尾玄さんが「有限会社バルミューダデザイン」を立ち上げ、いくつかの自社製品の販売を開始してある程度経営が軌道に乗った後に結婚された可能性が高いのではないかと推測できそうです。
寺尾玄(バルミューダ社長)の子供は2人
出典:https://asset.watch.impress.co.jp/
寺尾玄さんは子供が2人いる事を明かしています。現在は既に閉鎖されていますが、2011年に公開された寺尾玄さんのブログによると、当時の子供の年齢について、「上の子は小学校に入学、下の子は幼稚園に入園」と書かれていました。
この情報から、2022年の現在の寺尾玄さんの子供は、上の子供が高校生、下の子供が中学生くらいだと推測できそうです。
また、寺尾玄さんは2012年インタビュー記事の中でも、以下のように発言されていました。
。『将来、何になりたい?』って聞かれたら、いま、ウチの小学生の子どもは『トランスフォーマーになりたい』って言いますけど(笑)
この発言の内容から、少なくとも上の子供は男の子の可能性が高いのではないかと考えられます。
さらに、寺尾玄さんは2016年には、Twitterで子供に関するツイートを投稿されていました。
「洋食/大宮シェフ」のハンバーグステーキ。このページを開いた瞬間、頭の中で子供らの歓声が聞こえた。お父さん、おいしい!って。で、本書を買い、必須とされてるスキレットも買い、実施して歓声を聞いた。おれが買ったのは体験。 pic.twitter.com/k4W65maquF
— 寺尾 玄 (@GenTerao) February 9, 2016
寺尾玄(バルミューダ社長)の自宅
出典:https://presidenthouse.net/
寺尾玄さんの自宅は東京小平市にある一戸建ての住宅です。会社の代表取締役の自宅住所は会社登記簿謄本などから調べられるため、ネット上では特定されている場合が多いです。上の画像は寺尾玄さんの自宅のグーグルマップの画像です。洗練されたデザインの製品が売りのバルミューダの代表らしく、自宅もシンプルで洗練されている印象を受ける外観です。
ちなみに、上の自宅とは別ですが、寺尾玄さんはバルミューダを当時の自宅を事務所にして創業されています。当時の自宅は武蔵野市にあったそうです。
寺尾玄(バルミューダ社長)の資産
出典:https://lh3.googleusercontent.com/
自宅は意外にも豪邸ではなく、シンプルながら洗練された作りの一戸建て住宅だった寺尾玄さんですが、資産については莫大なようです。
小学館が運営するマネー情報サイト「マネーポストWEB」が、2022年度版の長者番付を発表。そのランキングの99位に寺尾玄さんがランクインしています。
それによると、寺尾玄さんの推定総資産は「349億円」に上るという事です。
異色の経歴を持つのが、家電メーカーのバルミューダ社長・寺尾玄氏(99位)。高校中退後に地中海沿いの国々を放浪し、プロのロックバンドの道が断たれたのちにバルミューダを創業した。(中略)倒産の危機を乗り越え、その後はトースターなどヒット商品を連発。直近ではスマホの発売も話題となった。349億円の資産を持つまでに至った
まとめ
今回は洗練されたデザインかつ革新的な機能の製品で人気の家電メーカー「バルミューダ」の代表取締役社長の寺尾玄さんについてまとめてみました。
寺尾玄さんは1973年7月25日生まれなので、2022年の誕生日で年齢は「49歳」です。
寺尾玄さんは高校を2年生で中退して大学へは進学せず、約1年間海外を放浪し、帰国後にはミュージシャンとして活動した異色の経歴を持ち、シンガーソングライターとしてメジャデビュー直前まで行っています(スポンサー会社の業績悪化で頓挫)。またその後はミクスチャーバンド「Beach Fighters」を結成し、インディーズで人気を上げますが、こちらもメジャーデビューには至りませんでした。
寺尾玄さんは約10年間音楽活動を続けた後、プロダクトデザインに興味を持ち、「バルミューダ」を立ち上げています。
結婚については、バルミューダ設立前から交際していた女性と、おそらく2000年初め頃に結婚されています。嫁との間には2人の子供がおり、過去の寺尾玄さんのインタビュー記事やブログなどでの内容から2022年の現在は上の子供が高校生、下の子供が中学生と推測されています。
自宅については、東京小平市にある一戸建ての住宅、総資産については推定で349億円とみられています。