中日ドラゴンズ所属のプロ野球選手・木下雄介さんが27歳という若さで死去されました。
この記事では木下雄介さんの年俸推移や苦難続きの経歴、不慮の死を遂げた父親や結婚した嫁と子供など家族、モデルナ製ワクチン接種後の練習中に心肺停止した経緯や死因などについてまとめました。
この記事の目次
木下雄介のプロフィール
木下雄介のプロフィール
生年月日:1993年10月10日
没年月日:2021年8月3日(享年27歳)
出身地 :大阪府大阪市平野区
身長 :183cm
血液型 :A型
木下雄介さんは、中日ドラゴンズに所属していたプロ野球選手です。
阪神タイガースのレジェンドである元プロ野球選手の藤川球児さんが認めたほどの伸びとキレのあるストレートと、落差の大きいフォークボールを交えた投球が持ち味の投手で、今後の活躍が期待されていました。
木下雄介さんは駒澤大学時代に肘の故障で1度は野球を諦め、フィットネスジムのトレーナーや不動産会社の会社員などとして働いていましたが、友人に誘われて参加した草野球の試合で久々に投球したところ150kmの豪速球を連発。これをきっかけにプロ野球選手への夢が再び燃え上がり再挑戦を決意し、四国独立リーグの「徳島インディゴソックス」に入団しました。
その独立リーグでの投球が中日ドラゴンズのスカウトの目に留まり、2016年に育成選手としてドラゴンズに入団。2018年シーズンには支配下登録を勝ち取り、その後は1軍での登板も徐々に増やし、2021年シーズンはキャンプとオープン戦で高い評価を受け飛躍を期待されていました。しかし、シーズン開幕前のオープン戦で右肩脱臼の大怪我を負って手術となり、リハビリに取り組んでいました。
そして、木下雄介さんは2021年8月に27歳という若さで突然死去しています。これまでに度重なる苦難を乗り越え、プロ野球選手となってからも努力を重ね、成功の一歩手前まできていた木下雄介さんの突然の死は、あまりにも理不尽としか言いようがなく、関係者やファンからは悲しみの声が多く上がっています。
また、木下雄介さんの突然の死去は、新型コロナウイルスのワクチンの接種後すぐだった事などから、その因果関係なども含めて注目されています。
今回はこの木下雄介さんについてまとめていきます。
木下雄介の成績や年俸推移
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木下雄介さんは、育成選手として2016年度の育成ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団しています。支度金は200万円、推定年俸は「300万円」でした。2017年シーズンは育成選手として2軍で22試合に登板しています。シーズン後の契約更改では変わらず年俸は「300万円」でした。
2018年シーズンには支配下選手登録を勝ち取り、中継ぎとして1軍14試合に登板し、防御率は5.40と振るいませんでしたが、16.2回を投げて18奪三振という優秀な奪三振率を記録しポテンシャルの高さを示しました。活躍を評価されシーズン後には推定年俸「700万円」で契約更改しています。
2019年シーズンは、1軍で5試合に登板し防御率5.68、奪三振6の成績でした。シーズン後に現状維持の700万円で契約更改しています。
2020年シーズンは、木下雄介さんにとって飛躍の年となり、プロ入り後自己最多となる18試合に登板し、17.2投球回で24奪三振の極めて高い奪三振率を記録し注目されました。防御率も4.08と投球の安定度も大きく増し、プロ初セーブも記録しています。シーズン後には活躍を評価され推定年俸「900万円」で契約更改しています。
2021年シーズン前のキャンプでは、木下雄介さんの最大の持ち味である伸びのあるストレートが非常に高く評価され、オープン戦では圧巻の投球で無失点を続けて開幕1軍入りを早々に当確させ、シーズン開幕後はリリーフの柱、あるいはクローザーとしての活躍まで期待されるほど評価を上げていました。
しかし、開幕直前となった同年3月21日のオープン戦で投球中に右肩脱臼の大怪我を負ってしまいます。一部からは投手生命の危機との声も上がり、期待すも大きかっただけに多くのファンから落胆の声が上がりましたが、木下雄介さん本人は落胆する様子は1ミリたりとも見せずに、トミー・ジョン手術を受け、復活に向けて前を向き懸命にリハビリに取り組んでいました。
そんな矢先の2021年7月6日、木下雄介さんは練習中に突然倒れ、心肺停止の状態となって病院に搬送され同年8月3日に死去しています。まだ27歳という若さでした。木下雄介さんの突然の死去については記事後半で改めてまとめていきます。
木下雄介の家族① 父親の隆さんはプロ入り後に交通事故で不慮の死
木下雄介さんの家族についてみていきます。
木下雄介さんの父親は隆さんという方です。木下雄介さんがもう1度プロ野球に挑戦すると決意した時に、最も喜んでくれたのがこの父親の隆さんだったそうです。
しかし、木下雄介さんの父親の隆さんは、2019年7月22日に仕事でゴミ収集車を運転している最中に交通事故に巻き込まれ死去されています。享年は58歳で定年を間近に控えての不慮の死でした。なお、この交通事故は父親の木下隆さんの方に落ち度は全くなく、完全に巻き込まれただけの被害者だったという事です。
この父親の突然の死去はシーズン中でしたが、当時中日のシニアディレクターを務めていた森繁和さん(前監督)はすぐに木下雄介さんに地元大阪に帰るようにと伝えたそうです。
しかし、木下雄介さんは「父親はどんな時でも仕事を休むなが口癖で、40度の熱があっても仕事に行っていました。だから試合に出てから大阪に向かいます」と森繁和さんに伝え、その日の2軍の試合に登板した後に大阪の家族の元へと向かっています。
さらに、木下雄介さんはその翌日にも試合にも登板し、父親の通夜が営まれた24日も午前中は練習に参加して、その後再び大阪へと戻ったようです。
想像ですが、木下雄介さんは父親の隆さんが他の誰よりも、自分のプロ野球選手としての成功を願っていた事を知っていたからこそ、こうした決断をされたのではないかと思います。
また、この父親の隆さんの通夜には、中日ドラゴンズの現役選手を含む関係者10名以上がその日の試合が終わった後に名古屋から大阪まで駆けつけたのだそうです。翌日は2軍戦はデイゲームで早朝から名古屋で試合前練習が行われる予定でしたが、それでも多くの選手、関係者が駆けつけたという事でした。
このエピソードからも木下雄介さんがチーム内でどれだけ愛されていたのかが伝わります。
木下雄介の家族② 結婚した嫁は元水泳選手の茜さん
木下雄介さんは中日ドラゴンズの育成ドラフトで指名される前に結婚されています。
木下雄介さんの結婚した嫁は2歳年上の一般女性の茜さんという方で、学生時代は水泳選手としてオリンピック出場を目指していたそうです。
木下雄介さんは肘の故障から野球を諦め、駒澤大学を中退した19歳の時に嫁の茜さんと出会っています。当時、木下雄介さんはフィットネスジムのインストラクターのアルバイトをしていましたが、そのジムに契約社員として務めていたのが茜さんだったそうです。
出会いから約2年後の2014年8月に2人は交際をスタートさせ、木下雄介さんは将来の結婚も考えて、不動産会社に営業として就職しています。
そんなある日に友人に誘われて参加した草野球のマウンドでの生き生きとした様子を見た嫁の茜さんは「もう1度真剣に野球をやった方がいい」と木下雄介さんに強く勧めたそうです。この茜さんからの言葉が、木下雄介さんの野球への情熱に再び火をつけ、四国の独立リーグへの入団を決断する事になったようです。
その後、茜さんが子供を妊娠したのを機に2人は結婚を決めています。木下雄介さんは結婚の挨拶に茜さんの両親に挨拶に訪れた際、「野球を辞めて就職します」と言ったそうなのですが、それを聞いた茜さんは激怒し、「野球を辞めるなら結婚もしない。シングルマザーとして子供を産んで育てる」と宣言したそうです。
このように、木下雄介さんが度重なる苦難を乗り越えて野球を続けてきたのは、この嫁の茜さんの応援の力がかなり大きかったようです。これだけ真っ直ぐな気持ちで応援され、木下雄介さんも相当意気に感じていたのではないかと思います。
木下雄介の家族③ 子供は2人でまだ幼い長女と長男
木下雄介さんは嫁の茜さんとの間に2人の子供に恵まれています。
第一子となる長女の叶望(かの)さんは2016年10月1日の生まれで、木下雄介さんはそれからすぐの10月20日にドラフトで育成選手として指名されています。木下雄介さんの入団会見や球団施設の見学の際には、嫁の茜さんが生まれたばかりの叶望さんを抱いて同行し話題になりました。
木下雄介さんと嫁の茜さんの2人目の子供は2018年11月に誕生した男の子で、名前は志厳(じげん)君と発表されています。
2021年8月の現在は、1人目の子供の叶望さんは4歳、2人目の子供の志厳君は2歳になっているはずです。
この2人の子供は幼くして父親を亡くすという悲劇に見舞われた事になりますが、元気に成長して幸せになってほしいです。
木下雄介さんも、幼い子供2人を残して旅立つ事はさぞかし無念であったろうと思います。
木下雄介はコロナワクチン接種数日後の練習中に倒れ心肺停止状態となりそのまま回復せず死去
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2021年6月28日:新型コロナウイルスの1度目の接種
2021年7月6日:ナゴヤ球場での練習の休憩中、突然倒れる
2021年8月3日:死去
2021年3月21日、シーズン開幕前のオープン戦で右肩脱臼の大怪我を負い、同年4月9日には右肩前方脱臼修復術と、トミー・ジョン手術を受けました。
その後、退院した木下雄介さんは復活に向けてトレーニングを再開していましたが、2021年7月6日にナゴヤ球場での練習の休憩中、息苦しさを訴えた直後突然倒れたという事です。
その後、木下雄介さんは心肺停止の状態となり、チームのメディカルトレーナーがAEDによる応急措置を取りましたが意識は回復ぜず、名古屋市内の病院に救急搬送されています。
7月28日に配信されたデイリー新潮が、木下雄介さんが倒れて重篤な状態に陥っている事を初めて報じていますが、記事では、木下雄介さんは倒れる約1週間前の同年6月28日に新型コロナウイルスの1度目の接種をしていたという内容も書かれていました。
新潮の同記事では、木下雄介さんが人工呼吸器を外せない重篤な状態が続いており、「心臓周辺に問題が発生し、その影響が脳に及んでいる」など、深刻な容態を伝える球団関係者の証言も掲載されていました。
木下雄介さんはそのまま容態が回復せず、同年8月3日に亡くなった事が、中日球団によって発表されています。
中日は6日、木下雄介投手が3日に亡くなったことを発表した。27歳だった。木下雄さんは7月6日午前9時半ごろ、ナゴヤ球場の外野でダッシュなどのメニューをこなし、その後トレーニング室へ移動。休憩中に突然意識を失ったという。心肺停止状態だったためトレーナーが自動体外式除細動器(AED)で処置をし、午前11時30分ごろに救急車で名古屋市内の病院に搬送された。
木下雄介の接種したコロナワクチンは米モデルナ製
木下雄介さんが27歳の若さで死去し、その約1週間前に新型コロナワクチンの接種を受けていた事が明らかにされていますが、その因果関係については「不明」と発表されています。
木下雄介さんが接種を受けた新型コロナワクチンは米モデルナ製だったようです。
木下雄介さんは中日球団の職場接種制度を利用してコロナワクチンを接種したという事ですが、中日新聞が、中日球団が使用するワクチンがモデルナ製である事を報じていました。
プロ野球中日は十六日、名古屋市東区のバンテリンドームナゴヤで新型コロナウイルスのワクチン接種について説明会を開いた。二十一日から選手、スタッフらを対象とした職場接種を開始する予定で、愛知医科大の三鴨広繁教授(感染症学)がワクチンの効果や副反応について説明した。接種は任意で、米モデルナ製のワクチンを使う。
木下雄介の死因は公表はされていないが「急性心筋炎」とみられる
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木下雄介さんの死因は公式には発表されていませんでした。
木下雄介さんの死因について、中日・加藤球団代表は「(今まで言えなかった理由は)家族の意向があった」と家族の意向で非公表であると発言しています。
ただ、デイリー新潮の記事では、球団関係者の「心臓周辺に問題が発生」との証言が掲載されていました。
2021年8月10日に公開された日刊ゲンダイの記事では、厚労省が発表した、新型コロナワクチンの接種後に死亡が確認された919名の方を対象にしたデータが紹介されていて、その中の「死因と関連する可能性のある全ての症状」という項目は「心臓障害」の症状がダントツに多い事などが紹介されていました。
注目すべきは、ワクチン接種後に死亡した919人の死因である。分科会資料「接種後死亡事例 死因別集計表」によると、「死因と関連する可能性のある全ての症状」(重複あり)の中で、「心臓障害」が断トツに多い。
木下雄介さんがコロナワクチン接種後に、「心臓周辺に問題」が原因で重篤な状態に陥った事と、上で紹介されているデータを照らし合わせると、やはり木下雄介さんの死因には、コロナワクチンの接種が関係しているのではないかという疑いが生じます。
その後、後述しますが、厚生労働省が新型コロナワクチン接種後の死亡として報告された事例の中に木下雄介さんとみられる男性がおり、そこには死因が「急性心筋炎」と書かれていたことが判明しています。
木下雄介が該当?モデルナ製ワクチン接種後に死亡した20代男性
厚生労働省が2021年11月12日に開いた副反応に関する専門部会で、米モデルナ製の新型コロナウイルスワクチンの接種後、男性4人が心筋炎を発症し死亡したと報告しました。
そのうちの2人が20代男性で、以下のように報告されています。
27歳の男性は6月28日に1回目を接種。7月6日に心停止し、8月3日に死亡した。接種前から心臓に疾患があった可能性もあるといい「接種が原因と強く疑うことは困難」と専門家が評価した。
引用:【コロナ】モデルナ製ワクチン接種後、心筋炎で20代含む4人死亡 因果は不明-うち一人は中日ドラゴンズの木下雄介投手とみられる★4
出典:https://i.imgur.com/5UXOu0T.png
厚生労働省が報告した27歳男性について、木下雄介さんとの年齢、ワクチンを接種した時期とその後の経過が全て同じとなっています。
そのため、この27歳男性は木下雄介さんのことだと思われますが、コロナワクチン接種と死の因果関係が認められたわけではありません。
まとめ
今回は、2021年8月3日に27歳という若さで突然死去したプロ野球選手の木下雄介さんについてまとめてみました。
木下雄介さんは伸びとキレのある150km台のストレートと落差のあるフォークボールが持ち味の投手で2016年に育成選手としてプロ入り後、2018年シーズンに支配下選手登録を勝ち取り、順調に1軍で成績を伸ばして年俸も上昇、2021年シーズンは飛躍が期待されていた選手でした。
木下雄介さんは大学時代に肘を故障して1度は野球を諦めましたが、アルバイト先で出会って結婚した嫁の応援もあって再びプロ野球への挑戦を決意し見事中日ドラゴンズの支配下選手登録を勝ち取りました。
しかし、その矢先の2019年には最愛の父を不慮の交通事故で亡くし、さらに、2021年はキャンプから評価を上げて開幕1軍を当確させますが、その矢先のオープン戦で右肩脱臼の大怪我を負うなど度重なる苦難に襲われました。
それでも木下雄介さんは前を向き、復活を目指してトレーニングを続けていましたが、モデルナ製の新型コロナワクチンを接種の約1週間後の2021年7月6日の練習中に突然倒れて心肺停止の状態になり、病院に緊急入院後も重篤な状態が続いて、同年8月3日に亡くなりました。
死因は「急性心筋炎」とみられ、コロナワクチンとの因果関係は不明と発表されています。