水谷隼さんは東京オリンピックの混合ダブルスで金メダル、男子団体で銅メダル獲得と素晴らしい成績をあげた卓球選手です。
この記事では、水谷隼選手が2013年に結婚した嫁や家族のこと、そして1億超えとも言われるその年収についてまとめています。
水谷隼選手のプロフィール
名前:水谷隼(みずたにじゅん)
出身地:静岡県磐田市
生年月日:1989年6月9日
身長:172cm
出身中高:青森山田中学校・高校
最終学歴:明治大学政治経済学部
水谷隼選手は日本を代表する卓球選手です。2016年のリオオリンピックでは、日本人初のオリンピック男子シングルスの銅メダリストとなり、団体戦においても主力として銀メダル獲得に貢献しました。
水谷隼選手は5歳から卓球を始め、中学2年生のときには全日本卓球選手権ジュニアの部で史上最年少優勝(当時)、15歳のときには日本代表として男子としては最年少(当時)で世界選手権に選出されました。
2005年に行われたアジア選手権では世界ランク2位であった中国選手(王皓)を撃破し、日本のエースとして注目され始めます。2006年の全日本選手権ではシングルス・ダブルス、ジュニア部シングルスを制して3冠、男子シングルスは史上最年少(17歳7ヶ月)での優勝でした。
水谷隼選手が批判した、卓球界の不正問題とは?
また水谷隼選手は2012年に不正行為にあたるにもかかわらず、ラケットのラバーに「補助剤」(スピード・威力が増すと言われている)を使用する卓球界の風潮に抗議しています。
ただ2012年は日本代表として出場したロンドンオリンピックの成績が振るわなかったこともあり、いろいろと批判を受け、かつ不正行為を根絶させることもできませんでした。
そんな苦境に立たされた水谷隼選手が選んだ道は、自身の実力をさらに向上させること。
幼少期から彼を追いかけているスポーツライターの城島充さんは、
「彼は卓球という競技を守るために不正の撲滅を訴えたんです。しかし、ロンドンでは結果が出なかったため、大会後“メダルがとれない言い訳”“そんなヒマがあるなら練習しろ”という声も少なくありませんでした。
すごく苦しんだのですが、そこで彼は、いつまでも変わらずに不正が行われる卓球界の現状を嘆くのではなく、この不正に勝つために、ロシアに渡って自分を鍛え直したのです」
そういった弛まない水谷隼選手の努力が、リオオリンピックの歴史的快挙へとつながっていきました。
水谷隼選手の結婚した嫁と子供について
水谷隼選手の嫁は高校時代から交際していた海那(みな)さん
水谷隼選手は、2013年11月22日に高校時代から交際していた彼女と結婚しました。
水谷隼選手の嫁は、3歳年下の海那(みな)夫人です。
嫁の海那(みな)夫人の顔写真
水谷隼選手の嫁さんがリオオリンピック後にTV出演しており、美人と話題になっていました。
嫁の海那(みな)夫人の顔写真
嫁の海那夫人は、青森山田中学・高校と進学した水谷隼さんの後輩です。
水谷の青森山田高1年時に同中卓球部で練習する彼女と交際が始まった。
水谷選手が高校一年生というと2005年~2006年頃ですので、そこから約7年間の交際を経て2013年11月にゴールインしました。
嫁の海那夫人は水谷隼選手のために料理を習い、スランプだった時代も支えたと言います。
ロンドン五輪では個人戦は4回戦で敗退。団体もメダルを逃し、睡眠障害で寝酒を飲むのが日課となった。「プレッシャーで追い詰められていた」。そんな水谷を支えたのが、高校時代に知り合った妻の海那(みな)さん(24)だ。
自身も卓球選手だった海那さん。だが、家では卓球の話はほとんどせず、ひどい負け方をした時だけ「メンタル崩れたでしょ」などと少しだけちゃかした。専門学校で栄養管理を学び、水谷の体脂肪は減少、持久力の数値も向上した。
ロンドン五輪のときは、水谷隼選手のラケット不正問題への抗議もありましたので、いろいろ大変な時期に支えたのが嫁の海那夫人ということですね。このときはまだ恋人(彼女)でしたが、同じく卓球をやっていたこともあり、良き理解者でもあったのかもしれません。
水谷隼選手の娘は茉莉花(まりか)ちゃん
水谷隼選手と娘さんの画像。
そして、結婚の翌2014年5月には第一子の茉莉花(まりか)ちゃんが生まれました。
結婚し支えてくれる嫁ができ、守るべき子供が生まれたことは、水谷隼選手をいろんな意味で成長させたと言います。
男子代表の倉嶋洋介監督(40)は「以前はやんちゃな部分があって『俺が俺が』というタイプ。『もっと強くなれよ、バカヤロー』って外から他のやつらの悪口を言っていた」と振り返る。結婚の翌年には、娘の茉莉花ちゃん(2)が生まれた。
「かなり落ち着いて人と接したり、話すことができるようになった。いろいろな人の話を聞いて吸収し、心の中で仕分けできる人間になった。人間として器が大きくなり、卓球の器も大きくなった」(倉嶋監督)。他人のために尽くす生き方もあると悟った。
そして、水谷隼選手自身も家族の存在によってさらに奮起し、リオオリンピックでの活躍にもつながったようです。
常に前向きになるように支えてくれたからこそ「家族を喜ばせてあげたい」と思うようになった。今回も試合前に妻から「中国を除けばあなたが一番。自信を持って」と励まされた。
水谷隼選手の子供 茉莉花ちゃん。
こちらは2014年10月頃の画像。とても目がクリクリしてて可愛いです!
ちなみに水谷隼選手は実母からもお墨付きの、子煩悩な父親だそうです。
母、万記子さん(54)は「こんなに子煩悩だとは思わなかった」
水谷隼選手の年収は?貯金は1億円以上・年収は1億弱
水谷隼さんの年収はどのぐらいになるのでしょうか。
2016年8月に出演した番組「SPORTSウォッチャー」で、自身の年収について言及しています。
「収入は1億円?」と訊かれた水谷は、「これは半分ホントで半分ウソ。アスリートですから勝てば賞金貰えますし負ければ賞金がでない。そういう意味で上げ幅がすごいある」などと説明した。
また、貯金は1億円以上あるとも。
年収は「1億にちょっと届かないぐらい。貯金は楽勝で1億円以上あります」と豪語。ロシアリーグのオレンブルクとの契約金が数千万円で、あとはスポンサー収入、賞金で大台に迫っている。
水谷隼選手が東京オリンピックで金メダルを獲得!大会後に引退を表明
出典:https://bunshun.jp/
2021年7月に開幕した東京オリンピックに出場した水谷隼選手。伊藤美誠選手とのペアで臨んだ混合ダブルスでは決勝まで進み、中国を相手に逆転勝利。日本卓球界初となるオリンピックでの金メダルを獲得しました。丹羽孝希選手、張本智和選手との男子団体でも銅メダルを獲得し、エースとしての実力を見せつけました。
しかし、卓球の全日程終了後、水谷隼選手は記者会見で現役引退の意向を表明しました。「完全に卓球からは離れると思う」とも明かしています。
水谷隼選手は2018年1月に目を負傷しており、その後、様々な治療やレーシック手術を受けてきましたが、良くなるどころか悪化していったそうです。目の不調からこれ以上競技は続けられないという思いを抱くようになり、東京オリンピックでも集大成と思いながらプレーしていたといいます。
水谷選手は以前からボールが見えづらいなど目の不調を訴えており、「目が完治するなら40歳でも50歳でもやりたいと思っているが、治療法もない。悔しいが、自分の冒険はここまで」などと理由を語った。
引退は残念ですが、オリンピックで初の金メダルも獲得しましたし、アスリートとしては最高の形での引退といえるのかもしれません。水谷隼さんが今後どのような道に進まれるのかまだまだ注目していきたいですね。
まとめ
・水谷隼選手年収は、「1億にちょっと届かないぐらい。貯金は楽勝で1億円以上あります」と本人は豪語している。
・水谷隼選手は東京オリンピックで金メダルを獲得。オリンピック後、現役引退の意向を表明した。
日本卓球界にオリンピック初の金メダルをもたらした水谷隼選手。新たな道での活躍も応援していきましょう。