4期15年にわたって静岡県知事を務めた川勝平太さんですが、度重なる失言で辞職しました。
この記事では、川勝平太さんの生い立ちや高校や大学などの学歴、若い頃からの輝かしい経歴、名家の父方家系や結婚した嫁、子供などの家族、軽井沢の自宅や現在などについてまとめました。
この記事の目次
- 川勝平太のプロフィール
- 川勝平太の生い立ち① 大地主の家系の生まれでバイオリンを習っていた
- 川勝平太の生い立ち② 中学までは地元の公立
- 川勝平太の学歴① 出身高校は「洛星高等学校」
- 川勝平太の学歴② 出身大学は「早稲田大学政治経済学部経済学科」
- 川勝平太の学歴③ 早稲田大学大学院経済学研究科
- 川勝平太の学歴④ オックスフォード大学ウルフソン・カレッジ
- 川勝平太の若い頃からの経歴① 早稲田大学の政治経済学部の教授
- 川勝平太の若い頃からの経歴② 国際日本文化研究センター教授など
- 川勝平太の若い頃からの経歴③ 静岡文化芸術大学学長
- 川勝平太の若い頃からの経歴④ 静岡県知事
- 川勝平太の家族① 父方は京都府で古くから続いた大地主の家系
- 川勝平太の家族② 結婚しており嫁の名前は貴美さん
- 川勝平太の家族③ 子供はいない可能性が高い
- 川勝平太の自宅は長野県軽井沢町の別荘地に立つ緑に囲まれた邸宅
- 川勝平太の現在① 静岡県知事辞職を表明し退職届を提出
- 川勝平太の現在② 静岡県知事選への再出馬を求める動きも
- 川勝平太の現在③ 静岡県知事を退任
- まとめ
川勝平太のプロフィール
川勝平太のプロフィール
生年月日:1948年8月16日
出生地 :大阪府
出身地 :京都府京都市
血液型 :O型
川勝平太(かわかつ・へいた)さんは、2009年から4期にわたって静岡県知事を務めた人物ですが、相次ぐ失言で静岡県民の支持を失って批判の声が高まり、2024年4月に辞意を表明。同年5月に静岡県知事を退職しています。
川勝平太さんは静岡県を流れる大井川の水量が減る可能性があるなどを理由として国のリニアによる中央新幹線計画に反対し続け、当初2027年を目標とされていたリニア開業を大幅に遅らせる原因を作りました。
川勝平太さんのこの主張は一部からは支持されているものの、職業差別や地域差別、男尊女卑を思わせる発言を繰り返した事によって信用を失い、政治信念として掲げていたリニア反対の主張もただ単にイチャモンをつけているだけのような印象を持たれ、批判の声の方が圧倒的に強まっていました。
川勝平太の生い立ち① 大地主の家系の生まれでバイオリンを習っていた
川勝平太さんは1948年8月16日に大阪府で出生し、京都府京都市で育ちました。
川勝平太さんの父方の家系は京都府亀岡市北部美濃田地区で造り酒屋などを営んだ大地主で、幼い頃は家族でこの地域へ盆と正月には欠かさず帰省していたという事です。
当時の川勝平太さんについては、叔父が、バイオリンを習い、賢く大人しい子供だったとの証言をしています。
京都府亀岡市北部の美濃田地区。住民の八割近くを「川勝」姓が占めるこの田園地帯で、川勝平太さんの祖父は戦前まで造り酒屋を営んでいた。自身は京都市で生まれ育ったが、叔父恭輔さん(87)によると、盆と正月は両親とともに欠かさず帰省した。「お母さんの勧めでバイオリンを習っていた。賢くて、本当におとなしかった」と回想する。
川勝平太の生い立ち② 中学までは地元の公立
川勝平太さんは地元の「京都市立富有小学校」に入学して「京都市立衣笠小学校」を卒業し、その後、「京都市立衣笠中学校」へ進学して卒業しています。
川勝平太さんは中学時代はクラシック音楽とバスケットボールに没頭し、中学時代から大学入試問題に手をつけるほど数学に打ち込んでいたという事です。
中学校まで公立に進み、クラシック音楽とバスケットボールに没頭した。授業にはほとんど関心がなかったが、数学を究め、大学入試問題集にも手を付けた。
川勝平太の学歴① 出身高校は「洛星高等学校」
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川勝平太さんは京都市立衣笠中学校を卒業後、高校は京都市の私立の男子校「洛星高等学校」へ進学し1967年に卒業しています。
洛星高校は中高一貫の高校で基本的に高校からの入試は実施していませんが、欠員補充のために高校からの入試を実施する事があり、川勝平太さんは高校から洛星高校に入学したとみられます。
高校時代の川勝平太さんは、クラス対抗の合唱コンクールで指揮者を務め編曲も手掛けたとの事です。また、哲学書や文学書をむさぶり読んだのだそうです。
高校は中高一貫の男子進学校の洛星に編入。同級生の小笹徹さん(68)=横浜市青葉区=は国語教師との論争を思い出す。和歌や小説の解釈を巡り、席を立ち堂々と反論をぶつ姿に「いつも真剣。納得するまで突き詰める男」と感じた。三年次の担任、藤井茂利さん(85)=福岡市中央区=は、クラス対抗の合唱コンクールが印象深い。音楽好きの本領を発揮し、編曲を手掛けながら指揮者も担当した。
川勝平太の学歴② 出身大学は「早稲田大学政治経済学部経済学科」
川勝平太さんは洛星高校卒業後、1年間の浪人を経て「早稲田大学」の政治経済学部経済学科へと進学しています。(最新の偏差値は70)
川勝平太さんが早稲田大学にに入学した頃は学生運動の全盛期で、川勝平太さんはマルクス主義を論破するために資本論を読破し、活動家と議論したところ自分の方がマルクス主義をよく知っているという理由で、知らないうちに全共闘のある団体の議長に祭り上げられた事もあったのだそうです。
その後、学生運動では内ゲバが過激化したため川勝平太さんは虚無的になり、授業にほとんど出ずに大学図書館にこもって有名な哲学者の著作を全て読んだのだそうです。
川勝平太の学歴③ 早稲田大学大学院経済学研究科
川勝平太さんは早稲田大学を1972年3月に卒業し、その後は早稲田大学大学院の経済学研究科の修士・博士課程へと進んでいます。
川勝平太さんは早稲田大学大学院では日本の経済史を研究し、1975年に修士課程を修了。その後、早稲田大学大学院博士課程へと進み、1976年に「明治前期における内外綿布の価格」のタイトルで論文を発表しています。
川勝平太の学歴④ オックスフォード大学ウルフソン・カレッジ
川勝平太さんは早稲田大学大学院博士課程に在学中だった1977年にイギリスへ留学し、オックスフォード大学のウルフソン・カレッジにて、イギリス経済史研究の権威であるP・マサイアス教授の下で学び、1985年10月に同大学で博士号を取得しています。
川勝平太の若い頃からの経歴① 早稲田大学の政治経済学部の教授
川勝平太さんは、早稲田大学政治経済学部の助手、講師、助教授を経て、1990年4月に教授に就任しています。
川勝平太さんは教授としては熱心に講義をしていたようで、真面目に勉強をしに大学に通っていた学生からの評判は良かったようです。一方で、厳しい面もあったため、適当に単位を取りたいと考えている学生からの評判はすこぶる悪かったという事です。
また、30代〜40代の若い頃の川勝平太さんはイケメンと評価されていたそうで、女子学生からの人気もは高かったとの情報も出ています。
- この早稲田大学教授時代の1991年1月〜1994年11月にかけては、早稲田大学中央図書館副館長も務めています。
川勝平太の若い頃からの経歴② 国際日本文化研究センター教授など
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川勝平太さんは1998年4月、早稲田大学を辞職して国際日本文化研究センターの教授に就任しています。その後、国際日本文化研究センターの副所長にも兼任で就任し、次いで国立民族学博物館地域研究企画交流センター客員教授にも就任しています。
1999年には 小渕恵三内閣の「21世紀日本の構想」懇談会委員、2006年には第一次安倍晋三内閣の教育再生会議委員を務めました。
川勝平太の若い頃からの経歴③ 静岡文化芸術大学学長
- その後、川勝平太さんは2007年からは静岡文化芸術大学学長、国際日本文化研究センター客員教授に就任し、安倍晋三内閣の「美しい国づくり」企画会議委員も務めました。
当時、静岡文化芸術大学の理事長を務めていたのが、前静岡県知事である石川嘉延さんで、川勝平太さんはその誘いを受けて同大学長に就任。以降は石川嘉延さんのブレーンとして活動しました。
川勝平太の若い頃からの経歴④ 静岡県知事
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川勝平太さんは2009年に、日本労働組合総連合会静岡県連合会や当時民主党の代表代行を務めていた小沢一郎さんらからの静岡県知事選への出馬要請を受けました。
川勝平太さんは当初は出馬を否定していたものの、その後、民主党、社会民主党、国民新党の推薦での静岡県知事選出馬を表明し、同年7月の選挙にて坂本由紀子さんを僅差で破り静岡県知事に初当選しています。
その後、川勝平太さんは静岡県民からの支持を得て、2024年まで4期約15年にわたって静岡県知事を務めました。
川勝平太の家族① 父方は京都府で古くから続いた大地主の家系
川勝平太さんの父方は、少なくとも江戸時代から続く京都有数の大地主の家系でした。
記録によれば、川勝平太さんの六世祖父の光従、五世祖父の平太夫は庄屋(村のトップ)を務め、特に六世祖父は天保の大飢饉で郷土のために奮闘したとされています。
川勝平太さんの高祖父は儀左衛門という人物で、当時京都にあった八木貯金銀行の取締役を務めています。
川勝平太さんの曽祖父は江戸時代末期の1854年に生まれた光之助という人物で、京都府会議員を務めて地方衛生会委員、日本赤十字社幹事、京都倶楽部委員などを歴任し、一方で京都倉庫株式会社、京都染物会社、京鶴鉄道会社などを起業して実業家として名を上げました。
川勝平太さんの祖父は明治時代、1884年生まれの川勝誠之という人物で旭村村長、園部銀行監査役、桑船酒造組合長を務め、作り酒屋「旭酒造」を戦前まで営みました。結婚相手は園部商工銀行頭取・湯浅平吉の長女のヨシエという女性で、この方が川勝平太さんの祖母にあたります。
川勝平太さんの父親は大正時代、1917年に生まれた川勝弘という人物で、早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業し、日本石炭配炭公団に務めた後、三光商店に入社し、後に取締役、1965年から代表取締役を務めました。結婚相手は三光商店社長を務めた中島真治の長女の定子という女性で、この方が川勝平太さんの母親にあたります。川勝平太さんの母親の定子さんは大阪府の梅花高等女学校(現在の梅花高校)を卒業されています。
川勝平太の家族② 結婚しており嫁の名前は貴美さん
川勝平太さんは結婚されており、嫁の名前は貴美さんである事が明かされています。
静岡県知事選に初当選した際には嫁の貴美さんが横で一緒に万歳三唱し挨拶もされていました。
川勝平太さんは自宅を長野県軽井沢町に構えていますが、県知事時代は静岡県知事公舎で嫁の貴美さんと暮らしている事が明かされていました。当時の記事では、川勝平太さんは嫁の貴美さんの事を「ボス」と呼んでおり、夫婦円満の秘訣として「逆らわないこと」と語っています。
川勝平太さんと嫁の貴美さんの結婚した時期や馴れ初めなどは明かされておらず不明です。
男尊女卑的な発言で批判された事もある川勝平太さんですが、自宅では意外にも嫁の貴美さんに頭があがらないようです。
また、川勝平太さんの嫁の貴美さんは1947年生まれで川勝平太さんの1歳上で、翻訳家をされているという情報があります。確かに川勝貴美さんという翻訳家が存在していますが、この方が本当に川勝平太さんの結婚相手で嫁の貴美さんと同一人物かどうかは不明です。
また、川勝平太さんの嫁の貴美さんの国籍が「韓国」や「中国」という噂が存在しますが、川勝平太さんが親韓国、親中国だと言われている事から出てきた単なる噂で、証拠は示されていません。
川勝平太さんの嫁の貴美さんの結婚前の経歴が明かされていない事からこのような噂に発展したようです。
川勝平太の家族③ 子供はいない可能性が高い
川勝平太さんと嫁の貴美さんとの間には子供がいない可能性が高いとみられています。
川勝平太さんは2017年に静岡県知事選に現職として出馬してメディアで紹介された際のプロフィール情報に「家族構成=愛妻、愛犬」と記載されています。
仮に子供がいるとすれば、この家族構成の記し方は不自然なので、川勝平太さんと嫁の貴美さんとの間には子供がいないと考える方が自然です。
川勝平太さんの家族構成には「愛犬」の記載もありますが、この愛犬の犬種はトイプードルで、名前は「クリ・クララ・ジョゼフィーヌ・アロイス・シュンペーター・ズン・カワカツ」との事です。
川勝平太さんと嫁の貴美さんはこのトイプードルを溺愛されており、子供のような存在だと思われます。
川勝平太の自宅は長野県軽井沢町の別荘地に立つ緑に囲まれた邸宅
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川勝平太さんは自宅を長野県軽井沢町の別荘地に構えています。
静岡県の川勝平太知事が年末年始、自宅のある長野・軽井沢に滞在していたことが4日、分かった。自身が同日、県庁での年頭記者会見で明らかにした。
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川勝平太さんの軽井沢町の自宅については、「NEWSポストセブン」が全国紙の政治部の記者の証言として以下のように書いていました。
静岡での生活が長年続いていたが、もともと自宅は長野県軽井沢の別荘地にある。
「緑に囲まれ、約700坪の敷地に立つ瀟洒な邸宅です。母校・早稲田大学を愛する川勝さんにとっては、校歌にある“都の西北”に位置する場所という点もお気に入りだそうです(笑)。優雅なライフスタイルは、何度か雑誌に紹介されたこともあります。
引用:《軽井沢別荘地で優雅な隠居へ》川勝平太知事、ボーナス受け取るかは「自然体で」 自慢の家は「緑に囲まれた700坪」「オープンガーデン」も
川勝平太さんの自宅とそこでの優雅な生活が何度か雑誌で紹介されたという事ですが、確かに2006年7月発売の週刊東洋経済に「団塊世代は別荘がお好き!?達人に聞く Part1歴史学者・川勝平太の軽井沢快適生活」という紹介記事が掲載されていました。
それによると、川勝平太さんは早稲田大学教授時代の1997年に早稲田のマンションを引き払って、軽井沢千ヶ滝別荘地に引っ越したという事です。
また、川勝平太さんは趣味を「花を愛でる事」としており、軽井沢の自宅の庭はよく手入れがされていて、2007年頃まで毎年1日限定で関係者にオープンガーデンとして開放する試みをされていました。
今年で6回目を迎えるチャリティオープンガーデンが、千ヶ滝別荘地にある川勝平太さんの庭園で行われました。手作りケーキとお茶付きの入・?料500円がユニセフなどへ寄付されるというこの試み、いいですねぇ。軽井沢の美しい庭園で過ごせる縺 けでも気持ちよくて、爽やかな気分になります。それが恵まれない子供たちの役にたつとういうのも嬉しいことです。お庭を毎年開放してく縺さる川勝平太さんご夫妻に感謝!
川勝平太さんの自宅は現在も軽井沢では有名なようです。
川勝平太の現在① 静岡県知事辞職を表明し退職届を提出
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川勝平太さんは度重なる失言によって支持を失い、2024年4月に静岡県知事を辞職する意向を示し4月10日に退職届を提出して受理されています。
きっかけとなったのは、1日に県庁で行われた新人職員に向けた訓示でした。
川勝知事
「県庁っていうのは、別の言葉で言うとシンクタンク(=“頭脳集団”)です。毎日毎日野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたり、あるいはモノを作ったりとかと違って基本的に皆様方は頭脳・知性が高い人たちです。ですからそれを磨く必要がありますね」野菜の販売や酪農家などに対して職業差別ともとれる発言をし、波紋が広がっていました。
引用:辞意表明の川勝知事、“不適切”な発言遍歴……「顔のきれいな子は」、地域差別、コシヒカリ発言も 「反面教師」買って出た?
川勝平太さんは静岡県知事辞職の意向を示した際に、メディアに細川ガラシャ(明智光秀の娘で、関ヶ原の戦いの時に夫の細川忠興の命に従って死去)の辞世の句「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」を突然読み上げました。
この行動は細川ガラシャに失礼極まりないとして、細川家の関係者が激怒する事態を引き起こしています。最後の最後まで炎上を煽っていくスタイルを貫いた川勝平太さんでした。
川勝平太の現在② 静岡県知事選への再出馬を求める動きも
静岡県知事辞職を決めた川勝平太さんですが、一部の川勝平太さんを支持する政治団体が最出馬を求める動きを起こしていました。
川勝平太さんに再出馬を求めていたのはリニア反対を掲げる団体で、川勝平太さんに打診するも断られたという事です。
リニア建設に反対する市民団体などは22日、辞意を表明した川勝平太知事に知事選への出馬を要請したと明らかにした。固辞されたという。 出馬要請したのは、市民団体「大井川の水を守る62万人運動」や「南アルプスとリニアを考える市民ネットワーク静岡」のメンバーら。22日、県庁に川勝知事を訪ねて出馬を打診したが、「(リニア政策への)評価はありがたいが、出馬はとんでもない」と断られたという。
川勝平太の現在③ 静岡県知事を退任
出典:https://mainichi.jp/
川勝平太さんは2024年5月9日をもって知事職を退任しています。
任期を約1年間残しての辞職ということで、4年間の満額約4100万円の退職金は減額されて約2900万円となりましたが、川勝平太さんは給与とボーナス、2期目と3期目の退職金(1期目は辞退)と合わせると県知事としての15年間で約4億円もの報酬を受け取ったことになります。
川勝平太さんは退任の記者会見では、知事退任後の政治活動の予定については「ありません」ときっぱりと答えています。
また、今後については、長野県と群馬県にまたがる浅間山の山小屋で「仙人生活」を送る計画であることを、童謡「一茶さん」の替え歌を披露しながら明かしていました。
「『平太のおじさん♪平太のおじさん♪あなたの住まいはどこですか~。は~い、は~い、私の住まいは信州信濃の山奥の浅間の山の森の中♪小鳥とお話しして過ごす~』。それがイメージしている仙人の姿だ」生活拠点は浅間山の標高1000メートルの林道の傍らの山小屋を想定している。「人間到る処青山有り。山小屋で万巻の書と向き合い、読み直す意思だ」と語った。
出典:https://news.yahoo.co.jp/
川勝平太さんの辞職に伴い静岡県知事選挙が行われ、国会議員や浜松市長を務めた経験のある 鈴木康友さんが当選を果たしました。
鈴木康友さんは、リニア中央新幹線については推進を表明しており、「スピード感をもって現実的な課題解決策を探っていく」と述べています。
まとめ
今回は、2009年から2014年まで15年間にわたって静岡県知事を務め、失言を繰り返して支持を失い辞職した川勝平太さんについてまとめてみました。
川勝平太さんの生い立ちは、父方が江戸時代から続く名家の家系に生まれ、バイオリンを習ういいとこの坊ちゃんとして京都府京都市で育っています。
川勝平太さんは学歴も輝かしく、出身高校は私立の進学校「洛星高等学校」、出身大学は「早稲田大学政治経済学部経済学科」で、その後、早稲田大学大学院とオックスフォード大学でも学んで博士号も取得しています。
川勝平太さんの若い頃からの経歴については、早稲田大学政治経済学部の教授を経て、国際日本文化研究センター教授、静岡文化芸術大学学長などを歴任。2009年に静岡県知事選に出馬して初当選し、以降、4期にわたって静岡県知事を務めました。
川勝平太さんの家族は、父方の家系が江戸時代から京都の豪農だった大地主で、祖父の代は造り酒屋を営んでいました。川勝平太さんは結婚しており、嫁は貴美さんという女性です。子供はいないとみられ、愛犬のトイプードルを子供同然に可愛がられているようです。
川勝平太さんの自宅は、長野県軽井沢町の別荘地に立つ緑に囲まれた邸宅で、手入れされた庭は地元でも有名だという事です。
川勝平太さんは2024年に静岡県知事を辞職しており、今後については政治の世界からは離れ「仙人生活」を送ると語っていました。