「ザ・ビートルズ」のリーダーであったジョンレノンの暗殺事件は世界に衝撃を与えました。
この記事では、ジョンレノン暗殺事件の場所や殺人犯の動機、そして犯人マークチャップマンの現在などの情報を詳しくまとめました。
この記事の目次
ジョンレノンのプロフィール
ジョン・レノン
出生名:
生誕: 1940年10月9日
出身地: イングランド マージーサイド州リヴァプール
死没: 1980年12月8日(40歳没)
死没地: アメリカ合衆国・ニューヨーク州ニューヨーク
学歴: リヴァプール・カレッジ・オブ・アート
世界で一番成功したバンド・THE BEATLES
ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターと共に1962年にレコードデビュー。
ジョン・レノンは世界で一番有名なバンドである「ザ・ビートルズ」のリーダとして活躍たジョンレノンは幼少期に両親が離婚したため伯母により育てられました。
学生時代にロックンロールの虜となったジョンレノンはバンド「ザ・クオリーメン」を友人らと結成。そのライブに来ていたのがポール・マッカートニーだったそうです。
その後、数度の改名を経て1960年に「ザ・ビートルズ」が誕生。地元のリヴァプールやドイツなどで活動を続け実力をつけていきます。
現在の音楽シーンの礎を築いた「ザ・ビートルズ」ですが、活動期間はわずか7年半と短いながらアルバム11作での週刊第1位の合計獲得数は162週。ギネス・ワールド・レコーズにも認定され、グラミー賞は8回も受賞しています。ちなみに野球場でコンサートをしたのは彼らが最初と言われています。
「ザ・ビートルズ」は7年半の活動を経て1970年4月10日に事実上の解散。この解散劇にはジョン・レノンの再婚相手である日本人女性オノ・ヨーコ(小野洋子)が深く関係していると噂されていますが、後にオノ・ヨーコは全否定しています。
ジョンレノンの結婚・離婚歴…オノ・ヨーコと不倫の末に再婚
いびつな4ショット
左からオノヨーコの息子ショーン・レノン、オノヨーコ、元嫁のシンシア、シンシアの息子ジュリアン・レノン
ジョン・レノンは「ザ・ビートルズ」デビュー時にはシンシアさんと結婚しており、長男ジュリアン・レノンを授かっていましたが6年ほどで離婚。翌年不倫関係となっていた日本人のオノ・ヨーコと再婚し、1975年10月9日はショーン・レノンが誕生します。
元々脱「ザ・ビートルズ」志向のあったジョンレノンは、オノ・ヨーコと知り合った後に共同で芸術や平和活動に没頭していき、プラスティック・オノ・バンド名義でも活動をしていました。
ジョン・レノンとの不倫の末に結婚したオノ・ヨーコは、「欧米で最も有名で、最も嫌われている日本人」として現在も欧米ではバッシングされるそうです。
気になる最初の妻であるシンシアさんの現在ですが、長年のがん闘病の末に2015年4月に75歳で死去。また、80歳を超え高齢となったオノ・ヨーコもレビー小体型認知症を患っており、車椅子生活をしています。
ジョンレノンに子供は息子が2人…HONDAのCM出演で話題に
前述のとおり、ジョン・レノンには前妻との間に長男のジュリアン・レノン、オノ・ヨーコとの間に次男のショーン・レノンが誕生しています。
次男のショーン・レノンは日本のCMにも長年出演していた為、見かけたことがある方も多いのではないでしょうか。
ちなみにHONDAフリードのCMの20年前に義理の兄でもあるジュリアン・レノンもHONDAのCMに出演しています。HONDAはジョン・レノンの息子が大好きなようですね。
ジョンレノン暗殺事件の詳細① 銃撃された場所はダコタ・ハウス前
引用:https://thebeatles.studiorag.com
ジョン・レノンは夫人であるオノ・ヨーコと共にニューヨークで生活し、再び芸能活動を行っていました。
暗殺事件が起きたのは1980年12月8日。この日の午前中は雑誌「ローリング・ストーン」に掲載する写真撮影に臨むため自宅アパートにおり、夕方はオノ・ヨーコの新曲作業のためニューヨーク市内に出かけていました。
作業を終え帰宅し車から降りた時に背後から「レノンさん?」と話しかけられると同時に銃撃され、ジョン・レノンは自宅アパートのあったダコタ・ハウス前で倒れました。夜中の22時50分頃の出来事です。
事件の起きたダコタ・ハウス前から近い場所にあるルーズヴェルト病院に搬送されたジョンレノンは、警官が駆けつけた際にはまだわずかに意識があったものの、次第に声が出なくなりました。
5発中4発が命中した体は全体の8割ほどの血液を失っており、懸命の輸血と心臓マッサージを施すも届かず、午後23時過ぎに失血性ショックのため亡くなりました。享年41でした。
ジョンレノン暗殺事件の詳細② 犯人はマーク・チャップマン
犯人マーク・チャップマンは当時25歳の警備員
世紀の大事件を起こした犯人はファンを装って近づいた
ジョンレノンを殺害した犯人はマーク・チャップマンという1955年生まれのアメリカテキサス出身の男です。
事件の直前にファンの輪の中に入ってサインをもらっていたというのですから驚きなのですが、チャップマンとはどういう人物なのでしょうか?
ジョンとヨーコがRKOラジオ・ネットワークのスタッフとともにリムジンに向かう途中、サインを求める人が数名近づいてきた。その中の1人にマーク・デイヴィッド・チャップマンがいた。このころ、ダコタ・ハウスの外でファンがジョンを待ち構えてサインをねだるのはよくあることだった。
ハワイのホノルルから来た25歳の警備員チャップマンは、その年の10月(アルバム「ダブル・ファンタジー」のリリースよりも前)にもジョンを殺害するためニューヨークを訪れていたが、そのときは心変わりして帰郷していた。
(中略)
チャップマンはチャーター・アームズ社(英語版)製の.38スペシャル弾用回転式拳銃、アンダーカバーでジョンの背中の中央に狙いを定め、 ホローポイント弾を5発、およそ3m(9~10フィート)離れたところから立て続けに発射した。
(中略)
ジョンの背中に当たった4発の銃弾のうち、3発は胸部から外に出てジョンの体を貫通しており、もう1発は心臓のそばの大動脈に当たって止まっていたため、合計で銃傷は7つとなり、そのほぼすべてが致命傷であった。
犯人マーク・チャップマンの人物像とは?
マーク・チャップマンは生真面目で繊細だった
マーク・チャップマンは高校卒業後、物まねをしている友人と共にクリスチャン向けイベントに出演してギターを担当していました。
難民向け施設で働いていた時には子供たちから人気があり、この頃に知り合った女性と婚約するも同時に別の女性も好きになってしまったとか。チャップマンは罪悪感に襲われ自殺願望が芽生え、大学は中退し婚約の話も無くなってしまいました。
故郷に戻ったチャップマンは警備員として働きますが、自殺願望は依然消えず未遂を繰り返します。
一命を取りとめ回復した後は仕事を通じて知り合った方と結婚しますが、神経過敏から周囲と上手くいかず会社をクビとなり今度は夜警の仕事に。
強迫観念から飲酒癖と浪費癖が酷く、衝動的に異常な行動をする事も度々あったようです。精神的な疾患を抱えていて気持ちが安定せず、波乱の人生を送っていた人物と言えるでしょう。
ジョンレノンが暗殺された理由と黒幕説
犯人マーク・チャップマンは重度の精神障害者だった
マーク・チャップマンは重度の精神障害を負っていた
マーク・チャップマンは妄想癖があったそうで、幼少期から「小人」の幻覚をを信じ、精神が落ち着かない時はその「小人」に相談をしていたとか。
ジョン・レノン殺害を思い立った理由は、ジョン・レノンの伝記を読んだ際に自分と違って裕福な生活を送っている事を知って激高し、「小人」に相談をして犯行に及んだと話しています。
通常の感覚からだと考えられないような背景ですが、それだけ精神が病んでいたのでしょう。そして事件後、ジョンレ・レノンを殺害して有名になりたかったと供述をしているのです。
チャップマンの妻が事件当時の事を語ったエピソードも残されています。それは暗殺事件を起こす約2ヶ月前、ジョン・レノン殺害を既に計画していたというのですがその時は止めたという内容です。宗教的理由もあり離婚はしませんでしたが、妻をも裏切ってしまった責任はとても重たいですね。
犯人マーク・チャップマンには黒幕がいた?
引用:https://thebeatles.studiorag.com
ジョン・レノン暗殺事件には黒幕がいたとも噂されています。ジョン・レノンは反戦と平和を訴え続けた結果、アメリカの若者たちがベトナム戦争に反対するようになり、アメリカはベトナムから撤退して戦争は終結しています。
アメリカ政府、軍需産業関係者にとっては極めて不愉快な結果となったベトナム戦争ですが、ジョン・レノンの影響力を恐れていたアメリカはFBIやCIAに危険人物としてマークさせていました。
また、マーク・チャップマンは暗殺現場に当時の為替レートで換算すると日本円で96万円(2000ポンド)を持っていたことや、警察に逮捕されるのを待っていたかのようにジョン・レノン殺害後は本を読んでいたことも判明しています。
あくまでも噂の域は出ませんが、ジョン・レノン暗殺事件には黒幕がいたと考える人も多いようです。
ジョンレノン暗殺事件の現在…犯人マーク・チャップマンは服役中
マーク・チャップマンは現在も生きている
マーク・チャップマンは今現在も服役中であり、2年ほど前に初めて事件について後悔の気持ちを表していたと言います。彼はキリスト教の信者で、自分の感情に任せしてしまった行為は死後も続いていくと悟っているようなのです。
1980年にジョン・レノンを銃殺したマーク・デイヴィッド・チャップマンは、仮釈放審査会でついに、自分の犯した罪に対する後悔を口にした。「30年前は恥じているなどと言えなかったが、今は後悔の念が何たるかを理解できる」と、2018年8月に行われた聴聞会で述べた。「恥ずかしさで顔を覆い、こちらからは何も要求できない」と彼は続けた。AP通信によると、年を追うごとに彼は「後悔の念を強くしている」という。
裁判では20年服役した後、2年ごとに仮釈放を申請する事が出来るのですがチャップマンは毎回申請しており、すでに10回も却下されています。妻のオノ・ヨーコさんも犯人が申請をする都度仮釈放委員会に手紙を送っているとの事で、遺族の気持ちとしては当然です。
また、ジョン・レノンの息子2人の身の安全を考えるとマーク・チャップマンの申請が認められることはなさそうです。
ジョンレノンについてまとめると…
・ジョン・レノンは不倫相手だったオノ・ヨーコと再婚後に次男ショーン・レノンを授かった
・ジョン・レノンは1980年12月8日に自宅アパートのダコタ・ハウス前で犯人のマーク・チャップマンに銃撃され死亡した
・ジョン・レノンの死には不可解な点も多く、首謀者が他にいると長年に渡り噂されている
・ジョン・レノンを殺害した犯人マーク・チャップマンは現在も服役中である
没後40年にもなろうかというジョンレノンですが、今でも公式サイトが設けられていたりアルバムが再リリースされていたりと、いかに影響力のあったアーティストであったかを教えてくれています。
世界平和への思いは妻へと引き継がれ、絶頂期から半世紀ほど経つ今でも名前が消える事がありません。