JRAの人気騎手だった藤岡康太さんが落馬事故により35歳で亡くなりました。
この記事では藤岡康太さんの父親や兄弟でJRA騎手の藤岡佑介さん、結婚した嫁や子供などの家族情報、落馬の原因や落馬時の動画、死因などについてまとめました。
この記事の目次
藤岡康太のプロフィール
藤岡康太のプロフィール
生年月日:1988年12月19日
没年月日:2024年4月10日(35歳没)
出身地 :滋賀県栗太郡栗東町
身長 :169cm
血液型 :AB型
藤岡康太さんはJRA栗東トレーニングセンター所属していた騎手で、2007年から2024年まで活躍し、G1レース2勝、重賞レース22勝を含む通算803勝を挙げました。
父親は調教師の藤岡健一さんで、幼い頃に乗馬をしていた兄(JRA騎手の藤岡佑介さん)に影響され自身も乗馬を始め、ついで騎手を志し、2004年に競馬学校に入学し、2007年にJRAの新規騎手免許試験に合格し免許を取得しました。
2007年3月にデビューし、JRA史上42人目となる初騎乗での初勝利を挙げると、2009年にはジョーカプチーノに騎乗してファルコンステークスにて重賞初勝利、NHKマイルカップにてG1初勝利を飾っています。
その後も勝利を重ね、2023年には通算800勝を達成し、同年11月にはナミュールに騎乗してマイルチャンピオンシップを制覇し、自身としてはG1レース2勝目を挙げました。
しかし、輝かしい成果を挙げた直後の2024年4月6日、レース中に落馬事故を起こして意識不明の重体となり、4月10日に35歳という若さで亡くなりました。
藤岡康太の家族① 父親は調教師の藤岡健一
藤岡康太の父親・藤岡健一のプロフィール
生年月日:1961年1月1日
出生地 :兵庫県
出身地 :滋賀県
藤岡康太さんの父親はJRA栗東トレーニングセンターに所属する調教師の藤岡健一さんです。
藤岡康太さんの父親の藤岡健一さんは父親(藤岡康太さんにとって祖父)が厩務員だった事から競馬の世界を志し、18歳だった1979年4月に栗東の宇田明彦厩舎の厩務員に、同年11月に同厩舎調教助手になりました。
伊藤雄二厩舎所属を経て2000年に南井克巳厩舎所属となり、2001年に調教師免許を取得して2002年11月21日に自身の厩舎を開業しました。
2021年にはJRA通算500勝(現役26人目)を達成しています。
藤岡康太さんの葬儀では父親の藤岡健一さんが喪主を務め、挨拶では涙を流されていました。藤岡康太さんについては「いつも笑顔を絶やさない、皆に愛されるかわいい自慢の息子でした。」とも語られていました。
藤岡康太の家族② 兄弟は騎手の兄・藤岡佑介
藤岡康太の兄弟(兄)・藤岡佑介のプロフィール
生年月日:1986年3月17日
出身地 :滋賀県栗太郡栗東町
身長 :165cm
血液型 :B型
藤岡康太さんの兄弟は、兄の藤岡佑介さん1人です。
藤岡康太さんの兄の藤岡佑介さんもJRA所属の騎手で、これまでにG1級4勝を含む重賞44勝、通算1025勝(2024年4月現在時点)を挙げている名騎手です。
藤岡康太さんと藤岡佑介さんは兄弟仲が良かった事が競馬ファンの間でも知られ、また兄弟ともに誠実な人柄で信頼され、「藤岡兄弟」として、競馬関係者、ファンから愛されていました。
藤岡兄弟 pic.twitter.com/D6IcyWO4OX
— ヤマダイコン*⋆✈ (@yamadaikon_k) April 20, 2024
藤岡康太さんの死去に、兄の藤岡佑介さんは、「生前から、乗っている以上はこういう事もある」と日頃から話していた事を明かされました。
生前から康太とは、一緒に乗っている以上は、こういうこともありうるとよく話をしていましたし、家族よりも受け入れるのは早かったかなと思います
競馬騎手は危険と隣り合わせの職業であり、藤岡兄弟が、相当な覚悟を持って臨んでいた事が伝わります。藤岡佑介さんは自分自身もただ1人の兄弟を失った悲しみに暮れていると思われる中で、周囲を気遣うコメントをされていました。
なかなかすぐにとはいかないと思いますが、1日でも早く、騎手会らしい明るい空気が戻り、安心して康太が見守れるようになればなと思っています
藤岡康太の家族③ 結婚4年目で嫁と生まれたばかりの子供も
まだ35歳という若さで落馬事故によりあまりにも突然亡くなった藤岡康太さんですが、2020年に結婚した結婚4年目の嫁がおり、2023年には子供(息子さん)が生まれたばかりでした。
2020年に結婚し、昨年に第一子が誕生。
藤岡康太さんの結婚については、嫁との馴れ初めなど詳細は明かされていないのですが、父親の藤岡健一さんが葬儀の挨拶で「騎手になっていなければ、康太の妻にも出会えなかった」と話されていました。
藤岡康太さんの嫁は、競馬界に関係する仕事をされていた女性なのかも知れません。
また、父親の健一さんは、「奥さんと出会って毎日二人で過ごすようになり、本当に大人になって」とも話されていました。
父親の健一さんは、藤岡康太さんは嫁と結婚し、その支えもあった事により、人間的に成長できたと感じていたのだと思われます。
騎手になっていなければ、康太の妻にも出会えなかったし、息子にも出会えなかったと思います。奥さんと出会って毎日二人で過ごすようになり、本当に大人になって子どもも産まれ、調教や競馬が終わればまっすぐに家に帰って面倒をみる、いい父親になりました。
藤岡康太さんが嫁と生後10ヶ月の幼い子供を残して亡くなった事を受けて、ネット上では嫁と子供を心配する声も多く見られました。
これに対しても父親の健一さんがコメントされており、嫁とまだ幼い子供は自分達家族が全力で守っていくと話されていました。
結婚して4年の(康太の)妻と、産まれてまだ10か月、たった10か月で父を失った息子は、我々家族が全力で守っていきます。
藤岡康太は生まれたばかりの子供をとても可愛がっていた
藤岡康太さんは、2023年に生まれたばかりの子供をとても可愛がられていたようです。
報知新聞の競馬担当記者は、藤岡康太さんが生前、「(子供が生まれて)さらに頑張りたい気持ちになりました。帰って子供を風呂に入れないと」と話していた事を明かし、良き父親であった事を記事で紹介されていました。
昨年のマイルCS・G1を勝利した直後に「さらに頑張りたい気持ちになりました。帰って子供を風呂に入れないと」と話していたことが忘れられない。
また、BS11の競馬番組「BSイレブン競馬中継」のアシスタントを務めるフリーアナウンサーでマルチタレントの宮島咲良さんは、藤岡康太さんが番組に出演された際に子供の事を嬉しそうに話されていた事をXで明かされていました。
藤岡康太騎手
— 宮島咲良=ぼっち戦隊ミヤジマンTHE MOVIE❤️ (@sakura1109m) April 11, 2024
今年は番組の年男特集に出てくれてお子さんの話をする時とても嬉しそうで。
去年のリボン賞、コパノハンプトンの神騎乗で私の大逆転ミラクルを起こしてくれた時、スタジオでは「康太!差せ!差せー!!」の大合唱でした。
全人馬無事がいかに奇跡の上か。
康太騎手、これからも大好きです
藤岡康太の落馬の原因は前の馬との接触
藤岡康太さんの落馬事故の原因は、2024年4月6日開催の阪神競馬第7競走で騎乗馬(スウィートスカー)が、第3コーナーで前の馬と接触してつまずいた事でした。
藤岡康太さんがその衝撃が原因で落馬し、後続の馬と接触した事で頭部と胸部を負傷したと発表されています。
悲劇が襲ったのは6日の阪神7R。レース中に騎乗馬が前の馬に触れて、つまずき落馬。後続の馬と接触するような形となり、頭部と胸部を負傷した。
落馬事故を起こさぬために原因究明は必要ですが、藤岡康太さんの落馬事故に関しては誰かの判断ミスが原因となって発生したという性質のものではありません。
藤岡康太の落馬事故の動画
藤岡康太さんの落馬事故が起きた際のパトロールビデオ(反則などのチェックのために撮影されている映像)の動画がネット上に上がっています。
衝撃的な動画なので視聴は自己責任で行ってください。
阪神7Rの藤岡康太騎手が落馬した時のパトロールビデオがあがってた…。最悪な落ち方をしてる。このレースを目の前で見てた人は落馬かぁと思ったものの、まさかこの後亡くなるなんて予想もしてなかっただろうないつも当たり前のようにいる人だから大ショック。落馬の危険さを改めて知る。 pic.twitter.com/poydtz9qtj
— emaLife (@ema_trip) April 11, 2024
藤岡康太さんの落馬事故の動画はすぐに削除されているようなので、上の投稿の動画もすぐに削除されるかも知れません。
落馬の瞬間はちょうど見えませんが、YouTubeに藤岡康太さんが落馬したレースの動画が上がっていました。
こちらの動画では、落馬事故で騎手を失った状況のスウィートスカーの様子がわかります。スウィートスカーは怪我なく無事でした。
藤岡康太の死因は落馬事故とのみ発表
藤岡康太さんの詳細な死因は発表されておらず、「落馬事故が原因で亡くなった」とのみ発表されています。
JRAは11日、6日の阪神7Rで落馬負傷し、意識不明の状態が続いていた藤岡康太騎手=栗東・フリー=が10日午後7時49分に死去したと発表した。35歳だった。死因は明らかにしていない。同騎手は頭部と胸部の負傷と診断され、病院で治療を受けていた。
藤岡康太さんの落馬事故時の動画を見ると、落馬後に後続の馬に上半身を踏まれるか蹴られるかしているように見えるため、この際に藤岡康太さんは命に関わる怪我を負い、それが死因となったと考えられています。
藤岡康太さんの兄の藤岡佑介さんによると、藤岡康太さんは落馬後からずっと意識がない状態で、いつ息を引き取ってもおかしくない状況だったという事です。
土曜日の落馬後からずっと意識のない状態で、何とか頑張ってほしいと願ってはいましたが、正直、いつ息を引き取ってもおかしくない状況でした。
そんななか、頑張って心臓を動かし続け、家族や友人たちが気持ちの整理をするため、そして、それぞれがお別れを言うための時間を作ってくれた康太。優しい康太らしい最期だったと思います。
まとめ
今回は、2024年4月10日に落馬事故が原因で35歳という若さで亡くなったJRA騎手の藤岡康太さんについてまとめてみました。
藤岡康太さんは父親が調教師の藤岡健一さん、兄にJRA騎手の藤岡佑介さんを持つ競馬を生業とする家族の一員で、「藤枝兄弟」と呼ばれて競馬ファンから愛される存在でした。
藤岡康太さんは2020年に結婚した嫁がおり、2023年に生まれたばかりの生後10ヶ月の子供が1人いました。
藤岡康太さんの落馬事故の原因は、前を走っていた馬に騎乗馬が接触してつまづき、その衝撃で吹っ飛ばされた事でした。パトロールビデオを見る限り、藤岡康太さんは落馬後に後続の馬に上半身を踏まれるか蹴られるかしたように見えて、それが死因となった可能性が高いとみられています。
藤岡康太さんの詳細な死因は非公開で「落馬事故が原因で亡くなった」事のみ公開されています。