ロス疑惑で一躍有名になった容疑者の三浦和義ですが、実は元女優の息子説も囁かれています。
今回は三浦和義の生い立ちや家族、結婚歴や嫁の三浦一美さんと三浦良枝さん、事件概要と逮捕理由、自殺や死因、他殺説をまとめました。
この記事の目次
三浦和義はロス疑惑事件の容疑者
三浦和義
生年月日:1947年7月27日
没年月日:2008年10月11日
出身:山梨県
身長:181cm
体重:78kg
職業:実業家、俳優、タレント
三浦和義はロス疑惑の渦中にいた人物です。
ロス疑惑とは、アメリカのロサンゼルスで三浦和義と妻が何者か銃撃され、妻が死亡する事件があり、その事件は三浦和義が保険金目当てで仕組んだのではないか?とされる疑惑のことです。
三浦和義は日本帰国後、ロスで妻の一美さんが殴打され負傷した事件を仕組んだとして逮捕されましたが、銃撃事件に関しては証拠不十分で無罪となっています。
このロス疑惑はマスコミの過熱報道があり、三浦和義本人もテレビに積極的に出演したこともあって、日本全国から注目を集め、連日ワイドショーを中心に報道されました。
三浦和義は1985年に逮捕されてから、銃撃事件で無罪判決を受けた1998年までの13年間、ずっと拘置所で過ごしていました。
釈放から10年後にサイパンに旅行に行き、そこでアメリカの捜査当局に逮捕され、サイパンからロサンゼルスに移送されたその日に、ロサンゼルス市警内の留置所で自殺しています。
三浦和義の家族構成
ロス疑惑の三浦和義の家族構成を見ていきましょう。
三浦和義は親戚に有名人がいたという、少し特殊な家族構成の中で育ちました。
父親はエリート土木技師
三浦和義の父親は土木技師でした。土木技師と言っても、現場で働く作業員ではなく、エリート土木技師だったようです。
三浦和義の父親は準大手ゼネコンの取締役という噂がありますので、かなり裕福でエリートタイプだったと考えられます。
また、三浦和義は小学校を引っ越しで3回変わっていますし、父親は留守がちだったという情報がありますので、父親は転勤族の仕事人間だったのでしょう。
母親は料亭の娘
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三浦和義の母親は、料亭の娘でした。そのため、母親もある程度は裕福な家庭環境で育ったのでしょう。
夫の妹(義妹)である水の江瀧子のパトロンと報道されたこともあるほどでしたので、実家が裕福だったことは間違いありません。
三浦和義の母は結婚後に、戦時中に山梨県に疎開し、その疎開先で三浦和義を出産しています。
叔母は元女優&映画プロデューサーの水の江瀧子
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三浦和義の叔母は水の江瀧子です。水の江瀧子は、三浦和義の父親の妹に当たります。
水の江瀧子は東京松竹楽劇部(松竹歌劇団)の女優で、「男装の麗人」と呼ばれ、「ターキー」の愛称で国民的な人気を博した女優です。
松竹歌劇団を退団後は、日活とプロデューサー契約をして、日本初の女性映画プロデューサーになりました。
水の江瀧子が発掘した俳優・女優には次のような人がいます。
・浅丘ルリ子
・長門裕之
・岡田真澄
・和泉雅子
・赤木圭一郎
これだけですごい実績ですよね。
また、映画プロデューサーとして次のような映画を企画しました。
・狂った果実
・赤い波止場
・憎いあンちくしょう
・上を向いて歩こう
どれも日活の大ヒット映画です。水の江瀧子は、日本の国民的俳優である石原裕次郎を発掘し育てた映画プロデューサーだったんです。
三浦和義はこの水の江瀧子が叔母であり、そのことが少年時代の三浦和義に大きな影響を与えることになります。
水の江瀧子は三浦和義がロス疑惑事件を起こしたことで、芸能界引退を余儀なくされています。
三浦和義の生い立ち
ロス疑惑の三浦和義の生い立ちを見ていきましょう。
幼少期から引っ越しが多い生活
三浦和義は疎開先だった山梨県で生まれます。
その後、父親の土木業の関係で全国を転々と引っ越すことになり、北海道で幼い時期を過ごした後、千葉県市川市で育ちました。
小学校は引っ越しで3回も変わり、小学6年生の2学期の時に神奈川県大和市に引っ越して、そこの小学校を卒業しました。
また、中学校に入ってからも、複数回転校を経験したようです。
映画スターと交流あり
幼少期から引っ越しは多かったものの、関東近郊に住んでいたことも多かったため、小学生の頃の三浦和義は、成城に住んでいた叔母の水の江瀧子と交流する機会も少なくありませんでした。
お正月に叔母の水の江瀧子の家に遊びに行くと、そうそうたるメンツの映画スターが揃っていて、お年玉だけで30~40万円にもなったと三浦和義は話していました。
三浦和義はこの経験について、「嬉しかったけど、大人を見くびることにはなったよね。どうしても歪むだろうね」と話していました。
石原裕次郎とも交流があって、石原裕次郎の年賀状のお年玉抽選の整理をしていたというエピソードもあります。
小学校時代には、叔母の水の江瀧子に「映画に出たい」と直訴し、水の江瀧子はその話を受け流したものの、自ら監督と直接交渉して、日活の映画に出演するようになりました。
三浦和義は石原裕次郎の子供時代を演じたこともあるんです。
しかし、ずっと芸能界にいたわけではなく、小学生の時に既に芸能界に嫌気がさして、子役を引退しています。
非行に走る
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子役俳優を引退した三浦和義は、中学生になってからは非行に走るようになりました。
中学時代は何度も家出しています。家から数十万円を持ちだして、大阪に逃げたこともありました。
中学卒業後は自衛隊の少年工科学校を受験するも失敗し、整備工として働きだします。
しかし、学歴の重要性を実感して、戸塚高校に入学しました。生徒会長を務めますが、女子生徒と一泊旅行するなど問題行動を起こします。
さらに、高校時代には次のような犯罪を犯しました。
・オートバイ泥棒
・日本刀不法所持
横浜鑑別所から脱走したこともあります。そして、放火などの罪で水戸少年刑務所に7年間服役しています。
叔母の息子という噂がある
三浦和義は、叔母の水の江瀧子の実子であるという噂がありました。
水の江瀧子と松竹芸能の当時の社長・大谷隆三との子供で、国民的スターの水の江瀧子が不倫の子を産んだらまずいという理由で、兄夫婦の子として育てられたのではないか?という噂です。
これは、三浦和義が子役として映画出演をしていた時から、スタッフたちの間で噂され、三浦和義本人にも「水の江さんの子供だから」のように言われていたそうです。
三浦和義がロス疑惑で有名になると、「水の江瀧子の隠し子」と報じられ、水の江瀧子はこの隠し子騒動のせいで、兄夫婦(三浦和義の両親)から義絶を告げられ、疎遠になったようです。
この隠し子騒動について、三浦和義は「水の江滝子の実子説というのはなんの根拠もありませんよ」と完全に否定しています。
三浦和義の結婚歴は5回・嫁は4人もいる
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三浦和義は若い頃からかなりモテたようです。
181cmという長身で顔立ちも整っているので、モテたというのも納得です。しかも、女性を惹きつけるようなアウトローな雰囲気、危険な雰囲気もあったのでしょう。
そんな三浦和義は、なんと結婚を5回(嫁は4人)もしているんです!
32歳の時点(1979年)で、既に3回目の結婚をしていますので、かなりのハイペースで結婚・離婚をしていたことは間違いありません。
嫁②:結婚後に離婚
嫁③:三浦一美さん(ロス疑惑の事件で死亡)
嫁④:三浦良枝さん(ロス疑惑後に結婚)
しかも、結婚中に不倫をしていたこともあり、少なくとも2人の愛人がいたことが分かっています。
三浦和義は本当にモテたんですね。
三浦和義の3人目の嫁・三浦一美とは
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三浦和義の3人目の嫁は三浦一美さんです。三浦一美さんはロス疑惑で銃撃され、日本に搬送された後に亡くなっています。
アパレル会社勤務だった三浦一美さんは、2人目の妻と結婚中だった三浦和義にナンパされたことで知り合い、1979年に結婚式を挙げています。
そして、1980年に長女の葉月さんを出産し、翌年の1981年にロス疑惑事件で銃撃されて意識不明の植物状態になります。
1982年11月30日、アメリカからの搬送先である東海大学病院で死亡しました。
三浦一美さんは写真を見ても分かるように、とてもきれいな女性です。
ちなみに、三浦一美さんは双子で、双子の姉妹はシンガポール航空のCAでパイロットと結婚しているそうです。
三浦和義の4人目の嫁・三浦良枝とは
三浦和義の4人目の嫁は三浦良枝さんです。
三浦良枝さんは元モデルでスタイルがよく、ロス疑惑後に三浦和義と結婚しています。
三浦良枝の生い立ち
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三浦良枝さんは、実家がヤクザという特殊な家庭環境で育っています。しかも、父親は暴力団の組長で、父親から近親相姦の被害を受けていたようです。
そのような家庭環境・生い立ちがあったから、ロス疑惑が報じられた後でも、三浦和義のことを怖いと思わず、結婚したのかもしれませんね。
三浦良枝さんの経歴は元モデルとのことです。確かに、スタイルが良いですね。風俗嬢をしていたという噂もあります。
三浦良枝には息子&離婚歴あり
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三浦良枝さんは、三浦和義と結婚する前に他の男性と結婚していたことがありました。
元夫は暴力団員で、夫が刑務所に入っている時に獄中離婚をしているようです。
またその夫との間に息子が1人いました。三浦和義にも葉月さんという娘がいましたので、三浦和義と三浦良枝は連れ子がいる同士の再婚だったということですね。
事件後すぐに再婚
三浦良枝さんと三浦和義は、三浦和義の妻である一美さんが亡くなった後、比較的早い段階で結婚しています。
当時、三浦和義はロス疑惑で渦中の人物であり、多額の保険金目当で殺人を犯したと言われていました。
そんな人物と再婚する三浦良枝さんにもバッシングの目は向けられたんです。
三浦良枝さんは、三浦和義と一美さんの娘である葉月さんを引き取って、家族4人で生活していました。
また、三浦和義と三浦良枝さんはスワッピングを楽しんでいたという情報もあります。
離婚後に復縁
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三浦良枝さんは三浦和義と一度、獄中離婚をしています。
しかし、三浦和義が釈放された後に復縁して再婚しました。
三浦良枝さんは自身の半生や三浦和義との関係を書いた次の2作を出版しています。
・Lover ラブァ
再婚後は、湘南エリアで「フルハムロード良枝アゲイン」というブティックを経営し、サイパンにも支店をオープンさせています。
三浦和義の愛人① 白石千鶴子(不倫&行方不明)
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三浦和義には愛人がいました。1人目の愛人は白石千鶴子さんです。
白石千鶴子さんは、後にミイラ化した遺体となって発見された女性です。
白石さんは資産家の男性と結婚していましたが、夫婦仲はうまくいっていませんでした。そんな時に三浦和義と知り合い、不倫関係になります。
三浦和義は白石さんの離婚を手伝い、白石さんは三浦和義が経営していた輸入雑貨業の「フルハムロード」の取締役になります。
しかし、1979年3月末に「北海道に行く」と言い残して失踪しており、1979年5月4日にアメリカのロサンゼルス郊外の砂漠地帯でミイラ化した遺体となって発見されました。
三浦和義の愛人② 矢沢美智子(元女優で元モデル)
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三浦和義の愛人の2人目は、矢沢美智子さんです。矢沢美智子さんは元ポルノ女優&モデルだった女性です。
三浦和義が一美さんと結婚していた時の愛人で、三浦和義に一美さん襲撃を依頼され、実行にうつして、一美さんにけがを負わせました。
このことを1985年に告白し、矢沢美智子さんは殺人未遂容疑で逮捕されました。
矢沢美智子さんは刑務所から出所した後は、ペンションで働いています。
結婚して一児をもうけましたが、後に離婚し、六本木にあるスナックのママをしていたこともあったそうです。
三浦和義の女性遍歴まとめ
三浦和義の女性遍歴は非常にややこしいので、ここで一度整理しておきましょう。
1度目の結婚をする
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1人目の妻と離婚
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2度目の結婚をする
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1977年ごろに白石さんと知り合い、不倫関係になり同棲する→3月末に死亡
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1979年に3人目の妻の一美さんと知り合ってプロポーズする
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1979年2人目の妻と離婚して、一美さんと結婚する
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矢沢美智子さんと不倫関係に
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1981年に一美さんはロス疑惑の事件で銃撃され死亡
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三浦良枝さんと4度目の結婚
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三浦良枝さんと獄中離婚
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釈放後に三浦良枝さんと再婚
2度目の結婚中に白石さんと不倫関係になり、さらに一美さんと知り合ってプロポーズをするというのが、かなりやばいですよね。
ちなみに、白石さんも一美さんも、その後すぐに死亡しています。しかも、2人の死には三浦和義が関わっている可能性があります。
あくまでも疑惑ですが、三浦和義が2人を殺害した可能性があるんです。
三浦和義が関わったロス疑惑事件の詳細と現在まで
三浦和義さんは、ロス疑惑事件で日本のマスコミから注目を集めました。
ここではロス疑惑事件の流れを確認しておきましょう。
ロサンゼルスで襲撃される
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1981年、三浦和義と妻の一美さんはアメリカのロサンゼルスを旅行中でした。
8月31日、滞在していたホテルの部屋で一美さんが1人になった時、チャイナドレスの採寸を装った東洋系の女性が部屋に押し入り、一美さんの頭をハンマーで殴り、軽傷を負わせました。
この時の事件は、三浦和義の指示で警察には言わなかったと一美さんは証言していました。
その約3ヶ月後の11月18日、滞在中のロサンゼルスの駐車場で三浦和義夫妻は2人組の男に襲われ、一美さんは頭を撃たれて重体になり、三浦和義も足を撃たれてけがを負いました。
この銃撃を受けた駐車場がある場所は、ロサンゼルスの中でも寂しい場所で、観光客はもちろん、地元の人でもなかなか行かないような場所にあるとのことです。
妻の一美は死亡
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銃撃事件で頭を撃たれた一美さんは重体で、意識不明になります。
事件から約2ヶ月経ち、容態がある程度安定した一美さんはアメリカ軍の協力もあり、日本に移送され、神奈川県伊勢原市の東海大学病院に入院します。
この時、一美さんを乗せたアメリカ軍のヘリコプターを三浦和義が発煙筒で誘導したことが報道され、三浦和義は「悲劇の夫」というイメージになっています。
大学病院で懸命な治療が行われましたが、一美さんは11月30日に亡くなっています。
保険金を手に入れる
三浦一美さんには多額の保険金が掛けられていました。
結婚してからまだ2年程度しか経っていないですし、一美さんは事件当時まだ20代でした。それなのに、一美さんには生命保険3社・合計で1億5000万円がかけられていたんです。
当然ながら、一美さんが死亡した後に三浦和義はその保険金を全額受け取っています。
しかし、多額の保険金を受け取ったことは、一美さんの親族には隠していたようです。
週刊文春の報道
「悲劇の夫」となり、多額の保険金を受け取った三浦和義ですが、1984年1月に「文春砲」が襲い掛かります。
週刊文春は1984年1月に「疑惑の銃弾」というタイトルで、三浦和義のロス疑惑を報じたのです。
内容は、一美さん銃撃事件は三浦和義の保険金殺人だというものでした。
・三浦和義の友人がその白い車をロスのレンタカー屋で借りていた
・寂しい場所にある駐車場になぜ夫婦で行ったのか不明
・一美さんは頭を撃たれているのに、三浦和義は足だけでしかも軽傷
これらを証拠にして、週刊文春の「疑惑の銃弾」は報じられました。
この週刊文春を受けて、他のマスコミも三浦和義犯人説を唱えるようになります。
白石千鶴子失踪事件が発覚
週刊文春が三浦和義犯人説を報道してから約2ヶ月後、白石千鶴子さん失踪事件が発覚します。
1979年に遺体が発見された後、遺体はずっと身元不明だったのですが、1984年3月末に歯型の照合で、遺体が白石千鶴子さんであることが判明したのです。
白石千鶴子さんは三浦和義の愛人だった女性で、1977年から2人は不倫関係になりました。
1979年3月に白石さんの離婚が成立しましたが、その直後の3月下旬、白石さんは行方不明になっています。
遺体の身元が判明した後、アメリカの出入国履歴を見ると、白石さんは1979年3月29日にアメリカに入国していたことが判明します。
三浦和義はその2日前の1979年3月27日にアメリカ・ロサンゼルスに入国し、4月6日に帰国しています。しかも、三浦和義は「白石さんを羽田空港で見送った」と証言していました。
でも、白石さんが日本を出国した時は三浦和義は既にロサンゼルスにいたので、物理的に白石さんを見送ることはできません。つまり、嘘の証言をしたということになります。
さらに、白石さんが行方不明になり身元不明の遺体が発見された後の1979年5月8日ごろから、三浦和義は数回に渡り、白石さんの銀行口座か前夫からの慰謝料426万円を引き出しています。
これに対し、三浦和義は「生前の借金を返してもらっただけ」と話していました。
一言で言うと、非常に怪しいですよね。
連日のように過熱報道されますが、三浦和義は自らテレビ番組に出演して、コメンテーターと事件の真偽について言い合うなどの行動を見せるようになっています。
矢沢美智子の告発
1985年5月に、ロス疑惑事件で大きな展開が起こります。
1985年5月、産経新聞に匿名で、ロス疑惑の最初の殴打事件に関与していて、自分が実行犯であるという告白が掲載されました。その後すぐに、実名で報道されるようになります。
その実名の人物とは三浦和義の愛人だった矢沢美智子さんです。
矢沢美智子さんは三浦和義から凶器のハンマーを渡され、「何度も何度も殴れ」と命じられたと告白しています。
この矢沢美智子さんの告白によって、ロス疑惑の報道はさらに過熱度を増していきました。
そして、テレビ朝日が密着取材をしている1985年9月11日、三浦和義と矢沢美智子さんは殺人未遂容疑で逮捕されました。
銃撃事件では無罪判決
殺人未遂容疑で逮捕された三浦和義は、一美さん殴打事件(殺人未遂)では懲役6年の有罪判決が確定しました。矢沢美智子さんは懲役2年6ヶ月の実刑判決です。
問題はその後の銃撃事件、つまり一美さん殺害容疑です。
殺人容疑については、第一審では有罪判決(無期懲役)が下ったものの、第二審では証拠不十分で無罪、最高裁では上告が棄却され、2003年に無罪が確定しました。
つまり、日本の司法では三浦和義は一美さん殴打事件を指示してケガさせたたものの、銃撃事件では証拠がないため無罪であると判断されたのです。
三浦和義は万引き事件でも逮捕されている
出典:youtube.com
三浦和義は1998年に高裁(第二審)で無罪判決が言い渡されて、拘置所から13年ぶりに釈放されています。そして、2003年に最高裁で無罪が確定しました。
その後、三浦和義は2件の万引き事件を起こしています。
・2007年4月5日:サプリメントを万引き
万引きしたと言っても、お金に困っていたわけではないようです。1回目の万引き時には、財布には25万円も入っていたとされています。
最高裁で無罪が確定してからすぐの万引きということで、ストレスからの万引きなのかもしれません。
1件目の万引きでは不起訴処分になっていますが、2件目の万引きでは罰金30万円の略式命令となりました。
三浦和義はこの万引きでも無罪を主張して裁判を起こしました。
ただ、判決が出る前に三浦和義自身が死亡していますので、被告人死亡で公訴棄却となっています。
三浦和義がサイパンで逮捕された理由
三浦和義はアメリカのサイパンで、2008年2月22日に逮捕されています。
実は、この逮捕前の2007年5月にもサイパンに行っていて、2008年2月19日に再び妻の三浦良枝さんとサイパンに入国、2月22日に帰国予定でしたが、帰国前に現地で逮捕されたのです。
一部報道によると、アメリカの捜査当局は、2005年に開設された三浦和義のブログを3年間監視していたとのことです。
「2005年に日本からの情報で、三浦元社長がホームページを開設しているのを知り、頻繁にサイパンに渡航していることを知った」と説明。そのうえで「88年の逮捕状は現在も有効で、この事件が解決できなかったのは三浦元社長が日本にいたから。身柄を確保できる機会を探していた」「有罪に持ち込む十分な証拠がある」と強調した。
三浦和義のブログとはこちらです。
三浦和義の独り言(ブログ)
2007/05/28(月)
このところ・・・
サイパンに5泊6日で、ゆったり~と遊んできました。
一日中、クルーザーを借り切ったり、カジノで遊んだりの、親しい友人ら15人くらいの滞在でした。
そして、三浦和義がサイパンに来るという情報を掴み、逮捕状が出ていた三浦和義を逮捕したということになります。
アメリカ捜査当局の執念ですね。
三浦和義の現在はすでに死亡…ロサンゼルスの留置所で自殺している
出典:fix-mc.com
2008年にサイパンで逮捕された三浦和義ですが、日本では既に殺人罪では無罪になっていることから「一事不審理」の原則を持ちだして、釈放を訴えていました。
しかし、アメリカの捜査当局は殺人共謀罪はまだ日本で裁かれていないため、アメリカで裁くことができるとして、2008年9月26日にロサンゼルスへの三浦和義の移送が認められます。
10月10日、サイパンからロサンゼルスに身柄が移送された三浦和義は、ロサンゼルス市警の留置所に入れられますが、その日のうちにTシャツで首を吊って自殺してしまいます。
ロサンゼルス市警では留置所の見回りを30分ごとに行っていました。
最後の見回りから10分後の午後9時45分ごろに異変に気付き、救急搬送されましたが、死亡が確認されています。
三浦和義の死因とは?他殺説と真相
三浦和義の死因は自殺ではなく、他殺ではないかという説があります。
というのも、三浦和義は自殺の兆候が全くなかったという意見があるからです。
妻の三浦良枝さんも「自殺するような人間ではない」と語り、移送当日に面会したロサンゼルスの日本領事館の領事も「自殺するそぶりは全く見せておらず、非常に驚いている」と証言。
移送当日に自殺するのも怪しいから、死因は他殺ではないか?というわけですね。
しかし、三浦和義を殺して得をする人物は見当たりません。
また、アメリカの法律では保険金殺人は第一級殺人で共謀罪でも死刑になる可能性があります。さらに、白石さんの殺人罪も立件されたら、死刑はほぼ確実でしょう。
これを考えると、他殺の可能性はゼロではありませんが、アメリカの法で裁かれることに絶望した可能性が高く、死因は自殺と考えるのが自然でしょう。
三浦和義のまとめ
ロス疑惑の三浦和義の家族構成や生い立ち、元女優の実子説、嫁の三浦一美さんや三浦良枝さんの情報、万引き事件やサイパンでの逮捕、自殺や死因などをまとめました。
三浦和義はすでに死んでいるので、ロス疑惑の真相は永遠に闇の中です。
状況的に考えると、一美さんの死も白石さんの死も三浦和義が関わっている可能性が高いですが、あくまでも推測でしかありません。
自殺する前に、真相を語って欲しかったですよね。