2019年11月23日に、大阪市住吉区の小学6年の女児(12歳)を誘拐したとして、栃木県小山市の自称派遣社員・伊藤仁士(当時35歳)が逮捕されました。
この記事では、事件の詳細や伊藤仁士の父親・母親・兄弟・妹など家族と生い立ち、剣道をしていた中学・高校時代の犯人の素顔などについて詳しくまとめましたのでご紹介します。
この記事の目次
伊藤仁士が起こした「大阪小6女児誘拐事件」とは
大阪市の小学6年生・赤坂彩葉さんが行方不明に
2019年11月17日、大阪市住吉区に住む小学校6年生・赤坂彩葉(あかさか いろは)さんが行方不明になる事件が発生。マスコミは忽然と姿を消した赤坂彩葉さんについて大々的に報じ、情報提供を呼びかけていました。
17日午前7時ごろに朝食を取る姿を母親が確認した。その後、徒歩で自宅を出たまま行方が分からなくなったという。母親が17日午後10時ごろ、住吉署に届け出た。
その後、同月23日に栃木県内で赤坂彩葉さんが保護されたことにより、伊藤仁士による誘拐・監禁事件が発覚。
伊藤仁士は自宅に赤坂彩葉さんを入れた直後にスマートフォンを取り上げて、逃げられないよう靴も隠していたことも明らかとなりました。
伊藤仁士が赤坂彩葉さんを誘拐した手口
伊藤仁士はネットで「せつじろう」と名乗っていた
伊藤仁士は11月10日頃に、ツイッターで”せつじろう”のハンドルネームを名乗って赤坂彩葉さんと接触し、ダイレクトメッセージで「半年前にうちに来た女の子の話し相手になってほしい」と誘っていました。
女児を公園に誘い出した伊藤仁士は、女児を連れて小山市にある自宅に向かい、行き先については「東京のあたり」と住所をはぐらかしていました。
また、伊藤仁士は赤坂彩葉さんに本名も名乗っていなかったことから、身元が特定されないように細心の注意を払っていたようです。
赤坂彩葉さん、隙を見て逃げ出し栃木県で保護される
監禁から1週間あまりで逃げ出した女児
11月23日午後1時半頃に、伊藤仁士の自宅から逃げてきた赤坂彩葉さんが、栃木県小山市の交番に駆け込んだことで事件が発覚しました。
対応した警察官の話では、白いパーカー姿で伊藤仁士に靴を隠されていたため、小雨が降る中で靴下のまま逃げてきていました。
栃木県警が女児の写真を撮って家族に確認してもらい、17日以降に行方不明になっていた赤坂彩葉さんだと判明しました。
伊藤仁士は別の15歳少女も監禁していた
伊藤仁士は女児を話し相手目的で監禁していた
伊藤仁士の自宅から逃げて警察に駆け込んだ女児は、もう1人女の子が監禁されていると話しており、栃木県警が女児の記憶を頼りに伊藤仁士の自宅を訪ねると中学3年生の少女が一緒にいました。
この15歳の少女は2019年6月頃に茨城県で行方不明となり、家族から捜索願が出されていました。
なお、15歳の少女が半年近くも逃げなかったことや、2人に暴行された様子が無かったことから、伊藤仁士は話相手目的で誘拐したものと見られていました。
(後述しますが、後に性的な暴行があったことが明らかになっています)
伊藤仁士の生い立ちと家族~父親の自殺と優秀な兄弟の存在
伊藤仁士、5歳の頃に東京から栃木へ引越
本名: 伊藤仁士(いとう ひとし)
年齢: 35歳(2019年11月逮捕時点)
住所: 栃木県小山市犬塚1丁目
職業: 自称派遣社員
伊藤仁士は監禁場所となった栃木県小山市に約30年前に引越しており、それまでは東京・新宿区内で暮らしていました。
伊藤仁士が5歳頃に、医者だった父親は車の運転中に交通事故を起こし、病院に搬送される前に亡くなっていました。しかし、これは交通事故ではなく自殺だったと見られています。
伊藤仁士、父親は医大卒も医師国家試験に受からず自殺
父親は医者にはなれず自殺した?
元山口新聞東京支局長の濱岡博司さんは伊藤仁士の父親について知っており、医師国家試験に合格することができないまま大学を卒業し、自殺したと聞いたことを語っていました。
「当時、私立大学振興政策のため、自民党の代議士は各私大の担当を持っていました。晋太郎さんは71年にできた愛知医科大を受け持っており、その繋がりもあって、72年に秘書の息子が二人そこに入学します。そのうち一人が伊藤五十男の息子、(仁士容疑者の)父です。ただ、医師国家試験になかなか受からず、色々あって自殺されたと聞いています」
取材によって、仁士容疑者の父は85年卒だとわかった。亡くなったのはその3年後である。
こうした情報から、伊藤仁士の父親は大学卒業後に自殺をするためにわざと交通事故を起こしたのかもしれません。
また、伊藤仁士も父親の影を負うように、落ちぶれたことから引きこもりとなり、聚落した人生を送っていました。
伊藤仁士、母親は介護のために近くの祖母宅で生活していた
伊藤仁士は母親と2人暮らしをしていましたが、事件を起こす1年前に母親が祖母の介護のために近くにある祖母宅で生活するようなり、伊藤仁士は実質一人暮らしとなっていたようです。
とはいえ、食事や洗濯などは母親が面倒を見ていたとみられ、伊藤仁士はうまく少女らの監禁がバレないように立ち回っていたのかもしれません。
伊藤仁士、医者をしている妹と優秀な弟にコンプレックス?
伊藤仁士は兄弟の中で落ちぶれていた
伊藤仁士は弟と妹を持つ長男ですが、自立している兄弟は非常に優秀で妹は医者になっているということです。
伊藤仁士が小学校時代に通っていた剣道場の関係者の話では、弟や妹の影に隠れて印象が薄かったことを明かしています。
伊藤容疑者が小学生時代に通っていたという剣道教室の関係者が話す。
「道場には小学校3年生の頃からから3年間通っていた。真面目で堅物だった。でも、成績はイマイチ。2、3回戦くらいまでかな。下の弟や妹が優秀だったから印象がどうしても薄い。妹さんはお医者さんになられてるしね」
伊藤仁士は落ちぶれたことから長男の立場を失い、引きこもり続ける中で犯罪者の気質を深めていったのでしょう。
伊藤仁士の祖父は安倍晋太郎の秘書をしていた
前述の元山口新聞東京支局長の濱岡博司さんによれば、伊藤仁士の祖父・五十男は安倍晋三首相の父親である安倍晋太郎さんの秘書を務めていたことを明かしており、格式高い家系だったことが伺えます。
五十男氏のことは、安倍家と親交のある、元山口新聞東京支局長の濱岡博司氏も記憶しているという。晋太郎元外相の資金管理団体のひとつを仕切っていた人物だといい、
「最も集金力のあった晋和会の秘書代表が伊藤だった。ガッチリした体躯でね。金儲けが上手で金庫番と言って差し支えないでしょう。会社員?う~ん、もともと山口の農協トップの秘書を務めていて、頭角を現して晋太郎さんの秘書に収まったんです」
この優秀な祖父の存在から、伊藤仁士の父親は医者になることができず自殺し、伊藤仁士は受験の失敗から落ちぶれて引きこもりになってしまったのかもしれません。
伊藤仁士の中学・高校時代~高校受験失敗で人生の歯車が狂っていた
伊藤仁士、中学校では強豪の剣道部に所属
伊藤仁士は小学校から剣道をはじめ、中学校の時には強豪の剣道部に所属していました。
中学時代は成績優秀で模範生として表彰もされるほどだったという。「まじめで女の子絡みの話は聞いたことがない」。同級生の女性は驚きを隠せない。
成績も優秀で真面目な生徒でしたが、後述する高校受験に失敗したことがきっかけで人生が堕落し始めます。
伊藤仁士、中学時代は“大人しい優等生”だった
伊藤仁士は中学時代に秀才で知られていた
落ちぶれたとはいえ、伊藤仁士は中学時代は同級生の間で勉強ができる大人しい優等生という印象で、難関校を落ちたことに驚いていたことを明かしています。
勉強はよく出来たという。中学の同級生の証言。
「皆から伊藤君って呼ばれていました。比較的におとなしいグループに属していた。受験のとき、うちのクラスからは4、5人、県内トップクラスの高校を受験したのですが、伊藤くんだけが落ちた。『えっ? あの伊藤君が?』って皆が驚いていて、本人もショックを受けていた。誰も声をかけられないほど落ち込んでいました」
伊藤仁士は元々勉強ができたことから自負心があり、そうしたプライドの高さから少女2人に対して安易に性欲を満たそうとしなかったのかもしれません。
伊藤仁士の一連の報道で不可解なのは同級生とやらが言う、”高校受験失敗で様子が変わった” “高校進学後は知らない”という証言。誰かに言わされてる?
— 浅川祐多 (@YutaAsakawa1173) November 25, 2019
真実は語れないのか?
昨日、数人の同級生で話し合ったが、確実にアレが引き金になってる。同級生や関係者なら忘れるはずがない。
伊藤仁士、高校受験失敗が原因で引きこもりに
伊藤仁士は出世コースを外れ堕落
伊藤仁士は地元の中学校を卒業後、地元公立の一番の進学校の受験に失敗したため宇都宮短大付属高に進学しました。
卒業後は大学に進学せずに、ラーメン屋でのアルバイトや自動車学校の事務など職を転々としていましたが、事件当時は定職に就かず、引きこもり状態になっていました。
伊藤仁士、正義感が強く真面目過ぎる性格だった
真面目過ぎたことが反社会的性格を作った
伊藤仁士が自動車学校でアルバイトをしていた頃に、社長とした会話の中から人間社会の不条理を受け入れられない真面目過ぎる性格が伺えるようです。
自動車学校の社長は伊藤容疑者との会話を覚えているという。
「世間話でニュースの話をしたときに、世界情勢について語っていたのを覚えています。『なんで日本がこうなっているのか。世界の情勢が、イラクや中東とかが間違っている。世の中は矛盾している』と話していました。休み時間は本を読んでいた。小説。タイトルはわからない。中学生の時に男子数人に虐められてる女子を助けたことがあるとも言っていました。でも、その女子から『余計なことをしないで』と言われたのだそうです。優しい子だったんですが……」
正義感が強く、真面目で優しい青年だったという伊藤容疑者。
伊藤仁士が中学時代に同じ剣道部だった同級生の母親によれば、自身が癌になったときに、伊藤仁士は癌に良いとされるお茶やきのこなどを購入してお見舞いに訪れ、「お母さんを助けなきゃ」と言っていたことを明かしてます。
人一倍強い正義感と優しさを持っていた伊藤仁士の今回の事件は周辺の人々を驚かせたようですが、被害者の家族にしてみれば優しいかどうかは関係なく、憎むべき犯罪者でしかありません。
伊藤仁士の現在…懲役20年の実刑判決・少女への鬼畜な所業も明らかに
伊藤仁士の罪は意外と軽そうという意見もあったが大きな間違いだった
伊藤仁士は少女らに対して暴力や性的暴行、その他多大な精神的苦痛を追わせてPTSD(心的外傷後ストレス障害)などを負わせた様子もないため、懲役6ヶ月~7年以下となる見通しでした。
しかし、後述しますが、性的暴行があったことが明らかになっています。
「働かせて金を得ようとしたり、わいせつな行為、結婚などが目的の場合は営利目的等誘拐罪となり、法定刑は懲役1年以上10年以下となります。これが身代金目的であれば身代金目的誘拐罪が成立し、法定刑は3年以上20年以下です。ただ報道にあるように、『話し相手』で誘拐しただけであれば、未成年者誘拐罪にとどまり、量刑は軽くなって懲役6カ月以上7年以下になります」
伊藤容疑者は女児を自宅に連れ去った後、スマートフォンと靴を取り上げたとされている。
「移動手段を制限したと考えられますので、監禁罪に問うのも自然な流れだと思います。法定刑は3カ月以上7年以下になります。今回の場合は誘拐とあわせて起訴することも考えられます」
伊藤仁士は取り調べに対して「誘拐しようとしたわけではない」と容疑を一貫して否認していますが、明らかな誘拐であり法廷でも認められる主張ではないでしょう。
伊藤仁士に懲役20年の実刑判決
そんな伊藤仁士ですが、2022年3月22日に懲役20年の実刑判決が下されています。
伊藤仁士被告(37)の判決公判が、午後2時から開かれた。水戸地裁は、伊藤被告に、懲役20年(求刑・懲役24年)の実刑を言い渡した。検察側は、SNSで自殺をほのめかしていた少女2人の悩みに乗じた犯行と指摘し、懲役24年を求刑。一方、これまでの裁判で、伊藤被告は「甘言を用いて誘拐した事実はない」と述べ、少女2人の相談に乗ったり、自殺を止めるためだったなどとして無罪を主張している。また、女子中学生については、結婚を前提に交際していたとも主張している。
弁護側は無罪を主張していたことから、おそらく控訴をして第二審に進むと思われます。
また、裁判で伊藤仁士が少女に行った鬼畜な所業も明らかになり、これまで伏せられていた性的暴行の事実も明らかになってしまいました。
弁護側は「2人の生命を守るために保護したもので誘拐ではない」「緊急避難が成立する」と主張していましたが、きょうの判決で水戸地裁は、「2人に甘言を用いて誘い出し、通常の生活の場所から引き離して支配下に半年間置いたことが誘拐に当たることは明らかだ」と指摘しました。
さらに、1人目の被害者である女子中学生については、「『主従関係がいいのか、それとも対等な夫婦のような関係がいいのか』と言って顔面を複数回殴るなどの暴行を加えて抵抗できなくしたうえで、わいせつな行為や淫らな行為をした」などと認めました。
また、女子中学生に首輪や鎖を着けて、体に侮辱的な落書きをした上で、その姿を撮影して児童ポルノ161点を作成していたことについては、「女子中学生の人間としての尊厳を一顧だにしない醜悪な行為だ」と非難しました。そして、裁判長は腕組みをしながら判決を聞く伊藤被告に対し、「不自然な弁解を繰り返して、反省の態度を示していない」「相当長期の刑をもって臨まざるを得ない」として、懲役20年の判決を言い渡しました。
引用:小6(12)と15歳の少女を性奴隷にしようと誘拐し半年間自宅で監禁してSEX 首輪や鎖つけ体に落書きし撮影も 伊藤仁士(37)懲役20年判決
小学6年生・赤坂彩葉さんは誘拐されただけだったようですが、別に監禁されていた15歳の女子中学生の方がかなりエグイことをされていたそうです。
伊藤仁士についてまとめると…
・赤坂彩葉さんが隙を見て逃げ出し交番に駆け込んだことで事件が発覚、15歳の中3少女も監禁されていたことも判明した
・伊藤仁士の父親は自殺、優秀な弟と医者をしている妹がおり、祖父は安倍慎太郎の秘書をしていた優秀な家系であった
・伊藤仁士は中学校で強豪の剣道部に所属し勉強もできる優等生だったが、高校受験失敗をきっかけに堕落していった
・伊藤仁士は第一審では懲役20年の実刑判決となっている。15歳の中3少女の方は性的暴行もされていた。
女児誘拐事件のほとんどが悲惨な末路を辿る中、伊藤仁士の起こした事件は暴行の跡が無く拘束するなどの強制的な監禁でも無かったようなので比較的軽い刑になると思われていました。
しかしながら、裁判で少女への性的暴行も明らかになり、第一審では懲役20年の実刑判決となっています。
危険な思想は今後の重大犯罪を犯す可能性があるため更生させるべきでしょう。