桑田真澄さん清原和博さんらを輩出した名門PL学園野球部ですが、不祥事を連発して2016年に廃部となっています。
この記事ではPL学園野球部の廃部理由や、暴力事件や水死事件、その犯人、宗教団体としてのPL教団との関係、野球部復活などについてまとめました。
この記事の目次
PL学園野球部廃部の概要
PL学園野球部といえば、甲子園制覇7回、春夏通算で96勝を誇った強豪で、KKコンビで知られる桑田真澄さんや清原和博さん、ミスタードラゴンズ・立浪和義さん、元メジャーリーガーの松井稼頭央さんや福留孝介さん、現在メジャーで活躍中の前田健太さんら、多数のレジェンド級プロ野球選手を輩出した名門野球部でしたが、2016年の大会を最後に廃部(正確には休部)となっています。
PL学園野球部は、完全スカウト制で全国からの有力選手を集め、専用寮に入寮させて日々厳しい練習を積ませる事で圧倒的な強さを誇りましたが、2000年代に入った頃から以前からあったという監督や上級生による、下級生に対する暴力行為やいじめ行為などが問題視されるようになり、そうした不祥事による対外試合禁止処分などを何度か繰り返した挙げ句2016年に廃部へと追い込まれました。
今回はこの、PL学園野球部廃部に焦点を当ててまとめていきます。
PL学園野球部廃部の理由① 監督や上級生による暴力事件の発覚
PL学園野球部の廃部理由についてみていきます。
PL学園野球部が廃部に追い込まれた最大の理由は、すでに触れた通り、PL学園の中でも特別扱いされていた野球部内での監督や上級生による下級生に対する暴力事件などが次々と明るみになり、それが社会的に問題視された事でした。
2000年代に入ってから、PL学園野球部内で発生した不祥事が次々と明るみになりました。
2001年には、上級生が下級生をバットで殴っていた問題が発覚し、高野連によって6ヶ月の対外試合禁止処分が下されています。
2008年には、当時の藤原弘介監督が野球部員に暴力を振るったのが問題になり解任処分を受けています。
2011年には部員による部内暴力や喫煙問題などが発覚。対外試合禁止処分が下されてます。
2013年2月にも上級生(2年生)4人が下級生(1年生)1人に対して野球部寮内で殴る蹴るの暴行を加えて重傷を負わせ救急車で搬送されるという事件が発生し、またしても6ヶ月の対外試合禁止処分が下されています。
2001年には上級生が下級生をバットで殴り6ヶ月の対外試合禁止処分に。2008年には当時の監督が部員に暴力を振るって解任される事件も起こった。2013年2月、やはり上級生による暴力事件が発覚して、6ヶ月の対外試合禁止が下る。この件が廃部騒動の引き金となった。
こうした度重なる不祥事を重く見たPL学園側は、野球部の体質改善に取り組み、2002年3月には野球部の専用寮であった「研志寮」を「閉鎖的な野球部寮に問題がある」という理由で廃止し、同時期に、野球部員の外部からのスカウト制度も廃止され、一般入試で入学した学生が入部できる(それまでは一般の学生は野球部には入れなかった)通常の部活動へと変更されています。
また、上級生に下級生がついて雑用などの世話をする「付き人制度」も2013年頃に廃止されています。
同時に、宗教団体としてのPL教団は、野球部の監督に教団への信仰心を求めましたが、そうした条件に該当する野球部OBがおらず、2013年秋頃から監督がいないという状況が続き、野球未経験の校長が野球部の監督を兼任して試合の時にベンチ入りするという状況になっていました。
そして2014年、PL学園は「監督不在により十分な指導ができない」事を理由に、新入生の野球部への受け入れを停止する方針を発表。2016年に3年生のみとなった野球部は同年7月の第98回全国高校野球選手権大阪大会での敗退を最後に休部となったのでした。
PL学園野球部廃部の理由② PL学園を経営する宗教団体PL教団の経営悪化
監督や上級生による暴力事件が問題化した事がPL学園野球部が廃部(正確には休部)の直接的な理由となりましたが、PL学園を経営する宗教団体「PL教団(パーフェクトリバティー教団)」の経営の悪化が廃部の理由になったとする説も浮上しています。
PL学園野球部が廃部となった当時、PL学園を経営する宗教団体「PL教団」の教会は全盛期の半数以下に減少するなど信者の数が激減しており、野球部黄金期と比べてPL教団の経営は大幅に悪化していたようです。
この事から、PL学園野球部が廃部となった本当の理由は、強豪の硬式野球部を維持するだけの経済力をPL教団が失ったためだとする見方も出ているのです。
私は教団信者の激減および学園の生徒数減少も、廃部問題と大きく関係があると指摘してきた。全国に400あった教会は今では半数以下になった。信者が減れば、その子供が通う学園の生徒数も大きく減少する。
2015年度の入試では、外部受験者が28人しかいなかった。かつてのマンモス校の影はない。硬式野球部を続けられる体力が、今の教団および学園にないのが実状である。
PL学園野球部廃部の理由③ 宗教団体としてのPL教団と野球部との関係悪化
PL学園野球部の廃部の理由としては、宗教団体としての「PL教団」と、強豪野球部であるPL学園野球部の関係が悪化したためだとする見方も出ています。
PL学園野球部の黄金期だった1980年代には、PL学園野球部全国的な人気と知名度があり、その甲子園での活躍を見て、宗教団体「PL教団」の信者が増え、PL学園の入学希望者も増えるという好サイクルがあり、野球部はPL教団の宣伝塔として機能していました。
しかし、2000年代に入ってから暴力事件の発覚などの不祥事を連発し、PL学園野球部は逆にPL教団のイメージを悪化させるお荷物のような存在になってしまいました。
こうした事からPL教団の上層部や一般信者は野球部に厳しい目を向けるようになり、また、PL学園野球部のOBが、卒業すると同時にPL教団への信仰と距離を置くケースが多い事に対してもPL教団関係者や信者は強い不満を抱いていたという事です。
こうした情報が出ている事から、結局のところ野球部内での暴力事件発覚などは、お荷物となったPL学園野球部廃部の口実にされただけで、実際にはPL教団にとって野球部が邪魔になったというのが廃部の本当の理由だと噂されているようです。
PL学園野球部復活に向けて宗教団体PL教団が動いていると桑田真澄が発言
名門PL学園野球部は全国の野球ファンに衝撃を与えましたが、2020年1月11日に大阪市内で開かれた「PL学園野球部のOB会総会」で、同OB会の会長である桑田真澄さんが、「野球部復部に向けて教団側と話し合っている」と発言し注目を集めています。
桑田真澄さんによれば、教団側からも「復部を考えている」と告げられたという事で、PL教団としてもPL学園野球部の復活に向けて前向きな姿勢に変化している様子が窺えるようです。
元巨人の桑田真澄OB会長(51)が「野球部復部に向けて教団側と話し合い、方法、タイミングなどを模索している」と説明し、2016年夏を最後に休部状態にある同部の復活に向けて動き出していることを明かした。
PL学園野球部で過去に発生した水死事件を桑田真澄父が著書の中で暴露
出典:https://www.premiumcyzo.com/
PL学園野球部廃部の理由の一つとして、上級生による暴力事件が関係している事はすでに触れましたが、それに関連してよく言及されている1986年に発生したPL学園野球部員水死事件についても見ていきます。
PL学園野球部員水死事件については、PL学園出身の元プロ野球選手、桑田真澄さんの父・桑田泰次さん(故人)が、著書「野球バカ」の中でPL学園野球部の体罰に関連する記述の中で詳細に暴露しています。
夏の地区予選がはじまる直前、泉と同じ二年生だったMくんがPL学園の施設内にある池で溺おぼれ死んでしまった。Mくんが死んだそもそもの原因は三年生のいじめにあった。(中略)この一件は、当時の新聞でも報じられた。ただし、あくまで事故死ということで処理され、いじめがあったことについてはまったく触れられることはなかった。(中略)泉たち二年生は、寮の前に座りこんで三年生に対する抗議の意志を表明した
「野球バカ」での記述によれば、あるPL学園野球部の上級生(この水死事件の犯人)が施設の中にある池の中にわざとスリッパを投げ入れ、当時2年生だった「M君」に「池に飛び込んでスリッパを拾ってこい」と命令したという事でした。
当時のPL学園野球部では上級生の命令は絶対だったためM君はその命令を実行しますが、そのまま溺れて亡くなってしまったという事でした。
当時のPL学園野球部には桑田真澄さんの弟の泉さんが所属しており、彼は水死事件被害者のM君の同級生だったそうです。その関係で、桑田真澄さんの父の泰次さんがたまたまこの現場近くにおり、この犯人の上級生は泰次さんに助けを求めたそうです。泰次さんはすぐにレスキュー隊に通報したそうなのですが、残念ながらM君は死亡してしまったという内容がかなり詳細かつ具体的に書かれていました。
M君の死因は心臓マヒだったそうなのですが、この事件に関して当時を知るPL学園OBの1人が以下のように証言されています。
「スリッパを拾いに行かされたのは実はMくんだけじゃなくて、複数の下級生が池に飛び込んでいるんです。人口の池で、底に近づくほど極端に冷たくて、夏だというのに温度差が激しかったから、誰もが心臓マヒを起こしてもおかしくない状況だった。Mくんが上がってこなくなって、みんなパニックでした。彼が引き上げられるまで、1時間半か2時間ぐらい経過していたと思います。
M君だけが単独でスリッパを拾いに行かされたわけではなく、他の下級生も同時に池の中に飛び込まされていたようです。また、池はかなり水温が低く、そのためにM君は心臓マヒを起こしたという事だったようです。
PL学園野球部水死事件の犯人は?
このPL学園野球部水死事件は事故として処理されており、犯人の上級生が逮捕されたり、何らかの罰を受けたという事はなかったようです。
PL学園野球部水死事件の犯人は誰か?という事もネット上では盛んに話題になっていますが、明らかになっていません。
犯人が判明していないために、ネット上ではPL学園野球部出身の元プロ野球選手・清原和博さんが犯人だというような悪質な噂まで流れているようです。このPL学園野球部水死事件が起きたとき、清原和博さんは既に卒業して西武ライオンズに入団してプロ野球選手として活躍していたため犯人である事はありえません。
まとめ
今回は、2016年に廃部(正確には休部状態)になった、PL学園野球部の廃部理由を中心にまとめてみました。
PL学園野球部といえば、清原和博さん桑田真澄さんをはじめとして多数の超一流プロ野球選手を輩出した名門野球部でしたが、2000年代に入った頃から、監督や上級生による暴力事件などの不祥事が次々と発覚して社会からの風当たりが強くなりそれが直接的な廃部理由だと言われています。
他にも、PL学園野球部の廃部理由としては、PL学園を経営する宗教団体「PL教団」の経営状態の悪化や、PL教団と野球部との関係の悪化などがあげられています。
また、PL学園野球部で過去にそうした暴力事件やいじめなどが原因となった部員の水死事件が発生していた事なども明らかになっています。この水死事件の犯人は当時の3年生部員だという事ですが実名などは判明していません。
色々と曰くのついてしまったPL学園野球部でしたが、2020年1月にOBの桑田真澄さんの口からPL教団が野球部の復活を前向きに考えている事が明かされ注目を集めています。
現在でもPL学園野球部を応援する野球ファンも多く存在するので、暴力行為などがない健全な形での名門野球部の復活を期待したいところです。