中村哲さんは、アフガニスタンなどで長年にわたり人道支援を行ってきた医師です。しかし2019年12月にアフガニスタンで何者かに銃撃され、亡くなりました。
ここでは中村哲医師の嫁と子供(息子・娘)など家族情報やアフガニスタンでの功績などについてまとめています。
この記事の目次
中村哲医師のプロフィール
中村哲(なかむら てつ)
出身地:福岡県
国籍:日本
生年月日:1946年9月15日
死没地:アフガニスタン、ナンガルハル州
没年月日:2019年12月4日
出身高校:福岡県立福岡高等学校
最終学歴:九州大学医学部
職業:医師
肩書き等:ペシャワール会現地代表、ピース・ジャパン・メディカル・サービス(PMS)総院長、アフガニスタン(名誉市民権)
中村哲さんは大学卒業後に国内の病院に勤務していましたが、1984年からはパキスタンのペシャワールに医師として赴任。当初はハンセン病の患者などを中心に診ていました。1989年頃からはアフガニスタンなどでも活動するように。
以降はパキスタン・アフガニスタンでの医療活動に従事していましたが、やがてパキスタンでの政治的圧力が強まると活動を続けるのが困難となり、以降はアフガニスタンに拠点を置きました。
また中村哲さんは医療活動だけではなく、飲料水等確保のための井戸建設や農業支援、現地での学校建設など多くの復興支援を行いました。
これらの活動はのちに評価され、中村哲さんは2018年にアフガニスタンの国家勲章を受章し、2019年10月には同国の名誉市民権を授与されました。
名誉市民権の授与時のアフガン大統領と中村さんのコメントより。
ガニ大統領は「暴れ川からの取水を可能にして、農地を復旧し、拡大した偉大な方で、国民の生活を救ってくれた」とたたえたという。同会によると、今後はアフガン入国時の査証(ビザ)が免除されたり、土地取得が可能になったりするという。
中村医師は「長年にわたる日本側の良心的支援、現地のアフガン人職員、地域の指導者による協力の成果だ」とコメントした。
中村哲さんの長きにわたる活動は国内外で高く評価され、日本では2016年に秋の勲章『旭日双光章』を受章しています。
そして2019年12月4日、中村哲さんはアフガニスタンで車移動中に銃撃を受け、その後死亡が確認されました。
中村哲医師の経歴とアフガニスタンでの功績
中村哲さんは、長年アフガニスタンで人道支援を行ってきました。もともとの職業でもある医療活動はもちろん、アフガニスタンでの復興支援までその活動は多岐に渡ります。
中村哲の功績① 医師としての活動
長年の医療活動
1984年に日本キリスト教海外医療協力会からの要請を受け、パキスタン・ペシャワールに赴任した中村さん。当初は「ハンセン病」に対する活動の一環でしたが、これをきっかけにアフガニスタン・パキスタン地域で医療活動に長年従事することになりました。
やがてパキスタンでの活動が難しくなると拠点はアフガニスタンに。そんな中、2000年前後になると国際的にハンセン病のコントロール達成が認められたことからも、他の多くの援助が撤退していきますが、中村さんは現地の感染症率の高さから残ることを決めました。
しかし、中村さんは医療以外の観点からアフガニスタンの現状を見ていくようになります。
ハンセン病治療だけでも十分意味はあります。問題になったのは、飢餓が蔓延する中、赤痢やコレラなどの腸管感染症による小児の死亡です。医療関係者なら、行けばわかります。日本のように恵まれた診療は、逆立ちしてもできない。ものがない、お金がない、電気がない、ないないづくしで極貧の状態です。限られた資金で効果を上げようとすれば、病気にかからないようにする方が早いのです。
中村哲の功績② 人道・復興支援
井戸・用水路などの建設
アフガニスタンでの医療に限界を感じた時、中村さんが目をつけたのは”水”です。
もともとアフガニスタンは長年の紛争などで現地のインフラはほぼ壊滅状態。首都でさえ安全な水が少なく、地下水は半分以上が汚染された地域だったといいます。さらに2000年には大干ばつがおき、多くの小さな子供たちが亡くなったといいます。
そんな状況のなか中村さんが行ったことは、井戸の再生。
水がないために作物が実らず、汚い水を飲むので赤痢や腸チフスにかかる。飢えと渇きは薬では治せません。抗生物質や立派な薬をどれだけ与えても命が救えない状況に、私は医師として虚しさを覚えました。そして医療活動の延長として開始したのが、診療所の周りの枯れた井戸の再生でした。
2000年頃から、飲料用の井戸建設や灌漑用井戸及び、地下水路の再生をはじめました。
また住民たちの心の支えとなるイスラム教のモスクや学校の建設。さらに現地スタッフの育成などにも重きをおき、2018年1月には訓練所などをもうけて後任の育成を始めました。
中村哲さんの実績
緑を大地に根付かせる。
中村哲さんの実績
ガンべリ砂漠と言われる地帯に約25kmに及ぶ用水路をしき、緑の大地へ。ここに65万人ともいわれる難民たちが定住し、作物が収穫されるようになりました。
用水路は故郷の山田堰をモデルに設計されたもので、十数万本もの柳が植樹されています。
自分たちの活動は”救命活動”
中村さんは、自分の活動について”救命活動”と話しています。
私たちの仕事は「平和運動」ではありません。もっと日常の差し迫ったものです。医療の続きで、いわば救命活動です。しかし、結果として平和に通じるものはあると思います。
中村哲、憲法9条は歴史的遺産と重要性を説いていた
中村哲さんの素晴らしい活動の影に、憲法9条
日本人は「武力で他国を侵略しない国」とされ、敵意を向けられてこなかったためだ。暴力と憎しみの連鎖のただ中に身を置く異色の医師は、憲法が禁じる集団的自衛権が行使されるようになれば、「海外で活動する日本人に危険が迫る」と警鐘を鳴らす。
1992年に訪れたアフガニスタンの山奥で出会った村長の言葉を中村さんは忘れない。「日本は敗戦の廃虚から復興を遂げながら、一度も外国に出兵したことがない。平和な国だ」
日本がどこにあるのか知らなくても、「他国の戦争に加わらないおきてがある」ことを人々は知っていた。「日本が米国と仲がいいのも、インド洋で米艦船に給油したことも知っている。それでも他の軍隊と違うと思われているのは、海外に派遣されても銃で人を撃たなかったから。だから他国を侵略しない国として好感を持たれている」
またアフガニスタンは、過去何度もイギリスから侵略を受け、ソ連とも戦ってきた歴史を持ちます。
そのため日露戦争で小国だった日本がロシアに打ち勝ったことや、また第二次世界大戦後に復興する過程で日本が一度も他国を侵略しなかったことを知るアフガニスタン人は多く、日本人に対する友好的な感情はもともとあったとも中村さんは話しています。
その上で憲法9条の大切さを説く中村哲さん。長きに渡る活動のなかでそう感じたという経緯は、説得力も違いますね。
中村哲医師の家族情報…結婚した嫁・尚子さんと5人の子供について
中村哲、看護師をしていた尚子さんと結婚
中村哲さんの家族
(画像手前の2人が中村さんの妻(花束を持つ女性)と長女です。)
中村さんは結婚しており、子供もいます。
中村哲さんはパキスタン(1984年)への赴任の話がきた当時、福岡県の労災病院に勤めていました。
奥さんの尚子さんは、その病院で看護師をされていた女性で、赴任する前に結婚しており子供も生まれています。
中村哲、5人の子供に恵まれるも次男は難病で死亡していた
パキスタン・ペシャワールには家族とともに一緒に赴任し、幼い子供たちは向こうのインターナショナルスクールに通っていたそうです。
しかし、その後に子供たちは奥さんとともに帰国しており、現在は日本で暮らされています。
中村哲さんのインタビューなどを見ると、中村家には5人の子供に恵まれていますが、お子さんたちは全員一般の方のため詳細がわかっていません。
ただ中村さんは、次男を10歳ぐらいの頃に難病で亡くされているそうです。中村哲さん死亡の際には長女・秋子さん(2019年当時39歳)、三女の幸さん(2019年当時27歳)、長男の健さん(2019年当時36歳)(順不同)などが、奥さんの尚子さんとともにコメントを出しています。
中村さん妻・尚子さんのコメント。(悲報を受け)
妻の尚子さん(66)は、福岡県大牟田市の自宅で取材に応じ「悲しいばかりですよ。残念です。きょうみたいな日がこないことだけを祈っていた」と涙を拭いながら語った。
「場所が場所だけにあり得ると思っていた。家にずっといてほしかったけど、本人が(活動に)懸けていたので……」とも述べた。中村さんが11月下旬まで2週間ほど帰省していたことを振り返り「家では厳しくなかった。いつもさらっと出て行ってさらっと帰ってくる人だった」としのんだ。
長女・秋子さんのコメント。(対面したのち)
秋子さんは「お疲れさまでした」と深々と一礼した。
秋子さんは「こんなにアフガンの皆さまに好意を寄せていただいて父も喜んでいると思います」と述べ、日本とアフガンの関係者に謝意を伝達した。
三女・幸さんのコメント。(悲報を受け)
三女の幸さん(27)も襲撃の一報に触れた直後「これまでの活動で銃撃されたのは初めて。いつ起きてもおかしくはないと覚悟していたが……」と落ち着かない様子だった。
引用:「悲しいばかりです」 中村哲医師の妻、悲報に涙
長男・健さんのコメント。(弔辞より)
父がアフガニスタンへ旅立つとき、私と2人きりで話す場面ではいつも「お母さんをよろしく」「家をたのんだ」「まあ何でも一生懸命やったらいいよ」と言っていました。その言葉に、父の家族への気遣い・思いを感じていました。
私自身が父から学んだことは、家族はもちろん人の思いを大切にすること、物事において本当に必要なことを見極めること、そして必要なことは一生懸命行うということです。私が20歳になる前はいつも怒られていました。「口先だけじゃなくて行動に示せ」と言われていました。「俺は行動しか信じない」と言っていました。父から学んだことは、行動で示したいと思います。この先の人生において自分が幾つになっても父から学んだことをいつも心に残し、生きていきたいと思います。
中村哲医師がアフガニスタンで銃撃され死亡…殺害された原因と犯人とは?
中村哲、2019年12月4日に銃撃され死亡
2019年12月4日 アフガニスタンで逝去
アフガニスタン・ナンガルハル州の州都ジャラーラーバードにて、中村哲さんが車で移動中に何者かに銃撃される事件が発生。中村さんは右胸に被弾したのち現地の病院に運ばれ、その後アメリカ軍基地への移送中に亡くなりました。
中村哲さん(73)の死因は、胸など数カ所を撃たれ、内臓を損傷したことによる出血性ショックだったことが11日、捜査関係者への取材で分かった。福岡県警は10日に司法解剖した。捜査関係者によると、傷口の状態などから、殺傷能力の高い自動小銃が使われたとみられる。
この銃撃事件では、中村哲さんとともに車に乗っていた運転手やボディガードなどの5人が亡くなりました。当時の様子を、事件現場からの生き残りである現地スタッフが語っています。
ヤシーンさんは「前方を走る中村さんの車が銃撃犯に衝突されたのか、速度を落とした。確認しようとしたところ、突然、銃撃が始まった。銃撃が終わったあと、犯人が地元のことばで、『誰か生きている者はいるか』と話しているのが聞こえた」と明らかにしました。
ヤシーンさんは、銃撃が始まると直ちに車のドアを開け、通りの反対側に走って逃げたということで、「銃撃が終わって中村さんのところに駆け寄り、声をかけたところ、中村さんは『私は大丈夫だ』と応じてくれた。病院に搬送される途中でも、中村さんは『大丈夫だ』と何度も答えていた」と証言し、病院に搬送された段階では、中村さんに意識があったことを明らかにしました。
そのうえで、銃撃について、「4人から5人で待ち伏せて、20秒から25秒の間に一斉に行われた」と述べ、極めて短時間の犯行だったことを明らかにしました。
事件後、アフガニスタン大統領は「テロ事件」と断定し、またタリバン組織は関与を否定する声明を出しています。
2008年にはペシャワール会(中村哲さんの活動を支援するために組織された非政府組織)の職員・伊藤和也さんが武装集団に拉致され殺害された事件が起きています。
これを受け中村哲さんは自分以外の日本人スタッフの帰国を促し、自身も作業のためなど必要な時以外は外出せず、警備員・警備車両などと常に行動をともにするなど万全を期していました。
また報道によると、中村哲さんには事前に襲撃の可能性を地元当局から伝えられていたとも。それでも防げなかったことを考えると、この襲撃事件は中村さんを狙ったかなり計画的な犯行だったと思われされます。
中村哲、殺害は隣国パキスタンとの用水路を巡る水利権?
なぜ?中村哲さんの銃撃事件の動機は
2019年12月9日、襲撃事件に関わったと見られる容疑者のうち2人が捕まったとのニュース。
アフガン当局によると中村哲さんが狙われた背景には、「用水路の利権」や「パキスタン関与の可能性」が疑われているとされます。
アフガニスタン当局は、FNNの取材に対し、「パキスタンに拠点を置く組織が事件を主導した可能性がある」と明らかにし、このメンバーが11月下旬に入国して、事件後に出国したとしている。
動機について「中村さんが手掛ける用水路を巡る水利権」が関係しているとの見方を示したが、詳細は明らかにしなかった。情報機関が傍受した携帯電話の通話記録などから、隣国のパキスタンで計画された可能性が高いと説明。
真相はわかりませんが、原因は中村先生が半生をかけて乾いた大地に供給してきた「水」でしょう。先生のペシャワール会が水を引く源流のクナール川は、大きな川ではありません。造った用水路で水が来なくなったという不満のようです。国内や隣国パキスタンの不満は先生も感じていたのでしょうけど、命に危険が迫っていたことまで肌で感じられなかったのでしょうか。
2020年12月には複数人を拘束も犯人像が見えないとの報道。
警察は事情を知るとみられる複数人の身柄を拘束して捜査を進めたが、実行犯特定には至っていない。真相解明には時間がかかる見通しだ。
2021年2月にはイスラム武装勢力「パキスタン・タリバーン運動(TTP)」の地方幹部でパキスタン人の男が主犯格という報道が出ています。
アフガニスタン東部で2019年にNGO「ペシャワール会」現地代表の中村哲医師(当時73)が殺害された事件で、アフガン捜査当局がイスラム武装勢力「パキスタン・タリバーン運動(TTP)」の地方幹部でパキスタン人の男を主犯格と特定したことが、複数の捜査関係者への取材でわかった。TTPの報道担当者によると、男は1月末に死亡した可能性が高いという。男は生前、「(中村さんを)誘拐するつもりだったが、(共犯者が)殺してしまった」と周囲に話していたという。
中村哲医師についてまとめると…
・中村哲は看護師をしていた尚子さんと結婚、5人もの子供に恵まれるも次男は10歳の時に難病で亡くなっている
・中村哲は2019年12月4日、アフガニスタンで何者かに銃撃され死亡した
・中村哲は用水路を巡る水利権トラブルに巻き込まれ殺害された可能性が高い
中村哲さんは長年アフガニスタンの復興のため尽力してきた人物です。
かつてアフガニスタンで活動を続ける理由を問われた時、中村さんはこう答えたといいます。
「たまたまそこに行って、そこで困っている人を見た。あとは……まあ、義を見てせざるはなんとやらといいますか……」
ご冥福をお祈りします。