「埼玉少女誘拐事件」の犯人である寺内樺風ですが、短絡的な犯行とは裏腹に海外留学経験のあるインテリな経歴の持ち主だと言われております。
この記事では、寺内樺風の生い立ちや実家と家族(親と妹)、出身高校と大学情報に加えて、「埼玉少女誘拐事件」の詳細とその後・現在についてまとめてみました。
この記事の目次
寺内樺風が起こした「埼玉少女誘拐事件」とは
2014年3月に朝霞市で下校途中の中1・齋藤杏花さんを誘拐
「埼玉少女誘拐事件」は、2014年3月10日に埼玉県朝霞市で起こった齋藤杏花(あんな)さん誘拐事件のことを指します。
当時地元の学校に通う中学1年生だった杏花さんは、下校途中に寺内樺風(かぶ)より「両親が離婚するから弁護士の所へ連れて行く」と声をかけられて車に乗せられた後、千葉県千葉市にある犯人宅のアパートで監禁されてしまうことになりました。
寺内樺風は車で自宅に向かう途中、「離婚は嘘で、両親は借金を背負っており、返済のためにあなたの臓器を売ろうとしている」と脅すなど、騒がれることなく杏花さんを監禁するために悪知恵を働かせていたようですね。
車中では少女にアイマスク。ここで寺内被告は「両親が離婚するという話は嘘だ」と明かし、さらにとんでもない「理由」を言い出した。「本当はあなたの家庭に借金があり、あなたの臓器を売ってお金をつくろうと両親は考えている」。あらかじめ音声合成ソフトで作っておいた臓器売買に関する音声データを聞かせた。少女はただ困惑するばかりだったという。
その後、事件当日の20時20分になると帰って来ない杏花さんを心配した母親が警察に通報。2014年3月19日に(杏花さんの直筆と思われる)家出を示唆する手紙が齋藤家に届くことになりますが、これは寺内樺風が杏花さんを脅して書かせた代物でした。
事件を担当していた埼玉県警察朝霞署も寺内樺風の陽動作戦には惑わされずに、機動隊まで動員して捜索に尽力を尽くしたものの、杏花さんが千葉市内で監禁されていることまでは想定外だったのか、事件解決の糸口は見つからなかったそうですね。
寺内樺風はを齋藤杏花さん洗脳しようとしていた
大胆不敵な誘拐・監禁事件を実行した寺内樺風ですが、中学時代より「少女を監禁して観察したい」という欲求にかられていたようですね。
そのため、事前に過去の誘拐・監禁事件関連の記事や書籍を読み漁っていたという寺内樺風は、監禁後の齋藤杏花さんに対して洗脳を試みたこともありました。
寺内樺風が試みた洗脳テクニックは、アサガオの種から抽出した麻薬成分を杏花さんの食事に混ぜて意識を朦朧とさせようとした他、杏花さんに「私は捨てられた。帰る場所はない」と復唱を強要して思考力を削ぎ落そうとするなど、かなり専門的なものでした。
とはいえ、所詮は本で読んだに過ぎない寺内樺風の洗脳テクニックが、杏花さんの自我を奪うことは出来なかったと言われております。
齋藤杏花さん、アパートから一時脱出も話聞いてもらえず絶望
アパートの戸締りにはかなり用心しており、逃走防止用に玄関に外鍵まで設置していた寺内樺風でしたが、時折玄関の鍵をかけ忘れて外出してしまうこともありました。
監禁開始早々の2014年4月に、寺内樺風が玄関の鍵をかけ忘れて外出した際には、齋藤杏花さんは勇気を持ってアパートから脱出を図ったそうですね。
その後、近所の公園までたどり着いた杏花さんは、周囲の人々に助けを求めようとしたそうですが、素っ気ない態度で断られ続けてしまうことになりました。
そこで子供連れの女性に「ちょっといいですか? 聞きたいことがあるのですが」と話しかけたが、「忙しいから無理」と言われた。車に乗っている人と目が合ったため助けを求めようとしたが、車は行ってしまったという。
公衆電話を探したが見つからず、いったん部屋に戻った後、再び公園に来て年配の女性に「ちょっといいですか」と声をかけたが、「無理です」と断られた。
公園にいた人たちが素っ気ない態度を取った理由などは不明となりますが、いざ逃げだしてみても誰にも相手にされなかった杏花さんは、絶望してアパートに出戻ってしまったそうですね。
この騒動が原因となり、一時期の杏花さんは、寺内樺風の元から逃げ出そうとする気力すら失ってしまったと言われております。
しかしながら、後日にインターネットにて、両親たちが自分のことを懸命に捜索していることを知った杏花さんは、再び気力を取り戻して、絶対に実家に帰ることを心に誓うこととなりました。
「埼玉少女誘拐事件」の発覚~誘拐から2年後に寺内樺風が逮捕
齋藤杏花さんの電話により事件が発覚
寺内樺風は、2016年2月25日になると、住み慣れた千葉市内のアパートを引き払い、東京都中野区のアパートへと引っ越しをしています。
この時も監禁中の齋藤杏花さんの存在を周囲に気が付かれずに引っ越しに成功していた寺内樺風でしたが、同年の3月27日になると、玄関の外鍵をかけ忘れて外出してしまうというケアレスミスを犯してしまいました。
寺内樺風が外鍵をかけ忘れて外出したことに気が付いた杏花さんは、勇気を振り絞りアパートから脱出すると、JR東中野駅の公衆電話から実家へ電話をかけたそうですね。
行方不明だった杏花さんからの電話に驚いた両親たちが、警察に通報して保護して貰うように指示を出したことから、「埼玉少女誘拐事件」は急転直下の解決へと向かうことになりました。
即日指名手配されることとなった寺内樺風は、逃亡先の静岡県伊東市で自殺を図ったものの失敗し、血まみれの姿で歩いているところを警察に逮捕されています。
寺内樺風の生い立ち~附属池田高卒業後に千葉大学工学部に入学
寺内樺風、大阪教育大附属池田中学・高校を卒業
名前:寺内樺風(てらうち かぶ)
出身地:大阪府池田市
身長:170cm
大阪府池田市で生まれ育つこととなった寺内樺風ですが、関西を代表する名門進学校である大阪教育大学附属池田中学・高校に進学するなど、勉強の方は非常に出来る少年でした。
中学時代はパソコン部に所属しており、深夜アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」にハマり込むなどオタク然としていた部分もあった寺内樺風でしたが、コミュニケーション能力に問題があるタイプではなく、近所の評判なども良好だったようですね。
男性は「地域の子供会のキャンプやハイキングなどの行事に参加し、下の子の面倒をよく見るリーダー的存在だった。親御さんも教育熱心で、成績も良かった。これまで異性とのトラブルなども聞いたことがなく、嘘だろうという気持ち」と話した。
寺内樺風、千葉大学時代はカナダ留学までしていた
高校を卒業後は、上京して千葉大学工学部情報画像学科に進学することとなった寺内樺風ですが、ゼミの担当教授からは真面目で問題行動は見当たらない学生だったとの評が残っております。
寺内容疑者は平成23年4月に千葉大に入学、工学部情報画像学科でデータ解析について学んでいた。ゼミの担当教授によると、授業にきちんと出席して成績も悪くなかったといい、「普通の学生で不審な点はなかった」。
友達は少ない部類だったものの人付き合いは悪くなかった寺内樺風は、ゼミ仲間が主宰する飲み会にも積極的に参加していた他、旅行好きで親友と一緒にドライブに出かけることまであったそうですね。
大学時代になると、アニメよりも飛行機に関心を抱く青年になっていた寺内樺風は、2012年10月から2013年9月にかけて大学を休学し、カナダ(途中よりアメリカ)に航空免許取得のための留学をしています。
米国にあるパイロット養成学校の東京事務所によると、25年4月下旬から約4カ月間、カリフォルニア州にある学校に在籍。米連邦航空局(FAA)のデータベースによると、同年9月に自家用機の操縦免許を取得した。
ちなみに、北米留学時代の寺内樺風に関しても現地でトラブルの噂もなく、パイロット養成学校関係者からの悪評は一切聞こえなかったそうですね。
寺内樺風、消防設備関連の企業への就職も決まっていた
北米から帰国後の寺内樺風に関しては、かねてよりの念願だった少女誘拐・監禁を実行することを念頭に置いてか、留学生と空室ばかりだと言われている千葉市内の「築30年家賃3万円」のアパートで暮らすようになりました。
2014年3月10日に齋藤杏花さんを誘拐・監禁した後の寺内樺風ですが、大学の講義の他にもアルバイトにも励んでおり、ゼミの合宿に参加して数日間自宅アパートを留守にしたことまであったようですね。
杏花さんを監禁中にも関わらず、一般の学生同様に就職活動なども展開していた寺内樺風は、東京・新宿区にある消防設備関連の企業への就職も決まっており、2016年2月に東京都中野区へ引っ越しをして新生活の準備までしていました。
事件発覚により、千葉大学の卒業認定も就職内定も取り消されることとなった寺内樺風でしたが、周囲の人間は口を揃えて「少女を監禁している気配など微塵も感じられなかった」と証言しております。
寺内樺風の実家と家族情報~父親は防犯会社を経営していた
寺内樺風の実家に関しては、大阪府池田市内で別宅を構える祖父は大学で建築学を教えていた元教授だった他、父親も「e防犯.com」という防犯グッズ専門店を経営する実業家でした。
家庭内でも目立ったトラブルを起こさない優等生だった寺内樺風は、大学進学のために上京した後も、年に2回は祖父母の住む池田市内の別宅に顔を出しては泊っていく優しい孫だったそうですね。
また、寺内樺風には妹もおり、成人後も2人きりで国内旅行に出かける機会が多く、仲の良い兄妹だったと言われております。
それだけに、寺内樺風の逮捕の一報に対しては、家族たちも大きなショックを受けていたようで、マスコミの取材に答えた祖母も戸惑いを隠せない様子でした。
「樺風は、私たち夫婦の前ではいつもごく普通の、大人しくて、優しい子でした。そんな樺風と今回の事件が頭のなかでどうしても結びつけられず、夫も私もいまだに現実を受け入れられずにいます。
とにかくいまは、本人に会って『なぜ、なぜ、こんなことをしたの』と、問いかけたい気持ちでいっぱいです」
寺内樺風のその後~逮捕のストレスでハゲあがっていた
寺内樺風、公判中に錯乱するもネットでは狂言扱い
逮捕後の寺内樺風については、2017年8月になると、錯乱した状況で出廷したことが話題になりました。
奇声を上げながら入廷した寺内被告。
裁判官の質問に対しても、「私はオオタニケンジでございます」「職業は森の妖精です」「私はおなかが空いています。今なら、1個からあげクン増量中」などと意味不明な言葉を連発。
奇妙な言動を繰り返したため、判決の言い渡しは延期となった。
専門家からは「逮捕・勾留のストレスではないか?」と心配されていた寺内樺風の奇行ですが、ネット上では「精神鑑定狙いの狂言にしか見えない」といった厳しい意見が目立つことになりました。
心神喪失の判定狙って狂言やってんのかしら?
— モツあると⛈️ (@Amadeus0127) 2017年8月29日
【埼玉少女誘拐】「職業は森の妖精」「今なら、からあげクン増量」 寺内樺風被告が奇声上げ判決公判休廷→延期 – 産経ニュース https://t.co/Uxd9B9vPFQ @Sankei_newsさんから
寺内樺風、ハゲの進行具合がネットで話題に
寺内樺風は、元々逮捕時から髪質の細さが話題になっており、ネット上でも薄毛ではないかと指摘されていました。
寺内樺風さん一般の人より髪の毛薄いよね?俗にいうハゲかな?
— 아야가☺︎ (@nm7807mm) 2016年3月27日
ただですら若ハゲの気があった寺内樺風ですが、逮捕・勾留後はストレスから薄毛が進行してしまったようで、マスコミの前に生え際が大きく後退した姿を晒してしまうことになりました。
寺内樺風の現在~2審判決で「懲役12年」を言い渡される
寺内樺風の現在については、「埼玉少女誘拐事件」の公判の真っ最中となっています。
第一審では「懲役9年」の判決が下っていた寺内樺風でしたが、控訴後の2019年2月になると、東京高裁より「懲役12年」の判決が言い渡されることになりました。
埼玉県朝霞市で2014年、当時中学1年の少女を誘拐して2年間監禁したとして、未成年者誘拐や監禁致傷などの罪に問われた寺内樺風(かぶ)被告(26)の控訴審判決が20日、東京高裁であった。一審・さいたま地裁は懲役9年を言い渡していたが、若園敦雄裁判長は「一審は心理的拘束の悪質性を適切に評価していない」と述べて破棄し、懲役12年を言い渡した。
「埼玉少女誘拐事件」を巡る公判については、いまだ判決が確定しておらず、係争中となります。
寺内樺風についてまとめると…
・誘拐から2年後の2016年3月27日、齋藤杏花さんが無事に保護されたことで事件が発覚し、寺内樺風は逃亡先の静岡県で逮捕された
・寺内樺風の父親は防犯会社を経営しており、何不自由ない裕福な家庭で育った
・寺内樺風は大阪教育大学附属池田中学・高校卒業後、千葉大学工学部に進学した
・寺内樺風は勾留のストレスでハゲが進行しており、2審では「懲役12年」を言い渡された
寺内樺風については、この手の犯罪を犯す人間の中では例外的に周囲の人間の評判も良く、私生活も上手く行っていたようですね。
被害女性の心の傷が癒える日が来ることを祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。