元西武ライオンズの名選手だった石毛宏典さんですが、性格や人間性がヤバいと噂です。
今回は石毛宏典さんの経歴、成績や年俸の推移、監督に向かない理由、結婚・離婚歴と嫁や子供、ヤバい性格や人間性エピソードと現在を紹介します。
この記事の目次
石毛宏典は西武&ダイエーに所属したプロ野球選手
石毛宏典
生年月日:1956年9月22日
出身:千葉県旭市
身長:180cm
所属:元西武ライオンズ、元ダイエーホークス
活動:元プロ野球選手、野球解説者
石毛宏典さんは、西武ライオンズや福岡ダイエーホークスで活躍した元プロ野球選手です。
西武ライオンズの黄金期を支えた1人で、「ミスターレオ」と呼ばれていましたが、FA権を行使して、福岡ダイエーホークスに移籍。ダイエーで現役を終えます。
その後はオリックスの監督をしましたが、すぐに解任されてしまいました。
そんな石毛宏典さんは四国アイランドリーグの設立者でもあります。
石毛宏典の経歴
出典:prtimes.jp
プロ入り前まで
石毛宏典さんは高校時代は甲子園に出場することはなかったものの、1974年のドラフト会議でロッテオリオンズから6位で指名を受けました。
しかしこの指名を拒否し、駒沢大学に進学して、卒業後はプリンスホテルに入社しました。
大学時代・社会人時代には日本代表にも選出されています。
1980年のドラフト前はプロ入り拒否の姿勢でしたが、直前で「1位指名ならプロに入る」と宣言し、西武ライオンズと阪急ブレーブスから1位指名を受けます。
西武ライオンズが交渉権を獲得し、プロ入りすることが決定しました。
プロ野球選手として
西武ライオンズに入団した石毛宏典さんは、1981年のルーキーイヤーから活躍します。開幕からショートスタメンで試合に出場し、新人王を獲得します。
その後もコンスタントに活躍して、1986年にはパリーグMVPを獲得。1988年には日本シリーズのMVPを獲得し、パリーグ野手として初めて1億円プレーヤーとなりました。
1994年ごろになると、若手台頭や助っ人外国人の活躍で出場機会が減ってきます。
そして、1994年オフにはチームから森監督の後任監督への就任を打診されましたが、現役にこだわり、FA権を使って福岡ダイエーホークスに移籍しました。
しかし、ダイエーホークスに移籍した後はあまり成績はパッとせず、1996年オフには戦力構想から外れ、現役を引退しています。
プロ野球の監督として
現役を引退した後は、福岡ダイエーホークスに籍を残したまま、メジャーリーグのドジャースにコーチ留学し、1997年のシーズン終了後にホークスの2軍監督に就任しました。
しかし、1年でホークス2軍監督を解雇されます。
その後は野球解説者・評論家として3年間活動し、2001年のシーズンオフからオリックスの1軍監督に就任しました。
オリックスから監督を打診されている時、NHKから仕事のオファーが来た石毛さんは、仕事を断るために監督の打診があることを石毛さんはNHK側に漏らしてしまったようです。
そのため、一時はオリックス側と揉めましたが、なんとか騒動は収束し、無事オリックスの監督になりました。
しかし、2002年シーズンは球団39年ぶり(オリックスとしては初)の最下位に沈み、2003年シーズンも開幕から成績が悪く、わずか20試合消化した4月23日に解任されました。
監督解任以降
オリックスの監督の契約は3年契約でしたが、わずか1年半で解任となりました。
しかし給料は3年分もらえるので、その資金を使って、石毛宏典さんは2004年に四国アイランドリーグ(現四国アイランドリーグplus)を設立します。
2007年末にはリーグの運営から完全に撤退しました。
その翌年には関西独立リーグの構想を表明して、2009年には関西独立リーグを設立して最高顧問に就任。
これ以降は、学生野球資格の回復の認定を受け、千葉商科大学付属高等学校硬式野球部のテクニカルアドバイザーに就任するなど、幅広い活動をしています。
石毛宏典の成績
石毛宏典さんの年度別成績を見ていきましょう。
試合数 | 安打数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | OPS | |
1981年 | 121 | 127 | .311 | 21 | 55 | .911 |
1982年 | 124 | 120 | .259 | 15 | 54 | .738 |
1983年 | 128 | 133 | .303 | 16 | 64 | .896 |
1984年 | 124 | 117 | .259 | 26 | 71 | .836 |
1985年 | 130 | 141 | .280 | 27 | 76 | .894 |
1986年 | 129 | 169 | .329 | 27 | 89 | .917 |
1987年 | 130 | 141 | .269 | 11 | 41 | .701 |
1988年 | 130 | 144 | .283 | 21 | 63 | .805 |
1989年 | 130 | 131 | .270 | 16 | 63 | .823 |
1990年 | 100 | 107 | .298 | 8 | 47 | .793 |
1991年 | 122 | 112 | .269 | 13 | 61 | .755 |
1992年 | 125 | 130 | .297 | 8 | 52 | .772 |
1993年 | 122 | 133 | .306 | 15 | 53 | .868 |
1994年 | 111 | 101 | .266 | 11 | 46 | .732 |
1995年 | 52 | 24 | .200 | 1 | 11 | .535 |
1996年 | 18 | 3 | .130 | 0 | 1 | .30-0 |
通算 | 1796 | 1833 | .283 | 236 | 847 | .812 |
石毛宏典さんが西武からの監督打診を断って、ダイエーホークスに移籍したのは2000本安打達成も頭にあったそうですが、残念ながら通算安打数は1833本となっています。
石毛宏典さんは「ミスターレオ」と呼ばれたのほどの名選手ですが、意外なことに個人タイトルを獲得したことはありませんでした。
ただ、表彰はたくさんあります。
・新人王(1986年)
・ベストナイン:8回
・ゴールデングラブ賞:10回
・日本シリーズMVP:1回
ベストナイン8回、ゴールデングラブ賞10回を見ると、石毛宏典さんは常にハイレベルで安定した成績を残した守備の名手であることがわかります。
石毛宏典の年俸推移
石毛宏典さんの年俸推移はこちらです。
・1982年:1650万円
・1983年:2200万円
・1984年:3500万円
・1985年:3850万円
・1986年:5300万円
・1987年:7400万円
・1988年:8000万円
・1989年:1億円
・1990年:9000万円
・1991年:9500万円
・1992年:1億1000万円
・1993年:1億3300万円
・1994年:2億円
・1995年:2億円
・1996年:1億円
年俸の合計は13億5300万円です。
ドラフト1位で西武ライオンズに入団する時の契約金は7000万円ですので、プロ野球選手としては14億2300万円を稼いだことになります。
石毛宏典は監督に向いてない理由とは?
石毛宏典さんは福岡ダイエーホークスの2軍監督、オリックスブルーウェーブの1軍監督になりましたが、監督には向いていないようです。
2度解任
出典:jiji.com
石毛宏典さんは2軍監督を1回、1軍監督を1回経験していますが、2回とも解任されています。しかも、結構な短期間での解任なんです。
・オリックス1軍監督:1年4ヶ月で解任(シーズン途中)
オリックスではシーズン途中、しかも開幕から1ヶ月経っていない状態で解任されています。しかも、3年契約だったのに1年4ヶ月での解任でした。
くじでスタメン決め
出典:column.sp.baseball.findfriends.jp
福岡ダイエーホークスの2軍監督を解任されたのは、スタメンや打順ををくじやジャンケンで決めていたからと言われています。
石毛さん本人は「主砲でも、1軍でバントを命じられて失敗しないように」という意図だったとしていますが、草野球ではなくプロ野球なのに、さすがにくじやジャンケンはヤバイですよね。
フロント批判
出典:column.sp.baseball.findfriends.jp
石毛宏典さんがオリックスの監督を解任されたのは、成績が低迷していたこともありますが、フロントを批判したからと言われています。
また、ダイエー2軍監督解任も、フロント批判をしたことが直接的な原因だったようです。
ホークス時代には、「西武では根本(陸夫)さん(西武管理部長→ダイエー専務)がまず素材のいい人間を集めた。これはある面では編成の仕事だ」と発言しました。
この発言は、編成がいい選手を取ってこないフロントが悪いと批判していると受け取られたんです。
また、オリックス時代にも「イチローも田口壮もジョージ・アリアスも加藤伸一もいなくなって戦力が足りなかった」と最下位に沈んだ言い訳をしています。
さらに、「外国人選手を2軍に落としたことがフロント批判と取られた」と石毛さんは話していました。
これだけ不用意な発言が多く、フロント批判をしていれば、解任されるのは当然かもしれません。
東尾修などからも笑われるほど
石毛宏典さんは本当に監督に向いていなかったようで、西武ライオンズ時代のチームメイトである東尾修さんからも「監督に向いていない」と言われていました。
過去に西武OBの東尾修なども、
『アイツだけは、絶対指揮官には向いてナイ!!』と、かなり強く言っていたそうです!!
かなり迷采配を続けていて、ファンからもかなりのバッシングを受けていました。マスコミからは次のようなタイトル記事が出ています。
カメレオン言動、ナインもヤル気なし
こんなタイトルの記事が出るなんて、石毛さんは本当に監督に向いていなかったのでしょう。
石毛宏典さんは「名選手、名監督にあらず」を体現している存在だったんですね。
石毛宏典の結婚・離婚歴と嫁や子供情報
出典:column.sp.baseball.findfriends.jp
石毛宏典さんは、なんと3回結婚して3回離婚しています。そして、子供は6人いるようです。
・3回離婚
・子供は6人
これはかなりヤバイ経歴ですよね。
1回目の結婚・離婚はプロ入り前で、プロに入ってからも女性関係はかなり派手でだらしなく、ホステスに入れ込んでは前の女をポイ捨てするようなタイプだったようです。
2ちゃんねるには、次のようなタレコミがありました。
石毛の西武時代にやくみつるが
石毛は私生活があまりにも乱れすぎていて選手から
全然信頼が無いと言っていた。
引用:今、石毛監督が熱い!
やくみつるさんにこんなことを言われるなんて、女性関係は相当だらしなかったのでしょう。
そして、さらにヤバイことを週刊文春が2001年に次のように報じています。
現在、石毛は全部で六人の子供がいる
二番目の奥さんの子供の教育ローンを切り崩して
マンションを買った。
引用:今、石毛監督が熱い!
13億円以上を稼いでいた一流プロ野球選手なのに、子供の教育ローンを切り崩してマンションを買うとは…。よほど遊んでいたんでしょうか。
バツ2まではそこまで珍しくありませんが、バツ3となるとなかなかいませんよね。
3回結婚・3回離婚・6人子供というのは、ヤバイ匂いがプンプンします。
養育費のために監督打診を断ったという噂も
石毛宏典さんは1994年オフに森監督の後任として、西武ライオンズから監督の打診を受けましたが、それを蹴って福岡ダイエーホークスにFA移籍をしています。
これは、石毛さんが「まだまだやれると思ったから」と話していて、現役にこだわったからというのが表向きの理由です。
しかし、実は養育費のために現役を続けたのではないかという噂があるんです。
西武に在籍していたときに監督を打診されたのですが、数回の離婚による養育費や慰謝料を払わなくてはいけないために現役にこだわり当時高額年俸を払えるダイエーへFA移籍をしたと思います
そのときに西武のフロントともめたのでしょうね
確かに、監督をするよりもFA宣言して移籍した方が、年俸が高くなることは間違いありません。
6人分もの養育費を払うとなると、引退してからの給料の大部分は養育費に消えてしまったことでしょう。
もちろん、「養育費をきちんと支払っていたら」という話ですが。
石毛宏典のヤバイ性格&人間性エピソードまとめ
石毛宏典さんは一流の野球選手でしたが、性格・人間性がかなりヤバイと言われています。
ここからは、石毛宏典さんの性格・人間性を表すエピソードを紹介していきます。
指導者に向かない
先ほど説明したように、石毛さんは監督には全く向いていません。フロント批判をして、成績低迷の言い訳をする時点でヤバイですよね。
そもそも、あみだくじやジャンケンでスタメンオーダーを決めるなんて、あり得ません。
大谷選手「MVP無理」で大炎上
出典:youtube.com
2021年、大谷翔平選手はメジャーリーグのMVPを獲得しました。
MVPが発表される前に、石毛宏典さんはYouTubeで大谷選手がMVPを獲る可能性について、次のようにコメントしていました。
石毛氏はユーチューブで、大谷の活躍、そして人間性を絶賛しつつ、「ぺレスとかゲレロJr.はもっともっといい数字残してるはずですし。冷静にみたら(MVPは)無理でしょ」と指摘。48本で本塁打王のゲレロ、45本塁打のセミエン(ともにブルージェイズ)が有利とした。
引用:「大谷翔平のMVPは無理でしょ」 大外しの石毛宏典氏にツッコミ殺到「これは釈明もの」(東スポWeb) – Yahoo!ニュース
この動画は大炎上し、「石毛さんの人間性を疑う」、「ただの逆張り。性格悪い」などのコメントが相次ぎました。
さらに、この動画では大谷選手の結婚相手についても話題にしていて、アシスタントの女性にセクハラのような発言もしていたんです。
結局は大谷選手はMVPを獲ったのですが、石毛さんの性格の悪さが明るみに出てしまいました。
・人種差別
・セクハラ発言
これは完全にアウトです。
ネットでは、わざと逆張りして炎上させてYouTubeの再生回数を稼ぎ、さらに謝罪動画で再生数を稼ごうとしているのでは?とも言われています。
独立リーグを投げ出す
石毛宏典さんは四国と関西に独立リーグを立ち上げていますが、いろいろとトラブルがあったようです。
たった数年で四国アイランドリーグの運営から完全撤退し、次はすぐに関西で独立リーグを立ち上げました。
しかも、関西独立リーグでは分配金の未払い問題が起こり、その問題から「俺知らない!」と逃げ出しているんです。
それを「分配金の未払いは報道で初めて知った」などと発言し、その後のリーグの代表者会議も欠席、一切の謝罪もなかったとのこと。
お金を稼げると思って独立リーグを立ち上げたのは良いものの、さほど稼げず、トラブルが起こったらすぐに逃げ出したようです。
693名無しさん@恐縮です2021/11/22(月) 23:24:57.59ID:oLCONEr60>>697
石毛は独立リーグの時の一連のゴタゴタであぁこういう人間なんだなと世間に広まったもんだと思ってたのに
知らなかった方って案外多いんだなあ
引用:石毛宏典、大谷のMVPは「人間性に対する評価」と分析 「倫理観・モラル観を示してくれて。じゃあ大谷MVPでいいんじゃないのみたいな」 [jinjin★]
オリックスの監督時代+独立リーグのトラブルで、石毛宏典さんは人間性に問題があると野球ファンに広まったようです。
3回の結婚と離婚
石毛宏典さんの性格や人間性がヤバイのは、3回結婚・3回離婚に現れていますよね。
もちろん、離婚がダメというわけではありません。でも、報道・噂では石毛さんに離婚の原因があるようですし、3回同じ失敗を繰り返すというのは、よほど性格がヤバイのでしょう。
西武が呼び戻さない
石毛宏典さんの人間性の問題があると噂されているのは、古巣の西武が呼び戻さないことからもわかります。
石毛宏典さんは名将であり、現役時代は森監督の後任を打診されるほど、西武ライオンズからは信頼されていました。
しかしその打診を断り、ケンカ別れの状態で福岡ダイエーホークスに移籍しています。
それ以降、時々はイベントに呼ばれることはあっても、指導者として呼び戻されることはありませんでした。
西武ライオンズは一度他球団に行った人でも、有能な選手なら呼び戻します。
辻発彦監督、松井稼頭央ヘッドコーチなどなど。松坂大輔さんも最後は西武で引退できるように呼び戻しましたよね。
でも、石毛さんは呼び戻されていません。よほど人間性に問題ありと思われているのでしょう。
石毛宏典の現在
石毛宏典さんは現在、YouTuberとして活動しています。
2020年にYouTubeチャンネルを開設し、主にプロ野球OBをゲストに迎えて対談するという動画をアップしています。
しかし、豪華なOBをゲストに迎えている割にはさほど再生数は伸びていません。そして、この前の動画の炎上で一気に嫌われ者になったようです。
元プロ野球選手のYouTubeはほとんど見てるけど石毛はもう二度と見たくないわ
— ウマ娘BOT (@nagi_revived) November 23, 2021
元プロ野球選手のYouTubeとかSNSによってどんどんアレな人間が炙り出されている気がする。清原とか石毛とか岩本とか
— やまなんとか (@yamato56) November 22, 2021
ただ、石毛さんの年代のプロ野球OBでYouTubeをやっている人は少なく、ほかの動画には出ないようなレジェンドが出演することがあるのも事実です。
年齢的にも、今後は監督やコーチになる可能性は低いと思うので、今後もYouTube配信を続けていくと思われます。
石毛宏典のまとめ
石毛宏典さんのプロフィールや経歴、成績や年俸の推移、監督に向いてない理由、結婚・離婚歴と嫁や子供について、性格や人間性に関するヤバいエピソードと現在をまとめました。
石毛宏典さんを見ていると、「名選手、名監督にあらず」の名言をしみじみと思い出してしまいますね。