セレブ医師として有名だった池田優子さんですが、娘が「渋谷女子大生誘拐事件」で拉致された過去もあります。
今回は池田優子さんの年齢などプロフィール、学歴や経歴、結婚した旦那や娘、事件詳細、犯人の動機と真相、現在を紹介します。
この記事の目次
- 池田優子の年齢とプロフィール:メディアに多数出演している医師
- 池田優子の実家の家族:父親は開業医
- 池田優子の実家の家族:母親は上皇美智子様の親戚
- 池田優子の実家の家族:兄弟は5歳年上の兄が1人
- 池田優子の学歴と経歴① 裕福な家庭で育つも精神的に不安定な幼少期
- 池田優子の学歴と経歴② 名門女子高出身だった
- 池田優子の学歴と経歴③ 高校時代から遊びにのめり込む
- 池田優子の学歴と経歴④ 大学卒業後は就職をせずにお見合い三昧だった
- 池田優子の学歴と経歴⑤ 結婚した旦那はガラス会社の御曹司
- 池田優子の学歴と経歴⑥ 離婚後は医師を目指して勉強
- 池田優子の学歴と経歴⑦ 池田ゆう子クリニックを開院
- 池田優子が被害に遭った「渋谷女子大生誘拐事件」では娘が誘拐された
- 池田優子が被害に遭った「渋谷女子大生誘拐事件」の犯人は無期懲役に
- 池田優子が被害に遭った「渋谷女子大生誘拐事件」の真相:犯人の動機は?
- 池田優子の現在
- 池田優子のまとめ
池田優子の年齢とプロフィール:メディアに多数出演している医師
池田優子(いけだ ゆうこ)
生年:1958年
出身地:茨城県古川市
豊胸手術のスペシャリストであり、「池田ゆう子クリニック」を経営する整形外科医だった池田優子さんですが、テレビ番組ではセレブキャラとしてはっちゃけていました。
・自宅はキャッシュで購入した都内一等地の3億円豪邸
・愛車はロールスロイスやフェラーリ、マセラティといった高級外車
・一度来た服は二度と着ない
・ワンシーズンの洋服代は400万円
・時給100万円で月収は1億円以上
また、タレント人気にあやかって、自身がプロデュースする化粧品を販売する会社なども設立しています。
誕生日は判明していませんが、1958年生まれなので、2023年で65歳となるはずです。
この記事では、そんな池田優子さんのこれまでの経歴や家族情報のほか、「渋谷女子大生誘拐事件」の詳細について紹介します。
池田優子の実家の家族:父親は開業医
池田優子さんの出身地は茨城県古川市です。
実家は地元で有名な産婦人科医院「小林医院」で、父親の小林実さんも医師でした。
また、小林家は清和源氏の流れをくむ武家の血筋のようです。
池田優子の実家の家族:母親は上皇美智子様の親戚
父親が上級国民だった池田優子さんですが、母親の汎子さんも上皇美智子様の縁戚だったと言われています。
美智子様は日清製粉グループの創業者一族の出身ですから、池田優子さんの母方の実家である秋山家もかなりの名家だったことでしょう。
池田優子の実家の家族:兄弟は5歳年上の兄が1人
出典:https://pixabay.com/
池田優子さんの実家の家族には、5歳年上の兄・泰彦さんもいます。
池田泰彦さんは医大を卒業して医師になっており、実家の小林医院の院長をしております。
ただし、現在の小林医院に産婦人科はなく、内科や循環器科、胃腸科があるのみのため、泰彦さんは産婦人科医でなないようですね。
池田優子の学歴と経歴① 裕福な家庭で育つも精神的に不安定な幼少期
池田優子さんは幼少期、父・実さんが「小林医院」を継いだこともあり、父方の実家で祖母も含めた5人暮らしをしていました。
3歳から日本舞踊を習うようなお嬢様育ちでしたが、家庭内は嫁姑問題で荒れており、母・汎子さんが兄を連れて家を出るなど不安定な環境だったようです。
小林家の嫁姑問題は、実さんが汎子さん側に付き、池田優子さんを連れて家を出たことで決着がついたといいます。
ちなみに、父方の実家を離れた後の池田一家が定住した先は、母方の実家のある埼玉県浦和市(現さいたま市)でした。
父親は教育熱心だったが甘い一面もあった
幼少期の池田優子さんは、父・実さんからとにかく可愛がられており、休日は愛車のポルシェに乗せられて、銀座の三越デパートまでよく遊びに連れていってもらっていたそう。
そして、デパートでは好きなものを何でも買い与えられ、食堂でタンシチューやメロンを食べるのが定番コースでした。
そんな池田優子さんを溺愛していた父親も、教育面だけは妥協を許さない性格だったらしく、池田優子さんは小学生の頃から学習塾の四谷大塚に通い、家庭教師までついていたそうです。
池田優子さんの勉強漬けの日々は、中学進学後も変わらなかったようで、学校と塾を往復する日々を過ごしていました。
池田優子の学歴と経歴② 名門女子高出身だった
中学を卒業後の池田優子さんは、地元の名門校である浦和第一女子高校へ進学しています。
偏差値73と、県下でも10本の指に入る進学校である浦和第一女子高校は、女優の向井亜紀さんやフリーアナウンサーの青木裕子さんの母校としても有名。
また、進学実績なども優秀であり、東京大学合格者を毎年輩出するようなエリート校です。
・東京大学(4名)
・一橋大学(8名)
・早稲田大学(42名)
・慶應義塾大学(15名)
・上智大学(37名)
そんな名門女子高に池田優子さんが進学した背景については、母親や母方の祖母の母校だったことが大きかったといいます。
池田優子の学歴と経歴③ 高校時代から遊びにのめり込む
母・汎子さんは、池田優子さんに女医になってほしいと望んでいたため、高校に入学してしばらくは引き続き勉強漬けの日々を送っていました。
しかし、高校2年生になる直前の春休み、医学部志望者のための合同講習会に参加したところ、24歳の浪人生からアプローチされた池田優子さん。
その浪人生は、日頃は赤坂界隈で遊んでいるような遊び人のボンボンだったそうで、ウブだった池田優子さんはすっかり影響されてしまいます。
そのためそれ以来、勉強よりも彼氏との遊び優先の生活になり、学校をサボることすらあったそうですね。
その結果、成績は急落してしまい、将来の夢を女医から女優へ切り替えたそうです。
大学時代も遊びまわっていた
高校卒業後の池田優子さんは、日本大学藝術学部放送学科に進学しますが、引き続き遊び人モードで、六本木にある高級ディスコを拠点に遊びまわっていたそう。
この時代の遊び仲間には、『イエローキャブ』や『極道の妻たち』といったヒット作で知られる作家の家田荘子さんもいました。
また、大学1年生の頃から交際していた恋人もいました。
ただ、この恋人は家業を継ぐために地方にUターンしなければならない身の上だったため、地方暮らしが嫌だった池田優子さんはプロポースを断ったといいます。
池田優子の学歴と経歴④ 大学卒業後は就職をせずにお見合い三昧だった
せっかく付き合っていた彼氏を振ってしまった池田優子さんでしたが、大学卒業後は就職せず、結婚して家庭に入ろうと、家事手伝いをしながら婚活をし始めます。
ですが、お眼鏡にかなう相手がなかなかいなかったため、27回連続で不成立に終わったそう。
そして28回目のお見合いで、資産300億円というガラス会社の御曹司Aさんに出会い、交際をスタートしました。
池田優子の学歴と経歴⑤ 結婚した旦那はガラス会社の御曹司
ガラス会社の御曹司Aさんと交際を始めた池田優子さんは、3回目のデートの時にプロポーズされ、交際半年で結婚しました。
結婚式は東京・虎ノ門にあるホテルオークラで行われ、披露宴も新郎新婦の家族や友人たち250名が集まる大々的なもので、池田優子さんの両親たちも終始ご機嫌だったといいます。
結婚後の2人は、青山の一等地で新婚生活を始めました。
旦那と離婚した原因は嫁姑問題
池田優子さんとAさんの間には、結婚後1年で長女となる果菜子さんが生まれています。
そのため、このまま幸せなセレブ生活を送り続けると思われた池田優子さんですが、家庭内で歯嫁姑問題に悩まされることに。
池田優子さんの姑Bさんは、意地の悪い人間ではなく、「夫の子供の頃のアルバムを見に来ないか」と誘ってくるなど距離感が近いタイプだったようです。
また、親戚の集まりに頻繁に呼ばれたりと、池田優子さんは歓迎はされていたとのこと。
しかしながら、これまで自由奔放に生きてきた池田優子さんにとっては、これらの誘いは喜ぶどころか、束縛に感じてしまったのです。
そのため、夫のAさんに不満をぶつけることも増えていき、結果として結婚からわずか3年で離婚の憂き目となりました。
池田優子の学歴と経歴⑥ 離婚後は医師を目指して勉強
御曹司との離婚後、せっかくの玉の輿を台無しにしたことに加えて、世間体もあったため、池田優子さんは実家に帰ることを許してもらえなかったそう。
そのため、娘と一緒に、栃木県の鬼怒川温泉に避難していた時期もありました。
その後、父・実さんが東京に部屋を借りてくれたおかげで、ようやく落ち着いた生活ができるようになったそうです。
離婚後のゴタゴタが落ち着いた後の池田優子さんは、「娘に元夫と暮すのと同等の生活を与えてあげたい」との想いから、医学部受験を思い立ちます。
池田優子さんの再チャレンジに対しては、父・実さんの応援もあり、杏林大学医学部に一発合格しました。
池田優子の学歴と経歴⑦ 池田ゆう子クリニックを開院
30歳で杏林大学医学部に進学した池田優子さんは、卒業後にいくつかの美容外科クリニックで修業を積みます。
その後の2002年に独立し、東京都渋谷区に「池田ゆう子クリニック」を開院しました。
「池田ゆう子クリニック」の評判は、なかなか良いようです。
池田ゆう子クリニックで豊胸手術を受けて2年経ちます。少しでも足が細くなることを期待して太もも内側・外側から脂肪吸引を行いバストに注入しました。
— 池田ゆう子クリニック 豊胸 脂肪吸引 (@fikdy384) June 20, 2019
施術後は胸が腫れてましたが1ヶ月後には腫れが引き3カップ程度バストアップしました。最終的に定着したのは1.5カップといったところでしょうか。
池田優子が被害に遭った「渋谷女子大生誘拐事件」では娘が誘拐された
実は事件前にも実家に泥棒が押し入っていた
池田優子さんがセレブ女医としてテレビ番組に引っ張りだこだった2006年1月、茨城県古河市にある実家に泥棒が押し入ったそうです。
不幸中の幸いにも、窃盗現場に家族が鉢合わせすることもなく、怪我人などは出ませんでしたが、2階の居間にあった金庫から現金1400万円が盗まれました。
なお、地元の警察書に被害届を提出した小林家ですが、犯人が捕まったかどうかは不明です。
娘が「渋谷女子大生誘拐事件」の被害者となる
「渋谷女子大生誘拐事件」の始まりは、2006年6月26日のことになります。
当時、明治学院大学の4年生だった果菜子さんは、母親である池田優子さんと一緒にテレビに出演する機会も多く、池田優子さんの立ち上げた化粧品会社の社長もしていました。
そんな人生の絶頂期にあった果菜子さんですが、事件当日の昼頃に、渋谷の自宅から大学に登校しようとしたところ、バス停で男たちに声をかけられて拉致されてしまいます。
美容外科医で、池田ゆう子クリニックの院長を務める池田優子の長女(当時21歳で、大学4年生)が、渋谷区の自宅から通学のため外出した26日午後0時25分ごろ、男性2人から強引にワゴン車に無理矢理連れ込まれ、誘拐された。この際に目撃者が2名おり1名が110番、1名が近所の交番に目撃情報を申し出た。
引用:渋谷女子大生誘拐事件
事件後、犯人と思われる男たちから身代金3億円を要求する脅迫電話もかかって来たようです。
果菜子さんは川崎市内のマンションに監禁されていた
身代金目当ての誘拐事件に巻き込まれた果菜子さんは、ワゴン車で拉致された後は、神奈川県川崎市内のマンションに監禁されます。
ちなみに、目撃者がナンバーを不完全ながらも記憶していたおかげで、果菜子さんを拉致した犯人たちの車両はすぐに特定されていたようです。
目撃された不完全ナンバーに近いワゴン車がないかが焦点となる。そこで挙がったいくつかの車のうち実際に渋谷の拉致現場から逃走した車がないか、自動車ナンバー自動読み取り装置、通称「Nシステム」のデータから犯行車両が絞り込まれていった。
そのため、事件当日の夕方には警察による犯行車両への追跡が始まっています。
追跡は犯人一味に気が付かれないようにバイクだったようですが、犯人にすぐに尾行に気づかれてしまい、犯人は同じルートをグルグル回り出したそうです。
さらに、犯人は運転中に携帯電話でマンション内にいる仲間に連絡を取り、いざとなったら果菜子さんを殺して逃亡するように仲間に指示を出していたと言われています。
ちょうどその頃だったのだろうか、犯行車両に乗っていた男が、アジトで被害者の女子大生を監禁していた男に電話し「しっぽ(尾行)が離れない、何かあったら女を消しちゃって」と話していたことが後の裁判で明らかになった。アジトの男は「裏切られたようだな」と言って女子大生の顔に実弾が装填された拳銃の銃口を向けていた。
無事果菜子さんを救出
犯行車両の追跡劇は事件当日の24時過ぎまで続き、長期戦となっていましたが、とうとう警察側が車を運転していた犯人との接触に成功しました。
被害者の救出に一刻の猶予もない状況だった。つかず離れずのぎりぎりの尾行が行われていたのだろう。粘りの尾行は事件のスピード解決に繋がる。多摩川沿いのアジトの近くで尾行部隊はついに犯行車両の男への職務質問に踏み切り、アジトに案内するよう男に求めた。
車に乗っていた犯人は2人は、捜査員を素直に果菜子さんを拉致しているマンションまで警察を案内したといいます。
ただし、全員が観念したわけではなく、マンションのドアを開くと見張り役が拳銃を構えて向かってきたそう。
捜査員が殺害されて犯人一味にも逃げられる・・・という最悪の展開もあり得ましたが、梅雨時で火薬が湿っていたのか拳銃から弾は発射されず、奇跡的に怪我人は出なかったようです。
その後、捜査員が見張り役に突撃して身柄を確保し、果菜子さんの救出に成功します。
この時、銃口が土管のように見えたとの証言もある。捜査員の視覚がどれだけ拳銃その1点に集中したかを表している。そして銃を手にしている犯人の腕の筋肉がピクっと明らかに波打ったのが見えたという。拳銃の引き金を引いた瞬間だった。銃声が轟く中、SIT捜査員は立ち上る硝煙を吹き飛ばす勢いで雪崩のように犯人に突進した。犯人制圧。同時にSITは13時間にわたって監禁され絶望の淵に立たされていた被害者を無事保護したのである。
池田優子が被害に遭った「渋谷女子大生誘拐事件」の犯人は無期懲役に
「渋谷女子大生誘拐事件」で逮捕された犯人は、以下の3人となります。
韓国国籍の電気工・崔基浩(逮捕時54)
元韓国国籍で現日本国籍の無職・伊藤金男(逮捕時49)
3人は広域強盗グループの一味で、「渋谷女子大生誘拐事件」以前にも埼玉や千葉、静岡で犯罪を繰り返していました。
そんな余罪がてんこもりだったせいか、2008年に李勇と伊藤金男に無期懲役、崔基浩に懲役10年の実刑判決が下っています。
池田優子が被害に遭った「渋谷女子大生誘拐事件」の真相:犯人の動機は?
現在までのところ、日本で最後の営利誘拐事件と言える「渋谷女子大生誘拐事件」ですが、犯人たちの犯行動機を見ていきましょう。
犯人たちが「渋谷女子大生誘拐事件」を思い立ったきっかけは、テレビ番組で活躍する池田優子さんのセレブぶりでした。
あまりに短絡的な発想ですが、目撃者が犯行車両のナンバーを覚えていなければどう転んでいたか分からない事件だけに、テレビ番組の与える影響力を考えさせられる一件です。
「渋谷女子大生誘拐事件」は、高額納税者やその家族が犯罪に巻き込まれる危険性を明示した事件ということもあり、長者番付制度を廃止する遠因にもなったと言われています。
お金持ちの大学生が爆買いしてるのをテレビで見たんだけど、爆買いすごいなーと思うのと同時に、こんなの放送したらまた誘拐事件起こりそうで怖いと思ってしまった。もう10年前なんだね。https://t.co/FzZ094eJxk渋谷女子大生誘拐事件
— マイキー (@ilove_cabriolet) February 24, 2016
池田優子の現在
池田優子さんは、自身のテレビ露出が「渋谷女子大生誘拐事件」の遠因となってしまったこともあり、事件以降はマスメディアの世界からフェードアウトしています。
また、娘の果菜子さんも誘拐事件に巻き込まれたショックは大きく、PTSDや事件のフラッシュバックに苦しむ日々を送り、社会復帰までにはかなりの時間を要したとか。
しかしながら、トラウマを乗り越えて以降は「池田ゆうこクリニック」の取締役として、母親の事業をサポートしていたようです。
その後の果菜子さんに関しては、池田優子さんのFacebookの投稿写真などを見る限り、結婚して一男一女に恵まれているようですね。
池田優子のまとめ
池田優子さんはシングルマザーの開業医で、テレビ番組にも多く出演していましたが、セレブ自慢が仇となり、「渋谷女子大生誘拐事件」で娘が誘拐されてしまいました。
現在はメディアで見かけることはありませんが、本業ではまだまだ現役のようです。
池田優子さんの今後より一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させていただきます。