4代目・市川猿之助さんの叔父で、4代目・市川段四郎さんの兄は2代目・市川猿翁さんです。
この記事では2代目・市川猿翁さんの若い頃や家系図と家族、藤間紫さんと元嫁の浜木綿子さんとの結婚や子供、息子の香川照之さんとの関係と現在や生きてるかどうかについてまとめました。
この記事の目次
- 市川猿翁(2代目)のプロフィール
- 市川猿翁(2代目)の若い頃① 「十代歌舞伎」と呼ばれて絶大な人気
- 市川猿翁(2代目)の若い頃② 革新的な舞台で歌舞伎界に新風を起こす
- 市川猿翁(2代目)の若い頃③ 「スーパー歌舞伎」を創造
- 市川猿翁(2代目)の家系図
- 市川猿翁(2代目)の家族① 父親は3代目・市川段四郎
- 市川猿翁(2代目)の家族② 母親は女優の高杉早苗
- 市川猿翁(2代目)の家族③ 祖父は初代・市川猿翁(2代目・市川猿之助)
- 市川猿翁(2代目)の家族④ 曽祖父は2代目・市川段四郎(初代・市川猿之助)
- 市川猿翁(2代目)の家族⑤ 弟は4代目・市川段四郎
- 市川猿翁(2代目)の家族⑥ 妹は女優の市川靖子
- 市川猿翁(2代目)の家族⑦ 1度目の結婚の嫁は女優の浜木綿子
- 市川猿翁(2代目)の家族⑧ 2度目の結婚の嫁は女優の藤間紫
- 市川猿翁(2代目)の家族⑨ 子供(息子)は俳優の香川照之
- 市川猿翁(2代目)の家族⑩ 孫は5代目・市川團子
- 市川猿翁(2代目)の家族⑪ 甥は4代目・市川猿之助
- 市川猿翁(2代目)の現在…生きてるかが検索されるほど表舞台から遠ざかっている
- まとめ
市川猿翁(2代目)のプロフィール
2代目・市川猿翁のプロフィール
本名 :喜熨斗政彦(きのし・まさひこ)
生年月日:1939年12月9日
出身地 :東京府
公称身長:165cm
血液型 :A型
2代目・市川猿翁(いちかわ・えんおう)さんは、終戦直後の時代から歌舞伎界で活躍されてきた往年の名歌舞伎俳優です。
2代目・市川猿翁さんは、歌舞伎の伝統を継承しながら、新時代の演劇や芸術との融合を積極的に推進された方で、現在も人気漫画作の歌舞伎化などで人気を集める現代風歌舞伎「スーパー歌舞伎」の生みの親としても知られています。
そんな2代目・市川猿翁さんは4代目・市川段四郎さんの実兄です。この弟の4代目・市川段四郎さんは2023年5月18日に嫁の喜熨斗延子さんと自宅で不審な死を遂げ、それに息子の4代目・市川猿之助さんが関わっている疑いがあり大きな騒動へと発展しています。
2代目・市川猿翁さんにとっては4代目・市川猿之助さんは甥にあたり、自らが3代目として名乗っていた市川猿之助の名を譲った相手でもあります。
こうした事情から、現在、2代目・市川猿翁さんへの注目度も上昇しているようです。ここでは、この2代目・市川猿翁さんについて改めて紹介していきます。
市川猿翁(2代目)の若い頃① 「十代歌舞伎」と呼ばれて絶大な人気
2代目・市川猿翁さんは、1939年12月に3代目・市川段四郎さんの長男として生まれ、終戦から1年半後の1947年1月に東京劇場「壽式三番叟」の附千歳で3代目・市川團子(だんこ)を名のり初舞台を踏みました。
3代目・市川團子さんは若い頃は、6代目・市川染五郎さん(現在の2代目・松本白鸚)、初代・中村錦之助さん(現在の2代目・中村吉右衛門)と当時10代の歌舞伎俳優3人で「十代歌舞伎」と呼ばれて絶大な人気を得ました。
その後、23歳だった1963年5月に歌舞伎座「吉野山」の忠信、「黒塚」の鬼女などで3代目・市川猿之助を襲名しています。
市川猿翁(2代目)の若い頃② 革新的な舞台で歌舞伎界に新風を起こす
2代目・市川猿翁さんは、3代目・市川猿之助を襲名してからわずか1ヶ月後に祖父の初代・市川猿翁さんを、さらにその5ヶ月後には父親の3代目・市川段四郎さんを相次いで亡くし、歌舞伎界での後ろ盾を失い「梨園の孤児」とも呼ばれました。
しかし、2代目・市川猿翁さんはその悲運を跳ね返し、祖父以来の澤瀉屋(2代目・市川猿翁さんの屋号)の現代的な芸術を歌舞伎に取り入れる芸風を積極的に継承し、古劇の復活や古典の再創造に精力的に取り組み、明治以降邪道とされていた「宙乗り」、「本水」、「早替り」などの外連(ケレン)演出を復活させて取り入れるなどした革新的舞台を次々と披露。長らく旧態として停滞気味であった歌舞伎界に新風を起こして見せました。
2代目・市川猿翁さんの手がけた新基軸の歌舞伎舞台は、保守的な歌舞伎役者や評論家からは批判を浴びるも、エンターテイメント性を押し出したダイナミックで見応えのある舞台は、観客の間で大きな話題となって新たな若い世代を歌舞伎ファンに取り込む事にも成功。2代目・市川猿翁さんの手がけた歌舞伎舞台は「猿之助歌舞伎」と呼ばれて社会現象を巻き起こすほど一世を風靡しています。
市川猿翁(2代目)の若い頃③ 「スーパー歌舞伎」を創造
出典:https://meikandb.kabuki.ne.jp/
革新的でエンターテイメント性に富んだ「猿之助歌舞伎」で観客からの強い支持を得た2代目・市川猿翁さんは、1986年に「スーパー歌舞伎」の世界を創造しました。
2代目・市川猿翁さんは、哲学者の梅原猛さんと、「江戸時代にできた古典歌舞伎の美意識や発想、演出法、演技術は素晴らしいものの、物語自体は当時の世界観や道徳観に則ったもので、真の意味で現代人の胸に響いているとは言えない、それに対して内容にテーマを加えた明治以降の新歌舞伎は、近代劇的リアリズムを取り入れたために、歌舞伎本来の魅力である音楽性や舞踊性に乏しくなりエンターテイメントの観点から見ると面白さがない、それならば両方の長所を兼ね備えた新たな歌舞伎を創造したい」との内容の話で盛り上がり、これをきっかけにして、梅原猛さんが脚本を手がけた「ヤマトタケル」が生まれました。
この「ヤマトタケル」が1986年2月に「スーパー歌舞伎」の第1作として初演されると、ヤマトタケルの波乱の生涯をスピード感のあるストーリーと骨太な人物演出によって描き、セリ(昇降装置)や宙乗り(役者を吊り上げて空中を飛び回るように見せる演出)をふんだんに活用した派手な立ち回り、煌びやかで独創的な衣装、伝統的な下座音楽と現代風の音楽を組み合わせた音楽的演出による一大スペクタルは、観衆からの圧倒的支持を持って受け入れられたのでした。
2代目・市川猿翁さんはその後も「スーパー歌舞伎」の発展に取り組み、1989年に第2作「リュウオー・龍王」、1991年に第3作「オグリ・小栗判官」、1993年の第4作「八犬伝」にて観客動員数100万人を達成し、当初は色物のように見られていた「スーパー歌舞伎」にて、芸術の新たな領域を切り拓きました。
2代目・市川猿翁さんが創造した「スーパー歌舞伎」は現在も後進に受け継がれ、人気漫画「ワンピース」や「鬼滅の刃」(2024年予定)を原作とした作品でも話題となっています。
市川猿翁(2代目)の家系図
続けて、2代目・市川猿翁さんの家族についても見ていきます。上は2代目・市川猿翁さんの連なる家系図です。
この家系図の2代目・市川猿翁さんの家族・一族について順番に紹介していきます。
市川猿翁(2代目)の家族① 父親は3代目・市川段四郎
3代目・市川段四郎のプロフィール
本名 :喜熨斗政則(きのし・まさのり)
生年月日:1908年10月5日
没年月日:1963年11月18日(55歳没)
出身地 :東京府東京市浅草区
2代目・市川猿翁さんの父親は3代目・市川段四郎さんで、1910年代から60年代にかけて活躍し歌舞伎舞台だけに留まらず、近代劇や映画でも精力的に活躍されました。
歌舞伎俳優としては、代表的な名舞台として「二人三番叟」、「連獅子」が知られており、はまり役としては、「御摂勧進帳」の弁慶、「矢の根」の五郎、「阿古屋」の岩永、「慶喜命乞」の村田新八郎などが知られています。
歌舞伎舞台以外の代表作としては、中山安兵衛役で主演した1952年の映画「喧嘩安兵衛」などがあります。
1963年11月18日に55歳の若さで亡くなっています。
市川猿翁(2代目)の家族② 母親は女優の高杉早苗
高杉早苗のプロフィール
本名 :喜熨斗弘子(きのし・ひろこ、旧姓は清水)
生年月日:1918年10月8日
没年月日:1995年11月26日(77歳没)
出身地 :東京府東京市浅草区
2代目・市川猿翁さんの母親は女優の高杉早苗さんで、昭和の初期から終わりにかけて長く活躍された名女優です。
人気絶頂だった1938年に3代目・市川段四郎さんと結婚したのを機に一時女優を引退。1939年12月に長男の2代目・市川猿翁さんを産み、その後も2人の子供を産んでいます。(長女の市川靖子と次男の4代目・市川段四郎)
子育てが一段落した1948年に再び女優として復帰し、梨園の妻としての役割を果たしながら映画やドラマを中心に活躍されました。
1995年に心筋梗塞で亡くなられています。
市川猿翁(2代目)の家族③ 祖父は初代・市川猿翁(2代目・市川猿之助)
初代・市川猿翁のプロフィール
本名 :喜熨斗政泰(きのし・まさやす)
生年月日:1888年5月10日
没年月日:1963年6月12日(75歳没)
出身地 :東京府東京市浅草区千束町
2代目・市川猿翁さんの祖父は初代・市川猿翁さんです。初代・市川猿翁を名乗った後すぐに亡くなっているため、その襲名前に名乗っていた2代目・市川猿之助としてよく知られています。
明治大正昭和の時代にかけて長く活躍した名歌舞伎俳優で、若い頃には欧米に留学して新時代の舞台芸術を学びそれを歌舞伎の演出にも取り入れました。また現代劇でも活躍し、近代演劇の一翼を担いました。
歌舞伎での代表作としては、「御浜御殿綱豊卿」の富森助右衛門、「慶喜命乞」の山岡鉄太郎、「勧進帳」の弁慶、「仮名手本忠臣蔵」の高師直・加古川本蔵、「義経千本桜」の忠信、「吃又」の又平、「神霊矢口渡」の頓兵衛、「鈴ヶ森」の幡随院長兵衛などがよく知られています。
1963年5月に初代・市川猿翁を名乗るも持病の心臓病が悪化し、披露興行はやむなく休演となります。しかし、その最後の3日間、入院先の病院から舞台に赴いて「口上」に列座しました。これが最後の舞台となり、その翌月に75歳に心不全でこの世を去っています。
市川猿翁(2代目)の家族④ 曽祖父は2代目・市川段四郎(初代・市川猿之助)
2代目・市川段四郎のプロフィール
本名 :喜熨斗亀次郎(きのし・かめじろう)
生年月日:1855年9月2日
没年月日:1922年2月6日(66歳没)
出身地 :江戸・浅草
2代目・市川猿翁さんの曽祖父は、2代目・市川段四郎さんで、明治から大正の時代に活躍されました。
名人と謳われた江戸浅草の立師・坂東三太郎の子供として生まれ、はじめに5代目・尾上菊五郎に弟子入りし、15歳の時に河原崎権十郎(後の9代目・市川團十郎)の門弟となって山崎猿之助を名乗りました。
1874年、中島座で「勧進帳」を無断で上演した事で破門となり、その後は松尾猿之助を名乗って小芝居や各地の芝居小屋に出演。1890年にようやく許されて初代・市川猿之助を名乗り、ようやく歌舞伎の舞台へと復帰しました。
一方で、1997年以降は小芝居の座頭格の立者となって芝居小屋でも活動を続け、1910年には2代目・市川段四郎を名乗り、以後は東京歌舞伎の長老格として活躍しました。
「仮名手本忠臣蔵」の高師直、「伊賀越道中双六」(沼津の段)の平作、「平家女護島」(俊寛)の俊寛などが知られています。
市川猿翁(2代目)の家族⑤ 弟は4代目・市川段四郎
4代目・市川段四郎のプロフィール
本名 :喜熨斗宏之(きのし・ひろゆき)
生年月日:1946年7月20日
没年月日:2023年5月18日(76歳没)
出身地 :東京都
公称身長:163cm(歌舞伎俳優名鑑より)
血液型 :O型
2代目・市川猿翁さんの実弟は、4代目・市川段四郎さんです。
1957年4月の歌舞伎座「熊野(ゆや)」の女童で、初代・市川亀治郎を名乗って初舞台を踏み、1963年5月の歌舞伎座「雪月花三重暗闘(せつげつかみえのだんまり)」の沙那王で4代目・市川團子の名跡を兄の2代目・市川猿翁さんから継承しました。
その後、1969年5月の歌舞伎座「根元草摺引」の五郎などで4代目・市川段四郎を襲名。
4代目・市川段四郎さんは、若い頃から兄の2代目・市川猿翁さんの一座に加わって片腕として活躍。2代目・市川猿翁さんが古典の復活と再創造や「スーパー歌舞伎」の創造での大成功を収めたのは、この弟の4代目・市川段四郎さんの協力がなくてはあり得なかったとも言われています。
2代目・市川猿翁さんが最も信頼を寄せる弟であった4代目・市川段四郎さんですが、2023年5月18日に自宅で嫁の喜熨斗延子さんと不審な死を遂げました。この死にはこの時に自宅で意識が朦朧とした状態で見つかった、息子である4代目・市川猿之助さんが関わっていると見られています。
この事件は、歌舞伎界を揺るがす大事件として大きな騒動となっていますが、高齢で病身でもある2代目・市川猿翁さんには、この事件のことはまだ伝えられていないようです。
市川猿翁(2代目)の家族⑥ 妹は女優の市川靖子
市川靖子のプロフィール
本名 :喜熨斗靖子(きのし・やすこ)
生年月日:1941年4月3日
没年月日:2003年11月21日(62歳没)
出身地 :東京都
2代目・市川猿翁さんの妹は女優として活躍した市川靖子さんです。
学習院女子短期大学文科国文学専攻を卒業後、時代劇や2時間ドラマ、舞台などを中心に女優として活躍。タレントとしても活動し、ワイドショー「アフターヌーンショー」や深夜バラエティ「11PM」などにも司会やアシスタントとして出演されていました。
1969年に俳優の川合伸旺さんと結婚し2人の子供に恵まれますがその後離婚。
2003年11月21日に62歳の若さで亡くなっていますが、死因などは公表されていません。
市川猿翁(2代目)の家族⑦ 1度目の結婚の嫁は女優の浜木綿子
1度目の結婚の嫁・浜木綿子のプロフィール
本名 :香川阿都子(かがわ・あつこ)
生年月日:1935年10月31日
出身地 :東京府東京市目黒区
身長 :157cm
血液型 :B型
2代目・市川猿翁さんの1度目の結婚相手で元嫁は、元宝塚歌劇団雪組のトップ娘役で宝塚退団後も女優として活躍を続けられている浜木綿子さんです。
2代目・市川猿翁さんにとっては最初の嫁である浜木綿子さんは、1953年に宝塚歌劇団に入団し、トップ娘役として活躍後1961年4月30日に宝塚を退団。退団後は東宝現代劇と契約して舞台や映画で女優として活動し、1962年には舞台「悲しき道具」にて文化庁芸術祭奨励賞を受賞されています。
2代目・市川猿翁と元嫁の浜木綿子の結婚
出典:https://i2.wp.com/koimousagi.com/
女優としての人気絶頂であった1965年に2代目・市川猿翁さんと結婚。当時は2代目・市川猿翁さんが25歳、元嫁の浜木綿子さんは当時29歳で4歳年上でした。1965年2月26日には盛大な結婚披露宴も開かれています。(上の画像)
2代目・市川猿翁と元嫁の浜木綿子の子供
結婚した1965年12月には息子(現在は俳優として活躍する香川照之さん)も誕生しています。
2代目・市川猿翁さんの息子の香川照之さんについては後述します。
2代目・市川猿翁と元嫁・浜木綿子の離婚理由は藤間紫とのW不倫
息子の香川照之さんがまだ1歳だった1967年、2代目・市川猿翁さんは突然、嫁の浜木綿子さんと幼い息子を捨てて家を出てしまいます。
この時、2代目・市川猿翁さんは16歳年上の日本舞踊家で女優の藤間紫さんとW不倫の関係(実は浜木綿子さんとの結婚の前から続いていた)にあり、その元へと去ってしまったのでした。
その後、1968年に2代目・市川猿翁さんと浜木綿子さんの離婚が成立しています。
2代目・市川猿翁と元嫁・浜木綿子のその後と現在
2代目・市川猿翁さんとの離婚後、元嫁の浜木綿子さんは女優を続けながら一人息子である香川照之さんを育てられました。
浜木綿子さんは現在も女優として活躍されていますが、2016年に舞台喜劇「極楽町一丁目 -嫁姑千年戦争-」、2017年に舞台「新版 喜劇『売らいでか!』―亭主売ります―」に出演(いずれも主演)されたのを最後に大きな出演作はありません。
市川猿翁(2代目)の家族⑧ 2度目の結婚の嫁は女優の藤間紫
2度目の結婚の嫁・藤間紫のプロフィール
本名 :喜熨斗綾子(きのし・あやこ)
生年月日:1923年5月24日
没年月日:2009年3月27日(85歳没)
2代目・市川猿翁さんは不倫関係を経て長く内縁の妻の関係にあった藤間紫さんと2000年に2度目の結婚をしています。
2代目・市川猿翁さんの2度目の結婚相手で生涯2人目の嫁である藤間紫さんは、日本舞踊藤間流の6代目・藤間勘十郎さんと21歳の時に1度目の結婚をし、藤間流の名取となりました。
2人の子供も出産しますが、30代後半となった1960年代から、2代目・市川猿翁さんとW不倫の関係となって長く内縁の関係を続けた末に1985年に6代目・藤間勘十郎さんとの離婚が成立。その後2000年に2代目・市川猿翁さんと2度目の結婚をしています。
2代目・市川猿翁さんが「スーパー歌舞伎」を成功させた裏には、内縁の嫁であった藤間紫さんの力が大きく、藤間紫さんが歌舞伎興業を手掛ける松竹の演劇担当役員と交渉して興業の失敗を「すべて自らが被る」という約束の元でスーパー歌舞伎の興行に打って出たのでした。
結果的にスーパー歌舞伎はチケットが買えないほどの大成功を収め、2代目・市川猿翁さんは歌舞伎界での発言力を大きく強めたのでした。
2代目・市川猿翁さんを長く支えた嫁の藤間紫さんでしたが、2009年3月27日に肝不全で85歳で亡くなっています。
市川猿翁(2代目)の家族⑨ 子供(息子)は俳優の香川照之
息子・香川照之(9代目・市川中車)のプロフィール
生年月日:1965年12月7日
出身地 :東京都
公称身長:171cm
血液型 :AB型
2代目・市川猿翁さんと1度目の結婚相手の元嫁・浜木綿子さんの間に生まれた子供が、一人息子である俳優で市川中車として歌舞伎界でも活躍する香川照之さんです。
香川照之さんが1歳半だった1967年に、2代目・市川猿翁さんは家族を捨てて不倫相手の藤間紫さんの元へと去っており、香川照之さんは浜木綿子さんと祖母に育てられています。
香川照之さんは名門私立暁星学園を経て東京大学文学部社会心理学科を卒業後、TBSのADとして勤務。しかしADは数年で辞めて1988年から俳優として活動を開始しています。
俳優デビュー後の1991年2月、香川照之さんは1歳半で離れてから24年ぶりに、父親の2代目・市川猿翁さんの公演先に訪ねて行っています。しかし、2代目・市川猿翁さんはたった1人の子供である香川照之さんと会う事を拒否。
香川照之さんは、2代目・市川猿翁さんから付き人を通じて「今の私とあなたには何の関わりもない。あなたは私の息子ではない。」、「あなたとは今後2度と会わない」と冷たく言い放たれ拒絶されたそうです。
婦人公論91年8月号では、香川照之さんが2代目・市川猿翁さんに会いに行った時に言われた言葉が紹介されています。
「ぼくはあなたのお母さんと別れた時から、自らの分野と価値を確立していく確固たる生き方を具現させました。すなわち私が家庭と訣別した瞬間から、私は蘇生したのです。だから、今のぼくとあなたとは何の関わりもない。あなたは息子ではありません。したがって、ぼくはあなたの父でもない。マスコミに、猿之助が父だとか、彼に会いたいとか言わないほうがよいでしょう。今後あなたとは二度と会わないけれど、そのことをよく心に刻んでおきなさい。何ものにも頼らず、少しでも自分自身で精進して、一人前の人間になっていきなさい」
引用:婦人公論91年8月号
その後、香川照之さんは俳優として成功を収め、1995年に元CAの知子さんという一般女性と結婚して2004年に子供が産まれています。
この香川照之さんの子供が、2代目・市川猿翁さんにとって初孫となる香川政明さんですが、香川照之さんは息子の政明さんを歌舞伎界に入れたいとの思いを強めて何度も父の2代目・市川猿翁さんの楽屋を訪ねたそうです。
何度訪ねても、2代目・市川猿翁さんは香川照之さんに会おうとしなかったそうなのですが、その姿を見かねた藤間紫さんが「たった1人の息子じゃないの、ちゃんと会って話を聞いてあげなさい」と口添え、これに心を動かされた2代目・市川猿翁さんはようやく香川照之さんと面会し、これをきっかけにして親子は約40年ぶりに和解しました。
そして、2011年9月27日、それまで3代目・市川猿之助を名乗っていた2代目・市川猿翁さんが市川猿翁を名乗ると同時に、香川照之さんは9代目・市川中車を襲名して歌舞伎界進出が発表されました。そして、香川照之さんの息子の政明さんも5代目・市川團子を襲名して歌舞伎界入りしています。
出典:https://www.kabuki-bito.jp/
2代目・市川猿翁さんにとっては孫にあたる5代目・市川團子さんについては次の見出しで紹介します。
市川猿翁(2代目)の家族⑩ 孫は5代目・市川團子
5代目・市川團子のプロフィール
本名 :香川政明
生年月日:2004年1月16日
出生地 :福岡県
出身地 :東京都
身長 :179cm
血液型 :AB型
2代目・市川猿翁さんの孫にあたるのが息子の香川照之さんの子供である政明さんです。
香川照之さんのところでも触れたように、香川政明さんは2011年9月に5代目・市川團子を襲名して歌舞伎役者になっています。
5代目・市川團子さんは、2012年に新橋演舞場のスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」のワカタケルで初舞台を踏み、2013年には国立劇場「春興鏡獅子」の胡蝶で国立劇場賞特別賞を受賞しています。
そして、2023年5月18日に4代目・市川段四郎さんが亡くなり、それに関わったと見られる4代目・市川猿之助さんの歌舞伎界復帰が絶望的と見られている現在、その後継者候補として5代目・市川團子さんに注目が集まっています。
5代目・市川團子さんは、2023年5月公演の「不死鳥よ 波濤を越えて―平家物語異聞―」に4代目・市川猿之助さんの代役として出演。わずか1日稽古をしただけで見事に代役を果たした事が高く評価されており、これからの澤瀉屋の未来を背負う存在とまで目されています。
市川猿翁(2代目)の家族⑪ 甥は4代目・市川猿之助
4代目・市川猿之助のプロフィール
本名 :喜熨斗孝彦(きのし・たかひこ)
出身地 :東京都
公称身長:171cm
血液型 :O型
2代目・市川猿翁さんにとって、実弟の4代目・市川段四郎さんの息子の4代目・市川猿之助さんは甥っ子にあたり、自身が長らく3代目として名乗っていた市川猿之助の名跡を譲った相手でもあります。
4代目・市川猿之助さんは、4歳だった1980年7月に歌舞伎座「義経千本桜」の安徳帝で初お目見得し、1983年7月に歌舞伎座「御目見得太功記」の禿たよりで2代目・市川亀治郎を名乗って初舞台を踏みました。
2012年6月・7月の新橋演舞場「義経千本桜」川連法眼館の忠信実は源九郎狐、そして、スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」のヤマトタケルなどで4代目・市川猿之助を襲名。
2007年のNHK大河「風林火山」で武田信玄の役を演じたのを皮切りにテレビドラマや映画、現代劇、バラエティ番組など歌舞伎舞台以外にも活躍の幅を広げ、ドラマ「半沢直樹」(2020年版)や、2022年のNHK大河「鎌倉殿の13人」での怪演は大きな話題を呼んでいた他、「スーパー歌舞伎」ではプロデューサーとしての手腕も発揮し、今後の歌舞伎界を背負って立つ存在として期待が集まっていました。
しかし、2023年5月18日、自宅で父親の4代目・市川段四郎さんと母親の喜熨斗延子さんが不審死しているのが見つかり、4代目・市川猿之助さんも自宅内で意識が朦朧とした状態で見つかり病院に搬送されました。
この時には遺書のような文書も見つかっており、4代目・市川猿之助さんが一家心中を図ったと見られていますが、不可解な点もあり、2023年6月23日の現在も警察による慎重な捜査が続けられています。
現時点では、4代目・市川猿之助さんの歌舞伎界への復帰は絶望的だと見られています。
市川猿翁(2代目)の現在…生きてるかが検索されるほど表舞台から遠ざかっている
2代目・市川猿翁さんは2003年11月、自らが演出も手がけた「西太后」の公演期間中に脳梗塞を患って途中降板して以降、会話が不自由な状態となっており、現在まで公の場にはほとんど姿は見せていません。
そのため、2022年の誕生日で83歳の高齢という事もあって、2代目・市川猿翁さんが生きてるかどうかもネット上で検索されているようです。
2代目・市川猿翁さんは生きていますが、パーキンソン症候群も発症している事もわかっており、歌舞伎俳優としての復活はかなり難しいと見られています。
現在は、内縁の妻と都内のホテルで療養しながら暮らしているようですが詳しい事は公表されていません。
まとめ
今回は、4代目・市川段四郎さんの兄で、4代目・市川猿之助さんの伯父にあたる歌舞伎俳優の2代目・市川猿翁さんについてまとめてみました。
2代目・市川猿翁さんの若い頃は積極的に歌舞伎の世界に新風を入れ、「スーパー歌舞伎」を創造するなど歌舞伎界に革新をもたらしました。
2代目・市川猿翁さんの家族は、父親に3代目・市川段四郎さん、母親は女優の高杉早苗さん、祖父は初代・市川猿翁さん、曽祖父には2代目・市川段四郎さんがいます。また、兄弟は弟の4代目・市川段四郎さんの他に、妹に女優の市川靖子さんがいます。
2代目・市川猿翁さんは1965年に女優の浜木綿子さんと1度目の結婚をし、その年には子供(息子で俳優の香川照之さん)も生まれていますが、それからすぐに嫁と幼い息子を捨てる形で家を出てその後離婚。
離婚後は、不倫相手だった日本舞踊家で女優の藤間紫さんと内縁の関係になり、2000年に正式に結婚しています。
2代目・市川猿翁さんは2003年に脳梗塞で倒れ、パーキンソン症候群も患い、以降は表舞台にはほとんど姿を見せておらず、生きてるかどうかが検索されていますが、現在は療養をしながら都内のホテルで内縁の妻と暮らされているようです。