ドラクエの生みの親として知られている堀井雄二さんですが、2018年11月になると、不倫離婚をしていたスキャンダルが発覚しています。
堀井雄二さんと元嫁の結婚や離婚、現在の妻との再婚は不倫スキャンダルの詳細などを総まとめしました。
この記事の目次
堀井雄二のプロフィール
名前:堀井雄二(ほりい ゆうじ)
生年月日:1954年1月6日
出身地:兵庫県洲本市
最終学歴:早稲田大学第一文学部卒業
堀井雄二は元々は漫画家志望の少年だった
現在はゲームクリエイターとして名を馳せている堀井雄二さんですが、元々は漫画家志望であり、中学時代は貸本屋に入り浸り「少年画報」や「冒険王」といった月間漫画誌を愛読していたそうですね。
兵庫県立洲本高校時代は漫画研究会に所属することとなった堀井さんは、高校3年の夏に、書き溜めていた漫画を片手に上京をして、漫画家の永井豪さんの家を訪ねて弟子入り志願をしたものの、弟子入りは断られてしまいました。
その後は猛勉強の末、早稲田大学文学部へ進学することとなった堀井さんでしたが、大学1年の冬に「川口大三郎事件」が起こり、大学が1年間休校になるという貴重な経験までしております。
堀井さんの大学時代は、学生運動が激化して大学構内でリンチ殺人事件まで起こった激動の時代だったものの、堀井さん本人はそういった過激な世界に関わることもなく、早稲田大学でも漫画研究会に所属してひたすら漫画家を目指すことになりました。
堀井雄二、ジョーク本ヒットを機にフリーライターに転身
堀井雄二さんの所属していた早稲田大学の漫画研究会に関しては、「島耕作」シリーズの弘兼憲史さんや「深夜食堂」の安倍夜郎さんなど、数多くの人気漫画家を輩出した名門サークルでした。
そのため、大学在学中の1974年になると、漫画研究会の方に「KKベストセラーズ」より「名門漫画研究会にジョーク本を書かせる」という企画が持ち込まれ、サークルの一員として堀井さんも携わることになります。
立教大学の漫画研究会との共同著作を含めれば、3冊のジョーク本に携わることとなった堀井さんは、作品がヒットしたことも相まって、大学在学中からフリーライターとして活動することになりました。
しかしながら、「好事魔が多し」という言葉は大抵の人間に当てはまる故事だったようで、1976年の春にバイク事故を起こしてしまった堀井さんは、内臓破裂の重傷を負い半年間の休学を余儀なくされました。
「川口大三郎事件」による休校やバイク事故による休学の影響もあり、堀井さんが早稲田大学を卒業したのは、24歳となる1978年の春だったそうですね。
堀井雄二、PCゲームにハマりゲームクリエイターの世界へ
早稲田大学卒業の堀井さんは、1980年よりフリーライターとしてアニメ雑誌「月刊OUT」に携わるなど活動は順調でした。
堀井さんがビデオゲームと出会うこととなったのも同じ時期だったようで、PCゲームに熱中した結果、プログラミングの勉強まで開始して自作ゲームを作るほど入れ込むことになります。
堀井さんがゲーム業界に足を踏み入れることとなったのは、1982年にゲーム会社「エニックス」が開催した「第一回ゲーム・ホビープログラム・コンテスト」の取材依頼を受けたことがきっかけだったようですね。
取材ついでに趣味で作成していた「ラブマッチテニス」を同コンテンストに応募した堀井さんは、同作品が佳作を受賞するという思いがけない評価を得ることになりました。
その後の堀井さんは、1983年に発売されたPCゲーム「ポートピア連続殺人事件」にて本格的にゲームクリエイターの道を歩み始めます。
同作品は、シナリオのみならずキャラクターデザインやプログラムまで堀井さんが手がけた渾身の一作であり、後にファミリーコンピュータにも移植されて、60万本のヒットを記録しました。
堀井雄二、「ドラゴンクエスト」シリーズの大ヒットでレジェンドに
日本にRPGというゲームジャンルを根付かせたとも評されている「ドラゴンクエスト」が発売されたのは、1986年ことでした。
ファミリーコンピュータで発売され150万本の大ヒットとなった同作品は、数々の派生作品を生みながら、現在まで展開が続く国民的人気シリーズとなっています。
堀井雄二さんが「ドラゴンクエスト」を作るきっかけとなったのは、当時アメリカでブームとなっていた「ウィザードリィ」や「ウルティマ」のようなアメリカ製RPGに対抗する作品を日本でも作ってみたいという想いからだったようですね。
派生作品を含めると、世界売上7600万本とも言われている「ドラゴンクエスト」シリーズですが、堀井さんはシナリオ以外にもゲームバランスの部分まで担当しており、モンスターの出現率までも決める立ち場にあると言われております。
堀井雄二の年収が凄い~自宅は32歳で建設した東京・世田谷の一軒家
堀井雄二、2000年に約3億円の収入で長者番付にランクイン
堀井雄二さんの気になる年収に関しては、高額納税者公示制度が存在していた2004年度までの長者番付を見るとだいたいの額が推測出来ます。
2000年度の長者番付での堀井さんは、文化人部門の12位にランクインしており、その推定年収額は2億9700万円となります。
堀井さんは続く2001年度の長者番付でも文化人部門の10位にランクインしており、その推定年収額は2億8000万円となっております。
ただし、長者番付を確認する限りでは、堀井さんは「ドラゴンクエスト」シリーズのゲームが発売された年度に年収ががっつりとアップする状況のようで、毎年数億円の年収があるわけではないようですね。
億万長者と呼べる立ち場の堀井さんですが、実は「アーマープロジェクト」という会社を経営しており、ゲーム関連の収入などは一旦はそちらに全部入る仕組みとなっています。
「アーマープロジェクト」の気になる売上に関しては、「ドラクエVI」が発売された1995年度には20億円の売上があったとの週刊誌記事なども存在します。
そのため、個人でもピーク時には数億円の年収を稼ぐ堀井さんとなりますが、「アーマープロジェクト」を含めた総資産となるとさらに桁外れの額であることが推測出来、100億円を超えていてもおかしくはない状況だと言えます。
堀井雄二、「堀井ミステリー三部作」のヒットで世田谷に一軒家を購入
「ドラゴンクエスト」シリーズの成功で大金持ちとなった堀井雄二さんですが、初代「ドラゴンクエスト」が発売された1986年に、世田谷に一軒家を建設したそうですね。
堀井さんの初めてのマイホームとなった世田谷の自宅に関しては、意外なことに「ドラゴンクエスト」御殿ではないと、本人が否定しております。
堀井さんは、「ドラゴンクエスト」以前から、「堀井ミステリー三部作」との通称を持つPC用アドベンチャーゲーム3作がヒットしており、中でも「ポートピア連続殺人事件」は、1985年にファミリーコンピュータにも移植されて60万本の売上を記録していました。
そのため、「堀井ミステリー三部作」のヒットによる収入が、世田谷に一軒家を建てられるほど額だったということなのでしょうね。
堀井雄二、仕事場はドラクエワールド全開だった
新宿にあると言われている堀井雄二さんの会社「アーマープロジェクト」ですが、その一室にある堀井さんの仕事場に関しては、ドラクエワールド全開の内装に改造されております。
ちなみに、この仕事部屋のモチーフは、「ドラゴンクエスト」シリーズの武器屋や宿屋だそうですね。
2016年12月にNHK特番で公開された堀井さんの仕事場に対しては、ネット上でも「ドラゴンクエスト」ファンからの羨望の声が集まっていました。
堀井雄二の仕事場行きて~てかカフェとかにしてほしー
— ちひ子 (@chihiko) 2017年1月7日
堀井雄二大先生の仕事場がもうファンからしたらもう夢の場所すぎるぞ、、
— しほ (@shihopii) 2016年12月29日
堀井雄二が浮気相手と結婚~元嫁に10億円の慰謝料を払い離婚
堀井雄二、「週刊新潮」に過去の不倫離婚騒動をスクープされる
堀井雄二さんは、2018年11月になると、過去の不倫歴と離婚&再婚騒動を「週刊新潮」によりスクープされています。
「ドラゴンクエスト」といえば、キャラデザインを鳥山明、楽曲はすぎやまこういち、そしてシナリオを堀井雄二(64)の各氏が手がけていることでおなじみ。全世界で7600万本を売り上げている人気シリーズだ。その“産みの親”である堀井氏が、糟糠の妻と離婚、そして新たな伴侶を得ていたことが明らかになった。
「週刊新潮」の記事によると、堀井さんは2016年に長年連れ添った前妻・Aさんと離婚をしており、その際に10億円の慰謝料まで支払っていたそうですね。
離婚翌年の2017年になると、堀井さんは20年来の付き合いである女性・Bさんと再婚しているため、週刊誌沙汰になっても仕方がない、きな臭すぎる私生活を送っていたと言えます。
堀井雄二の離婚・再婚報道が載っている週刊新潮を買った。420円で好評発売中。
— マルタン(DQXあとむ) (@earth_tortilla) 2018年11月9日
堀井雄二のインタビューは可能な限り欠かさずチェックしてるけど、堀井雄二が何かの問題について釈明に回る姿を見るのはこれが初めてだ。それが新鮮でもあるけど、憧れの人の不名誉な話題に接するのってやっぱつれぇわ。
堀井雄二、2000年頃に現嫁との不倫関係を一旦清算していた
堀井雄二さんの現在の妻であるBさんですが、元々ゲーム業界にいた女性であり、2018年で51歳になる女性だそうですね。
堀井さんとBさんは1990年代中盤頃に知り合い、5年間ほど不倫関係にあった後、2000年に一旦関係を清算しております。
2人が不倫関係を清算した理由については、堀井さんが「妻と別れる」と言ってBさんと交際していたものの、離婚への踏ん切りがつかなかったことが原因だったとか。
2000年当時のBさんの年齢が33歳だったことを踏まえると、このままズルズルと関係を続けることに対して、堀井さんが罪悪感を感じたのかもしれませんね。
ちなみに、不倫関係を清算した際に、堀井さんはBさんに数千万円の慰謝料とマンションを譲渡したそうですね。
その後、一度男女関係になりましたが、5年ほどでお互い弁護士を立てて関係を解消しています。僕も男で、彼女に“妻とは離婚する”などと言ってしまっていたのに結局、離婚はしなかったので、それで責任をとるために、きちんと慰謝料も払って別れたんです。慰謝料の額は数千万円程度。世間一般よりも高いとは思いますが、僕もその時点である程度稼いでいましたから。2000年に(一緒に)買ったマンションに(彼女が)住んでいたのが最後で、その直後にお別れしました。
堀井雄二、不倫関係清算後も現嫁との交際は継続していた
不倫関係清算後の2人に関しては、それで疎遠になるということはなく、Bさんは堀井雄二さんの仕事のパートナーとして、「アーマープロジェクト」で働くことになったそうですね。
「確かにアーマープロジェクトで働いてもらっていたというか、シナリオとかをチェックしてもらってはいました。フリーライターとして外注していた形です。(愛人だから仕事を回しているんだろうと)世間がそういう風に見ることはわかりますけども、実際はそうではなくて、きちんと労働の対価として支払っていました。
一見するとずるずると不倫関係が続いていたようにも見える2人ですが、「週刊新潮」の取材に応えた堀井さんは、あくまで仕事のパートナーとしての交流であり、この期間に男女関係はなかったことを強調しております。
ちなみに、仕事のパートナー時代でも、堀井さんがBさんの家を訪れることはちょくちょくあったそうですから、かなり相性が良い関係性だったのでしょうね。
堀井雄二、現嫁との結婚理由はケジメ婚だった
堀井雄二さんが、Bさんとの再婚を決意した理由については、ケジメ婚だったそうですね。
ぶっちゃけると、僕はゲーム作る才能はあるけれど優柔不断で何事も決められなくて……。うまく言えないですけど、(それでも再婚は)それがいいかなと思ってやったことです。長い人生の中で、どこかでけじめをつけなきゃいけないなと思ったんですね。
ちなみに、再婚のアプローチ自体はBさんの側からあったそうで、再婚後のBさんは「アーマープロジェクト」の取締役も兼ねているとか。
堀井雄二の家族情報~元嫁との間には2人の子供がいた
堀井雄二、元嫁と子供たちは自身の会社の取締役だった
堀井雄二さんの前妻・Aさんについては、週刊誌などでも取り上げられる機会がまったくなかったため、実は2人の結婚時期すら不明となります。
ただし、1990年代中盤頃の堀井さんの特集記事内に、2人の子供がいるという記述があったため、結婚からしばらくの間は夫婦仲も良好な関係にあったということなのでしょうね。
しかしながら、いつからか堀井さんは世田谷の自宅にまったく戻ってこなくなってしまったようで、2016年の離婚までに、2人は長い別居期間を経験することになりました。
離婚後のAさんと子供たちに関しては、「週刊新潮」の取材によると、「アーマープロジェクト」の取締役となっているそうで、堀井さんとの関係が途絶えたわけではないようです。
堀井雄二について総まとめすると…
・堀井雄二はゲームソフト「ポートピア連続殺人事件」などの大ヒットにより、1986年に東京・世田谷に一軒家を建設した。
・堀井雄二は2016年、長年の不倫により10億円の慰謝料を支払い糟糠の妻と離婚。その後、不倫相手の女性と再婚した。
・堀井雄二には元嫁との間に子供が2人いる。
堀井雄二さんの一連のスキャンダルに関しては、家族から週刊誌に告発記事が載ったというわけではないため、前妻家族もそれなりに納得した上での離婚&再婚だったのではないかと思われます。
その辺の塩梅は、自身の落ち度を認めて、前妻一家に対する経済的なケアを忘れなかった堀井さんの誠意が、功を奏したということなのかもしれませんね。