大河ドラマ「麒麟はくる」やNHK朝ドラ「カムカムエヴリバディ」にも出演した名俳優の村田雄浩さんが話題です。
この記事では村田雄浩さんの若い頃や大学などの学歴、結婚した嫁の中江里香さんや子供、娘の琥珀さん、自宅や病気の噂、現在の活躍などについてまとめました。
この記事の目次
村田雄浩のプロフィール
村田雄浩のプロフィール
生年月日:1960年3月18日
出身地 :東京都
身長 :180cm
血液型 :A型
村田雄浩(むらた・たけひろ)さんは、「渡る世間は鬼ばかり」の田口誠役や、映画「ミンボーの女」のホテルのベルマンの若杉太郎役、映画「おこげ」の吉野剛役、NHK朝ドラ「澪つくし」の小浜敬助役などでの名演技がよく知られている人気ベテラン俳優です。
1980年代に活躍を始め、1990年代に演技派俳優としての地位を確立。現在も様々な作品に出演して存在感を放っています。最近ではNHK大河ドラマ「麒麟がくる」や、NHK朝ドラ「カムカムエヴリバディ・雉真るい編」などにレギュラー出演されています。
今回はこの名俳優・村田雄浩さんの若い頃の経歴や学歴、結婚した嫁や子供などを中心に紹介していきます。
村田雄浩の若い頃の経歴① 映画への憧れから16歳で劇団ひまわりに入団
出典:https://data.smart-flash.jp/
村田雄浩さんは、幼稚園の頃にディズニー映画「ピーター・パン」を観て衝撃を受けて映画の虜になり、映画好きだった父親の影響もあって、物心ついた頃から「寅さん」や戦争映画、時代劇映画などを観て育ったため自然と銀幕の世界に憧れを抱くようになったそうです。
その後、中学生になった村田雄浩さんは、修学旅行で訪れた京都で、偶然、時代劇「大江戸捜査網」の撮影現場に出くわし、そこで働く人々がとても生き生きとして見えたそうで、この出来事がきっかけになってより具体的に映画の世界で活躍する事を夢見るようになったのだそうです。
高校に進学し、16歳になった村田雄浩さんは、新聞の募集広告を見て「劇団ひまわり」に入団しています。最初は俳優志望ではなく裏方を希望されていたそうです。
その後役者としても活動するようになった村田雄浩さんは、「ここは多くの人が来て、ふるい落とされる場所だ」と気がつき、それに触発される形で仲間らと自主制作映画を撮り始め、その作品を青山学院大学で上映するなど積極的に活動されています。
この時の経験が本気で役者を目指すきっかけになったそうです。
16歳のとき、新聞広告で見つけた「劇団ひまわり」に入団した。だが、在籍者も多く、自分で動かなければ刺激も得られない。「ならばと、現在は脚本家として活躍している一色伸幸さん(映画『私をスキーに連れてって』、1987年など)が在籍していたので、脚本を書いてもらって自主映画を撮りました。作品は、一色さんが通っていた青山学院大学で上映。それが、本気で俳優を目指すきっかけになりました」
その後、村田雄浩さんはいわゆる大部屋俳優としてエキストラで映画に出演し続けていたところ、段々と助監督やプロデューサーに顔を覚えてもらって声をかけてもらえるようになり、1979年公開映画「暴力戦士」や、1980年公開映画「思えば遠くへ来たもんだ」など、セリフや役名のある役での起用も増え始めました。
村田雄浩の若い頃の経歴② 劇団「アクターズ・スリル&チャンス」を結成
23歳だった1983年7月24日、村田雄浩さんは、村尾幸三さん、堀広道さん、山崎義治さんら俳優仲間4人で劇団「アクターズ・スリル&チャンス」を結成しています。
この劇団「アクターズ・スリル&チャンス」は、『「言葉」を音楽的に、「演劇」をポップに』をモットーに掲げた、当時としてはかなり斬新なスタイルの劇団で、独自の世界観を持つ新しいタイプの演劇を創り出しました。
この劇団は当時の若者からの支持を集め、新宿や原宿の小劇場を中心に活動し、1994年9月にはニューヨーク・ブロードウェイでの公演も成功させています。1998年の解散までに7度の全国ツアーを行い、延べ30万人もの観客を動員しました。
若い頃の村田雄浩さんも、この「アクターズ・スリル&チャンス」での活動によって、多くのファンを獲得されています。
村田雄浩の若い頃の経歴③ 「おこげ」で演技派俳優としての地位を確立
村田雄浩さんは「アクターズ・スリル&チャンス」など、積極的な活動を展開して人気を上げ、1983年から1984年にかけて放送されたドラマ「青が散る」や、1985年のNHK朝ドラ「澪つくし」などに重要な役柄で出演し、その独特な存在感と演技力が注目を集めました。
その後も、村田雄浩さんは順調に出演作を増やし、1992年には、大ヒットした映画「ミンボーの女」に準主役の若杉太郎役で出演。同年公開の映画「おこげ」にも、準主役の吉野剛役で出演しました。
この両作品での村田雄浩さんの演技は絶大な評価を受け、特に「おこげ」では、日本アカデミー賞助演男優賞、キネマ旬報日本映画助演男優賞、毎日映画コンクール男優助演賞、報知映画祭最優秀助演男優賞、日刊スポーツ映画大賞助演男優賞、日本映画批評家賞男優賞、日本映画テレビプロデューサーエランドール新人賞など、その年の権威ある映画賞を総なめにしています。
この年の活躍によって、村田雄浩さんは演技派俳優としての地位を確かなものとしました。
村田雄浩の学歴① 出身中学は「越谷市立北陽中学校」
続けて、村田雄浩さんの学歴や学生時代のエピソードについても紹介していきます。
村田雄浩さんの出身中学は、埼玉県越谷市の公立校「越谷市立北陽中学校」で、1975年の卒業生です。村田雄浩さんは東京都の生まれですが、小学校5年生の時に埼玉県越谷市に引っ越し、高校卒業まではここで過ごしています。
中学生時代の村田雄浩さんは柔道に打ち込み、3年生の時には柔道部のキャプテンも務めていました。
当時は映画業界や俳優の他にスポーツ選手にも憧れていたそうで、柔道の他に陸上にも打ち込み、円盤投げや砲丸投げ、やり投げなどの種目に取り組まれていたのだそうです。
また、若い頃の経歴のところでも触れているように、村田雄浩さんは中学の修学旅行で京都を訪れた時に、時代劇ドラマ「大江戸捜査網」のロケに遭遇し、これが俳優を本気で目指すきっかけになっています。村田雄浩さんはこの撮影をどうしても見たかったため、その日の他の見学の予定を全てキャンセルして、ずっとこのロケを見学したのだそうです。
村田雄浩の学歴② 出身高校は「埼玉県立三郷高等学校」
村田雄浩さんは中学を卒業後は、埼玉県三郷市花和田にある公立校「埼玉県立三郷高等学校」へと進学されています。
村田雄浩さんの出身高校である「埼玉県立三郷高校」の最新の偏差値は「41」となっています。
村田雄浩さんが入学した時がこの三郷高校の創立1年目で上級生はいませんでした。そのため、村田雄浩さんは1年生の時から生徒会長(初代)を務められていたそうです。
若い頃の経歴のところでも触れているように、村田雄浩さんは高校入学後16歳の時に劇団ひまわりに裏方として入団して舞台表現の世界に足を踏み入れています。
当時は仲間達と8ミリフィルムを使った自主映画も製作されたそうです。
埼玉県立三郷高校に第1期生として入学。ラグビーで汗を流しながら、初代生徒会長を務め、自主映画作りにも打ち込んだ。
「格闘あり、スタントありの8ミリ映画を撮りました。『危険が危ない』という、わけがわからないタイトルでしたね(笑)。ストーリーは、ぜんぜん覚えていないんですけど」
村田雄浩さんは映画制作などで精力的に活動する一方で、高校ではラグビー部に入部し、初代主将も務めています。
当時、創立1年目の三郷高校なので、ラグビー部も創設1年目でした。顧問の先生も部員たちもラグビーのルールすら把握していない状態でのスタートだったそうですが、先生と部員達で一緒に勉強して1から練習に取り組んでいくのがとても楽しかったそうです。
村田雄浩さんは高校3年間ラグビーを続けられています。
この高校時代のラグビー経験を活かし、村田雄浩さんは2018年にNHK総合で放送されたドラマ「不惑のスクラム」に、シニアラグビーチーム「ヤンチャーズ」のキャプテン役で出演されています。
村田雄浩の学歴③ 大学には進学していない
村田雄浩さんは高校卒業後は大学には進学せず、真っ直ぐに俳優の道を目指されています。
高校卒業から1年後の1979年にテレビドラマ「けっぱれ!大ちゃん」でデビューされているので、同級生が大学に通っていた頃には既にプロの俳優としての活動をスタートさせていました。
上の画像は、村田雄浩さんのデビュー作品であるドラマ「けっぱれ!大ちゃん」のワンシーンで、正面から見て左が若い頃の村田雄浩さんです。(右は主演の冨岡圭一郎さん)
村田雄浩の結婚相手は女優の中江里香
続けて、村田雄浩さんの結婚や嫁、子供などについて紹介していきます。
村田雄浩さんは、2006年10月13日に、20歳年下の女優の中江里香さんとの結婚されています。
俳優の村田雄浩さん(46)が女優の中江里香さん(26)と今年10月に結婚することが3日、分かった。2人は現在毎日系のドラマ「渡る世間は鬼ばかり」に出演中。
村田雄浩と結婚相手の中江里香の馴れ初め
村田雄浩さんと結婚相手の中江里香さんの馴れ初めは、2002年にドラマ「ショムニファイナル」で共演した事だったそうです。
交際が始まったのは馴れ初めから2年後の2004年で、結婚を決めた2006年には「渡る世間は鬼ばかり」でカップル共演も果たされています。
なので、馴れ初めから4年、交際開始から2年で結婚を決断されたようです。
夫妻は02年のドラマ「ショムニファイナル」(フジ系)の共演で出会い、04年から交際。06年にはTBS「渡る世間は鬼ばかり」でも共演して愛をはぐくみ、同年10月に20歳差婚を実らせた。
村田雄浩さんと中江里香さんが結婚する事が最初にわかったのは2006年8月で、この当時はちょうど「渡る世間は鬼ばかり」の放送中で2人が共演していた事もあって大きな話題になりました。
村田雄浩の嫁・中江里香のプロフィール
村田雄浩の嫁・中江里香のプロフィール
本名 :村田映里佳(旧姓は畑中)
別名義 :清水えりか、実田江梨花、畑中映里佳など
生年月日:1980年1月6日
出身地 :静岡県
身長 :160cm
血液型 :B型
村田雄浩さんの嫁(妻)の女優・中江里香さんは、1992年に結成されたアイドルグループ「制服向上委員会」の出身で、1994年に同グループを卒業して女優に転向しています。
代表作としては、1997年の昼ドラ「男の選びかた」、1997年のNHK朝ドラ「あぐり」、1998年のドラマ「おそるべしっっ!!!音無可憐さん」、2004年のドラマ「赤い月」などがあります。
他にも2時間ドラマや時代劇にも多数出演されています。
村田雄浩さんとの結婚後は、本名の村田映里佳の名義で活躍されています。
村田雄浩と嫁・中江里香の子供は娘の琥珀さん
村田雄浩さんと嫁の中江里香さんの間には子供が1人誕生しています。
村田雄浩さんと嫁の中江里香さんの子供は娘さんで、結婚3年目の2009年9月17日に生まれています。
俳優の村田雄浩(49)にも第1子となる女児が誕生した。妻で女優の中江里香(29)が17日午前3時ごろ、都内の病院で出産。50歳目前でパパになった村田は関係者にメールで報告、喜んでいるという。
村田雄浩さんと中江里香さんの娘さんは「琥珀(こはく)」さんという名前も明かされていて、バラエティ番組で紹介された事もあります。当時は嫁の中江里香さんによく似たかわいらしい娘さんだと話題になっていました。
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村田雄浩さんと嫁の中江里香さんの娘さんは2022年5月の現在は12歳になっているはずですが、芸能人御用達としても知られる、東京都世田谷区の私立小学校「和光小学校」に通っていると噂されています。
村田雄浩さんは49歳の時にできた子供という事もあり、娘さんが可愛くて仕方がないそうです。2020年には、村田雄浩さんは週刊誌「FLASH」の取材を受けて、娘さんとのエピソードを嬉しそうに語られていました。
「娘は今、10歳です。僕はおじいちゃんのような年齢ですから、本当にかわいいですね。2020年3月から、春休み中の娘と、僕が乗馬の訓練を受けている群馬の乗馬クラブに滞在していたんです。そうしたら緊急事態宣言が発令され、しばらく帰京できず娘と厩舎の2階で暮らしました。学校から宿題が送られてきてもなかなか手をつけず、登校の日に『どうしよう、終わってないよう』と、泣き言を言っていました(笑)」
2015年には、群馬県太田市の乗馬クラブの公式ブログで、村田雄浩さんが娘さんの琥珀さんと訪れた事が紹介されています。
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村田雄浩さんの引き馬で、琥珀さんがポニーに乗っている写真も紹介されていました。
村田雄浩さんは時代劇や大河ドラマにもよく出演されているので、この乗馬クラブにトレーニングによく訪れているそうなのですが、娘の琥珀さんをよく連れてこられているようです。父娘仲がとても良い事が伝わってきます。
村田雄浩の自宅
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村田雄浩さんの自宅は住所などは不明ですが、2014年3月4日に放送されたバラエティ番組「もてもてナインティナイン」で自宅の中が紹介されていました。
放送の内容によると、村田雄浩さんの自宅は東京都内にあるマンションで、広いリビングルームのある高級そうな住宅でした。
村田雄浩と嫁の母親(義母)との確執が報じられた事も
村田雄浩さんと嫁の中江里香さんの結婚に関するエピソードとしては、2015年頃に一部の週刊誌などによって、村田雄浩さんが中江里香さんの母親と揉めて音信不通になっているという内容の記事を掲載し、少し騒がれた事がありました。
「週刊新潮」2015年7月30日号の「キャリア36年の名脇役“村田雄浩”が妻の実母と絶縁7年の確執」というタイトルの記事では、中江里香さんの母親からの告発として、村田雄浩さんが嫁の中江里香さんを洗脳しており、母(村田雄浩の義母)や長女(中江里香さんの姉)と絶縁状態になっている事を訴える内容が書かれていました。
中江里香さんの母親によれば、中江里香さんと村田雄浩さんから絶縁メールが送られてきて、孫(娘の琥珀さん)とも1度も会わせてもらっていないという事です。
村田雄浩さんは、この報道に対して、義母と音信不通になっているのは事実と認めましたが、原因はこの義母の勘違いや思い込みによるもので、報道の内容はほぼ全て事実無根だと説明されています。
独自に入手した関係者からの情報や報道内容を客観的に見て、中江里香さんの母親が過干渉気味であり、それに困った村田雄浩さん夫妻が距離を置くようにしたが、そうしたら母親が騒ぎ出して週刊誌報道が出て騒ぎになってしまったというのが真相ではないかと思います。
村田雄浩に病気の噂も
2018年頃に村田雄浩さんが病気ではないかという噂が出た事がありました。
これは、この時期に村田雄浩さんが体重を絞って痩せた事から病気で痩せたのではないかという噂が出てきただけだったようです。
俳優の村田雄浩さん、前より痩せたなあ。ダイエットか病気かわからんけど、そして奥様美人。
— ふぁさーど♪ (@facade05) July 13, 2018
現在も村田雄浩さんは数多くの作品に出演しており、元気な様子を見せてくれているので病気という事はありません。
村田雄浩の現在
村田雄浩さんは2022年の誕生日で62歳を迎えていますが、現在も俳優として第一線で活躍されています。
2021年12月から2022年1月にかけては、NHK朝ドラ「カムカムエヴリバディ」に、大阪のクリーニング店の店主の竹村平助役を好演して話題を呼びました。
また、舞台俳優としても活躍されていて、2022年2月に赤坂レッドシアターで公演の地人会新社の舞台「二番街の囚人」に、主人公のメル役で出演されています。
まとめ
今回は1980年代から活躍を続ける名俳優の村田雄浩さんについてまとめてみました。
村田雄浩さんの若い頃は、子供時代から映画の世界に憧れを抱き、16歳で「劇団ひまわり」に裏方として入団して、その後役者としても活躍するようになり、高校生の頃から自主制作映画を制作するなど精力的に活動し、高校卒業後は大学には進学せずに、プロの俳優への道を選び、かなり若い頃からドラマや映画などに多数出演するようになり成功を収めています。
本格的にブレイクしたのは32歳だった1992年で、映画「おこげ」での演技が認められて、その年の俳優賞を総なめにしています。
学歴については、埼玉県の公立校「越谷市立北陽中学校」を経て、「埼玉県立三郷高等学校」を卒業し大学へは進学されていません。
結婚については、2006年に20歳年下の女優・中江里香さんと結婚されています。子供は琥珀さんという娘さんが1人で、2009年9月17日に生まれています。
村田雄浩さんの現在については、痩せた事から病気ではという噂もありましたが、これはただ単に体重を絞られただけだったようで、現在も俳優として第一線で活躍を続けられています。